第12話 大脱走
吾輩は認めよう。
先住猫の銀君とは、あまり仲が良くない。
理由は簡単だ。
吾輩と銀君は、同じくらいの歳のオス猫だからである。
オス猫同士というのは不思議なもので、お互い何もしていなくても、つい意識してしまう。
そんな銀君には、お父ちゃんが付けたあだ名があった。
「マイケル」
どうやら、人間の世界で有名な「プリズン・ブレイク」という外国のドラマに登場する、脱獄の天才の名前らしい。
吾輩は見たことはないが、その名に恥じないほど、銀君は脱走の天才だった。
ウッドデッキを囲むネットを毎日少しずつ噛み続け、小さな穴を広げていく。
アルミサッシのクレセント錠にはぶら下がって鍵を外し、重たい引き戸まで自分で開けてしまう。
人間より頭がいいのではないかと思うほどだった。
そして、ある夜。
とうとう事件が起きた。
その夜、お父ちゃんは寝る前に、サッシの鍵を掛け忘れてしまったのである。
夜中、銀君は音もなくサッシへ近づいた。
器用にクレセント錠を外し、体重をかけて引き戸を少しずつ開けていく。
ガラッ……。
開いた隙間は、わずか十センチほど。
だが、猫にとっては十分だった。
銀君は、するりと外へ出た。
そして、そのあとを福ちゃんが続く。
さらに吾輩も。
最後には、大吉さんまで。
気が付けば、家の中から猫が一匹もいなくなっていたのである。
翌朝。
目を覚ましたお父ちゃんは、いつものように吾輩たちを探した。
「太郎?」
返事はない。
「福ちゃん?」
どこにもいない。
「銀君?」
姿が見えない。
そして、大吉さんまでいなかった。
ふとサッシを見ると、十センチほど開いている。
「しまった!」
お父ちゃんは顔色を変えた。
「お母ちゃん! 猫たちが全員逃げた!」
その頃、吾輩はというと、裏のお宅の庭をのんびり散歩していた。
初めて見る景色。
初めて嗅ぐ草の匂い。
少しだけ冒険気分だったのである。
やがて、お父ちゃんとお母ちゃんの呼ぶ声が聞こえてきた。
福ちゃんは、その声を聞くと真っ先に家へ戻った。
銀君も、お母ちゃんにあっさり捕まり御用となる。
吾輩も、お父ちゃんに抱きかかえられ、無事に帰宅した。
しかし――。
大吉さんだけが帰ってこない。
家の周りを探しても姿はない。
名前を呼んでも返事はない。
「大吉ー!」
「大吉、どこにいるのー!」
お父ちゃんとお母ちゃんは必死になって探した。
しかし、どこにも大吉さんの姿はなかった。
二人とも仕事へ行かなければならず、後ろ髪を引かれる思いで家を出た。
夕方。
仕事から帰ったお母ちゃんが留守番電話を確認すると、一件のメッセージが入っていた。
「大石さんのお宅でしょうか?」
聞き覚えのない名字だった。
お母ちゃんは、間違い電話だと思った。
ところが、その時だった。
電話が鳴った。
「もしもし」
「大吉君をお預かりしています」
「えっ! 大吉ですか!」
電話をかけてくれた方は、大吉さんが付けていたネームプレートの「大吉」という文字を、「大石」と読み間違えて連絡してくれたそうだ。
大吉さんが見つかった。
その一言で、お母ちゃんは飛び上がるほど驚いた。
そして、急いで車に乗り込み、教えられた家へ向かった。
そこは、新しく建てられたばかりの立派なお宅だった。
玄関を開けてもらうと――。
高級そうな玄関マットの上で、大吉さんがのんびりくつろいでいた。
「大吉!」
お母ちゃんが呼んでも、大吉さんは知らん顔。
まるで、
「何か?」
と言わんばかりの表情だったという。
あとで分かったことだが、大吉さんが歩いた道のりは、実に不思議なものだった。
家を出ると、東側にある側溝を南へ進む。
突き当たりから外へ出ると、そこはアパートの駐車場。
その駐車場を横切り、そこから右へ曲がれば我が家へ戻れたはずだった。
ところが――。
大吉さんは、なぜか左へ行った。
その先には、普段なら交通量の多い道路がある。
幸い深夜だったため車は少なかったようだが、大吉さんはその道路を横断。
さらに広い空き地をまっすぐ進み、急な斜面を下り、新しくできた住宅地まで歩いていたのである。
家から直線距離なら、わずか五十メートルほど。
しかし、車で向かうには大きく回らなければならず、二百メートル近くもある場所だった。
昔から、
「大吉は帰巣本能をどこかに忘れてきた」
と言われていた。
散歩へ行けば、家とは反対方向へ歩いて行く。
そして今度は、家のすぐ近くまで来ても、やっぱり反対方向へ進んでしまったのである。
さすが、大吉さん。
十五歳になっても、そこだけは何も変わっていなかった。
それでも、無事に帰ってきてくれた。
あの日、お父ちゃんもお母ちゃんも、そして吾輩たちも、ようやく胸をなで下ろしたのである。
この事件以来、サッシのクレセント錠は、寝る前に必ず確認するのが我が家の決まりになった。
もっとも――。
「マイケル」こと銀君が、この程度で脱走を諦めるはずもない。
どうやら吾輩たちの平穏な暮らしは、まだまだ先のようである。
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