03-戴冠式~そして彼らは動き出す~
戴冠式の1週間くらい前から王都に多くの人が訪れるようになった。それはここ数日でピークに達し、繁華街では歩くのも困難なほど多くの人がたむろしていた。それは平民階級だけでなく、貴族も例外ではない。予想していたよりも遥かに多い。
「っげー……人ってこんなに大量に集まることが出来るんだなぁ……」
「この程度、有明に比べればどうということはない。問題ではあるがな」
俺とハルは会場の片隅で警戒の目を光らせていた。老若男女、肌の色さえも違う様々な人々がダンスホールに集められた。2、3階のテラスまであるかなり本格的な作りで、王国の持つ力と言うものを改めて意識させられる。テーブルには多種多様な料理や飲み物があり、場を盛り上げるためにオーケストラ団めいたものさえいる始末。
「金掛け過ぎな気もするけどなあ。もっと質素に、こう……」
「あまり金を掛けなさすぎるとナメられる、というのもあるんだろうな。
一国の王なんだ、それなのに戴冠式さえまともに出来んと判断される。
痛し痒しだな」
見栄の世界か。金を持っていない人間にはマジで分からない世界だ。
入ってくる面子を確認するが、特におかしなところはないように見える。
「ホントに来るのかなぁ、もしかしたら思い過ごしって可能性も……」
「その通りなら、それ以上はないさ。もしもに備えるのが私たちの仕事だ」
ごもっとも。警察の仕事は抑止と、それから何かが起こった時の対応だ。今回俺たちがすべきことは後者。今回ばかりは、何かあったらマジで洒落にならない。
会場をぐるりと見回す。ホールの一番奥には王族が詰める、そこにシオンさんの姿はない。名目上王家の傍流に入るのだが、夫のナサニエル公が勘当されたので自動的に彼女も王家から外された。それでいてレニアとファルナの継承会議参加を承認したものだから、彼女の子供たちだけが王族席に着くという妙なことになっている。
彼女は他の貴族たちと同じようにホールの中から2人の身を案じていた。誰よりも近くにいたいだろうに、心中お察しするばかりである。彼女の姿は見えない、他の連中に隠れてしまっているのだ。恐らくは一番近くで見守っているのだろうが。
ホールの中心部は非常に混沌としている。身なりも様々で、豪奢な趣向を凝らしたものを着ているものもいれば最低限失礼にならない程度の衣服を纏っているものもいる。ストレートに彼らの金銭状況が反映されているのだろう。
ホールの右側にある来賓席には法衣を纏った人々が静かに佇んでいる。七天教会の高級司祭たちだ、とハルが教えてくれた。新たな王の誕生を祝するために、そして新たな王に釘をさすために来ているという。確かにあそこだけ雰囲気が違う気がする。
しかし1階部分にいるのは言ってしまえば十把一絡げの有象無象に過ぎない。
真の権力者はその上から地上を見下ろしている……と、ハルが言っていた。
「あいつらがこの国の真の権力者、か。確かに悪そうな顔してんなー」
「権力者が金に汚い悪い奴だってのはフィクションの悪影響だぞ」
そこまで言ってねえだろ。彼らが着ている服のグレードは、下階の者たちとは明らかに異なっている。今回の主賓であるドラコさんより、物だけで言えば上だろう。しかも誇るように多種多様な宝飾品を身に着けているのだから始末に負えない。纏っている法衣でさえも金糸で彩られて輝いている。守銭奴どもの会合ってところか。
彼らは貴族なら王国議会の重鎮、神官ならば『天翅の塔』の上層階に座する最上級司祭たちだ。表面上は余裕を保っているようだが、しかしその表情には苦々しいものがある。この間ドラコさんにやり込められたからだろう。ザマァねえや。
「えーっと、ドラコさん支持を打ち立てたのはだったっけか?」
「あそこだ。中3階にいる教皇セプタ。それからグルーマン委員長」
見上げて、2人を見る。彼らの周囲にだけは和やかな雰囲気が漂う。グルーマン委員長はロマンスグレーの髪が似合う老紳士。教皇セプタは髪をそり上げた老僧侶だ。七天を描いた法衣を着ており、これは彼のような最上位司祭にだけ着用を許されるものだという。
彼らの陣営がいなければ、ドラコさんは王になることが出来なかった。今後の世界において、彼らは大きな影響力を持つことになるだろう。
「勿体ぶってんな、しかし。いつになったら始まるんだ、コレ?」
「勿体ぶらなきゃ話にならないだろうが。それより、気を抜くんじゃない」
まだ始まんねえのかなぁ。どうせ奴さんもこの状況で動き出すほど馬鹿じゃないだろう、だったら何か始まらなければ何も始まらないのではないだろうか?
