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そばにいる資格を勝手に返納しないでください~疎遠になった年下幼なじみには、私の知らない事情があるようです~  作者: まの月


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前編

 魔法省に入って二年目。私は今日も、申請書の山とにらめっこをしていた。

 所属は魔導施設管理局の審査課。新しく造られる魔導施設の申請内容を確認したり、提出された点検記録を整理したり、必要があれば現地へ出向いて、書類と実際の設備に違いがないか確かめたりする部署だ。魔法省という名前から想像するほど派手ではなく、勤務時間の大半は紙と文字と数字を相手にしている。

 私は、この仕事をかなり気に入っていた。

 子どもの頃の事故で魔力機関の一部を傷めている私は、今でも強い魔法を使うと胸の奥に痛みが走る。小さな火を灯したり、少量の水を出したりする程度ならほとんど問題なくなったけれど、大きな魔法となれば話は別だ。だから、魔法省で働くならなるべく魔法を使わなくて済む部署がいいと思ってここを選んだ。

 魔法そのものが嫌いなわけではない。使えるものなら使いたいし、便利なものは便利に使う。ただ、痛いものは痛い。わざわざ無理をして格好をつける趣味もないので、私は自分にできる範囲で普通に働き、普通に暮らしている。

「ミレア、これ広報部に届けてもらえる?」

「はーい」

 先輩から書類を受け取ると、私はすぐに席を立った。広報部へ行く用事は嫌いではない。むしろ最近は、ちょっと楽しみだったりする。

 その理由は、魔法省の中庭にいる白い謎の生き物だ。

 少し前から、いつの間にか中庭へ現れるようになった。全身真っ白で、ころんと丸く、頭の上には耳なのか角なのか分からないものが二つついている。短い足でぽてぽて歩いたかと思えば、植え込みの下で何時間も動かなくなることもある。魔獣なのか精霊なのかすら分からないらしいが、害がないので今のところ誰にも追い出されていない。

 私は勝手に、まろっちと呼んでいる。

 理由は特にない。初めて見た時に、まろっちだと思った。それだけだ。

 中庭へ出ると、今日もまろっちは植え込みの横にいた。地面にぺたりと腹をつけ、前足らしきものを投げ出している。何をしているのかは分からない。

(いた)

 それだけでちょっと嬉しい。

(今日もかわいい)

 満足した私は、少しだけ足取りを軽くして広報部へ向かった。

 ちなみに私は、眺めるだけでは飽き足らず、すでにまろっちのぬいぐるみまで作っている。最初は一体だけのつもりだったのに、大きさ違いを作っているうちに三体になり、そのうち一体は職場の机の端に鎮座している。刺繍した布小物や小さな飾りまで増え始め、同僚からは最近「また増えた?」と聞かれるようになった。

 それを見つけたのが広報部の担当者だった。

 広報担当のルシェルは人当たりがよく、話しやすいうえに、なかなか顔もいい。まろっちのぬいぐるみを見つけた時も笑うどころか、「これ、広報に使えそうですよね」と妙に食いついてきた。

 私は最初、冗談だと思った。

 ところが話は思った以上に本気で進み、今では魔法省の広報用品として正式に商品化できないか検討されているらしい。私は趣味で作っていただけなのに、最近は刺繍の図案まで見せてほしいと言われている。

 このままいったら、そのうち広報部にまろっち担当として連れていかれるんじゃないだろうか。

 ……それはそれで悪くない。

 魔法、ほとんど使わなさそうだし。

 広報部へ向かう途中、中庭を抜けたところで、今度は別のものが目に入った。黒い髪と、周りの職員より頭一つ高い背。それだけなら見慣れているのに、女性職員が何人か近くにいるせいか、今日は妙に目についた。

(……なんだ、あれ)

 いや、誰なのかは知っている。

 カイル・エバンス。

 私より一つ年下の、昔の幼なじみだ。

 生まれつき桁外れに魔力量が多いうえ、魔法の扱いにもずば抜けて優れていて、今では魔法省でも名前を知られている若手の魔術師になっている。そしてどういう成長の仕方をしたのか、顔までやたらと整ってしまった。

