第一章(3)
アリシアは休暇の申請をするため、所属する第二騎士団の団長室へと向かう。
第二騎士団団長室。そう書かれた部屋の扉をノックすると、中から返事が聞こえた。部屋に入るなり、団長は「今日は、特に伝達事項はない」と言う。だが、アリシアが訪れたのは、そんな用件のためではなかった。
「団長……私、実家に戻りたいんです。だから――」
「な、なんだって?」
慌てた団長が立ち上がり、椅子が勢いあまって倒れた。執務用のしっかりとした椅子であったのに、彼の勢いに負けたようだ。アリシアからすれば父親と同年代の彼は、やはりアリシアを娘のように可愛がってくれた。
「いや、ちょっと待て……なんで、突然……」
なんの前触れもなく、アリシアが実家に戻るだなんて言い出したものだから、団長は混乱している。しかも昨夜は王太子の結婚パーティーとめでたい催しがあったばかり。
「辞めないでくれ」
「へ?」
「え?」
アリシア口をぽかんと開けると、団長も情けない声をあげる。
「あの……騎士団を辞めるつもりはないのですが。それともやはり、結婚したら辞めたほうが……?」
「あ、いや、どうやら私の早とちりのようだな」
気を取り直して、団長はコホンと空咳をすると、椅子を起こして座り直す。
「それで、実家に戻りたいというのは?」
「はい。結婚を考えている人がいるので……」
「結婚? 結婚するのか?」
また勢いよく立ち上がるものの、今度は椅子は倒れなかった。
「はい、今すぐではないのですが……」
「そうか。それはめでたいな。だが、先ほども言ったように、君に辞められたら困るから、できれば結婚後も続けてほしい。もしかして、相手が騎士を辞めろと?」
団長の思い込みにアリシアはぶんぶんと首を横に振る。
「そうか、それならいいんだが……ところで、実家に戻りたいんだったな?」
「はい。だから休暇を申請しようと思ったのですが……」
「問題ない。君の働きぶりは認めているし、そろそろ休暇をとらないかと声をかけようとしていたところだ。王太子殿下も蜜月に入られたから、我々の仕事も幾分か楽になっている」
アリシアは、ほっと胸をなでおろした。
「では、休暇は一か月くらいでいいか?」
「そんなにいただけるのですか?」
「実家に戻るのだろう? 移動だけで四、五日かかるのでは?」
結局、団長の提案通り、アリシアは一か月の休暇を取ることとなった。
それからジェイラスに休暇をとること、一か月ほど実家に戻ることを伝えると「向こうに着いたら手紙をくれ」とぎゅうぎゅうと抱き締められた。
二日後、必要最小限の荷物を手に、ゆったりとしたワンピースをまとったアリシアは、馬車乗り場へと向かった。
街はどこか浮き足立っているようだった。市場の喧騒や行き交う人々の顔には、いつもより明るい喜びが漂っている。
アリシアが田舎のガネル子爵領に戻るには、港街サバドを経由しなければならない。そこで馬車を乗り換え、緑豊かな丘陵を越えて北へ進んだところに領地がある。
荷物片手に馬車乗り場へと向かっていたアリシアだが、肩に鳩がぱさっととまった。
「くるっぽ……」
「ぽっぽちゃん。あなた、ついてきたの?」
伝書鳩のぽっぽちゃん。
アリシアの相棒のような存在だ。遠くにいる対象者に、素早く正確に手紙を運ぶ。
しかし、ぽっぽちゃんは第二騎士団で管理している伝書鳩であるためアリシアの所有物ではない。誰かが鳩小屋を開けたときにするっと飛び出てきたに違いない。
帰りなさいと言っても帰らないだろう。ぽっぽちゃんはなぜかアリシアになついている。
ぽっぽちゃんは伝書鳩の中でも訓練された優秀な鳩であり、二百キロ以上離れた場所でも難なく手紙のやりとりができる。
二百キロといえば、王都セレからガネル子爵領までの直線距離くらい。馬車を使って向かうにはもう少し距離はあるが、ぽっぽちゃんなら、一日で王都セレとガネル子爵領を行って帰ってくることができるので、ぽっぽちゃんがいればジェイラスとのやりとりもぐっと楽になる。
「私があなたを連れ出したって思われなければいいんだけど……」
ぼそりと呟くと、まるでその言葉を理解したかのように「ぽっぽっ」と鳴く。
「でも、あなたは馬車には乗れないわよ?」
問題ない、とでも言うかのようにハト胸を張ったように見えた。
アリシアが馬車乗り場でサバドの街へ向かう馬車の時間を調べようと足を向けたとき、ぽっぽちゃんがアリシアの服の裾をくちばしで挟んだ。
「ぽっぽちゃん?」
アリシアの向かう先とは反対方向に服を引っ張った。アリシアをどこかへ連れて行こうとしている。
