第9話 指輪の思い
私の初給料日。
凄く感慨深かった。私の人生で、初めてお給料を手にしたわけじゃないけど。
でも、航ちゃんが斡旋してくれた職場で貰う、お給料。
これを手にするまで、長かった……。色んなことあって、ありすぎて、頭が時折爆発しそうになったけど、でも。
仕事帰りに銀行に寄ってもらって、全額引き下ろしてまとまったお金を手にした時には、何か凄くじーんと来てしまった。
しばらくその余韻に浸りながら、路上に車を停めて待っていてくれた航ちゃんの元へと戻ると。
「遅ぇ」
煙草を吸いながら、普段はちっとも優しくない私の婚約者が吐き捨てた。
……なんでこんな言い方しか出来ないんだろうか。
もっと優しく私を労わろうとかいう考えを持たないんだろうか!
……そう思うけど、言うと後がおっかないから、唇を尖らせて大人しく助手席に乗り込んでシートベルトを締めると、車はこの先にあるデパートに入っていった。
きらきらと輝く指輪とかネックレスとかイヤリングとかが陳列されている店に入った航ちゃんは、真っ直ぐメンズものの指輪のコーナーに向かっていった。
リサーチ済みだったんだろうか。
侮れない。
さすが営業一位……。
そんなことを思う私は、黙って航ちゃんの後に従う。
そして航ちゃんは、小さいメンズリングを収めた小さなショーケースを眺め、
「種類無えな」
と呟きながらも、「まあどれでもいっか」と口にして、私に目を向けた。
「どれがいい」
どれがって、私が選んでもいいのかな?
一緒になって覗き込むと、……本当に種類が無い。
三種類くらいだろうか、シンプルなものって。
後はなんかパンク系の人がしてそうなものとか。トゲトゲついてたり。
やくざ系の人がしてたりしてそうなものとか。デカい石がついてたり。
そんなのばっかで、まともなのって、最初に見た三種類くらいしかなかった。
「……」
「……この中でどれがいい」
そう言われても!! ていうか、他の店を見て回る気は無いんだ! 少しでも気に入ったのを選ぼうって気は、さらさら無いわけ!?
面倒くさい感満載なんだけど! もうどうでもいい感漂ってるんだけど!!
俺、指輪ってもんを手に入れられれば、デザイン全然気にしねえって、顔に書いてあるんですけど!!
……凄いテンション落ちる。
ぶっちゃけどれでもいいよって言いたかったんだけど、うんうん言いながら眺め、店員さんに指輪を出してもらって航ちゃんの指に合わせて更に唸り。
結局、舌打ち交じりに「早くしろ」って煽られて、『誰の選んでやってんのよ。あんたのでしょ!?』って眼差しを向けたら、目を眇めた絶対零度を送られてきたので、すぅーっと目線を逸らしつつ。
「これがいいんじゃない?」
と、細い……かなりの細さの銀色のリングを摘み上げた。
他のリングは、一つはゴールド、18金だった。航ちゃんのキャラでゴールド……ちょっと危険な香りがするような気がした。
何か脳内で、バスローブに身を包んでブランデーを傾けてるみたいなイメージが沸いて却下。
もう一つは、私が摘んだ指輪と同じような色合いだけど、素材がシルバー。
それは手入れが面倒で、航ちゃんだったらすぐに真っ黒にしちゃうんじゃないかって思った。シルバーは、磨かないと変色しちゃうから。
真っ黒になっても平然と嵌めてるかもしんないって思ったら、プラチナで極細の指輪の方がマシかもしんないって思った。
「……てか、これしか無いんじゃない?」
と、心の中で思っておいて、そう言うと。
航ちゃんは私から指輪を取り上げて、ぶかぶかのそれを指に嵌めてみた。
「これか」
「うん」
「そうか。それじゃ、これください」
早っ!!
店員さんににこやかに手を差し出し、サイズを測ってもらって、そして在庫があることを確認し。
航ちゃんは私の肩をぽんと叩いた。
「んじゃ、あとよろしく」
よろしくって!! その後お会計まで、私放置!?
