王の血脈 一
人々も覚めやらぬ早朝。
旅籠の庭を借りて、刀の素振り二千回。
それはお祖父に剣を習っていた頃も……そして旅を始めてからも毎日欠かさず行なっていることだった。
緋澄も一緒にやるようになったのはいつからだったろうか。
今では、こうしてふたり肩を並べて刀を振るのが毎朝の日課となっている。
二千回もやるとはいえ適当に振っては意味がない。
一本一本集中して、常に必殺のつもりで振り下ろす。
大変ではあるが、お祖父は小手先の技術よりもこういった基礎稽古をなにより重視していたからな。
「はっ! ――はっ! ――はっ!」
早朝の静けさの中に、俺と緋澄ふたりの吐く気勢だけが響く。
「ふわぁぁ……」
いや、もうひとつ、響き渡る長いあくびがあった。
今朝はめずらしく魅狐も早起きをして俺たちの素振りに付き合っているのだった。
と言っても縁側に腰かけて眺めているだけだが。
「眠たいのなら無理して付き合ってくれなくてもいいぞ」
むしろ気が散って邪魔だ。
「毎日同じことをしてよく飽きぬものじゃな……」
あくびをかみ殺しながらつぶやく魅狐。
眠気を表しているかのように大きな狐耳がぺたりと垂れ下がっていた。
「同じことをするからこそ気付く変化というものもある。己を知るのは大事だ」
「はい。私も初めの頃はへとへとになっていましたけど、今ではすっかり慣れたものです」
と、緋澄が得意げな顔を浮かべた。
「このまま二万回くらいできそうです」
昼になるぞ。
「調子の良し悪しや上達具合がわかりやすい。緋澄もずいぶん太刀筋が滑らかになってきた」
「えへへ……」
「俺にしてもそうだ。妖化の術を受けたばかりの頃に比べれば、ずいぶんこの体を使いこなせるようになってきたと感じられる」
人間の体よりも力が強いぶん、最初はどこまで力を入れていいのかもわからなかったくらいだ。
だが今は体の隅々まで意識が行き届いている。
力加減を完全に会得したといっても過言ではない。
「今ならどんな妖怪が相手でも負ける気がしない」
「それは頼もしいのう」
そして素振りを終え、井戸で汗を流していたとき。
縁側に寝起きらしい魑潮が姿を現した。
「あっ、ちーちゃん、おはようございますっ!」
元気のいい緋澄の声に、うつらうつらしていた魅狐も顔を上げる。
「ほう、すっかり顔色が良くなったようじゃな」
「ああ……おはよう……何をしてたんだ?」
あくびまじりに返す魑潮。
寝ぐせのついた金髪に乱れた寝巻きというだらしのない姿である。
たしかに昨夜よりも血色が良くなっている気がした。
「剣術の稽古です」
「こやつら毎日このようなことをやっているのじゃぞ」
「はぁ。朝っぱらから元気なことで……」
「もう起きていても平気なのですか?」
今さらだが妹に対してもこういう口調なのだな緋澄は。
「少し疲れていただけだ。もう問題ない」
「しかし無理はいかんのじゃ。まだ寝ていたほうがいいのではないか?」
「相変わらず心配性だな、みぃ姉は。問題ないったら問題ない」
復調したおかげか、ぶっきらぼうな口調ながらもわりと機嫌の良さそうな魑潮だった。
このぶんなら俺とも普通に接してくれるはず。
「おはよう、魑潮」
「ちっ」
甘かった。
「身支度を済ませたら向こうの旅籠に戻る。その……いろいろと世話になったな」
姉ふたりだけに言って、俺とは目も合わせてくれない。
しかし今日の俺はめげなかった。
義妹と思えばこういう態度も不思議と可愛らしく見えてくるものだ。
「それなら俺たちも一緒に行くぞ。和修吉さんと摩那さんに昨日の話をしたいからな」
「……好きにしろ」
魑潮は言い捨てて、井戸で顔を洗い始める。
「そうです。実はちーちゃんにご報告したいことがありまして……」
と、緋澄が嬉しそうに頬をゆるませた。
「あっ、でもやっぱり姉様から言いますか? それとも私が言ってしまってもいいですか?」
「仕方ないのう、おぬしに譲ってやるのじゃ」
「なんだ……?」
怪訝な顔をしながら、手で水をすくってうがいをする魑潮。
「私たち仁士郎様と夫婦約束をしました」
「ごぼっ!」
「なので私たち三人も結の里で婚儀を行なおうと思っています」
「は……?」
よほど驚きだったのか、半開きになった口から水がだらだらとこぼれていた。
「こ、こんなボンクラそうなやつと……? 二股状態で……? 本気か?」
「ボンクラではなく、とても頼りになる方です。そして私たちのことをなにより大切にしてくださる方です」
「おぬしもこやつに助けられたのじゃからそのような言い方をしてはいかぬぞ」
すぐさま肩を持ってくれるふたり。
出来た嫁たちだ。
……いや、まだ気が早いか。
少し浮かれているのかもしれないな俺は。
