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設定メモへと堕ちた何か  作者: ヌヌヌ木
第二章 友好の第一歩編
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28話 決戦前夜の一幕



 ーーー《愚王》『ノア=ルクサス』。



 魔族に国を支配され、国民の命を人質に、出国や亡命を絶対にさせない体制を強制されたノアはそれを呑み、混沌へと陥れたとされる史上最悪の王である。


 だがそんな状況は、《勇者》により打破された。


 ノアを支配していた上位種の魔族、さらにその魔族を裏で操っていた魔王リシュ・エバムを打ち倒しルクサスに平穏をもたらした英雄、『ジュン・マツオカ』とその一行の活躍によってだ。

 これによりノアは全責任を取り処刑されるはずだったが、勇者ジュンの仲介により全財産と王位の破棄とを条件に生かされた。その後はルクサスの田舎部に移り住み、数年と経たずに生涯を終えたという。


 しかし国は安定せず、国民だけでなく政治運営をしていた400年前の大臣ですら頭を抱えていた。

 だがそんは状況で現れたのが、ルクサス2代目国王である『シーラ・アルゴア』である。彼は賢明な判断の数々によりルクサスを更に発展させ、その意志は3代目国王以降にも受け継がれているらしい。



 ーーと言われているのは、表の話。


 ノアは、後にルクサス2代目の王となる者である赤子、『シーラ・アルゴア』へと転生し、まだ小国だったルクサスを更なる発展へと導いた。また、この際にリーヴを拾い、忠臣として世話になっている。

 それを何度も何度も繰り返し、そして今代は10代目である。400年で10代となると早いかもしれないが、それには浅そうで深い理由がある。


 よりによって全て殺害されているのだ。


 原因はどれも分からない。

 一番有力なのは呪殺だが、それは死したノアには理解できなかったのだ。その関係上、ノアの転生先全ては男性だったのだが、どの転生先も童貞である。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「…ふっ、我も愚かよな。何度も殺されているのにも関わらず睡眠時に見張りの一つも付けぬとは、殺してくれと言っているようなものであろう?」



 リダはその幼き少女顔には似合わない、自分を心底卑下するような嘲笑を浮かべ、林檎ジュースを飲む。


 ーー転生者。

 恐らくラインもこれに当てはまるのだが、ライン自身のはかなり曖昧な立ち位置なのである。自分の能力の新たな使い方を見つけたりすることができた点では、なんらかの前世の記憶があることは分かるのだ。


