第5話 吹雪と熱伝導、そして分け合う体温
北の峠の天気は、女心よりも変わりやすいと言うけれど。
視界が真っ白に染まるほどの猛吹雪は、予想外だった。
轟音と共に吹き付ける雪風が、馬車の幌を激しく叩く。気温は氷点下を割り込み、吐く息が瞬時に凍りつくほどだ。
「マリー、これ以上は無理だ。馬が持たねぇ」
「ええ、避難しましょう。地図によると、この先に岩陰があるはずです」
私たちは馬車を風下の岩壁に寄せ、近くの自然洞窟へと逃げ込んだ。
洞窟の中は風こそ防げたが、底冷えする寒さは変わらない。岩肌は氷のように冷たく、濡れた衣服が肌に張り付いて体温を奪っていく。
「……うぅ、寒い。魔力が、もう……」
奥から、弱々しい声が聞こえた。
ランタンを掲げると、そこには先客がいた。若い冒険者の3人組だ。彼らは高価な「結界魔法テント」を張っていたが、その光は今にも消えそうだ。
「魔石切れか?」
ディランが問うと、リーダーらしき青年が青ざめた顔で頷いた。
「寒すぎて、魔力の消費が早くて……予備も尽きそうです」
典型的な準備不足だ。魔法テントは快適だが、維持コストが高い。極寒地では魔石の消耗が倍増することを知らなかったのだろう。
彼らはガタガタと震え、互いに身を寄せ合っている。このままでは低体温症になる。
「魔法は諦めてください。物理で温めます」
私は荷物から「火吹き石」と、以前ディランが捨て渋った「銅の食器」の束を取り出した。
洞窟の入り口付近に石積みで簡単な竈を作り、火吹き石をセットする。
そして、銅の皿やカップを針金で繋ぎ合わせ、長いパイプのように加工して、竈から洞窟の奥へと這わせた。
「何をしてるんだ?」
「熱交換システムです。銅は熱伝導率が高い。入り口の熱を、奥まで効率よく運びます」
竈に火を入れる。
本来なら入り口付近しか温まらない熱が、銅のパイプを伝って洞窟全体へじわじわと広がっていく。
さらに、パイプの上に平らな石を並べ、簡易的な「床暖房」を作った。
「……あったかい」
冒険者たちが、吸い寄せられるように石の上へと移動してくる。
魔法のような派手さはない。けれど、岩盤から伝わるじんわりとした熱は、確かな安らぎをもたらしてくれる。
私は魔導コンロで雪を溶かし、干し肉とハーブを入れたスープを作った。
湯気が立ち上り、ハーブの香りが洞窟内に満ちる。外の轟音が、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。
スープを飲み干し、安らかな寝息を立て始めた冒険者たちを見届けてから、私は道具の手入れを始めた。
寒さで指がかじかみ、うまく動かない。
ふと、目の前に何かが差し出された。
掌サイズの、滑らかな丸い石だ。
「……ほら」
ディランがぶっきらぼうに言う。
受け取ると、驚くほど温かかった。火で炙ったわけではない。人肌の、生きた温もりだ。
「熱伝導石か。ずっと懐に入れて温めてくれてたんですか?」
「……俺は体温が高いからな。役立つなら使え」
彼は顔を背け、壁にもたれかかって目を閉じた。
その耳が少し赤いのは、火の照り返しのせいだけではないだろう。
私は石を両手で包み込み、その温もりを指先から染み込ませた。
冷え切っていた血流が戻ってくる。じんじんと痺れるような感覚。
「ディラン様」
「ん」
「あの銅の食器、捨てなくて正解でしたね」
「……ああ。お前がそう言うなら、そうなったんだろうよ」
肯定の言葉。
かつて彼にとって「捨てられない過去の遺物」だったガラクタが、今、誰かの命を救う「現在の道具」に変わった。
私の隣には、彼がさりげなく空けてくれたスペースがある。
そこに身を寄せると、石よりもずっと確かな体温が伝わってきた。
外では吹雪が唸り声を上げている。
けれどこの狭い空間には、火の爆ぜる音と、穏やかな寝息と、二人分の鼓動だけがあった。
魔法なんてなくても、私たちはこんなに温かい。
翌朝。
嘘のように晴れ渡った雪原で、私たちは「それ」を見つけた。
新雪の中に埋もれていた、白い毛玉のような小動物。
それは、ただの野兎ではなかった。首元に、見覚えのある王家の紋章が入った首輪をつけていたのだから。