「考え直したほうがいいんじゃないか、こんな女たらし……」
じめっとした青い目が俺へと向けられた。
「貴様も貴様だ。姉妹で嫁にするとか、そんな不埒なやつ聞いたことないぞ……!」
「たまたまふたりが姉妹だったというだけだ。他人だったとしても、俺にとってどちらもかけがえのない存在というのは変わらない」
人間の常識で言うと重婚は御法度だが、妖の世界では問題ないという。
なにせ彼女らの亡き父も五人妻を持っていたそうだからな。
こうして嫁に迎えることになった以上俺に恥ずべきところはひとつもない。
「……気障だな、おまえ」
「ちーちゃんは反対ですか?」
緋澄がせつなげな眼差しを送る。
それに気圧されるように魑潮はばつの悪い顔を浮かべた。
「いや、まぁ……姉上たちがそれで満足しているのなら、私は文句を言うつもりはないが……」
さっき言われた気もするが。
「一応、その、なんだ……お、おめでとう」
そっぽを向きながらもきちんと言ってくれる。
不器用なだけで優しい子……と摩那さんが言っていた通り、心の中では姉たちの結婚を喜んでくれているのかもしれない。
「ふふっ、ありがとうございます。ちーちゃんに反対されたらどうしようかと思いました」
さっきされた気もするが。
「おぬしはまだ会ったばかりじゃからな。しばらく一緒におれば仁士郎の良いところもわかってくるじゃろう」
「そんなに長く付き合う気なんかない」
「そうつれないことを言うな。ふたりと結婚をすればすなわち俺とおまえも義兄妹ということになるのだからな」
自然と長い付き合いにもなるだろう。
独り子だった俺としては、妹が出来ると思うとなにやら嬉しくなってくる。
「最悪だ」
「そうだ、今のうちからでも俺のことを義兄と呼んでくれていいぞ」
「呼ぶかっ!」
◆
その後、和修吉さんと摩那さんに同行する件を話したら二つ返事で頷いてくれた。
そして弥平さんやお鈴さんに別れの挨拶を告げ、俺たちはこの町をあとにしたのだった。
◆
「弥平さんとお鈴さん、うまくゆくといいですね」
「わらわの見立てでは可能性がなきしにもあらずじゃが……とどのつまりはあの男の頑張り次第じゃな」
「えっ、なになに? なんの話?」
さすがに六人ともなれば旅路も賑やかなものだ。
なだらかな山道を歩きながら他愛ない話に花を咲かせる女性陣。
それに男ふたりがついていく。
「そうですか、勇薙殿も婚儀を。それはおめでとうございます」
「いや、こちらこそ。改めてお祝い申し上げます」
「しかし魑潮の姉君となれば、すなわち鬼族の……。お互い苦労しそうな身の上ですね」
朗らかに笑う和修吉さん。
以前会った龍族の男性はどうも排他的な印象があったが、彼と摩那さんは正反対なまでに友好的だった。
あるいは、だからこそ異端者として里を追放される結果になってしまったのかもしれないが。
「そういえば、魑潮は男嫌いと言うわりに和修吉さんのことは平気なのだな」
一緒に旅をしているくらいだ。
たしか幼なじみと言っていたか。
長く付き合っているうちに慣れたのだろうか。
「馬鹿を言うな。むしろ嫌いになった原因の大半はこいつにある」
魑潮は腕を組んで不満げな顔を浮かべた。
「いつもつきまとってくるし」
「君がいつも摩那と一緒にいたから仕方なくね」
「風呂をのぞいてくるし」
「君がいつも摩那と一緒に入っていたから仕方なくね」
「寝ている私に覆いかぶさってくるし」
「一緒に寝ていた摩那に夜這いしようとして間違えたからね。いやぁ、あのときは本当に申し訳なく思ったよ」
あっけらかんと笑う和修吉さん。
のぞきは申し訳なく思わなかったのか?
「というか、私が横で寝てるのにそんなことしようとするなっ!」
「どうにも我慢できなくてね、ははは」
理知的で穏やかそうというのが彼の第一印象だったが、意外に破天荒な人のようだ。
人は見かけで判断できんものだな。
「あのときの和修吉さんったら傑作だったわよねぇ。魑潮にひっかかれて体が千切れかけてたもの」
摩那さんは摩那さんで呑気にけらけらと笑う。
言っている内容はむごすぎてまったく笑えないが、和修吉さんも一緒になって笑っていた。
「あんなに謝ったんだからもう許してあげてよ」
「いいや生涯許さん。こいつが死んだら墓に泥ぶっかけに行ってやるから覚悟しとけよ」
とはいえだ。
里を追放されてまで彼らをかばってやったり、結婚を見届けるために旅に付き合っていたり。
なんだかんだ言いつつも仲の良い三人なのだろう。
「魑潮よ安心するのじゃ。この仁士郎は少なくとも風呂をのぞくようなことはせぬ」
「どうだか。男なんてみんな一緒だろ」
「夜這いはするがの」
「やっぱりするのかっ!」
それについては一切反論できない俺だった。




