龍血の少女 二
「俺は八百屋で下働きをしてる弥平っていうもんなんですがね」
彼に押し切られるようにして路地裏の空き地へやってきた俺たちである。
材木置き場なのだろう。
弥平さんが積まれた角材に腰掛けたので、俺たちも自然とそれに倣った。
「先ほどは、いやどうも失礼いたしました……」
魅狐にガツンとやられたからか、多少は酔いも覚めたようだった。
正気に戻ってみると真面目そうな普通の青年だ。
顔も体も細く、鬼のようにつり上がっていた目も弓形に垂れ下がっている。
きっと先ほどは悪酔いしていただけなのだろう。
「いや、こちらの言動が焚き付けてしまった面もある。お互い様ということで水に流しましょう」
魅狐は、自分たちは何も悪くないと言いたげな顔をしていたが、実際に口に出すことはなかった。
「実はですね、俺は……藤屋って料亭の看板娘のお鈴ちゃんに密かに片惚れしてましてね」
はにかむように口元を緩ませながら語り出す弥平さん。
「毎日野菜を届けにいくときに、二、三言葉を交わすことはあるんですが……まぁ、それくらいの関係で……仲良くなろうにもどうやって仲良くなったもんか悩んでて……」
「そんなことで真っ昼間から絡み酒とは情けない男じゃな」
「い、いや、それだけが原因じゃねぇんですよ。ここ最近、町外れの廃寺にとんでもない賊どもが住み着きやがりましてね」
賊……?
「やつら、町にくり出して来ては食い物や女を強奪してくんです。連れてかれた女は二度と戻ってこねぇ。どんな酷い目に遭わされてることやら……それでもし、お鈴ちゃんが連中に目をつけられたらって考えたら……」
弥平さんは膝の上で拳を握り締める。
「けど、そうなったとしても、俺には何も出来ねぇ。そういう不安を誤魔化すために酒を呑むしかなくて……だんだん呑む量も増えてきて……」
このような明るいうちから酒浸りか。
いくら悩みがあるからといってもよくない傾向だな。
「仁士郎様、この方の悩みを解消してあげましょう」
緋澄は早くも感情移入した様子だった。
「また同じようにお酒を呑んで、もし位の高い武士の方に絡んでしまったら、無礼討ちされてしまうかもしれません。それでは気の毒です」
「しかし安請け合いもよくないぞ。悩みを解消するといっても、そんなに簡単なことではないだろう」
「簡単です。弥平様とその想い人の女性を結んであげればよいのです」
それが至難だと言っているのだが。
「密かな恋は楽しくも苦しいもの……嗚呼あの方は私をどう思っているのでしょう、いつもそればかりが気になって、募る思いで胸は張り裂けそう……」
夢うつつな表情を浮かべて自分の世界に入り込む緋澄。
あ、戻ってきた。
「好きな人と結ばれることができたら悩みなんてなくなります。私もそうでした。なのできっとお酒もほどほどに抑えることができて、二度とあんな真似もしなくなるはずです」
「へへっ、話がわかってるじゃないですか、姐さん」
弥平さんは我が意を得たりとばかりに目を輝かせた。
「それで相談なんですがね、是非とも仁士郎旦那にこのお二方をオトした口説きの技を伝授していただきてぇんですよ」
そこで先ほど言っていたことに繋がるわけか。
だが待てよ。
「俺たちの関係性については何も言ってないはずですが……」
「そんなの雰囲気見てりゃ丸わかりでさぁ。羨ましいなちきしょうめって思ってたのはきっと俺だけじゃねぇですよ」
「そ、そうなのか」
これからはもっと節度ある振る舞いというのを考えなくてはならんな。
「しかし口説きの技と言われても、俺は特別なことは何もしていないからな……」
「とぼけねぇでくださいよ。こんな絶世の美女ふたりをまんまと手篭めに……あ、いや、夢中にさせるなんて、よほどの手練手管を駆使したんでしょうよ」
「俺がしたことと言えば、自分の気持ちを正直に伝えただけです」
「気持ちを……?」
「彼女たちとは訳あって三人で旅をしていて、その中で自然と距離が縮まっていった……。だから人に教えられるようなものは本当に何もないのです」
