亡者の城 三
城に泊めてもらった翌朝。
件の城跡を調べるため、俺たちは馬を借りて東へと向かった。
馬は二頭。
俺は普通に一人で乗っているが、魅狐は緋澄の駆る馬に同乗していた。
昨日合戦の舞台となっていた広大な草原を駆け抜け、深い松林へと突入する。
しばらく進んだとき、急に馬が暴れ始めた。
恐らくは例の毒の影響。
少し引き返して安全そうな場所に馬を繋ぎ、そこからは徒歩で進んでいくことにした。
◆
松林を抜けると、木はおろか草一本すら見当たらない枯れた大地が広がっていた。
吹き荒ぶ風もどこか乾いていて冷たい。
まるで常世の国に迷い込んでしまったようだった。
「毒ではなく、これは死念による影響じゃな」
茶色の大地を進みながら、魅狐が険しい顔をして言う。
「人が死しても強い怨念は残る。しかも話を聞くに何千人何万人という規模じゃ。それが長い時間をかけて空気や自然を汚染してしまったのじゃろう」
怨念……人の意志が形となって自然界に影響を及ぼしているということだろうか。
にわかには信じがたいが、この光景を見せられると信じざるを得ない。
「俺たちは平気なのか?」
「ただちに影響はなかろう。しかし緋澄よ、具合が悪くなったらすぐに言うのじゃぞ」
「はい」
◆
城跡に到着すると、さらに周囲の温度が下がったように感じた。
かろうじて形のわかる城門をくぐり抜け、三の丸に足を踏み入れる。
堀は干上がり、建物も風化していて残っていない。
がらんとした庭がどこまでも続いているだけだった。
「たしかに、亡霊が出てもおかしくなさそうな雰囲気です……」
緋澄が弱々しい声で呟く。
その手はなぜか俺の袖をぎゅっと握っていた。
あの骸骨兵が現れるのは黄昏時だという話だ。
今は昼。
うららかな日差しに似つかわしくないほど、城内はしんと静まり返っている。
「なにかわかるか、魅狐」
「うむ……嫌な気配がぷんぷんしとるのじゃ」
「嫌な気配……?」
「あの骸骨どもはここにおると見て間違いなさそうじゃ。今は恐らく、地面の中にでも潜んでいるのじゃろう」
「地面の中っ……!?」
緋澄が悲鳴のような声を上げて小さく跳び上がった。
さっきからどうにもビクビクした様子だ。
もしかして怖いのか?
ご老公に任せてくださいと断言してみせたあの頼もしいおまえはどこに行ってしまったのだ。
そんなとき、どこからか尺八の音色が聞こえてきた。
俺たちの間に緊張感が張り詰める。
自然界には有り得ない音だ。
明らかに誰かが吹いている。
俺は刀の柄に手を添え、音の出所を探した。
「誰じゃ、姿を見せい!」
魅狐が鋭く発する。
それに呼応するかのように突風が吹いた。
激しく砂が巻き上がり、思わず目をつぶる。
次に目を開けたとき――砂煙の中に、ひとりの虚無僧が立っていた。
鼠色の小袖に黄色い袈裟。
深編笠を被っていて顔はうかがえない。
「何者じゃ」
「我が名は総元」
魅狐の問いに、低い男の声が返ってきた。
しかし、ここは人を寄せ付けぬ地のはず。
人間なのか……?
「俺は勇薙仁士郎。ここより西にある直枝の城が骸骨の軍勢に襲われて困っている。それを解決する手掛かりを求めてここへ来たのだが、なにか知らないか?」
「彼らに仮初めの肉体を与えたのは私だ」
総元と名乗った虚無僧がさらりと白状した。
すなわちこの事件の元凶であると。
「ほう、案外あっさりと下手人が見つかるものじゃな」
「それをやめさせてもらうわけにはいきませんか?」
緋澄の呼びかけに、深編笠の下の顔が横に振られた。
「その城を襲っているのは他ならぬ彼らの意志だ。私は何も命じてはいない」
明瞭な答えは、言い逃れをしているようには聞こえなかった。
「総元殿と言ったか。ならばなんの目的があってあの骸骨たちを蘇らせたのだ」
「すべてはこの地を浄化するため」
「浄化……?」
「この地に渦巻く死念は恐ろしく強大。放っておけば汚染が広がり、いずれは他の地域も人が住めなくなる。それを浄化するためには、浮かばれない彼らの魂を成仏させてやる必要があるのだ」
総元の口調は穏やかだった。
悪意や害意といったものは感じない。
「戦わずして殺された武士たち……その無念は、憎き敵の城を攻め落とすか、戦って散る以外には晴れぬ」
「今のまま攻撃に耐えるしかないということか」
そしてあの骸骨の兵士たちをすべて倒すしかないと。
「この死念を生み出したのは、かの城の祖先。ならば今を生きる子孫がその責を負うのは当然の務めだ」
「他に方法はないのか?」
「あるいはこの場で私を殺せば、彼らに与えた力も途切れ、二度と土の中から出てくることはなくなる」
その声にはこちらを試すような響きが含まれていた。
彼の言葉通りなら、そんなことをしても一時しのぎにしかならない。
いずれここのような汚染が城下町や城にまで達することになる。
それは骸骨兵に攻撃されるより厄介な事態なのは明白だ。
目に見える敵と戦って済むなら、そのほうがマシに思える。
「ここに眠る兵はどれくらい残っている?」
たしか侵攻が始まったのは七日前。
毎日戦っていれば相当数が減っているはずだ。
「およそ千」
「それをすべて倒せば終わるのだな?」
「如何にも」
