王の血脈 二
大きな町に着いたのはまだ日も高い昼すぎだった。
目的地の結の里というのは人里離れた奥地にあるので、地図の上ではここが最後の宿場となる。
野宿を避けるため今日はこの町に一泊していくことにした。
宿を決めたあと、魑潮はひとりでぷらりと出て行ってしまった。
和修吉さんと摩那さんは宿の中でしばらくくつろいでいるという。
なので俺は魅狐と緋澄の三人で、町を散策してみることにした。
◆
「今後は魑潮に好かれる努力というのも考える必要がありそうだな」
せっかく姉妹が再会できたというのに俺がいるせいで一緒に過ごしにくいということなら少々気の毒だ。
「律儀じゃのう」
「あれだけ毛嫌いされていればそうも思う」
「なに、わらわたちを取られたと思うておぬしに嫉妬しておるだけじゃよ」
大した問題ではない、というふうに魅狐が微笑んだ。
そんな無邪気な嫌われ方ではなかった気もするが。
まぁ他ならぬ魅狐が言うのならきっとそうなのだろう。
「ご機嫌取りのような真似は逆効果じゃ。時間が解決してくれるのを待てばよい」
「それならそれでいいのだが」
「あっ仁士郎様、見てください」
と、町並みを眺めていた緋澄が弾んだ声を上げた。
指差された先には剣術道場の看板。
活気のあるかけ声や、木刀を打ち鳴らす音、板の間を踏み込む音などが外まで漏れ聞こえてくる。
中を覗いてみると、十人ほどの男性が木刀を振って稽古に励んでいた。
なにやら懐かしさを感じる光景だ。
「仁士郎様はおじい様の道場で剣を習っていたのですよね?」
「ああ。……あれから一年ほどしか経っていないのに、まるで遠い昔のことのようだ」
お祖父が死んだことから始まり、劇的なことが多かったからだろうか。
もしお祖父が生きてきたら、俺は今でもあの道場で変わらず修行の日々を送っていたのだろう。
そして旅に出ることもなく、このふたりに出会うこともなかった。
人生というのはどう転ぶのかわからないものだな。
彼女たちがいない人生は考えられないが、お祖父がいない人生というのも当時は考えられなかった。
まだまだ教わりたいことがあったし、手合わせで一本すら取れていなかったからな……。
「……そうだ。緋澄、俺と互角稽古をしてみないか?」
「互角稽古というと、試合のようなものですよね?」
これまでも一緒に稽古をしたことはあるが打ち込みの稽古はしたことがなかった。
理由は簡単で、木刀を持ち歩いていないからである。
まさか真剣の刀と刀で打ち合うわけにもいかず。
なので自然と素振りや見取りばかりになってしまうのだ。
「ここで道具と場所を貸してもらえるかもしれない。どうだ?」
「はい、やってみたいです」
緋澄はうきうきした表情で頷いた。
彼女が熱心に剣術に取り組んでくれるのは俺としても嬉しい。
「寝ても覚めても剣術じゃなぁおぬしらは」
「魅狐もやってみるか?」
「叩くのはよいが叩かれるのは嫌なのじゃ」
一応誘ってはみたものの、案の定興味なさげな答えが返ってくる。
「無理にとは言わないがな。剣術は体だけでなく心も鍛えられる。それは日常生活においても役に立つものだぞ」
「ふむ。おぬしが年齢のわりに落ち着いておるのもそのおかげか」
「そうかもしれないな」
◆
「頼もうっ!」
「ど、道場破りかっ!?」
門下生が一斉に振り向いてどよめく。
……しまった、気合が入りすぎたか。
「いや、稽古の邪魔をしてすまない」
礼をしてから用件を伝える。
「俺は勇薙仁士郎という旅の者だが、木刀をふたふり貸してもらえないだろうか」
師範の方に事情を話したところ、稽古の邪魔にならないようなら好きにしていい、と道場の隅を使わせてもらえることとなった。
門下生たちが稽古を再開させた傍ら、俺と緋澄は木刀を持って向かい合う。
ただ見ているだけなのも退屈と思い、魅狐は審判役ということにした。
「ひとまず一本勝負ということにしよう。有効かどうかは魅狐にゆだねる」
「うむ。任せておくのじゃ」
「仁士郎様、やるからには本気で打ってきてくださって結構ですからね」
「わかった。ただし緋澄も手加減不要だぞ。あの技も使ってくれ」
「あれをですか……わかりました」
おねがいします、と互いに礼をし、木刀を構える。
「参ります、鬼血活性……」
澄んだ緋色の瞳が炎のような輝きを帯びた。
体に半分だけ流れる鬼の血を強めて身体能力を飛躍させる、半人半鬼ならではの技だ。
その効果は強力無比。
出会ったばかりの頃は目で追うのがやっとの有り様で、とてもついていける気がしなかった。
だが今の俺は妖化した肉体を使いこなしつつある。
様々な鬼や妖怪と戦い、人間離れした動きにも目が慣れてきた。
俺がこの旅を通じてどれだけ強くなったのかを試すのに絶好の相手と言えるだろう。
彼女に負けてしまうようでは、さらに強い魎鉄や魍呀を討ち取ることなど夢のまた夢だ。
俺は木刀を体の正面に立てた正眼の構え。
緋澄は寝かせた木刀を顔の横まで持ち上げた霞の構え。
剣士と剣士の戦いは一太刀で勝負が決まることも多いため、うかつには攻められない。