ぶーたれた私を本気で放置して、航ちゃんはブラブラと店内を見回っていた。
やがて店員さんが航ちゃんサイズの指輪を持ってきてくれて、ちゃんとラッピングまでしてくれて。
「素敵な彼氏ですね」
なんて言われて、ちょこっと照れた。
見た目はね。うん、見た目はすこぶる良いの。中身は付き合うと大変だけどね。神経すり減らし、胃に穴が開くような思いするけど―――でも。
「えへ。ええ、優しいんです、あの人」
そうノロケながら財布を開き、航ちゃんの宣言どおり、一万円を割る指輪を購入した。
……もっとお金掛けても良かったのに。私が貰った指輪、これの何十倍なんだろ?
そう思いながらも、貰った小さな袋をぶら提げて航ちゃんの元へと行こう振り返ったら、その航ちゃんがカウンターに来てた。
「ラッピングはしないでいいです」
そう言いながら、全開の別人スマイルを浮かべているので、自分の欲しいものがあったのかと思い、私もその後少しだけ、店内散策をした。
航ちゃんの部屋って、つまんない。
無機質っていうか、航ちゃんのカラーがない。
色々ゴチャゴチャ置いていることなく、全てがビシッと収まってるって感じ。機能性を重視する航ちゃんらしい部屋。
その部屋の中で、私は胡坐を掻く航ちゃんに、ラッピングされた箱を差し出した。
「はい」
他に何を言えばいいのか分かんない。
だからそれだけ言って差し出したら、航ちゃんは不機嫌そうに眉を寄せ、
「開けてから寄越せ」
って言った。
プレゼントって普通、包装紙に包まれた状態で渡すんじゃないの?って思ったんだけど、反論すると長くなるのを悟っている私は大人しくそれに従い。
航ちゃんの目の前で、ぱこっと箱を開けてあげた。
「……」
「どうぞ?」
「……」
それでも無言の航ちゃんの手を取り、じれったくなった私が指輪をするりと嵌めてあげた。
もちろん、左手の薬指。
さっすがサイズ計ってきただけあってピッタリだった。
大満足の私の身体が突然引っ張られ、……たかと思ったら。
航ちゃんの腕に抱かれていた。
「……優香」
「な、なに?」
突然のことで驚いていると、私の耳元すぐに、航ちゃんの声が囁かれた。
「ありがとな」
……嬉しく思ってくれてるのかな。
こんなんでも、喜んでくれてるのかな。
そう思った私は、照れ隠しに、
「もっと高いのでも良かったのに」
「……いや、いい」
「何で? 他のお店も、もっと回ればよかったね」
「……いい。これが、いい」
そう言って身体を離した航ちゃんの顔は、凄く柔らかくて……とても嬉しそうだった。
それを見て、私は、胸が苦しくなるほどキュンとなったんだけど、でも恥ずかしいからそれを出したくなくて。
目線を外して、何か誤魔化しの言葉を言おうと模索していたんだけど。
首筋に、違和感を感じた。
そして手をそこに当てると、していなかったネックレスが付けられている。
指先で辿ると、飾り一切ない、鎖だけのネックレスだったことが分かる。
きょとんとして航ちゃんを見上げていると、いまだ自分に嵌められた指輪を眺めていたと思ったら、不意に私に目を向けて、私の首筋に目線を落として……
「似合ってる」
そう、微笑んだ。
そして手を伸ばし、私をもう一度抱きしめて、その後無言のままに私にキスをした。
触れるキスから、私の腰が砕かれちゃうようなキスまで、何度も何度も繰り返した。
その後、ベランダからじゃなく、ちゃんと私の家の玄関まで送り届けてくれた航ちゃんの手には、細くてちゃちいけど、しっかりとプラチナの輝きが光ってた。
あれ、会社で嵌めてくれんのかな。本当に、嵌めてくれんのかな。
航ちゃんのキスの嵐のお陰で、脳内ぼんやりとさせながらもふとネックレスを外すと、それは細いゴールドのスクリューチェーンだった。
あの店で、選んで買ってくれたのかな……。あの指輪のお返しのつもりで買ったのかな……。
そう思うと、笑みが思わず浮かんでくる。
そして、航ちゃんの思いも伝わってくる。
そうね、航ちゃん。
私、このネックレスして、会社に行くね。
誰にも気付かれなくてもいい。
航ちゃんだけが分かってくれていればいい。
私が航ちゃんのものだって、その証だって。
航ちゃんだけに分かる、内緒の暗号だもんね?
手にしたネックレスを付け直し、その感触を手のひらで撫でて記憶した。
明日、お礼を言おう。ちゃんと言おう。
チェーンを両手で包み込み、そこに額を当てて。
蹲りながら、私って相当幸せなのかもしんないって思った。




