亡者の城 二
城に着いたときにはすっかり夜となっていた。
門前払いを食らってもおかしくなかったが、緋澄が素性を明かしたところ、すんなり城の中へと入ることができた。
案内されたのは、本丸庭園の片隅に建てられた小さな茶室だった。
茶室には刀を持って入れない。
小脇の刀掛けへ預け、にじり口と呼ばれる小さな入り口から頭をかがめるようにして入室した。
ロウソクの灯り揺らめく四畳半に座って待っていると、俺たちが入ったのとは別の入り口から、裃を着た老爺が静かにやってきた。
白髪の髷に豊かな白髭。
顔や手は細く筋張っていたが、立ち居振る舞いからはまだまだ老いは感じさせなかった。
シワだらけの顔にさらにシワを寄せて笑う。
「おお、緋澄よ……大きくなったものだな」
「お久しぶりです、お祖父様。お元気そうでなによりです」
俺たちの正面へ座ったご老公へ、緋澄が三つ指をついて深く頭を下げた。
魅狐が黙礼をしたので俺も慌ててそれに倣う。
ご隠居とはいえ大名には違いない。
自然と身が引き締まる思いだった。
「そなたのほうから会いにきてくれるとは嬉しいぞ。ささ、もっと近う寄ってくれ」
「はい」
緋澄がご老公のすぐ隣へと移動する。
それを待って、彼女の手を愛おしく撫でた。
「以前に会ったときはまだまだ童女のようだったが、かように美しく立派な女になってくれるとはな。これでどこへ嫁に出しても恥ずかしくないぞ」
「いえ、そんな、私などまだまだですが……」
はにかむ緋澄。
「ほほ……謙遜も覚えたか。愛いやつだ」
ご老公は穏やかで優しい笑みを浮かべる。
孫を前にしたときは大名も普通の人と変わらないらしい。
ふとお祖父のことが脳裏によぎった。
剣術に関しては厳しい人だったが、それ以外の部分では、俺に対してこういう顔を見せてくれたものだった。
「おお、楽にしなされ、お客人方」
ご老公はそこで初めて俺たちにも目を向ける。
「茶室には如何な身分をも持ち込まぬもの。旗本であれ町人であれ……人であれ妖であれ、ここでは単なる個人と個人だ」
それは魅狐へ向けての言葉に思えた。
当然ながら彼女たちの出自は承知済みなのだろう。
「あっ、そうでした、こちらは私の姉である魅狐様です」
緋澄が思い出したように紹介をする。
「お初にお目にかかるのじゃ」
優雅に頭を下げる魅狐の所作は実に堂に入ったものだった。
彼女も彼女で伊達に姫ではないということか。
異母姉妹なので、緋澄の祖父ではあっても魅狐とは血の繋がりがない。
どうにも複雑な家系だ。
「ほう。話には聞いていたが……人間と変わらぬように見えるな」
ご老公の視線と言葉に忌避の気配は感じなかった。
仮に狐耳と尻尾を見えていたとしても同じ態度で接してくれるだろう。
なんとなくそんなことを思える人だった。
「ふふ、狐は人を化かすことが得意ゆえ……」
妖艶に微笑んで応じる魅狐。
「これはこれは。恐ろしいな」
ご老公は、緋澄に向けるのと同じような笑みを彼女にも傾けた。
「そしてこちらは勇薙仁士郎様です。姉様に仕えている方で、私もいつもお世話になっています」
正式に仕えたつもりはないが、緋澄の中ではすっかりそういう認識のようだった。
「勇薙とは……もしや、義十郎殿の?」
ご老公の口からお祖父の名前が出るとは思わず、俺は狼狽しそうになるのを必死にこらえた。
「はい……その孫です。祖父をご存知でしたか」
「うむ。稀代の剣豪であるという噂はここにも聞こえていた。そして、なにより将棋の名手でもあるとか」
たしかに将棋もよく打っていたが、こんな遠いところまで噂になるほどの腕前だとは知らなかった。
「膝を悪くして剣のほうはからきしだが、将棋にはいささか自信があってな。ぜひ一局交えてみたいと思っていたのだ。どうだ、祖父は息災か?」
「残念ながら、一年ほど前に亡くなりました」
「なんと……」
「仁士郎様は、そのお祖父様の仇討ちのために旅をしていて……その道中で私たちと出会ったのです」
緋澄が補足をしてくれる。
ご老公は感心するように喉を鳴らした。
「それは見上げた心掛けだ。祖父も草葉の陰で喜んでいることだろうな。成就することを願っていよう」
「は……」
