第八話 後日談
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「ねえ、休んじゃダメ?」
「ダメだよ。遅れている分、頑張らないと」
カラフルな髪型をしたぬいぐるみに見守られた部屋で、優人は苦笑する。対面に座る結弦が机に突っ伏す。
「勉強したくなーい」
「分からなくはないけど、高校に行くためには必要だからね」
「……なんか、最近変じゃない?」
「そ、そうかな」
「絶対そう。前の優人なら、私の嫌がることなんて絶対にしなかったのに」
その言い方だと嫌がらせをしているみたいなのでは。そう思ったが、優人は何も言わないことにした。
最近、やっと全身の痛みが抜けてきたのだ。もし結弦を怒らせて叩かれでもしたら、しばらく動けなくなる。
それに、ここ数週間の話を正直にするわけにもいかない。
「こら、優人くんを困らせるなよ」
木目のドアが開いて、お盆を持った守が入ってくる。教科書とノートが広げられた机に、お茶の入ったコップが置かれた。
「そうやって話してる間にサボろうと思ってるのは、バレバレだからな」
「ちぇっ……」
わざとらしく舌打ちした後、結弦が不服そうに守を見上げる。
「お父さんのケチ」
「ケチで結構」
「本当にうざいんだけど」
「うざいって言葉をあまり使うなよ。流石に傷つくから」
言い合う二人に苦笑しながら、優人はスマホを確認する。
「そろそろ休もうか。結構、集中したし」
「やったー。続きが気になってたんだよね」
ベッドに置いてあった文庫本を手に取り、結弦が読み始める。
「あんまり甘やかさないでね」
「まあ、たまにはいいじゃないですか」
結弦が本に集中しているのを横目に、優人は何気ない風を装って、守に質問する。
「この間、七連勤したって聞きましたけど、大変でしたね」
「まあね。急遽だったから、結弦にも連絡できなくて優人くんには迷惑をかけたね」
守が申し訳なさそうな顔をする。嘘をついているようには見えないので、優人は内心で安心する。
「全然いいですよ。結弦が怒ってないかが心配で」
「うん。代休はもらえたから、久しぶりに結弦と過ごそうかなと思ってね」
「それは良かったです」
そう答えると、どうやって結弦のやる気を引き出そうか、頭を悩ませた。
❇︎ ❇︎ ❇︎
結弦のマンションを出た優人は、暗くなり始めた住宅街を歩きながら、家へと向かっていた。
結局、休憩後はラノベの続きが気になって集中できず、早めに勉強は終わった。明日は少し時間を増やそうと密かに決める。
守の様子も以前と変わらないように見えて、優人は安心していた。もし、そうじゃなかったらと思うとーー。
その先の考えを振り払うように、優人はまっすぐに家に向かう。
冷蔵庫の中にある食材を思い浮かべながら、家につながる曲がり角を曲がる。
「やっと帰ってきたか」
電柱に体を預けた帝野が無表情でこちらを見る。もしかして、優人が来るまで待っていたのだろうか。
「あの男の様子はどうだ?」
「きちんと忘れてるみたいですよ」
「そうか……だが、しばらくは監視させてもらう」
何を考えているのか読めない黒い瞳に見つめられて、優人は黙り込む。
智久の魔力が完全に消滅した後、守は正義の魔王に明け渡された。その際、優人もついていったのだが、危うく守が殺されるところだった。
智久が過去に行ったことはそれほどに大きな出来事のようで、帝野を必死で説得し、なんとか記憶を消すことで許してもらっている。
だが、監視する必要があるとされ、監視役が来るまでは、帝野がネムの護衛役と兼任することになっている。
今は連勤だったということになっているが、万が一に記憶が戻れば、今度こそ殺されてしまうので、優人としてはなかなか気が抜けない。
「そういえば、ネムさんはいいの?」
「ああ。私の結界はそう簡単には破られないからな」
なぜか、帝野の優人を見る視線が鋭くなっていく。
「暴食の権能者でなければ、な」
「悪いことなんてしませんよ」
「今はな。だが、これからどうなるかは分からない」
見るからに警戒している帝野に、優人は苦笑するしかなかった。
今までは特に暴れることはなかったので危険視されていなかったようだが、今回の智久のことで、優人を含む暴食の権能者の脅威が再確認されたらしい。いずれ、優人も監視されそうな気がしていた。
「もう用は済んだし、帰る。長那和の様子も見なければならないし」
足速に立ち去る帝野を見送った後、優人は家へと戻る。
誰の気配もしない家の中は真っ暗で、結弦や守の家に行った直後だからか、静かに感じた。
廊下を進み、明かりのついていないリビングに入ると、冷蔵庫のわずかな光だけが漏れていた。冷蔵庫の前には、黒い人影が浮かんでいる。
壁際のスイッチを押すと、周囲が一瞬で照らされる。
いつの間にか家に侵入しているライダースーツの女性ーー千影が振り返る。長い黒髪が動きに合わせて波打っていた。
何か食べているようで、もごもごと口が動いている。何度見た光景だろうと思いながら、優人は呆れたように息を吐く。
「冷蔵庫のものは食べないでくださいって、言ってますよね? また勝手に侵入して、いい加減にしてください」
「もご、もごもごもご」
「食べてからしゃべってください」
優人が冷蔵庫の中を覗く。昨日大量に買ってあったはずの食材が、ほとんど残っていなかった。
今月の食費を計算している間に、千影は全ての食べ物を飲み込む。
「腹が減ったんだ。待ってられるかよ」
「それでも、現実に出たら消えるかもしれないんでやめてください」
「まあ、いいじゃねえか。そんなケチケチすんなって」
バシバシと背中を叩かれた優人は、言い返す気力もなくなってくる。近所のスーパーに行こうと、冷蔵庫をバタンと閉じる。
「さっさと晩飯食って、修行しようぜ」
「遠慮します。そういうのは苦手なので」
「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ。私の後継者として知られたんだ。次々と狙ってやってくるだろうぜ」
いたずらっ子のような、恐ろしい笑みを浮かべる千影。
「誰かを傷つけるのは嫌なんですけど」
「そう言ってても、向こうは待ってはくれないぜ」
なぜか体がウズウズしている千影を見て、優人は何も言えなくなる。
リビングの床にカバンを置くと、自分の右手を見る。守との戦い以降は何の違和感もないが、優人の脳裏にはある疑念があった。
千影の言葉通り、智久の魔力によって攻撃的な性格になってしまうのであれば、守に宿る魔力を喰らった優人にも影響がある可能性がある。
千影には大した影響はないだろうが、その魔力の一部が優人にも宿っていたら、多少は影響があるかもしれない。
優人は右手を握りしめる。そうならないように、自戒を込めながら。
「なあなあなあ! 修行やろうぜ、修行……そうだ。考え方を変えようぜ。今回みたいに誰かを守るための力だって思えば、お前もやる気が出るんじゃねえの?」
物思いに耽る優人に気づかないまま、千影は何度も勧めてくる。
このまま無視したかったが、実際に今回のように役に立つこともあるので、拒否しづらい。それでも、戦いたいわけではないが。
喚き続ける千影を無視して、優人は晩御飯の材料を買いに、玄関へと向かった。