「うむ。二股がしたいなどと本人たちの前で堂々と言うやつじゃからな。策や駆け引きなど何も考えていなかろう」
改めて考えるととんでもないことを言ったな、俺は。
「そ、そんな……」
弥平さんは当てが外れた様子でガックリとうなだれた。
なにやら悪い気もしてくるが無いものは無いのだから仕方がない。
しかし、顔を上げた弥平さんの目はまだ諦めていなかった。
「そ、それなら、お二方は仁士郎旦那のどこをお好きになったんです?」
訊かれたふたりは、え? と揃って俺の顔を見た。
「女に好かれるためには何をすればいいか参考にできる部分があるかもしれねぇ。どうか教えてくだせぇ」
「そうじゃな……やはり腕っぷしじゃな。男たるもの強くあらねばならぬ」
魅狐が自慢げな調子で口火を切る。
「鬼が来ようが妖怪が来ようがバッサバッサと快刀乱麻の一刀両断じゃ。しかもわらわたちが窮地となれば体を張ってでも守ってくれて、それを鼻にもかけぬ。涼やかな立ち居振る舞いは胸きゅんきゅん案件なのじゃー!」
最後には悲鳴のような黄色い声まで上げていた。
「腕の立つところも素敵と思いますけど、私は、いつも前向きで志が高くて、一緒にいると勇気をもらえるところを尊敬しています」
対抗するように緋澄も続く。
「それと、自分のことよりも私たちのことを第一に考えてくださる優しいところにもグッときます。そして頼りがいがあるところと、実直なところと、正義感が強いところと、行動力のあるところと、時折見せる無邪気な笑顔と、それからそれから……」
首から上が火だるまに包まれたように熱くなっていく……。
新手の晒し刑か、これは。
しかし弥平さんは呆れもせず真剣な表情で聞いていた。
「生真面目なところも可愛いのう。ついついからかって意地悪してみたくなるのじゃ」
もしや先ほどのはからかわれていただけだったのか……?
それにしては悪質だったが。
「あっ、姉様おぼえてますか? あのとき私たちに黙ってこっそり……」
「うむ、あれは胸がときめいたのう」
ふたりは弥平さんそっちのけでキャーキャーと騒ぎ始めていた。
「もういいだろうっ!」
俺はこらえきれず叫んだ。
「なんじゃ、盛り上がってきたところじゃというのに」
「そうです」
続きは俺のいないところでやってくれ。
「……なるほどなぁ」
腕を組んで深く頷く弥平さん。
「格が違いすぎて俺にはなんの参考にもならねぇっていうことがよくわかりましたよ」
彼女たちの頭の中でだいぶ美化されているので実際参考にされても困るが。
「俺はケンカも弱いし、気も小さいし、優柔不断だし、人に対する気遣いもできないし、すぐ酒に逃げるし……ははっ、駄目な男ですよ」
「しかし弥平さん。俺と弥平さんは別の人間だし、彼女たちとそのお鈴さんという人も別人だ。比べてもあまり意味はない」
「けど旦那……」
「弥平さんにはきっと弥平さんの魅力がある。それをお鈴さんに気に入ってもらえれば充分ではないですか」
「魅力……ありますかね……」
「それでは駄目だ。自信を持ってください。自分のことすら信じられない男をどうして女性が信じてくれますか」
「……そりゃ、たしかにその通りかもしれませんね」
ふっと笑った弥平さんの顔にほんのわずかだけやる気が差してくる。
小さくとも大きな意味のある変化だ。
「俺、なんだか勇気が湧いてきましたよ」
「その調子です。自分に自信のある男はそれだけで魅力的なものですから。さっきよりずいぶん男前になりましたよ」
「ところで」
と緋澄。
「そもそもお鈴様はどのような男性が好みなのでしょう?」
「いやぁ、そういう踏み込んだ話までは、まだ……」
「では今から会いに行きましょう」
「へっ?」
「私たちがそれとなく聞き出してみます。そのほうがずっと参考になると思います」
たしか料亭で働いていると言っていたな。
腹も減ったし、ちょうどいいかもしれん。




