目覚めて
意識の覚醒。
穏やかに、ニルヴァーナは目を覚ました。気怠さがまだ強い。魔力も半分ほどしか回復していない感覚だった。
回復しきっていない状態での覚醒は初めてだ。意外な思いをしながら、ニルヴァーナはゆっくりと起き上がる。
「目がさめた? 大丈夫? ニ、にゅりゅっ」
「噛んだのか」
「いいにくいよぅ……」
涙目になりつつ舌を出すタマ。元々が舌足らずの傾向があったので、仕方ないのかもしれない。
そんなタマの頭を撫でつつ、カエンタケはニルヴァーナのおでこをデコピンした。
「あだっ。何をするんだ」
「それはこっちの台詞だ。いきなり後は任せた、なんてほざいて、気絶しやがって」
ギロリと睨まれて、ニルヴァーナは気絶する直前の出来事を思い出す。
ファルムが切り札を使って、ニルヴァーナは阻止するために丙子椒林剣を解放した。
「あの状況下ではそうするしかなかったであろう。あのバケモノ猪を倒せるのは、俺しかいなかった」
ニルヴァーナは拗ねるように頬を膨らませつつ反駁する。決して判断が間違えたとは思えない。
「あほう。もしファルムがまた暴れだしたらどうするつもりだったんだ?」
「だから頼んだであろう。カエンタケに」
ニルヴァーナはあっけらかんと、カエンタケへの信頼を口にする。むず痒さを覚えたらしいカエンタケは、少しだけ顔を赤くさせてから顔を反らした。
事実だ。
あの状況下、バケモノ猪を相手取れる可能性があったのはニルヴァーナ、リタ、カエンタケ。だが、リタは満身創痍であり、眷族も逃がした後だったから除外。カエンタケも相性の問題から除外。よって、速やかにニルヴァーナが対処した。
懸念としては、カエンタケが口にしたように、ファルムの暴走だったが、ファルムとて満身創痍もいいところだ。第二ステージにも及ばない魔力しか残されていなかったので、カエンタケでもどうにかできると判断した。
ニルヴァーナは淡々と説明すると、カエンタケは呆れたように天を仰いだ。
「まったく。あの数瞬でそこまで判断するとか、バケモノもいいとこだな」
「それよりも、のんびりしているが、ファルムはどうしたんだ?」
ニルヴァーナは気配を探るが、ファルムは感じられない。場所も移動している。
二人の激闘は周囲の景色を潰滅させたはずだ。それなのに、今は緑が広がっていた。
「どこかへいったよ」
「……なんだと?」
「敗けを認めて、全部を放棄してどこかへいった。あんな裏技を隠し持った上で俺様とタイマンして俺様を倒すとか意味不明だ。とかなんとかいってな」
カエンタケは猫背になりながら頭をかく。
どうもファルムの言動を理解しかねる様子だ。
「部下にできれば、相当な戦力になると思ったんだがな……」
「断られたんだろう。仕方ない。気が変わらない限り、誰かの下につくことはないだろ」
カエンタケは正論だ。
まだあれだけの傑物を御しきれる力がなかったのだ、と、ニルヴァーナは納得することにした。
「ニルヴァーナ」
「お、今度はいえたな」
「そんなこといわないでよっ、もうっ。とにかくだよ? ファルムは完全敗北を認めたよ。つまり、土地の支配権から、ファルムが支配していた種族の指揮権から、ぜーんぶ、キミに渡すって」
タマがジェスチャーを交えながら説明していると、がさがさと物陰で音がした。視線を送ると、黒狼、小鬼、バケモノ猿の三匹が出てくる。
全員が第三ステージに達しており、戦闘経験も重ねているだろう雰囲気があった。
敵意があれば即座にニルヴァーナも対処したが、その様子はない。
「我ら、新たなる主にお目通り願いたく」
堅苦しい挨拶は黒狼だ。
ニルヴァーナはすぐに手をつきだして制した。
「長くなりそうなら割愛してほしいんだが。俺は今、まだ疲れていてな。それよりも、これからお前たちは俺の部下、ということでいいんだな?」
「左様に」
「わかった。じゃあ、よろしくな」
ひらひらと手を振りながら挨拶すると、カエンタケが盛大にずっころんだ。
「軽すぎか!」
「知識では知っているが、そういう堅苦しいのは苦手のようなんだ。考えるだけで吐き気がする」
「あははは、おもしろーい!」
「タマが笑うならそれでいい。許す」
「愛が深いな」
腹を抱えて笑い転げるタマを見て、カエンタケはあっさり方針転換した。
新たに配下となった三人衆は黙ってこちらをみている。肯定的ではないが、否定的でもない。
予想としては、ファルムを負かすほど強いから逆らわないようにしよう、といったところだろうか。
《さて、これから確認することが多いな》
ニルヴァーナは油断しないようにしつつ、頭の中で整理していく。最優先事項は、ファルムから譲り受けた支配権の確認だ。
「主様!」
思考を巡らせていると、リタと眷族たちが戻ってきた。
