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第一話 少年と暴食の魔王①

「ーーああ、もううるせえな」


 腰まで届くような黒髪をなびかせながら、目の前の女性が面倒臭そうに顔をしかめる。完璧な美貌が歪み、内に秘めた荒々しさが滲み出た。


 有無を言わせない圧倒的な存在感に、地面に倒れ伏した優人は、ただ見上げることしかできなかった。


「とりあえず、今から言うことだけは覚えとけ。忘れたら殺す」


 女性が放つ物騒な言葉に、優人は苦笑して誤魔化すこともできない。まるで、見えない力に従わされているように。


「私の名は桜間千影。暴食の魔王だ」

「暴食の……魔王?」


 意味も分からないまま、優人は呆然と呟くのだった。


 ❇︎ ❇︎ ❇︎


 山積みに重なったノートを両手で持ちながら、神凪優人は放課後の教室を後にした。動くたびに目の前のノートが崩れそうになるも、慎重に一歩ずつ廊下を進む。


 友達がいれば助けてもらえるのかもしれないが、人付き合いが苦手な優人には無理な話だ。しかも、唯一の友達に頼まれたのだから、断れるわけがない。


 楽しそうに話をしている男女が視界に入る。彼らと目が合ったのは一瞬で、すぐに興味なさげに逸らされ、横を通り過ぎる。

 柔らかい光に包まれていた廊下が、少しずつ影に侵食されていく。窓の外を見ると、あれだけ晴れていた空を雲が覆いかぶさっていた。


 なんでいつもこうなのだろうと、優人は思う。


 誰にも迷惑をかけないように大人しくしているからか、小学生の頃から頼まれることが多かった。

 今回も、友人の長那和渡が『友達と草野球の約束してるから』と言って、返事をする前に帰っていった。

 そのまま教卓の上に放置してもよかったのだが、担任に渡が怒られるかもと思うと、少し悪いように感じてしまった。

 都合よく使われている自覚をしながらも、結局はやってしまうのだ。


「何をしてるんだ。神凪」


 凛とした声が聞こえて、顔だけ振り返る。そこには、人形のように美しい女子生徒ーー帝野空が、音もなく立っていた。


「私の記憶違いでなければ、それは長那和の仕事だと思うのだが」

「うん。でも、渡くんに頼まれて」

「……また、押し付けられたのか」


 貼り付けている無表情をわずかに歪ませながら、帝野が呆れたように呟く。


「今度、自分でやるように伝えておくから、今すぐ帰れ」

「別にいいよ。渡くんも忙しいみたいだし」

「だからといって、お前がやる必要はないだろう。元々は長那和の仕事なのだから」


 帝野の鋭い指摘に、優人は苦笑いしか返せなかった。


「お前も、お前だ。嫌なことは嫌と言わなければ、相手に伝わらないぞ」

「嫌とかは全然ないよ。だって、頼ってくれてるってことだし」

「……優しいのは美徳だが、それはやりすぎだ」


 これ以上話しても無駄だと思ったようで、帝野が黙ってノートを取ろうとする。白く細い手が伸びて、優人は慌てて避ける。


「いいよ。僕、予定とかないし」

「だが……」

「そんなことより、さっき数学の先生に呼び出されてたから、早く向かった方がいいんじゃないですか?」


 無機質な黒い瞳が、大きく見開かれる。


「なぜ、それを知っている?」

「後ろの席に座ってるから、帝野さんがノートを書いてないのがよく目に入るんです。それに、数学の授業終わり、先生と何か話してたでしょ。その時、怒られてるように見えたから、この間の小テストのことかと思って」


 授業が終わるとすぐに帰るはずの帝野が、なぜか教室の方からやってきていた。帝野とは同じクラスなので、教室にいたら流石に分かる。だけど、さっきはいなかった。


 もしかしたら部室で早く教室を出ていたのかもしれないが、その割には他のクラスどころか誰とも仲良くしているところは見ていないので、入部しているとは思えない。そのうえ、他の人に話題を振られても淡々と応えているので、そもそも仲良くなる気がないように見える。


 だから、今日一日の様子を思い出し、数学の先生に怒られているのではと思ったのだ。


「流石に気持ち悪いな」


 帝野の冷たい視線を浴びて、優人は口をつぐむ。渡以外と喋る機会がないため、ついつい喋り過ぎてしまった。


「まあいい。本当に嫌なら言ったほうがいいぞ」

「うん、そうするよ。ありがとう」


 帝野が足速に教室へと戻っていくのを見送った後、再び職員室へと向かう。ポケットに入れたスマホが、何度も振動しているのを感じながら。



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