「わかった、わかったから。引っ張らないでちょうだい」
その言葉に満足したのか、ぽっぽちゃんはアリシアを導くように軽やかに飛び去った。
「ちょ……どこにいくの?」
ぽっぽちゃんは、アリシアが見失わない程度の速さで飛んでいく。鳩を追いかけていくと、大きな通りから外れて細い路地に入った。さらにその奥で、人の塊が見える。
「あなたたち、何をしているの?」
いくら下っ端の伝令係であったとしても、アリシアは騎士。騎士道に反する行いをする者は見逃せない。
複数の男がか弱い女性たちを囲っているのだ。小さな女の子と成人した女性が二人で、計三人。
「んあ? なんだ? おまえ……」
いかにも柄が悪いですといった口調の男たちは、全部で四人。
「助けてください!」
残念ながらアリシアは帯剣していない。しかもひらひらとしたワンピース姿だ。
「ぽっぽっぽっ……」
ばさばさっとぽっぽちゃんが男に襲いかかり、鋭いくちばしで顔をつつく。
「うわ、な、なんだ、この鳥」
そこでアリシアはひらめいた。いくら騎士として鍛えているアリシアであっても、一人で四人は厳しいため、ピーっと指笛を吹いた。
するとどこからか羽音が聞こえてきたかと思うと、わっと一斉に鳥たちが男らに襲いかかる。ピーチクパーチク、チュンチュンチュン、バッサバッサと、一羽一羽は小さな個体であっても数が揃えばそれなりの脅威となる。
「今のうちにこちらに」
アリシアは男の油断した一瞬をつき、母子の手を引いた。急ぎ足で路地を抜け出し、街を巡回する騎士の姿を見つけ出した。
アリシアは近づき、息を整えながら告げた。
「路地裏に怪しい男がいて、善良な市民を脅しています」
やがて明るい広場にたどり着き、人々の笑い声や道化師の声が響き、活気が辺りを包んでいる。
アリシアはそこで母子の手をそっと放し、ほっとした表情で彼女たちを見つめた。
「ここまで来れば大丈夫だと思うのですが……」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
女性のうちの一人が何度も頭を下げる。少し癖のある茶色の髪は艶やかに波打ち、控えめな化粧に宝石のような青い目が映えている。見るからにお金持ちの家の人、という感じがした。女性が手を繋いでいる女の子は、その女性にそっくりだ。髪の色も目の色も同じ。ただ髪の毛は兎の耳のように二つに結わえてあり、もう一人の女性は、年配の女性であった。
「私はモンクトン商会の者で、コリンナと申します。娘のシェリーと侍女のサマンサです。なんとお礼を申し上げてよいのやら……あの……お名前を……」
モンクトン商会といえばこの国でも名の知れた大きな商会である。
「いえいえ、名乗るほどの者でもありませんから」
これから実家に戻るところで急いでいるし、騎士であるアリシアにとって、困っている人がいたら助けるのは当たり前なのだ。
「そんな……ですが、何かお礼を……」
「お礼だなんて。私にとっては、当たり前のことをしただけですから」
「それでも、あなた様も女性で、相手は男性が四人もいたのに。下手すればあなた様だって」
コリンナが申し訳なさそうに顔をゆがめている。
「ですから、気にしないでください。私にとって困っている人を助けるのは当たり前のことなんです。それに、ここに優秀な相棒がいますから」
「ぽっぽー」
いつの間にかアリシアの肩に戻ってきたぽっぽちゃんは、ご機嫌な声をあげる。
「とりしゃん、ありがとね。わたし、シェリーよ」
「ぽっぽっ」
ぽっぽちゃんはシェリーを気に入ったようだ。
「え、と。では、私はこれで。乗り合い馬車に乗りたいので……」
「馬車ですか?」
なぜかコリンナの顔がきらりと輝いた。
「どちらに行かれるのです? よければ一緒に行きませんか?」
魅力的な誘いだ。だが、「はい、喜んで」とも言えない。
「ご迷惑をおかけするわけにはいきませんから。この時間でしたら、まだ乗り合い馬車もありますし」
「ご迷惑だなんて、むしろ一緒にいてくださったほうが心強いです」
ね、とコリンナはサマンサと顔を合わせて頷き合う。
「例えば……目的地まで私があなた様を護衛として雇うとかはいかがでしょう?」
アリシアはコリンナが向けるこの熱い視線を知っている。羨望の眼差しだ。崇拝かもしれない。憧れとか、そういったもの。これを断るのはなかなか至難の業であるし、むしろ護衛として雇ってくれたうえで目的地まで馬車に乗せてもらえるのであれば、一石二鳥というより三鳥くらいだろう。