リタのあちこちには、ダークロウの森独特の黒い葉がついていた。どうやら探索してきたようだ。
「お目覚めに間に合わず、申し訳ありません! 私としたことが……!」
「いや、構わない。無事なようでよかった。それより、何をしていたんだ?」
「はい。主様の新たなる領地の検分にまいっておりました」
「ほう」
さすがはリタだ、とニルヴァーナは褒めた。
自分の代わりにマッピングしてきてくれたのだ。手間が省ける。
早速、リタは羊皮紙に刻み込んできた地図を手渡してくる。この森において、羊皮紙は貴重だ。何せ、人間が迷いこんで落としたりしない限り、手に入らない。
情報伝達媒体としては相当に優秀だ、なんとかして手に入れたいとニルヴァーナは考える。
「支配領域が少しだけ広くなっているな」
地図を広げると、早速カエンタケとタマが覗きこんできた。
「はい。ファルムよりも主様の方が、強い影響力を持っている証明です」
当然、ニルヴァーナだけではなく、部下となった三人衆の影響力も含まれているからこその範囲だ。
明らかにタマたちランタンの森より大きい。
「これでようやく、主様も領主ですね」
「うむ、そうだな」
「領地をもつことは一族強化に必須だからな……とはいえ、領地運営は簡単じゃないぞ、どうするんだ?」
「プランはもうある」
カエンタケの問いかけに、ニルヴァーナはあっさりと答える。
「俺の最終目的は鬼どもへの復讐だ。そのためには豊かな土壌と戦力がいる。故に、まずは強力な戦士を育成できる場を作る」
「分かりやすい目標だといいたいが……確認したいことがある。ニルヴァーナ」
「ん?」
「お前は、あの酒呑童子の一族なのか」
カエンタケは真剣な面持ちで訊ねる。ほんの一瞬だけ、答えに窮した。
難しい顔を浮かべ、ニルヴァーナは顎を撫でる。
「分からん」
「おいおい…………」
正直にすっぱり答えると、カエンタケは肩を落とした。
「本当に分からんのだ。俺は元々……なんなんだ?」
「知るかそんなもん!」
「そういうことなんだよ」
ニルヴァーナは唸りながら答え、自分の意識が芽生えた頃の話をした。
一通り話し終えると、カエンタケはニルヴァーナと同じように唸りだす。
「……なるほどな。鬼の秘術をたまたま浴びて自我を得た雑草、か……確かに、それだと自分がなにものか、酒呑童子の一族かどうかなんて分かりはしない」
カエンタケは一定の理解を示しつつも、ジェスチャーで許可を求めてからニルヴァーナの角に触れた。
カエンタケの猛毒を受けて、先端付近は黒い紫色に変色してしまっているが、元々は桜色だった。よくよく見ると、赤熱の魔力が脈打っている。
「だが、純粋な鬼であるファルムがそう感じたんなら、きっとお前が浴びた秘術を使ったのは、酒呑童子の一族なんだろう」
「酒呑童子、か……」
ニルヴァーナはちら、と、三人衆をみる。じっと跪いたまま、動かない。だが、明らかにこちらの様子をうかがっていた。
鬼。
魔と呼ばれる種族の、四大氏族のひとつだ。
空の支配者が竜。森の支配者が虎。そして妖の支配者が鬼。幻獣の支配者が妖狐。
聖獣や霊獣と呼ばれる類いの、神に等しい存在を除けば、最強の氏族たちである。
酒呑童子は、そんな鬼の中でも最強種だ。数々の伝説を持ち、人間はもちろん、同種からも畏れを抱かれるなど、鬼の中でも一線を画す。
「だとしたら、お前の異常な成長速度もある程度は納得できる。酒呑童子は神に近い種族だからな」
「……ふむ」
ニルヴァーナは疑問を抱く。
だとすれば、どうして自分に秘術を発動させた鬼が殺されたのだろうか。深く思考しようとすると、急に大人しくなっていた恨みが沸きあがってきた。
「「「ひぃっ!」」」
その波動をまともに受け、三人衆が揃って悲鳴をあげる。カエンタケたちは慣れたのか、平気そうだった。
「すまん。驚かせるつもりはなかったんだ。面会はもういいから、自分のテリトリーに戻れ。……っと、そこで、種族たちの戦力を正確に把握してリタへ報告するように。リタ」
「心得ました」
怯える三人衆を誘導して、リタが姿を消す。
「まったく。いきなり鬼の力を溢れさせるな」
「すまん。予想外だった」
カエンタケに叱られ、ニルヴァーナは素直に謝った。
「しかし、以前より制御が楽になったな。自分の体じゃないようだ」
「おい、気付いてないのか。お前、ステージあがってるんだぞ」
「えっ」
指摘されてはじめて、ニルヴァーナは気付いた。自分が、準精霊から精霊へと昇華していることに。
「ばかな、どうして……」
「仕方ないか。あの時のお前は暴走するばかりだったからな」
カエンタケは小さく息を吐いてから、説明をはじめた。
次回の更新は明日です。
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