 昔はそんなことを考えたこともなかった。

 私のあとをどこへでもついてきて、よく笑って、よく泣いて、一緒に遊んでいるだけで一日が終わっていた。一つ年下の、ただの可愛い男の子だった。

 それが今では、背は私よりずっと高くなり、黒髪黒目の整った顔で女性職員に囲まれている。

 本人はまったく笑っていないけれど。

(昔はあんなに笑ってたのに。表情筋、どこに置いてきたんだろ)

 周りの女性たちは楽しそうに話しているのに、カイルはいつもの無表情で必要なことだけ答えているようだった。あれで人が寄ってくるのだから、顔というものは強い。

 ふとカイルがこちらを見た。

 一瞬だけ目が合う。

 それだけだ。

 私はそのまま歩き、カイルもこちらへ来ることはない。

(まあ、昔は昔。今は今だよね)

 同じ魔法省に勤めているので、姿を見る機会自体は珍しくない。廊下ですれ違うこともあるし、中庭の向こうに見かけることもある。ただ、それだけだ。事故のあとから少しずつ避けられるようになり、今では言葉を交わすことすらほとんどない。

 幼なじみだったという事実だけは残っているけれど、今のカイルは、下手をすれば同じ部署のほとんど話したことがない職員より遠い。

 だから私も、もう昔のような関係だとは思っていない。

 広報部へ着くと、ルシェルが私を見つけてすぐに笑った。

「ミレアさん、ちょうどよかったです。試作品が届いたんですよ」

「私もちゃんと仕事で来ましたからね。先にこれ受け取ってください」

「分かってますって」

 書類を渡すと、ルシェルは机の引き出しから小さな布包みを取り出した。開いた中から出てきたのは、手のひらに乗るくらいの白くて丸い何か。

「……まろっち」

「どうです?」

「かわいいです。すごい。この何なのかよく分からない感じがちゃんと残ってます」

「褒めてます?」

「ものすごく褒めてます」

 職人に頼んで作ってもらったという試作品は、私が作ったぬいぐるみより綺麗に整っているのに、肝心の妙な脱力感は失われていなかった。

「名前もこのまま『まろっち』で進められますかね」

「え?」

「何か問題あります?」

「まろっちって、私が勝手に呼んでるだけですよ」

 ルシェルが止まった。

「正式名称じゃないんですか?」

「知りませんよ、正式名称」

「知らない生き物のぬいぐるみ作ってたんですか?」

「かわいかったので」

 何が問題なのだろう。

 ルシェルはしばらく私を見たあと、耐えきれなくなったように笑い出した。失礼な。こちらは真剣である。

 そのまま次の試作品について話していると、広報部の入口の向こうを黒い影が横切った。何気なく顔を向けると、廊下を歩いていたカイルだった。

 ちょうどこちらを見ていた気がする。

 目が合った瞬間、いつもの無表情のまま視線だけが少し冷たくなったような気がした。

(……なに)

 私が何かしただろうか。

 考えてみたけれど、思い当たることはない。そもそも最近まともに話してすらいない。

 気のせいだろう。

 私はすぐにまろっちへ意識を戻した。

 数日後、仕事で申請書に埋め込まれた魔力印を確認するため、小さな識別魔法を使った。ほんの少し魔力を流すだけなので、胸の奥にちくりとした痛みが走ったものの、この程度ならすぐに消える。

 確認を終えた時、開いた扉の向こうを数人の職員が通り過ぎた。

 その中にカイルがいた。

 カイルはこちらを見ていたわけではないはずなのに、私が魔法を使い終えた直後、ほんの一瞬だけ眉間に皺が寄った。

(まただ)

 たまにある。

 私が魔法を使ったあと、偶然近くにカイルがいると、あんなふうに一瞬だけ顔をしかめることがある。

 別に何か言ってくるわけでもないので、理由は分からない。

(そんな顔するほど下手だった?)

 自分では普通にできているつもりなのだけれど。

 まあ、何か思うことがあるなら向こうから言えばいい。どうせ話すこともない相手の表情について考え続けても仕方がない。

 それにしても、普段はほとんど動かないくせに、あの眉間だけは時々よく働く。

(そこだけ忙しいな)

 若いうちからそんなに使っていたら将来大変だぞ、と余計な心配だけして、私は次の書類へ手を伸ばした。

 魔法を使った時の痛みは、昔はこんなものではなかった。

 事故の直後は、小さな火を灯すだけでも身体の奥を抉られるように痛んだ。治療を担当した医師からは、成長とともに身体と魔力機関が安定してくれば、痛みが軽くなる可能性もあると言われていた。

