お嬢さまと岩の巨人
サクラコはまた弟の事を思い出していた。彼が好きだったテレビアニメ。
ビルほどの大きさのロボットが、悪の組織や敵のロボットと戦う内容。
そのロボットを彷彿とさせる物体が、サクラコとアレスの前に姿を現したのである。
――グオオオーーーーーーン!
巨大な物体の咆哮。
どこから現れたのか、その土色のロボットは木々をなぎ倒しながらやってくる。
「ゴーレムだ……初めて見た……かっこいい……!」
少年の目はきらきらしている。
「あ、あれも魔物ですの?」
勇者はサクラコの質問で我に返る。
「……うーん。どうでしょう。あれ自体はただの土や岩の塊です。古代の魔術を使って、土くれに命を与えるんです。ユッカが言ってた通りなら、身体のどこかに動力源となるコアがあるはずなんですが」
森の木の数倍もある巨体。全容を掴むのは難しく、下半身は木々に遮られてよく見えない。
コアと呼べそうな部位と言えば、土のロボットの目の部分。赤く輝く単眼ぐらいのものだ。
「あの赤いのは、いかがでしょう?」
「あれは目玉みたいだけど……。とりあえず狙ってみます」
勇者の手のひらが光る。光が収束して魔力のボールができあがった。
「それっ!」
ボールを投げるアレス。光は弾丸のように飛び、ゴーレムの頭の横を通り抜けて空へと消えていった。
「外した!」
次々とボールを作り出す投げるアレス。いくつかがゴーレムに当たり、そのうちのひとつは目に当たった。だが、どれも土の身体に当たると同時にはじけて消えてしまう。
「全然効いてませんね」
ゴーレムは大きな地響きと共に、こちらへとゆっくり近づいてくる。
だが、身体の大きさが動きを緩慢に見せているだけで、あまりゆっくりしている余裕はないようだ。
――グオオオオン!
ゴーレムは唸ると、巨大な腕を振りかぶった。岩の塊が木々をなぎ倒しながらふたりに迫る。
「サクラコさん、失礼します!」
アレスはサクラコを抱え上がると、ひとっ飛びで拓けた場所まで移動した。見上げていた土の巨人が急に遠くに離れる。
急な景色の変化についていけないサクラコ。地面に降りてからも、足の裏に現実味がない。
「奴の狙いはボクです。サクラコさんはどこか遠くへ……だめか。他にも魔物が来るかもしれない。とりあえず、その木の陰にでも隠れててください」
アレスは近くの大木を指さす。
サクラコは頷き従い、ふらつきながらも木の陰へと隠れた。不測の事態を考慮して、常に右耳に触れられるようにしておく。
勇者と土の巨人の大激闘。ゴーレムは巨大な腕を振り下ろし、アレスを叩き潰そうとする。
あまりにも大きいために、離れて見守るサクラコには遠近感がさっぱりだった。どうかすると、少年が蟻んこよろしく潰されてしまいそうに見える。
彼が危ないと感じたり、岩の拳が地面を叩いて地震を起こすたびに、お嬢さまは小さく悲鳴をあげなければならなかった。
ゴーレムは巨体に似合わず早いスピードでこぶしを繰り出している。勇者は高く飛んでかわすが、降りる速度は自由落下だ。
それは、振り下ろされるこぶしよりも遅い。
とうとうゴーレムの巨大なこぶしが、アレスの身体に重なる。
落雷のような音と共に、弾かれる岩の腕。ゴーレムは身体を大きく仰け反らせる。
大剣のたった一振りで、ゴーレムはそのまま地面に倒れた。森の木々よりも高く、土煙が舞い上がる。
「サクラコさん、見てましたか? やっつけましたよ!」
着地して手を振るアレス。ホームランを親に自慢する野球少年のようだ。
「アレスさん、危ない!」
木陰から飛び出し、空を指さすサクラコ。
空から降るは巨大な岩盤。砕けたゴーレムの欠片だろうか。
アレスは振り返り見上げると、勢いよく大剣を振り上げた。
一刀両断。岩盤は彼の両脇に落ちていく。そして、地面に落ちた岩は砕け、四方八方に飛び散った。
そのうちのひとつ、小さな欠片がサクラコのほうへと向かって飛んで来た。
スケールの差で遠近が狂っていた。欠片は思いのほか大きく、サッカーボールほどの岩塊であり、彼女のほうへと高速で迫っていた。
彼女はとっさに右の耳たぶを掴む。
――アレスが振り返る。
それはちょうど岩がサクラコの腹に食い込み、彼女を弾き飛ばす瞬間だった。
「サクラコさん!」
サクラコは岩が肋骨を叩き、腹の中の空気を鳴らす音を聞いた。
骨が押し込まれ、その部分から身体が熱く冷たくなっていく。
――交通事故に遭うと、このような感じになるのかしら?
――自動車……いえ、この位の大きさなら単車かしら?
