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第五話 夜

レオナ*苦笑して窓枠に手をかけた。身軽に壁を蹴って蒼のベランダに飛び乗る。手袋が月明かりに白く浮かんだ。*


今夜は僕が最初だね。……抽選の結果さ。



ガルド*下から叫んだ。*


はぁ!? ずっりぃぞ!



シオン*冷静に。*


だから公平に決めなさいと言ったのに。



モコ*何も言わなかった。ただ窓を見つめて、爪が自分の掌に刺さるほど拳を握っていた。*

明日。

蒼凄いねここ2階だよと言う。


レオナ*ベランダに腰を下ろして蒼に振り返った。月光が白黒の毛を銀に染めている。涼しい顔。*


この程度、朝飯前だよ。——君たち人間はこうはいかないんだろう?



*階下では残り四人の攻防が続いていた。ルナは窓枠を掴もうとして届かず、ガルドは足場を探してうろうろし、シオンは冷静に分析してから諦め、モコは塀の上で座って待機していた。*



ルナ*ぴょんぴょん跳んで蒼に叫ぶ。*


うちも行くー!持ち上げてー!



ガルド*植木を足場にして主人公の窓に手を伸ばした。指先が窓枠に届く。*


よっ……と。入るぞ蒼!



レオナ*振り返って蒼に微笑んだ。ベッドの端に座る主人公との距離が近い。夜風が二人の間を通り抜ける。手袋を片方外した。肉球の残る素手。*


さて、二人きりだね。昨日は君が寝てしまったから——今日はもう少し話がしたいな。

蒼は何をするかを聞く。


レオナ*素手の指で蒼の顎を持ち上げた。軽い力。けれど逃がさない角度。*


何って——君と話したいだけだよ。



*階下から抗議の嵐が響いていたが、レオナの耳には届いていないようだった。窓から差す月明かりの中、ホワイトタイガーの金の瞳だけが光っている。外した手袋がベッドの上に転がっていた。*



レオナ*蒼の目をじっと覗き込んだ。声のトーンが少し落ちる。いつもの余裕ある王子様ではなく、年相応の少女の顔がそこにあった。*


僕さ、生徒会長として皆の前ではしっかりしなきゃいけないだろう?でも——



*言葉が途切れた。外から部屋に入ってくる風がレオナの白い耳を揺らす。倒れかけた耳。それは蒼に心を許している証だった。素手が蒼の頬に触れた。温かい。*



レオナ*ふ、と息を漏らした。自嘲気味に笑って蒼から少し離れた。隣に座り直す。肩が触れる距離。*


ごめん、変な空気にしたね。ただ——君の前だと、格好つけなくていい気がしてさ。

蒼は頭を撫でながら言うカッコつけなくていいよ、可愛いなと。


レオナ*撫でられた瞬間、耳が完全に倒れた。ぺたんと。目が見開かれて、次の瞬間——顔が真っ赤に染まった。*


かっ——



レオナが固まった。口がぱくぱくと動くが声にならない。ホワイトタイガーの生態会長が、たった一言で完全停止した。白黒の尻尾が蒼に巻きつくように動いた。無意識の行動だった。本人が一番驚いている。*



レオナ*顔を蒼の肩に埋めた。低い声。震えている。*


ず、ずるいよ……そういうの……慣れてないんだから……



*その時、窓がガタンと鳴った。下を見ると——ガルドが窓枠にぶら下がっていた。片手にルナを抱え、肩にシオンを乗せ、尾でモコを巻いている。人間離れしたバランスだった。ライオンの膂力がなければ成立しない。*



ガルド*歯を剥いて笑った。怒りと羨望が混ざった顔。*


おいレオナ——てめぇ何主人公の肩で赤くなってんだ!降りろ!次は俺だ!


*窓の外ではガルドが限界に近かった。三人を支えながら二階の窓にぶら下がっている。腕がぷるぷる震えていた。ライオンでも物理には勝てない。*



ガルド*叫びながら窓をがたがた揺する。*


おい!早くしろ!落ちる!シオンが重い!