 なら、リダに共感することができるかも知れない。自他共に厳格で、公平で、だがその裏にはそこ知れぬ闇を抱えていそうなリダの心の負担を減らせるかも、と。



「……リダさん。僕はあなたを信じるよ。色々疑問に思うことはあるけど、それを抜きにしてもリダさんが僕を信頼してくれたように、僕もあなたを信じる」



 今もなお分からないことはあるが、それがリダを信じない理由にはならない。

 むしろ自分の秘密を明かしてくれたということは、信頼してくれた誠意の表れであり、その思いを無碍にできる薄情さはラインは持ち合わせていなかった。



「……何?貴様、この短時間で理解を?爺ーーリーヴですら理解に時間を要した内容だ、まだ人生経験の無いであろう貴様が理解するのは難しいだろう」


「いや、そうじゃないんだ」


「……?」



 リダが言いたいのは、「こんな短期間で理解し切ったのか」ということだろう。だがラインは残念ながら頭も良い方では無いので、理解は追いついていない。

 ラインが分かったのは、リダが今までどういう気持ちで転生を繰り返し、何を思ってきたのか。毎回来る死の感覚を何度も踏み締めてまで、何を目指すのか。


 息を整え、覚悟と共に口を開く。




「ーーだって僕も、多分だけど転生者だから」




 それを聞いた瞬間、リダの表情が引き攣る。

 自分へと向けた嘲笑すらもまともに向けられなくなった彼女はその幼女顔を驚愕で満たし、それを見たラインとしては申し訳ない気持ちが溢れる。

 だが今更躊躇するわけにはいかない。少し申し訳なく思いつつも、ラインは続けざまに言い続けた。



「……まあ、こんないきなり言われても困惑しちゃうよね。だけど僕も多分転生者だ。根拠は異世界人らしい記憶がある、ってことだけど…根拠は薄いかな?」


「そこは問題とは思っていない。貴様の発言を今更疑うような真似はしておらん。だが、貴様が異世界からの召喚だとすれば、それは前例を見ないことになる」



 リダ曰く、すでにこっちのことは信用してくれているらしいのだが、今度はラインが転生者だということに疑問を抱き頭を悩ませている。

 正直言わない方がよかったのでは、と後悔しているラインを他所に、リダは結論を纏めることなく保留とし、軽いため息と共にラインの白めの手を握る。

 元は男だとはいえ、やはり幼女に手を握らせているのにほのかな犯罪臭を感じて悶えるラインをリダは正し、彼女は小さく詠唱し出した。



「ーー『400の刻を刻みしルクサスの大地よ。脆弱で儚き我らに大地の祝福を与え、永劫の安寧を齎し給へ』」



 そう彼女が唱えると、リダとラインの周りには微弱な光が集まっていき、それらはリダとラインの中へと静かに入って行った。

 するとラインの中に居る2人の悪魔が騒がしくしたが、しばらくすると何事も無かったかのように大人しくなった。どうやら普通にびっくりしただけらしい。



「……今のは『永栄の加護』。我ができる、最低限のまじないのようなものだ。『支配者(ルーラー)』を手に入れるまでは、このような能力しか持てずにいた愚王なのだよ。……フッ、自分の非力に虫唾が走るな」



 そんな自嘲気味な発言をしながら、リダは自分自身を嘲笑う。その灼赤の瞳は濁り、どこか悲壮感すら感じさせるほど寂しくて、だがどこか幻想的でもあった。


 ラインからすれば、一度は《愚王》と言われていたとはいえ、その後ルクサスを大国に成り上がらせたのは紛うことなくリダ及びノアの功績であり、そこを卑下する必要は感じなかった。

 だがリダーー否、ノアからしたらそうではないのだろう。一度とはいえ国民を不況と恐怖に陥れたのは事実であり、ノアはそれが許せない、とラインは見た。



 たかが一度。されど一度。

 ノアにとっては、その一度の失敗が、他の誰が許したところで自分自身が最後まで許せないのだろう。


 だがラインからすると、一度の失敗があったとはいえ、この国が大国へと成ったのはもれなくノアの功績であり、それから400年もの間安泰を守ってきていたのもノアの功績なのは変わりない、と解釈していた。



「……リダさん、そんな卑下する必要無いよ。一回の失敗が許せないのは分かるし、僕も弱くて決断力の無い自分が嫌いだよ。大っ嫌いだ」


「ーーー」


「……ミクスタとレンはお互いが大切で、サクラは13代勇者、ゲイルは生徒達が大事なんだ。僕が入り込める隙間なんて有りもしないし、そんな権利もない」


「……そう、かもな。それは我も同じーー」


「……けど、僕が死んだら悲しんでくれる人がいる。みんな、僕のことを思って、痛い思いもいっぱいして、血を流してる。その時流れた血は確かに身体を抜けたもの。…自分をどうでもいいと思うことは、血を流した人を冒涜することと同じなんじゃないかな?」



 ここでラインは自分を卑下し、しかしすぐさまそれを自分自身でフォローするような言葉を発した。

 だが矛盾しているわけではなく、これはあくまでパフォーマンス……卑下する際に出た言葉は嘘じゃないが、リダに自分を顧みてもらう為のやり方である。

 ラインだって自分が嫌いだが、命を共に賭けてくれる仲間達がいる。自分が死んだら悲しんでくれる人がいる。だから死ねないし、死ぬつもりも無い。


 それを『ノア=ルクサス』にも、理解して欲しい。



「……血、か。我の為に…我などの為に、皆の血を」


「自分のことは好きに嫌えばいい。僕もそうしてるし、多分サクラも同じだと思う。だけど、自分自身を嫌っても周りが嫌ってくれるとは限らない。ーーだから、もう自分を傷つけるのはやめて。…やめて下さい」


