龍血の少女 八
使いを終えて宿に戻ると、障子越しに三人娘の話し声が聞こえた。
なにやら和やかな雰囲気だ。
魑潮も多少は元気を取り戻したのだろうか。
「行ってきたぞ」
一応断ってから入室する。
部屋の中には布団に入って身を起こしている魑潮と、そのそばに正座する姉ふたりの姿があった。
「おまえの連れにも会えた。ふたりとも心配していたぞ」
魑潮は俺を見るなり嫌そうな顔を浮かべたが、構わず部屋の隅に腰を下ろした。
「ご苦労じゃったな、仁士郎よ。ちょうどそやつらの話をしておったところなのじゃ」
お互いの近況を語る中で、俺が和修吉さんたちから聞いたのと同じような話がこの場でもなされていたらしい。
長い話ができるくらいに魑潮が回復したということか。
目を見張る回復速度はさすが鬼と龍の合いの子である。
「お友達のためにそこまで出来るなんて立派だと思います、ちーちゃん」
「うむ。何をやらかして追放されたのかと気を揉んでおったが、あっぱれな行ないじゃ」
「別に、大したことじゃ……」
姉ふたりから称賛の声をかけられ、魑潮は頬を赤らめてそっぽを向いた。
「前々からあそこの連中とは反りが合わないと思ってたんだ。追放されてせいせいする。……いや、むしろこっちから縁を切ってやったんだ」
「しかし自分の望む相手と結婚できぬとはけったいな掟じゃのう。わらわとてそのようなものは納得できんのじゃ」
「けど、めずらしいことではありません。私も本来ならそういう立場の人間ですから……」
大大名を祖父に持つ緋澄だ。
そんな姫様となればやはり自分の意志は通せず、御家にとって有力な相手との結婚を強いられるだろう。
むろんその話が持ち上がったら彼女が鬼の血を引いてることも明かさねばならないため、ことごとく相手が尻込みしてしまったのは想像に難くない。
今となってはそれに感謝したいくらいだが。
「仁士郎も戻ってきたところじゃ。そろそろ肝心の話をしておくかのう」
魅狐が真剣な表情を浮かべて仕切り直す。
雰囲気を察したのか魑潮の眼差しも鋭さを増した。
「言うまでもないが、鬼の世の王位継承の件じゃ。魑潮よ、おぬしの考えを聞かせよ」
彼女らの父が亡くなり、現在空位となっている鬼の王の座。
兄弟すべてが同意した者のみが次なる王になれるという。
「魎鉄を王にせぬため、わらわも立候補をした。魍呀は魎鉄の側につき、緋澄はこうしてわらわの側についてくれておる」
同意しない者は兄弟であっても力ずくで排除される世界だ。
もし彼女が魎鉄側についたり、あるいは自分が王になりたいという考えなら、最悪敵になることもあり得る。
……とはいえこうして和やかに話をしているのだから、現時点で敵対はしていなさそうだが。
「そして、わらわたち三人は魎鉄を討つために旅をしておる。出来ればおぬしにも力を貸してほしいのじゃがな」
「興味ない」
魅狐と緋澄が固唾を飲んで見つめる中、魑潮はうんざりしたように吐き捨てた。
「いや、自分にも関係のあることなのじゃから、ちゃんと興味持つのじゃ」
「魎鉄だろうが姉上だろうが好きなやつが王になったらいい。私は誰がなるのも反対はしない。四人で勝手に決めてくれ」
完全な中立というわけか。
魅狐と緋澄は想定外の答えに顔を見合わせた。
「今の私にはそんなことよりも大切な用があって旅をしているからな。悪いが姉上たちに付き合ってる暇もない」
「たしか和修吉さんと摩那さんを結の里というところまで送っていくのだったな?」
「一度助けたからってつけあがるなよ、仁の字。部外者が口を挟むな」
ごあいさつだな……。
摩那さんは優しい子と言っていたが、俺にはこんな態度しか取ってくれないので若干疑わしくなってきた。
「ほう、結の里とな?」
そこまでは話していなかったのか、魅狐が興味深げに眉を持ち上げた。
「ならば儀を済ませたらまた三人で安住の地を探す旅でもするのかえ?」
「ふたりの邪魔をするほど無粋じゃない。そこまで見届けたら別れるつもりだ」
「おぬしはそのあとするのじゃ?」
「……まだ考えてない」
「では私たちも結の里まで一緒に行きますから、用を済ませたあとは私たちと旅をしましょう!」
緋澄が彼女の手を取って懇願した。
「せっかく再会できたのにここでお別れなんて、そんなのあんまりです」
「しかし……姉上たちには姉上たちの旅が……」
「その結の里というのは遠いところなのか?」
「口をひらくな下郎」
これだ。
「ちーちゃん、仁士郎様にそんなことを言ってはダメです」
「ふん」
緋澄にたしなめられても魑潮は断固として態度を改めてようとしなかった。
魅狐がやれやれと短いため息をつく。
「結の里、たしかそう遠くはなかったはずじゃ。そうじゃろ?」
「この町からなら……二日もあれば着く」
「すぐ近くではありませんかっ! ならそこまで寄り道にはなりませんし、私たちが同行しても構いませんよね?」
「わらわは無論構わぬが」
口をひらくなと言われたので、俺は大きく頷いて同意を示した。
「いいですよね? ちーちゃん。ね? ね?」
「まぁ、そこまで一緒に行くだけなら……いや、あのふたりにも聞いてもらわないといけないが……」
「そのお二方が良いと仰ってくれたらちーちゃんは良いということですよね?」
「まぁ……」
攻めに転じた緋澄は無敵ではなかろうか。
押し切られるままに渋々頷く魑潮。
緋澄は満足げににっこり微笑んだ。
◆
たまたま隣の部屋が空いていたので、俺たちはそちらに移り、魑潮にはひとりでゆっくり休んでもらうことにした。