◆
城跡で見聞きしたことをご老公に報告するため、俺たちは馬を駆って引き返していた。
わかったことはひとつ。
残る千体の骸骨兵を倒せばいい。
それでこの戦いは終わる。
状況が好転したわけではないが、その情報を得られたことは大きい。
これまでは何もわからず戦っていたところを、明確な目的を持って戦うことができるのだ。
戦いの終わりが見えれば兵たちの士気も上がることだろう。
とはいえ激しい合戦となるのは変わらない。
そして何人もの犠牲者が出てしまうだろう。
そうなるくらいなら……だ。
馬を走らせている最中、俺の中にひとつの妙案が浮かんでいた。
倒すことで成仏させられるのなら、なにも城の兵たちが戦わなくてもいい。
俺が相手をすれば済む話ではないか。
戦うことすらできずに殺された無念は同じ武士として痛いほどよくわかる。
成仏させられるものならしてやりたい。
気掛かりがあるとすれば、千というのがあまりに未知な数であるということだ。
無論そんな数の敵と戦ったことなどない。
多少の危険は覚悟しておかなくてはならないだろう。
城下町付近にまで人通りも目立ってきたので、馬を下りて手綱を引いて歩いていく。
そこで俺は切り出した。
「魅狐、緋澄、先にふたりで戻ってくれ。俺はちょっと寄っていきたいところがある」
「それは構いませんけど。どこに寄っていくんですか?」
「遊女屋だ」
「ゆ……えぇっ?」
世間知らずな緋澄でもさすがにどういう店かは知っているようだ。
一瞬だけ頬を赤らめ、次第にむすっと不機嫌な顔になっていく。
「ついてくるなよ」
「そんなところ……ついていくわけないです」
そしてぷいっとそっぽを向き、ずんずんと歩いていった。
魅狐はねっとりした視線で見つめてきたが、
「まっ……ほどほどにしとくんじゃぞ」
と言い捨てて緋澄のあとを追いかけた。
正直に戦いに行くと言えば、魅狐はともかく、緋澄は無理にでもついてこようとするだろう。
危険の伴う戦いだ。
その危険に彼女たちまで付き合わせるわけにはいかなかった。
これでいい。
彼女たちの姿が見えなくなったところで、俺は再び例の城跡へと馬を走らせた。
◆
ひとりで城跡まで戻ってきたとき、日没まではまだ少しだけ時間がありそうだった。
先ほど総元と話した三の丸で黄昏時を待つことにする。
それにしても暇だった。
「忘れ物でもしたか?」
朽ちた城壁にもたれてかかっていると、どこからか総元の声が聞こえてきた。
本人の姿は見えない。
「骸骨の兵が出てくるまでここで待たせてもらうことにした」
「何故……」
「俺が代わりに戦うためにだ」
「ほう? 千の兵を相手にひとりで勝つ自信があると申すか」
「これでも腕には多少の自信がある」
昨日の合戦の様子を思い起こすに、あの骸骨たちの強さは普通の人間とそう変わらないはずだ。
一体一体であれば太刀打ちできない道理はない。
「それに、俺がここで少しでも数を減らすことが出来れば、それだけ人間たちの被害も減る。ならばやる価値があるというものだ」
「殊勝な人間もいたものだな」
総元の声には感心した響きが含まれていた。
「いや、普通の人間はこの地には入れぬ……もののけか」
「わけあって半妖の身だ。そう言う総元殿は人間なのか?」
「うむ。退魔結界を会得しているため、私は死念の影響を受けない」
以前会った巫女と同じ力を持っているということか。
……しかしこの男、案外会話に応えてくれるものだな。
さっきはどこか寄せ付けぬ雰囲気を醸し出していたが、今はわりと感情を伺うことができる。
「話からすると総元殿は七日前にここへ来て、あの骸骨の兵たちを蘇らせたのだろう」
「ああ」
「それからずっとここでひとりなのか?」
「ああ」
「暇ではないのか?」
「馬鹿を申せ。心を無にするのも精神修行のうちだ。暇などと感じるのは修行が足らぬ証拠よ」
「いや、暇なものは暇だろう」
「うむ……まぁ……そう思う瞬間がなくはないが……やることはあるものだ。尺八の練習とか」
もしやさっき聞こえた音色は、俺たちを脅かすためではなく単に練習していただけだったのだろうか。
「せっかくだ、時間が来るまで話し相手になってくれないか。俺も暇で困っていたところだ」
「……そこまで言うなら仕方ない。付き合ってやろう」
「恩に着る」
彼にしても人を傷付ける目的でこんなことをしているわけではない。
この地を浄化し、再び人が立ち入れる場所にしたい。
汚染を食い止めたい。
浮かばれない怨霊を成仏させたい。
それはひとえに善意から来る行動だ。
ならば俺も協力しよう。
そうすれば城の人間たちに犠牲が出ることもなくなるのだからな。
「ところでだな……先ほどの羽織袴の娘はおまえと親しい様子だったが、やはり男女の仲なのか?」
虚無僧のくせに下世話な話が好きなやつだった。
「単なる旅の仲間だが。そう見えたか?」
「いくら怖がっていても好意のない男の袖を掴むなどはせん。間違いなくおまえに惚れているぞ。そしておまえに意識させるためにわざとやっているのだ。えてして男はああいう仕草に弱いものだからな。嗚呼あざとい娘よ……!」
そして急に饒舌になるのだった。