 十四歳の頃、それまでとは比べものにならないほど楽に魔法を使えるようになった。

 小さな火を灯しても、ほとんど痛くない。驚いて水を出してみても平気で、少しだけ魔力を強くしてみても耐えられないような痛みは来なかった。

 医師に言われていたように、成長して魔力機関が安定してきたんだと思った。

 嬉しくて仕方がなかった。

 そして私は、真っ先にカイルのところへ行った。

 もうその頃には、事故より前のように一緒に遊ぶこともほとんどなくなっていた。それでも、魔法が使えるようになったと知ったら、カイルも一緒に喜んでくれる。私は勝手にそう思っていた。

 目の前で魔法を使ってみせた私に、カイルは少しだけ顔をしかめた。

「魔法なんて誰でも使えるだろ」

 返ってきたのは、それだけだった。

 何を感じたのかは、今でもうまく説明できない。

 怒ったのかもしれないし、傷ついたのかもしれない。ただ、嬉しくて仕方なかった気持ちが一瞬ですっとしぼんだことだけは、よく覚えている。

 昔ならきっと、一緒になって喜んでくれた。

 そう思っていたから余計だったのだろう。

 それから私は、ますますカイルへ自分から近づかなくなった。

 私たちが変わったきっかけになった事故について、私自身はほとんど覚えていない。街外れで魔獣に襲われたこと。強い光を見たこと。身体が痛かったこと。そして次に目を覚ました時には治療院にいたこと。その程度だ。

 あとから母に聞いた話では、私を人のいるところまで連れ帰ったのはカイルだったらしい。

 まだ小さかったカイルは自分も怪我をしていたのに、意識を失った私をどうにか引きずるようにして運んできた。大人たちに見つけられた時には二人とも血だらけで、カイルは泣きながら何度も私の名前を呼び、私を助けてくれと訴えていたという。

 今のカイルしか知らない人には、たぶん想像もできないだろう。

 私だって時々、あの頃のカイルと今のカイルが同じ人なのか不思議になる。

 私にとってあの日のカイルは、私を助けてくれた人だった。

 ただ、そのあと少しずつ離れていってしまったことの方が、子どもの私にはずっと寂しかった。

 まあ、それももう昔の話だ。

 今の私には仕事もあるし、仲のいい同僚もいる。それに最近はまろっちもいる。広報部では本気で商品化の話まで進んでいるので、人生というのは何が起きるか分からない。

 そんなある日、新しく完成した魔力供給施設の安全チェックへ同行することになった。

 確認は二日間にわたって行われる。一日目は建物や導管、安全装置、避難経路などが申請された内容どおりに造られているかを確認し、二日目には実際に魔力動力炉を稼働させて、魔力の流れや緊急停止装置が正常に働くかを調べる予定だった。

 私たち審査課の仕事は書類と設備の照合が中心で、動力炉そのものの安全確認や魔法を使った検査は専門部署が担当する。

「大きな魔法を使う作業はないから安心して」

 先輩にそう言われ、私は迷わず同行を引き受けた。

 王都から馬車で二時間ほどの場所に造られた施設は、資料で見ていたよりずっと大きかった。中央には巨大な魔力動力炉があり、そこから太い導管が何本も伸びている。一日目はまだ本格的に炉を動かさないので、職員たちは建物の中を行き来しながら、それぞれ担当する場所を確認していた。

 安全管理を担当する部署の中には、カイル・エバンスの姿もあった。

(いるんだ)