「ーーー」


「……リーヴは…国民の皆は、それを望んでないよ」


「ーーーッ」



 まだ迷いと自責の念が抜け切らないリダへと、トドメの一声をかける。そこに罪悪感を感じつつも、声に震えや迷いは一切込めず、真摯に向き合って放つ。

 その声にリダが歯噛みする音が聞こえ、怒りとも悲しみとも取れない音にラインの肩が震える。


 ーー自分に向けられたものではないことは分かっているのに、自分に向けられたもののような。……リダへの同族意識を、無意識のうちに抱いてしまった。



「ーー僕はアナタを信じる。だから、信頼してくれると嬉しい。そして自分を卑下しないで。自分の好きなことに生きて。……他人ばかりに気を遣いすぎないで」



 それだけ言って、ラインは退席しようと椅子から立ち上がって、扉へと歩みを進めていく。

 すると頭を抱えて歯軋りしていたリダもすぐさま立ち上がり、歩みを進めるラインに小走りで近寄り、その手を握る。ラインが何事かと振り返ると、リダはその灼赤の瞳をラインの黒瞳と合わせ、頭を下げた。



「すまなかった。我は人に頼るのを忘れていたのだろうな。……再度貴様に頼みたい。我にーーこの国の為に、貴様らの命を預けてくれ。その代わりとは言えぬかもだが、貴様への支援は欠かさん。約束する」


「ーーぅえ!?ホント?ありがとう!うん勿論だよ!僕達もこの国には滅んで欲しくないし、利用するみたいになっちゃうけど、どうかこれからもよろしく!」



 リダは己の迷いを晴らしたラインに対し、純粋な感謝と共に手を差し出してきた。

 ラインは魔界を保護してくれる後ろ盾ができたこと、何よりリダがラインを信頼してくれたことに喜びを隠しきれず、リダの小さな手を両手で手に取る。

 そのラインの反応に手を握られるリダは肩をびくっと震わせ、ラインはその反応から失礼でもしでかしたかと背筋に強烈な寒気を感じた。



「あぅ、ちょ、失礼しました…!すみません!」


「……あ。おい、貴様ーー」



 ラインはあまりの動揺にしどろもどろになって部屋の扉を後ろの手で開けて、リダが何らか言いたげに呼び止めるのを半ば無視して部屋の外に出る。

 そして扉が開けっ放しの廊下で一礼し、ラインは申し訳なさともどかしさから広い城内の廊下を駆け出してしまう。


 もちろんわざとではない。感情に任せた表現だっただけだ。だが、肉体的には未成年のリダにセクハラ紛いのことをしたことが、罪悪感をチクチク刺激する。


 だが達成感はある。そんな達成感と罪悪感を同時に抱きながら、ラインは魔石ランプに淡く照らされる城内の廊下を、自分でも驚くほどに速く駆けていった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 1人残された部屋の中で、《賢王》は呟く。その言葉の中には魔族の少年と話した時の自嘲は含まれておらず、純粋に言葉通りの意味で、独り言を呟いている。



「……行ってしまったな」



 そう言って、年代物の林檎ブランデー……風の林檎ジュースを一つのグラスに注ぎ、それを口に運ぶ。優しめの甘さを口で感じながら、リダは少し思考する。

 リダーーもといノアは、『輪廻の儀』で己の魂をこの世界に縛る代わりに記憶と能力を保持し、何度も転生を繰り返している。その際、人格の根本が崩れた例は未だ無く、ノアの人格のままやれているはずだ。


 だが実は、異性への好みや服装・好物・趣味は転生先の肉体のものが反映されるのだ。その為歴代ルクサス王の好みは全く一貫しておらず、リダとして転生したこの時は甘味が好物など、かなり変わっている。



(だがそんなことは今となっては知れた事。我としても好物が一貫しておらんのは難儀だが、人格に影響を及ぼさないのなら大した問題ではない。……無いはずだ)



 今回初めて女性として転生したリダだが、歴代ルクサス王も含めて、今まで人という存在に恋愛感情を抱いたことが無かった。

 婚約する前に殺されることも多々あり、結婚しても大半が政略結婚。それに騙され、食事に毒を盛られて殺されたことも一度ではない。それが影響し、ノアは軽い人間不信へと陥っており、何もかも自分で解決していた。



