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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
特別編 4
210/210

先生、好きです その6

「さあ、何でも好きなものを頼んで。腹、減ってるだろ? 」


 木戸はメニューに見入っている村下に声をかけた。

 ここはオーナーの趣味が満載の、まるでアトリエのようなカフェだ。

 骨董品あり、絵画あり、現代アートあり。

 そして、ジャズのLPレコードがずらりと並んでいるのがこの店の大きな特徴だ。


 その枚数たるや、圧巻の一言。

 きっと千枚単位でコレクションされてるに違いない。

 壁面に作られた棚にはオーナーお気に入りのレコードのジャケットが客から見えるように飾られている。


 こだわりのオーディオから流れてくるのは往年のスタンダードナンバー。

 偶然にも木戸が好きな曲だった。


「先生、あの……。このお店のオススメは何ですか? 」


 少しまごついたような目をして村下が訊ねる。


「オススメ? 」


 そんなことを訊かれても……。即答できない自分が情けない。


 というのも、この店に来たのはまだ二回目だったからだ。

 近辺の施設で新任研修があった時、偶然ここを見つけて同期達と一緒に立ち寄ったのがこの店との初めての出会いだった。

 その時に食べたオムライスがおいしかったことを思い出した。


「うーーん、そうだな。前にオムライスを食べたけど、うまかったぞ。一緒に来たツレはシチューみたいなのを食ってたかな? それもうまそうだったよ」

「そ、そうですか……」


 村下が急に力なくうな垂れる。


「どうしたんだ? 」


 何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。

 木戸は突如元気をなくした村下が心配になる。

 いったいどんな地雷を踏んでしまったのかと自分の言動を振り返るが、さっぱり理由がわからない。


「俺の方からここに誘っておいて、店の看板メニューすら知らないなんて、本当に馬鹿だよな。すまない」


 この店に行こうと決めたのは、村下を車に乗せた後だった。

 隣町であればファミレスでもいいと思ったのだが、いつしかここを目的地にして車を走らせていた。

 ジャズに興味を持ったのは高校生の頃だ。

 父親がレコードやCDをコレクションして家でよく聴いていたが、木戸にとってその音楽は、全く心に響く物ではなかった。


 かといって、アイドル歌手にも興味はなく、クラシックはもちろんのこと、ロックやポップスもほとんど聴くことはなかった。

 音楽とはとことん縁遠い子ども時代を送っていたのだ。

 野球をする以外は、家で本を読むのが唯一の趣味だった。

 推理小説や冒険物語、そして歴史小説を手当たり次第読破するのが常だった。


 ところがある時、ふと手にした恋愛小説をきっかけにジャズを聴くようになる。


 物語の主人公が恋に破れたとき、場末の酒場でテキーラを飲みながらジャズピアニストの音楽に酔いしれる、あるいは、主人公が彼女とバーに行き別れを語る時、サックスの物悲しい音色がさも木戸の耳に聴こえているかのように細密に文章表現され、より一層切なさを誘うのだ。


 そんな場面に魅せられたあかつきには、父親のコレクションの中から本の中に登場した曲を探し出し、物語の世界に浸りながらジャズを聴くようになっていた。


 いくら村下が教え子だと言っても、彼女はれっきとした女性だ。

 そして彼女はその小さな身体を奮い立たせ、自分を好きだと告白までしてくれた。

 物語とシンクロさせるわけではないが、ジャズのナンバーが流れるこの店が今日の語らいの場にぴったりではないかとチョイスしたのだが、彼女には楽しい場所ではなかったようだ。




「先生、あの……」


 村下がか細い声で何かを言いかけた。


「ん? 何だ? 俺が君を傷付けるようなことを言ったのなら謝る。なあ村下、どうしたんだ? 」

「あの、先生が一緒にこの店に来た人って。その……。やっぱり先生の彼女ですよね? 高校時代から付き合っている……」

「ええ? 」


 思いがけない質問に、木戸は切れ長の目を思いっきり見開いた。


「やっぱり、そうなんだ……」


 村下はまたもや俯き、肩を震わせる。


「お、おい。何か勘違いしていないか? ここに一緒に来たのは彼女ではなくて、同期の仲間だ。同じ年度に採用された教員仲間だよ」

「本当に? 」

「ああ、本当だ。男性が五人と女性が二人の七人だ。全員、広島の高校教員で、そこに彼女はいないよ。そのうちの一人、島岡がシチューを食っていたんだ。他の皆は何を食っていたのか、よく憶えていない」

「しまおか……。あ、島岡監督、ですか? 」

「そうだ。いつも練習試合をしていたあの高校の監督だよ。あいつも同期なんだ」

「そうだったんだ……。なら、よかった。ちょっと安心しました。だってもし彼女さんとの思い出の場所なら、なんかあたし、ここにいちゃいけないような気がして……」


 村下の頬にほんのりと色が戻る。


 それにしても村下の想像力には脱帽だ。

 それだけは絶対にない。

 高校時代からの彼女、すなわち池坂とここに来るなんてことは、たとえ地球最後の日を迎えたとしてもあるはずがない。


 池坂とは就職後は一度も連絡を取っていなかった。

 大学時代もたまに近況を伝えるメールを送ってはいたが、彼女からの返信はその日の内に届くものの、木戸が期待する内容は受け取ったためしがない。

 時候のあいさつと、頑張ってくださいなどの差し障りのない短い文章が返って来るだけだった。


 神戸に帰省する日程を知らせても、彼女がそれに呼応することはなかった。

 ただお互いの生存確認程度のメールでしかなかったのだ。


 木戸は村下がマネージャーをしている時に、池坂のことをさも現在進行形の彼女であるように話していたことを後悔していた。

 その誤解を解くためにも今日は村下と会う必要があったのだ。


「村下、そのことなんだが。君に話しておかなければならないことがあるんだ。食事をしながら、聞いてもらってもいいかな? 」


 村下は真っ直ぐに木戸を見てこくりと頷いた。


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