彼女が味方になってくれるかどうかは結局保留のままだった。
俺たちの味方をすれば、すなわち兄である魎鉄と魍呀が敵になるということでもあるのだ。
簡単に頷けることではないだろう。
魅狐と緋澄もそれはわかっているようで、あまり無理強いはしなかった。
とりあえずは、結の里まで彼女らに同行する、ということは決まりつつある。
あとは和修吉さんと摩那さんに許可をもらうだけだが、人の良さそうなふたりだ、きっと快く了承してくれるだろう。
「さて、そろそろ寝るか」
部屋には布団が三つ、川の字に並べてある。
旅を始めた当初は俺だけ部屋の隅で寝るということもあったな。
しかし恋仲となった今では堂々と一緒に寝られるというものだ。
まぁ、隣の部屋とは言っても、ふすま一枚隔てた向こうに魑潮がいるので妙なことは出来ないが。
「あの結の里がまさかこんなに近くだなんて思ってもいませんでした」
端の布団に寝そべりながら緋澄が言う。
どこかうっとりした口調だった。
「思えばずいぶんなところまで来たものじゃな。旅立った日がはるか昔のようじゃ」
ロウソク立ての火を消して、魅狐も反対側の布団に入る。
暗闇に包まれる室内。
自然と俺が真ん中で寝る形となった。
「その結の里とはどういうところなんだ? 」
どうも有名なところらしいが。
「うむ? おぬしは知らなんだか……」
「結の里には大御結大社というのがありまして、そこはすべての妖が婚儀を行なう場所なのです」
婚儀とは、すなわち結婚をする儀式のことか。
なるほど、それで魑潮もそこまでは付き添ってやりたいのだな。
同族の誰も祝ってくれない彼らのことをせめて自分ひとりは祝福してやろうと。
心の温かくなる話ではないか。
「はぁ、羨ましいのう。わらわも死ぬまでに一回くらいはしてみたいものじゃなぁ。緋澄もそう思うじゃろ?」
「そうですね……憧れますね」
「わらわたちは常に命を狙われていて、明日死んでしまうかもしれぬ境遇じゃから、するなら早いほうがよいのう。緋澄もそう思うじゃろ?」
妙に説明口調な魅狐だった。
「けど私はまだ花嫁修業とかもしていませんし……」
「そのように細かい話ではなくじゃなぁ。したいかしたくないかで言えばしたいじゃろ?」
「それはやはり、していただけたら嬉しいですけど……相手のいることですから、私の気持ちだけで出来るものではありませんし……」
「どこかにきちんと責任を取ってくれる男がおらぬかのう」
布団の中で魅狐がつんつんと突ついてくる。
言外になにかを求められているのは明らかだった。
「参考までに言うておくが仁士郎よ、おぬしも今や半妖の身じゃから、その里で婚儀を行なってもよいのじゃぞ? いや、だからどうということではないのじゃが、あくまで参考までにの」
「ほ、ほう……」
もはや言外ですらなかった、
左右が急に静かになる。
寝入ったわけではなく、次なる俺の言葉を待ってのことだろう。
彼女たちが期待しているものはわかる。
俺もまったく考えていなかったわけではない。
そしてその期待に応える意志は充分すぎるほどにあった。
「ふたりとも、もっと近くに寄ってくれ」
「はい……」
「うむ」
もぞもぞと動いて密着する彼女たちを両腕の中に納める。
三人分の体温がこもり、布団内の熱が急激に高まっていくのが感じられた。
どんなことがあろうともこの温もりを手放したくはない。
「なんと言うかだな……魅狐と緋澄には、いつまでも俺のそばにいてもらいたいと思っている。この気持ちはこれから先も変わることはないだろう」
「はい。それは私もです」
「わらわのためにその命を使うと申した言葉、忘れてはおらぬぞ」
「形式的なことはすべてが片付いてからでもいいと考えていたが……結の里と言ったか、そのような場所があって、立ち寄ることになるというのも、なにかの思し召しかもしれない」
魎鉄を討つ。
決して彼女たちを殺させはしない。
命をかけてでも守ってみせる。
その決意を形あるものとして示しておくのも悪くはない。
「だ、だからだなぁ……」
む、いざとなったら緊張してきた……。
左右のふたりからも息を呑んだ気配が伝わってくる。
「ふたりともが俺にとってかけがえのない存在だ。世間に後ろ指をさされようとも、この三人の関係を続けていきたい。それを受け入れてくれるならば……」
もっと洒落たことが言えればいいのだが、どうも柄ではないようだ。
ならば素直に想いを告げるしかない。
「もしふたりも俺と同じ気持ちでいてくれるならばだ……俺たちもその里で婚儀というのを行なって夫婦になろう」
「うむっ!」
即座に弾んだ声を返してくれる魅狐だった。
「何人も嫁がおるのは困るが、まぁ、わらわと緋澄くらいであればよいじゃろう。ただし、きっちりふたりともを幸せにするのじゃぞ?」
「ああ。やってみせよう」
「ふふっ、よかったのう緋澄。…………うむ?」
……しかし緋澄からの返事はなかった。
「……ううぅっ……」
一拍置いて、胸にしがみついた緋澄からしゃくりあげるような声が漏れた。
「私……うれしいです……。ふつつかものですが……いつまでもよろしぐお゛ね゛がい゛じま゛ずぅぅ……」
最後のほうは鼻声でなにを言っているのかよくわからなかった。
感涙にむせぶ彼女の頭を俺と魅狐がふたりがかりで撫でてやる。
ひとつの布団の中、ひとかたまりとなった三人の口から自然と笑みがこぼれていた。