 それほど驚くことではない。魔法省で働いていればカイルを見かける機会は普通にあるし、この規模の施設なら彼が安全確認に参加していてもおかしくない。

 ただ、仕事先で一日中同じ建物にいるというのは少し珍しい。

 とはいえ部署が違うので、話すことはなかった。

 私は私の仕事をして、カイルはカイルの仕事をしている。それだけだ。

 一日目の確認は大きな問題もなく終わった。

 夕食は同じ宿に泊まる審査課の同僚たちと取ることになり、仕事の話をしていたはずが、いつの間にか安全管理側の職員の話になった。

「私、今日カイル・エバンスさんとお話ししてしまったの!」

 向かいに座っていた同僚が、思い出したように声を弾ませた。

「えっ、いつ?」

「午後の確認の時。安全装置の場所を聞いただけなんだけど、ちゃんとこっち見て答えてくれて」

「いいなあ!」

 別の同僚まで身を乗り出す。

 そんなに盛り上がることだろうか。

 いや、気持ちは分からなくもない。カイルは魔法省の中でも目立つし、顔もいい。姿を見る機会はあっても、部署が違えば話す機会まではそう多くない。

「思ってたより声も素敵だった」

「分かる。あの人、ほんと格好いいよね」

「ミレアも今日見たでしょう?」

「まあ、何度か」

「近くで見るとさらにすごくない?」

「……背は高いよね」

「そこ?」

 何を求められているんだ。

 私が知っているカイルは、今みたいに遠巻きに見られてきゃあきゃあ言われるような人ではなかった。昔は私のあとをついて走り回って、転べば泣いていた。

 もちろん、そんな話はしなかった。

 隠しているわけではない。

 ただ、今の私とカイルは、幼なじみだとわざわざ説明するような関係ではなくなっている。

 昔は毎日一緒にいた。

 今は廊下ですれ違っても言葉を交わさない。

 それだけのことだ。

「明日も来るよね、カイル・エバンスさん」

「安全確認担当なんだから来るでしょ」

「ちょっと楽しみ」

 楽しそうな同僚たちを見ながら、私は食後のお茶を飲んだ。

(昔はもっとにこにこしてたんだけどな)

 口には出さなかった。

 二日目はいよいよ魔力動力炉を実際に動かしての稼働試験だった。

 朝から施設内には前日より多くの職員が配置され、安全管理側は動力炉の周辺で魔力の流れや制御装置を確認している。私たち審査課は少し離れた場所で、稼働時の記録と申請書の内容を照らし合わせることになっていた。

 動力炉へ魔力が流れ始める。

 低い駆動音とともに、太い導管の内側を淡い光が走った。

「第一段階、正常です」

 声が飛び交い、職員たちが次々と数値を書き込んでいく。

 最初は何の問題もなかった。

 第二段階へ出力を上げても、数値は安定している。

 私は記録を確認しながら、昨日教えてもらった菓子屋へ帰りに寄れるだろうか、などと考える余裕まであった。

 ところが、次の瞬間だった。

 建物の奥から、腹の底を震わせるような低い音が響いた。

「……今の何?」

 隣にいた同僚が顔を上げる。

 私も動力炉の方を見た。

 導管の一つが、青白く明滅している。

 安全管理側の職員が一斉に動き出した。

「魔力逆流! 出力を落とせ!」

 警報音が鳴り響き、施設の空気が一瞬で変わった。

「審査課は退避してください!」

 指示を受け、私たちはすぐに出口へ向かった。

 その途中で、悲鳴が聞こえた。

 振り返ると、通路の奥で一人の作業員が崩れた資材に足を挟まれている。その頭上では、固定具の外れた巨大な導管が、嫌な音を立てながらゆっくりと傾いていた。

 落ちる。

 周囲を見る。

 安全管理の職員たちは暴走しかけた動力炉の制御に集まっていて、こちらへ走ってくる人影はない。

 一番近いのは私だった。

(いやいやいや、聞いてない)

 大きな魔法は使わないって言ってたじゃない。

 もちろん先輩が悪いわけではない。事故まで予定に入れられる人はいない。

 でも、このままでは間に合わない。

 私は抱えていた書類を床へ落とし、傾く導管へ両手を向けた。

 あれを受け止めるだけの障壁を作る。

 それには、普段なら絶対に使わない量の魔力が必要になる。

(あとで絶対、めちゃくちゃ痛いやつ……!)

 分かっている。

 それでも、目の前にいる人を見捨てる方が無理だった。

 私は一気に魔力を集めた。

 その瞬間、胸の奥を鋭い痛みが貫いた。

「っ……!」

 息が止まりそうになる。

 久しぶりの痛みだった。

 小さな魔法を使った時とは比べものにならない。身体の内側を直接掴まれているような痛みに膝が震えたけれど、それでも魔法を止めるわけにはいかなかった。

 導管が大きく傾く。

 私は歯を食いしばり、さらに魔力を流した。

 白い障壁が作業員の頭上へ広がる。

 もう少し。

 あと少しだけ。

 そう思った時だった。

 施設の向こう側から、聞いたこともないほど切羽詰まった声が響いた。

「ミレア!!」

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