 そんなノアだが、今この時、400年という膨大な時を過ごしてきた中で、初めての感慨に襲われていた。味わうのではなく、襲われていた。

 あの魔族の少年の優しげな声が、体温の温かさが、そしてまだ幼さや甘さが残る顔が、忘れられない。


 自分に説教をしたのは、自分の手を握ってくれたのは、自分に目を合わせて話してくれたのは、もう何百年振りだろうか。もはや覚え切れない時間の中で、この刹那行われたやり取りが色濃く残り、心に根付く。

 心の臓の鼓動が五月蝿い。落ち着こうと深呼吸するも、その鼓動は活力を取り戻したかのように激しく動き、リダの思惑に反して暴れ続ける。頭も熱い。数百年振りに熱を帯び、視界が白黒に点滅し始める。



(……この感覚は、何だ?頭も熱い…胸も五月蝿い…)



 ノアーーもとい、リダは、己の年相応の小さな胸に手を当て、心臓の鼓動を治めようと躍起になる。だが、あの魔族の少年のことを頭に浮かべる度、その鼓動は治ることを一切知らないように暴れ回る。



 ーーー結局、彼女が就寝したのは、魔族の少年と言葉を交わしてから一時間以上経った後のことであった。







 ーーー真夜中の訓練場に、場違いな甲高い金属と金属がぶつかり合う音が響き渡る。

 夜中に剣の腕を鍛えに来た向上心ある者達は、目の前で行われている『殺し合い』を、黙って見ているしか無かった。その光景を前にすれば、歴戦の戦士すら足元が無意識に震え、いかなる死よりも恐怖を覚える。



「……ふむ、腕は衰えてあるどころかむしろ刃の精密さが格段に向上しておる。ワシの『無我領域(ワレシラズ)』が無ければ細切れにされておっただろうな」


「一刀も入ってないのにそれは何だ、私への当てつけか?捌かれたくないならジジイらしくヨボヨボしたまま隠居でもしておけよ。それが嫌ならここで死ね」



 ルクサスの訓練場は大国に相応しいほどに広く、最低でも500人は入るほどに広大な土地が使用できる。そんな場所を、中心に立つ隻腕の美形と禿頭小柄の老人だけが独占しており、他には誰も入っていない。

 それはそうだ。ーー訓練場は、この2人の手によって見るも無惨な姿へと変えられていたからである。


 至る所にクレーターが空いており、魔石砲か何かを撃ったかのような爆散痕が幾つも残っている。瓦礫となった石壁や地面が至る所に散乱し、多少なりとも石飛礫に被弾して負傷した者達もいた。

 だがその破壊を引き起こした張本人達は一切の傷が体に無く、爆発音のような鍔迫り合いや打ち合いからは全く予想できない無傷姿だった。その一方で2人を包む空気は険悪そのものであり、周りで殺し合いを観戦する者達にすら重苦しい空気がのしかかる。


 無言の圧の中、先に沈黙を破ったのは、禿頭で小柄な老人こと、《閃光》『ラスト・リーヴ』だった。



「……もうこの辺で止めてくれ。これ以上は此処が完全に壊れてしまう。ここの修復に人員を割けぬからな」


「仕方ない。お前の要望に沿ってやるよ。感謝しろ」



 リーヴが嗜めるように目の前の美形ーーサクラに呼びかけると、彼女はあからさまに舌打ちをしながら右手の借り物である刀を鞘に納め、リーヴを置いて刀を借りた兵士に微笑みかけながら刀を返却した。

 それを見たリーヴも剣を仕舞い、こちらを一瞥して去って行こうとするサクラの右手を引き留める。



「……何だよ。気は済んだ。放っておけよ」


「すまん…ここでは少しアレだ。場所を変えよう」



 顔すら向けずに冷たい目線だけをリーヴに向けるサクラを、リーヴは申し訳なさそうに引き留め続ける。

 そんな申し訳無さそうな反面かなり頑ななリーヴの様子を見たサクラは、折れたかのように溜め息を吐き、リーヴの手を振り払って降参の形を取った。



「はいはい…で、何処行くんだ?斬首の処刑台か?」


「なぜそんな物騒なことばかりを……。まぁ、言い分が分かるのに加えてワシにも過失があるしな」



 そんな軽口にしては重く、罵り合いにしては軽めのやり取りを済ませた2人は、周りの困惑と畏怖の念が向けられた視線に気づいて軽い挨拶を済ませて隣に立って歩き出した。

 中々答えようとしないリーヴにサクラは己の黒髪をかき上げながら嘆息し、リーヴの頬を割と本気でぶっ叩く。それを受けたリーヴはぐはぁ、と叫びならも、悲鳴ほどの威力の攻撃を受けたような感じはしない。