衝撃で身体が曲がり、視界はそれとは別のほうへと揺れる。
地面が見えたかと思えば空が見え、空が見えたかと思えば地面が見える。
空、地面、空、地面。空、地面、空、地面。
視界は地面と空の間で止まった。アレスが駆けてくるのが見える。
「サクラコさん! どこですか!? 返事をしてください!」
右のイヤリング。スミスの込めてくれた透明化の魔法。
それはサクラコの姿を見事に消し、彼女を治療しようとするアレスの視界からも完全に隠してしまっていた。
――息ができない。
痛みのせいか、神経がいかれてしまったのか、脚や背骨が反るような感覚だけが残る。
反り続ける身体。延々と反る。自分の身体が渦巻きになってしまったと錯覚するような感覚。
「どこですか!? 治療します!」
サクラコは予想よりも遠くへと弾き飛ばされていた。彼女を探す勇者は遠い。
――アレスさん。
声にならない声。声を出そうとすると岩の当たったところが、いや身体のすべてが痛む。
あちらこちらを酷く打ち付け、骨は折れ、折れた骨がさらに身体を傷つけている。
彼女は助けを求めて首を持ち上げ、精一杯、遠くの勇者へと腕を伸ばす。
――腕が無い。そこにあるはずの腕が。
サクラコは、ようやく自分が透明になっていることに気付いた。
絶望が勇者に発見される可能性と共に心をも濡羽色に染める。
このまま、見つけていただけないまま、死んでしまうのかしら。
「サクラコさん! 返事をしてください!」
慌てふためく少年の姿を、虚ろに眺める娘の瞳。
彼女は口の中で弟の名前を呟いていた。
とうとう首を持ち上げる力も無くなり、頭が地に落ちる。
左耳に痛みが走る。他の痛みに比べたら、なんともないような痛み。
サクラコの身体が暖かい光に包まれる。
胸や腹の中で何かが動くような、言い難い不快感が訪れた。
その後、急速に身体が楽になっていく。
「……これは、ユッカの魔力だ!」
アレスが治癒魔法の光でサクラコの居場所を見つけた。
咳き込むサクラコ。落ち着くとようやく肺に空気が入る。
口の中も肺の中も、鉄の味で満たされている。だが、あの未体験の痛みは身体のどこにも残されていない。
「ユッカさんに頂いた、魔法銀のイヤリングですわ」
しゃがれた声で話すサクラコ。
「サクラコさん、どうして透明に?」
「ちょっとした、手違いですの……」
サクラコはドジを踏んで、危なく死ぬところであった。異世界の広っぱで、誰にも見つけられないまま。
想像すると、例の紅茶に負けない寒気が走った。
「おケガはありませんか? ボクからじゃ、何も見えないんです」
こちらを見て心配する少年の顔は殆ど泣きそうだった。
「大丈夫ですわ。ご心配、ありがとう存じますわ」
サクラコは立ち上がろうと試みる。身体は素直に言うことを聞いた。
「ユッカさんの治癒魔法。すごいものですわ……」
「やっぱりおケガをされてたんですね? でもユッカの治癒魔法なら、首が離れでもしない限り、何とかなります。ボクも腕をくっつけてもらったことがあるんですよ」
あっけらかんと言う勇者。
切断の図を想像したせいか、サクラコの胃が跳ねる。
知らない嘔吐の味。どうやら血を吐いたらしい。血も透明化されているらしく、確認はできなかったが。
「どうしましたか? でも、もう大丈夫です! ゴーレムは倒しました! あとはその透明化を解除したら……」
――地響き。
森の中からゆっくりと起き上がり始める土の巨人。
「やっぱり、コアを潰さないとダメか……」
「剣ではだめですの?」
「普通の岩や鉄なら、簡単に切れるハズなんですが、ゴーレムの本体にはかなりの魔力が通ってるらしくて、剣じゃ斬れないみたいなんです。でも、ボクは攻撃魔法は得意じゃないし……うーん」
頭を掻くアレス。起き上がるゴーレムを見上げながら唸る。
答えは明白だが、ゴーレムの出現が彼の決意と勢いを殺いでしまっていた。
「ユッカさんの魔法なら、いかがでございますの?」
「やってみなければ、分かりません。でも、アイツの狙いはボクです。ボクが町に行くわけにはいきません……」
沈黙する勇者。
「やっぱり、会っておけばよかったかな……。サクラコさん。お願いがあります」
「はい」
「ユッカをここに連れてきてくれませんか? それまで、ボクひとりでなんとかゴーレムを食い止めます」
勇者は剣を構え直すと、ゴーレムと向き合った。
「お引き受けいたしますわ。アレスさん、どうかご無事で……」
サクラコは城下町へ向かって駆け出した。
* * * *
* * * *
透明化の魔法が効いたままだったのはさいわいだった。
サクラコはユーイステア邸へ戻るまでに、何匹かの禍々しい気配をまとった動物を見かけたのだ。
息せき切り、ときに息を殺して走るサクラコ。ブーツを履いた足が痛くなるが、先ほどの痛みに比べたら、無いも同然に思える。
ユーイステア邸の中庭へ入り込み、窓から中を確認する。部屋はサクラコがアレスを追って出た時のままだ。