互いに隙をうかがい、目と目を合わせてじっくりと睨み合う。
……すると緋澄の頬がだんだんと赤くなっていき、しまいには俺から目をそらしてしまった。
「どうした、隙だらけだぞ。もっと集中しろ」
「そ、そんなにまじまじと見つめられたらドキドキしてしまって集中できません……」
こいつ……。
たるんでるな。
「それも精神修行と思え」
「困難な修行です……」
「ならばこうするがよい」
と、見かねた魅狐が平手を鳴らした。
「負けたほうは勝ったほうの命令をひとつなんでも聞かなくてはならぬ、という罰を設けるのじゃ。それならば集中できるじゃろう」
「な、なんでもですか……?」
「うむ。どうじゃ緋澄よ、おぬしが勝てばこやつを好きにし放題できようぞ」
ぬふふ、と妙な笑いを漏らす魅狐。
「好きにし放題……!」
緋澄は別の意味で目を輝かせた。
「わかりました。それでいきましょう」
そしてさっきとは打って変わってキリッとする。
「仁士郎様もよいですよね?」
「ちゃんと集中してくれるのであればそれで構わないが」
「はい。全身全霊で挑みたいと思いますっ!」
そんなに俺を言いなりにさせたいのか……。
おねがいがあるのならいつでも聞いてやるのだがな。
とはいえ俺も甘んじて負ける気はない。
兜の緒を締めてかからねば。
互いに木刀を構え直す。
ようやく緋澄からも張り詰めた緊張感が伝わってきた。
じわりじわりと動きながら、切っ先が触れ合いそうな距離まで詰める。
一足一刀の間合い。
彼女も強敵たちと渡り合ってきただけあって軽率な動きは見せない。
ならばここはひとつ、仕掛けを講じるとしよう。
木刀を少し傾げ、あえて右上に隙を作ってやる。
ここなら打てるぞと言わんばかりに。
無論こんな誘いに乗ってしまうようではまだまだである。
狙う場所がわかっていれば苦もなく対処できてしまうのだから。
しかし素直な性格が災いしてか、緋澄はすぐさま攻めの気配を見せてきた。
「たぁっ!」
鋭い踏み込みからの振り下ろし。
さながら疾風。
以前の俺であれば、わかっていても追いつかずに一本取られていただろう。
だが今の俺には彼女の一挙手一投足がしっかりと見えていた。
体の反応もついてきてくれている。
矢のような速さで迫る木刀を受け流す、と同時に床を蹴り、彼女の背後へ回り込む。
勢いあまって前のめりになる緋澄。
その無防備な背中へ俺は木刀を振り下ろした。
もちろん寸止めにする。
木刀といえど打たれたら相当痛いからな。
「一本なのじゃ」
◆
「うぅ……参りました……」
緋澄はその場にへたり込んでしょんぼりとした。
それだけ本気で挑んできたということなのだろう。
「一瞬とはいえ隙が見えたので、いけると思ったのですけど……」
「あれはおまえに打たせるためわざと隙を作ってやったんだ」
「えっ?」
「隙を見逃さなかったのはさすがだぞ。だが実戦では相手もいろいろと駆け引きを講じてくるからな。いけると思っても油断をしたら駄目だ」
「はい……奥が深いのですね」
しみじみと呟きながら立ち上がる緋澄。
そのときにはもう晴れ晴れとした顔に戻っていた。
「でも仁士郎様とお手合わせできてよかったです。自分に足りないものが見えましたから」
身体能力には目を見張るものがある緋澄だが、剣術家としての技量はまだまだ素人に毛が生えた程度。
逆を言うとそこに伸びしろがあるということだ。
「緋澄は剣術を習い始めてどれくらいだったか」
「五年です」
「それでこれだけ戦えるのだから大したものだ」
「そうでしょうか……えへへっ」
この一本は俺が取ることが出来たが、次はどうなるかわからない。
ひやりとする紙一重の勝負だった。
「実力の近い者がそばにいるのは良いことだな。緋澄、これからも一緒に稽古に励み、切磋琢磨してゆこう」
右手を差し出す。
「はいっ! これからもご指導おねがいします」
緋澄は満面の笑みでそれを握り返してくれた。
「うむうむ。では、次はわらわの番じゃ」
と、緋澄の手から木刀をかすめ取った魅狐が俺の前へと進み出た。
「おまえもやるのか?」
「やってみるか、と誘ったのはおぬしのほうじゃろう」
てっきり断わられたとばかり思っていた。
「さぁ仁士郎、早く構えよ」
すっかりやる気になったらしい魅狐が見よう見まねで木刀を構える。
互角稽古とは言葉の通り実力が互角の者同士がやるものなので、未経験者にはまだ早いのだが……。
いや、せっかく興味を示してくれたのだ。
雰囲気を感じてもらうために実際打ち込ませるのもいいだろう。
「ちなみにじゃ。おぬしに勝てばなんでも命令してよいという件、わらわにも有効じゃからな?」
もしやそれが狙いか?
揃いも揃ってこいつら……。
「そうすると、俺が勝ったら当然俺の命令を聞いてもらうことにもなるが」
「ふふん。そのような戯れ言、勝ってから言うがよいわっ!」
謎の自信で挑んでくる魅狐。
しかし構え方も知らない彼女相手に負ける要素は微塵もなく、あっさり俺の一本勝ちとなった。