「ごちゃごちゃと……言わないなら部屋に戻るぞ?」


「待て待て待て、せっかちな女はモテんぞ?それに暴力的な女は周りから恐れられるぜ?お主ーーいや、お前の新たな主となるだろう、半魔の少年にもな」


「……うるせぇ。私を400年放置して平然としていたお前にだけは人間関係を口出しされる謂れはない。もう少しだけあの幼女を見守りたいなら黙ってろ」



 そんな険悪な会話をしながら、サクラは自分の先を歩き出したリーヴの背中を眺め、しかし結局その小ささに感慨らしい感慨を抱くことは無い。

 次に再会する時はあの世か骨としての再会だと思っていた元同僚が、偶々、ハゲのチビ爺として生き永らえていただけの違い。そこに嬉しさは感じなかった。



「ーーーーーー」


「ーーーーーー」



 2人はただ黙って、リーヴを先頭に歩き続ける。


 サクラはどこまでも面倒臭そうに、無関心に。

 リーヴは申し訳無さそうに、後ろめたそうに。



 ーー元同僚(てき)2人による無言の気まずい散歩を、手に届かない高さにある月の明かりだけが照らしていた。




 ーーそこは、広大な土地を使用した花畑だった。


 そこには様々な花があり、手入れもよくされているのかは分からないが、全く雑草は生えていない。害虫もいないのか、唯一居るのは少々大きめのミツバチのみだった。

 それらは見知らぬ女の来訪を察知して逃げていき、蜂にすら逃げられたサクラは特に何の感慨も抱かない。



「……ここは?」


「ワシの園芸場所じゃ。ワシに授けられた褒賞の大半はここに注ぎ込んでおる。どの花もそれぞれの良さや彩りがあるが、残念だがワシの一番のお気に入りではない」


「……へぇ」



 サクラは自然にリーヴに問いかけており、恨み節ではない言葉にリーヴは喜んだように話し始め、少し勿体ぶった話し方でサクラに説明している。それを半ば聞き流しながら、サクラは周りを見渡していた。

 リーヴのことはムカつくが、この花には罪はない。その分別はついているサクラはしゃがみ込み、目の前に咲く、自分の心情とは真逆の色をしている純白の花を眺め、己の器の小ささや思考の短絡さに嘆息した。



「おお、ここじゃ。サクラよ、こっちに来てくれ」



 そんなサクラをリーヴは呼び、何故かこちらを急かすように手招きし続ける禿頭の老人に対して、サクラは盛大に溜め息を吐く。しかしそれでも何だかんだリーヴの言うことを聞き、彼の近くに寄っていく。


 ーーそこには、百合の花が一面に咲いていた。

 白、ピンク、黄ーー。さまざまな色合いの百合の花が、とある一帯に正確に整理されている。その範囲は他の花に比べて一回り広く、具体的には二倍程の広さがある。



「……これは」


「主に貰った百合の花の種から咲かせたものじゃ。貰った以降育てる機会も土地も無くてな。この国で過ごしてた……お前にとっては腑抜けてた、とでも言うべきか。褒賞として与えられた土地を活用したのだ」



 純粋なサクラの疑問をリーヴが即座に解答し、サクラは素直に小さく頷きながら百合の花を眺める。色の統一はされていないが、それでも同じ花が色とりどりに咲き誇る光景は圧巻で、サクラは息を呑ーーまない。


 確かに綺麗だ。だが、それだけである。そこに特に何か感じたりリーヴへの認識が改まったりはしない。

 剣一筋だった彼が花を愛でるようになったのは新発見ではあるが、それだけでリーヴがサクラを放置した理由にはならないし、その怒りも消えることはない。



「……サクラ、お前に言いたいことがーー」


「ーーくだらねぇ」


「……え?」


「下らない。そう言ったんだよ。どうせ私を想ってこの花を育ててた、とかだろ?お前が私のことを好いてくれていたのは私も知っているし、仲間としても嬉しかった。当時はな。……今は、心っっ底気持ち悪い」