痛み入る言葉に、俺は恐縮の思いで頭を下げた。
「ぜひこの城で英気を養っていってくれ……と言いたいところだが、こちらもあまり余裕のない状態でな。大したもてなしが出来ぬかもしれぬが」
ご老公の表情が一転して曇る。
緋澄が気遣うように、細い手を重ね合わせた。
「あの骸骨の兵のことですよね……」
「緋澄よ、そなたも見たか」
「はい、ここへ来る途中に。あれはいったいなんなのですか?」
「それが、わしにもわからぬのだ」
弱った様子で首が振られた。
「あれが現れるようになったのは七日ほど前。黄昏時に攻めてきて、夜になるとその場で泡と消えていく。それが毎日続いているのだ」
「毎日……!?」
黄昏時は昼でもなく夜でもない狭間の時間帯。
それゆえ世界の境界も曖昧となり、怪異が出現しやすいというのは昔から言われている話だ。
「わけのわからぬまま戦わされ、兵たちも戸惑い、疲れておる。今はよいが、近いうちに限界も来よう。そうなれば……あまり考えたくはないが」
得体の知れない骸骨の軍勢による、理由のわからない侵攻。
それが毎日続くとなれば体力的にも精神的にも辛いものがあるだろう。
人間相手に戦うのとは大違いだ。
「お祖父様。私たちなら、なにか力になれるかもしれません」
「そなたらが……?」
「普通の人間の方々よりはこういった問題には強いです。私も、姉様も、そして仁士郎様も」
緋澄の力強い眼差しを受け、俺は大きく頷いてみせる。
「そうじゃな。緋澄の祖父ならわらわにとっても祖父と同じ。惜しみなく手を貸すのじゃ」
と、魅狐も。
「なのでお任せください。出来る限りのことはしてみせます」
「おお……緋澄よ、本当に立派に育ってくれたものだな。祖父は幸せ者だぞ」
ご老公は感涙で目を潤ませる。
そして俺と魅狐へ深く頭を下げた。
「我が手に余る事態……どうかお頼み申す」
「安心せい、餅は餅屋じゃ。それで、あの連中はどこからやって来ているのじゃ?」
「東の方角だ。そちらには古い城跡がある。そこから亡霊が蘇ってきている……というのがおおよその見立てのようだ。恥ずかしながら祟られる理由は充分にあるのでな」
「祟られる理由?」
ご老公は重々しく語り出す。
「わしの何代も前の話だ。この城と、東にある例の城は敵対関係にあった。
時勢が傾きいよいよ合戦も免れぬとなったとき、我が御祖先はおぞましい計略を用いた。
多苦という妖怪と結託し、敵の城に猛毒の風を送り込んだのだ。
そしてそこに住まう者たちを一夜のうちに毒殺……戦わずして勝利を収めたと記録が残っている」
むごい話だ。
いくら戦に勝つためとはいえ、それでは単なる虐殺ではないか。
「人間同士の合戦に妖が加担するとは、けったいなことじゃな……」
魅狐が嘆かわしげにため息をついた。
「その城跡に骸骨の兵がいる可能性があるのなら、こちらから攻め入ることは出来ないのですか?」
俺の問いに、ご老公は難しい顔をすることで返事とした。
「あの辺りは人が近付けぬ場所なのだ」
「近付けぬとは?」
「城跡に近付くにつれ、具合が悪くなったり、意識を失って倒れる者が出てきてしまうのだ。当時の毒がまだ残留しているとも言われているが……」
しかし、当時といっても何百年も前の話だろう。
そんなことがあるのか。
「なので斥候すら出せぬ。今は防戦に徹するしか手立てがないのだ」
「ふむ……」
魅狐は腕を組んで唸る。
こういったことに詳しいのは彼女だけだ。
俺ではいくら頭をひねっても打開策は浮かばない。
「ひとまず、明日になったらその城跡とやらに行って調べてみるとするかのう」
「しかし近付けぬという話だが……」
「人間には毒でも、わらわたちならば耐えられるかもしれぬ。仁士郎よ、誰よりおぬしがよく知っているじゃろう」
そうだったな。
人間を殺す毒を克服するために、俺は妖化の術を受けて半人半妖の肉体になったのだ。
「なんにせよ、行ってみなくてはなにもわからんのじゃ」
◆
ご老公が立ててくれた茶を頂いてその場はお開きとなった。
「仁士郎殿。ふたりの孫娘のこと、よろしく頼む」
去り際、ご老公が俺にだけ聞こえるように言う。
「この命に代えましても」
俺は心からそう誓ってみせた。