そんなことを考えていると、小さな影が俺の前に現れた。
「……ん? こんなところでどうしたんですか、ミーナ……様?」
ついついエラルド領にいた頃の感覚で、貴族を呼び捨てにしてしまいそうになる。如何に七天神教の武装神官であろうとも、無礼打ちにされても文句が言えないだけの行為だということをハルに教わった。あるいはそのためにこの小娘はここに来たのか?
ミーナはもじもじと体を揺らした。目も合わせようとはしない、何を考えているのか分からないが、この態度は結構イライラする。堪忍袋が切れる前に彼女は言った。
「この前のこと、その……
一応感謝しておくわ。死んでいたかも、しれないし」
「……それはどうも。護衛ながらに恐ろしい目に遭わせてしまってすみません」
「い、言いたいことはそれだけ。護衛の仕事、その……しっかりやって」
それだけ言って、ミーナは踵を返して貴族の輪の中に戻って行った。彼女から感謝されるとは思ってもみなかった。だからさすがに、面食らってしまった。
「よかったじゃないか、お前のことを認めてくれる人が1人はいた」
「あ、ってことはお前は俺のこと認めてくれてないわけね?」
「やることやってるのは認めるさ。けど、許容出来ないってだけの話だ」
よく分からない感覚だ。
言い合っていると、音楽が止まった。
「お集まりの皆様、お待たせいたしました!
これより、ドラコ=アルグラナ様がご来場いたします!
皆様、拍手でお出迎え下さい……!」
やたらと通る声で司会が言うと、洪水の如き音がホール内に響いた。
「戴冠式……これで世界が変わる、んだよな?」
「変わるといいな。少なくとも、いまよりはマシな感じに」
壇上にドラコさんが昇り、演説を打つ。七天神教の神官が神秘的な聖句を詠唱し、ドラコさんもそれに応じる。儀式はつつがなく、厳かに進んだ。
司祭が立派な台座に置かれた王冠を手に取る。ドラコさんは跪き、司祭がその頭に王冠を乗せる。その瞬間、動きがあった。人波の中から、先ほどまでいなかった人物が現れた。橡光満、俺は隣にいたハルに合図を出した。緊急事態だ。
ハルは印を描き、光満を狙って火炎弾を放った。人の間をすり抜けて炎が橡に迫る、だが光満は光の剣でそれを受け止めた。舌打ちするハル、足元に違和感。
見ると、いつの間にか半透明の液体が床に広がっていた。誰かが漏らしたかと、そういうのではなさそうだ。ハルを突き飛ばす、液体は意志を持ったかのように立ち上がり、俺の腕に絡み付いた。凄まじい力、ハルだったら腕を折られていただろう。
「対応が早いね、久留間くん。けど、残念ながら今回は僕たちの勝ちだ」
一瞬遅れて悲鳴が上がる。橡が指を鳴らすと、彼の周囲に光り輝く獣が現れた。陽光を受け幻想的に輝く凶獣たちが、恐ろし気な咆哮をあげた。室内の狂乱が加速するが、しかしこれが本題ではない。もっと別のところにある……例えば上に!
俺は天井から垂らされたシャンデリアを見上げた。そこには傘に足を絡め、宙づりになった女がいた。そいつはまるで重力を無視したかのように逆さまの状態で立ち上がり、シャンデリアを蹴った。加速を乗せ、一直線にドラコさんに向かって落ちる。
「その首、貰ったァーッ!」
両手には鋭利な片刃剣二刀。
ドラコさんが顔を上げる、避けられるか?
妨害は無理だ、俺は拘束され、ハルは立ち上がれない。
このままではダメだ。
「やっぱり、アンタを呼んで正解だった」
ジジジ。電磁的なノイズが響き、空間に電光が閃く。ドラコさんの前に黒い鎧を着た男が立った。彼は落ちてくる襲撃者の斬撃を手甲で受け止め、更に目にも止まらぬ動きで鞘に納めた長刀を抜き放った。反動で襲撃者はそれを避けようとするが、しかし間に合わない。脛を深々と切り裂かれ、鮮血と悲鳴が零れた。
「グググッ……やれたと思ったのに! 何なのだ!」
「私に気配を感じさせないとは……お前はいったい何者だ?」
両者は同時に同じセリフを発した。
彼は長刀を鞘に納め、襲撃者を睨んだ。
「……シャドウハンターです」