 いきなりの罵声に戸惑いを隠せないリーヴに対してサクラは暴言の嵐を容赦なく叩き込み、最後の一息に乗せて、「気持ち悪い」と、無碍にして吐き捨てた。

 その瞳には心からの侮蔑とこの場に来たことへの後悔、そして時間を無駄にしたことへの憂いの念が読み取れた。それはリーヴも同様で、彼はその淡い水色の瞳を伏せる。



「ーーーーーー」


「……ここに来ることが無駄だったな。それに明日は魔王獣との決戦だろ?そんな日の真夜中に呼び出してお前が花を愛でるのを眺めさせる?ーーくっだらねぇ」



 そう言って、サクラはリーヴに背中を向けて人工的な花園を去っていく。彼女の帰っていく姿はどこか幻想的ながらも、リーヴは心の底から悲しみを向ける。

 その瞬間サクラは無刀ながらも腕を振るい、リーヴの頬を空気の刃が掠め、老躯の頬から血が滴る。


 ただでさえ腹立たしいのに憐憫を向けられる筋合いなど無い。彼女は、ただそれだけを考えていた。



「ーーっ」


「今更仲を取り直したいのか?……なら明日、その老躯で死に物狂いでライン君を助けてやれ。私からはそれ以上望まない。嫌なら、こちらから願い下げだ」


「……分かっておる。あの半魔の少年は、ワシがこの命を削ってでも守って見せよう。そしてワシはーー俺は、お前が望まないのなら仲を取り戻さなくて良い。この老躯で良いのならば、好きなように使い潰せ」


「ああ。ーー頼むぜ、()お仲間さん」



 そう言って、サクラは花を踏まないように配慮はしながらも早足で去ろうとしていく。その後ろ姿を、リーヴは何も言えないまま眺めているだけだった。

 彼女がここまでリーヴを憎悪しているのは分かる。だが、本当に心の底から憎悪しているのならば、そもそもリーヴに着いて行かない筈。


 それをしないというのは、憎悪抜きにしての彼女の照れ隠しなのかもしれない、とリーヴは推察した。



「リーヴ」


「ーー?」



 するといきなりリーヴは声をかけられる。その声は既に遠く、周りが静かじゃなければ絶対聞き取れないであろう、小さくもはっきりとした声だった。


 そしてーーーー、



「好きだったよ。昔は。……明日は、頑張ろうな」


「ーーー!?」



 400年拗らせてきたが巧妙に隠し続けた片想いを見抜かれた上で、昔の分の告白をされる。それにリーヴは心の底から驚愕し、その瞳をかっ開いて驚きを隠せなかった。

 彼女はこちらに向かって、ひらひらと後ろ手を振りながら去っていく。そのまま彼女はリーヴの視界に映らない場所にまで消えていき、リーヴは一人残される。


 しかしこのタイミングの告白ーー今日のこれ以上の会話は受け付けないという、最後通牒でもあった。



「ーーーーーー」



 ただ1人、月明かり差す花園に残されたリーヴは、己の腰に挿さっている指導用の剣の柄を指先でなぞる。人を斬る立場から人を守る立場へ、そして守る剣を教える立場へと変わって行ったことを、今でも新鮮に思える。

 だがその剣は、自分の想い人1人すら救いに行けないほどに脆弱なものであり、それを今回の想い人との直接の会話で思い知らされた。


 ーーー正直なところ、怖かった。今更迎えに行ったところで彼女が事切れてたら。生きてたとしても、自分のことを憎んでいたら。恨んでいたら。嫌っていたら。



「……意気地なし。ワシは……俺は、とんだ馬鹿だな」



 月明かりに照らされる老人は、自嘲気味に呟く。その水色の瞳には、この世の全てを恨むようなーー否、恨むのは己のみへと向けた、怒りの瞳の色だった。

 彼は目の前にあるさまざまな色の百合の花を虚ろに眺め、どこに向けたかすら分からない溜め息を吐いた。




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