回り込み、客間やダイニングを覗き込む。楽しそうにする夫婦の姿があっただけで、ユクシアの姿は見当たらない。どうやら、まだ帰っていないようだ。
となれば、どこへ行ったのだろうか。戻ってくるのを待っている時間は無い。
サクラコには心当たりは一ヶ所しかなかった。川沿いのテラスカフェ。そこに賭けるしかない。
待ち合わせたわけでもないのにユクシアが現れたことがあったことから、彼女はかねてからあの店を利用していたはずだ。
お嬢さまが走る。
昼下がりの城下町は人通りが多い。
サクラコは透明化していてよかったと胸を撫で下ろす。
汗にまみれてお嬢さまらしからぬ疾走をし、きっと袴は土埃だらけで、もしかしたら血まで付いているかもしれない。
こんな姿で人目に付いたら、間違いなく注目を集めてしまうだろう。
「痛っ!」
通行人にぶつかる。サクラコはよろけてあとずさった。
ぶつかった通行人は不思議そうにあたりを見回す。
お嬢さまは、街の通りを騒がせるハメとなった。
透明化の魔法のせいで、他の人からは彼女の姿が見えない。
そのままの状態で通りを抜けるのは至難の業である。
「申し訳ございません!」「ごめんあそばせ!」「恐れ入ります!」
サクラコは謝りと断りを入れながら、困惑する人々のあいだをかき分ける。
彼女の通ったあとには混乱の残り香。ぶつかりあったと勘違いした男性同士がケンカになったのには、とても申しわけなくなった。
裏路地に駆け込むと一息つき、すぐにまた走り出す。
願いを込めて、裏路地を曲がるサクラコ。
水に映った昼の太陽が視界を眩しくし、視界を一瞬奪う。構わず川沿いを行き、テラスカフェへと急ぐ。
視界が戻り、座席がはっきりとする。
サクラコの目に入ったのは、特徴的な三角帽子に、牡丹色の髪をした……。
「ユッカさん!」
びくりと肩を弾ませ、あたりを見回すユクシア。口にはフォークを咥えている。
本日、二個目のケーキ。……いや違う。横に積まれた皿を見るからに、もはや何個目のケーキかは不明。
「ユッカさん、大変ですの!」
「え、サクラコ? 何してるの? かくれんぼ?」
何もない空間から聞こえる声に、目を丸くするユクシア。
「遊んでいる場合では、ございませんの! アレスさんが、大変ですの!」
ユクシアの口からフォークが落ちる。皿の上を弾み、耳障りな音をたてる。
「ア、アレ…勇者さまが?」
「そうですの! 魔王の追っ手がやってきて、アレスさんが、大変ですの!」
繰り返すサクラコ。他の客が不思議そうな顔をしてユクシアを見た。
「そ、そっか。頑張ってって、伝えといて」
顔まで牡丹色に染めて、フォークでケーキをばらし始めるユクシア。
「アレスさんの剣では、だめなんですわ」
「どうしてよ。ベティとガントゥーザさんの作った剣よ。勇者さまが振れば、デーモンだって大根みたいに切れるわよ」
ケーキを細切れにするユクシア。
「デーモンはアレスさんが退治なさいましたわ。でも、ゴーレムはだめですの」
「ゴーレム……」
ユクシアの顔が曇る。
「魔力がどうこうのっておっしゃってましたわ。ユッカさんのお魔法なら、なんとかなるかもしれませんわ」
「自信がないわ……」
ユクシアはケーキの粉を固める工程に入った。
突然、テーブルの皿が弾んで音を立てる。
「何を気弱なことをおっしゃってるの! ユッカさんは、国いちばんの魔導士でございましょう? こうしている間も、アレスさんはおひとりでゴーレムを食い止めてらっしゃるのよ!」
「怖いのよ。勇者さまが。あの人の顔を見るのが」
フォークが投げ出される。
「アレスさんのお顔が、もう見られなくなっても、よろしくって!?」
「良くないわよ! ずっと一緒に旅をしてきたのよ!? そのまえからずっと一緒に戦ってきた! でも、最後はうまくやれくなったのよ! 私は足手まといだった。だから、あの人は、アレスは! 私に帰れって言ったんだわ! 私は怖い。あの人に会うのが!」
魔法使いは帽子のつばを引き下げ、激しくかぶりを振った。
「違いますわ! アレスさんは、ユッカさんに危険が及ばない様にとお考えになったからこそ、お帰りになるようにおっしゃったのですわ!」
「あんたに何が分かるって言うの!? よその世界から来た、ぽっと出のお嬢さまのクセに!」
――!
乾いた音が響く。顔を逸らすユクシア。彼女の左の頬が腫れ上がる。騒めくカフェ。
「お嬢さまだとか、よその世界だとかは関係ございません! わたくしは、あなたの友人として申しあげているのです!」
透明化の魔法が解け始める。
サクラコの険しい表情が、血に濡れた胸元が、土と泥に塗れた袴が姿を現す。
「あ、あんた……その恰好……」
たじろぐユクシア。
「お行きなさい! ユッカ!」
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