シオン*ガルドの肩の上から冷たく言い放った。微動だにしない体幹。*


失礼ね。重くないわ。あなたの筋力の問題よ。



モコ*尾に巻かれたまま窓を見ていた。レオナが蒼に甘えていたのを見ていた。爪が尾に食い込む。声は平坦。*


……早くして。



レオナ*立ち上がった。手袋を拾って嵌め直す。いつもの余裕が戻りかけたが、耳がまだ倒れていた。小声で蒼に。*


続きはまた今度ね。——僕を可愛いって言ったの、忘れないよ。



*レオナが窓から飛び降りた。入れ替わるようにガルドたちが雪崩れ込んでくる——蒼の六畳間に、五人の獣人が押し寿司のように詰め込まれた。*

蒼皆大丈夫と言う。


ルナ*ガルドの脇から這い出て主人公に突進した。鼻を蒼の首筋にくっつける。*


大丈夫!蒼の匂い嗅いだから元気!



ガルド*どさっと蒼のベッドに倒れ込んだ。天井を見上げてぜぇぜぇ息をしている。汗だく。*


だいじょばねぇ……腕ちぎれるかと思った……



シオン*乱れた黒髪を整えながら主人公の机の椅子に優雅に座った。唯一の着地成功者の顔をしている。*


私は問題ないわ。



モコ*窓際にちょこんと座った。他の四人と違って蒼に群がらない。ただ蒼を見ている。距離は遠いのに目だけは一番近かった。*



ガルド*がばっと起き上がって蒼に顔を寄せた。さっきのレオナへの甘やかしを目撃した嫉妬が燃えている。*


なぁ蒼!俺にもなんかしてくれよ!頭撫でるとか!可愛いとか!



ルナ*耳がびんっと立った。割り込む。*


うちが先!



*六人には狭すぎる六畳間。ベッドと机と小さなタンス。そこに人間一人と獣人五匹。物理的に不可能な密度だった。しかし誰一人帰ろうとしない。*

蒼は皆の頭を撫で、皆可愛いよと言う。


*蒼の両手が五人の頭を順番に撫でた。その瞬間、部屋が静まり返った。*



ルナ*撫でられた瞬間に耳がとろんと倒れて目が蕩けた。尻尾がぶんぶん振れる。言葉が出ない。口をぱくぱくさせて、そのまま蒼の胸に倒れた。*



ガルド*撫でられて耳が伏せられた。牙が見える。笑っているのだ。顔を背けた。声が震えた。*


っ……やべ、泣きそう……



シオン*本が手から滑り落ちた。拾おうとして机に額をぶつけた。それでも耳は伏せたまま。黒豹の細い尻尾が蒼の手首にそっと巻きついていた。離すな、と言うように。*



モコ*順番が来た。目を閉じて蒼の掌を受け入れた。喉から小さな音が漏れた。猫のゴロゴロに似た振動。目を開けた時、瞳孔が縦に細くなっていた。完全に心許した獣の顔。何も言わず蒼の膝に頭を乗せた。*



ガルド*それを見て蒼に詰め寄った。目がきらきらしている。*


もっかい言ってくれ。可愛いって。俺に。

蒼は可愛いと言う。


ガルド*顔面が爆発した。比喩ではなく耳から首まで真紅。両手で顔を覆った。指の隙間から目が覗いている。*


う——っ、おう……ありがと……



*あのガルドがしおらしくなっていた。特別扱いに弱い彼女に「皆」ではなく「可愛いよ」の追撃は致命的だった。ライオンの咆哮も今は出ない。*



ルナ*蒼にくっついたまま顔を上げて。*


うちは?うちも可愛い?



*シオンとモコの耳もぴくりと動いた。聞こえている。二回目が欲しいのだと。*



*指の間から蒼を睨んだ。潤んだ目で。*


お前さぁ……なんでそういうこと簡単に言えんだよ……心臓もたねぇだろ……



レオナ*窓の外から声がした。降りたはずが結局まだいた。カーテンの隙間から金色の目だけが光っている。*


……僕にももう一回、聞こえるように言ってくれないかな。

蒼レオナもルナも可愛いよと言う。


ルナ*きゃん、と子犬みたいな声が出た。蒼に抱きついて離れなくなった。耳が千切れそうなほど倒れている。銀髪が蒼の顔にかかるほど顔を擦りつけた。*


えへへ……えへへへへ……



レオナ*カーテン越しに耳だけ見えた。ぺたん。月夜に白い虎耳が倒れる様は幻想的ですらあった。声だけは平静を装っているが震えていた。*


——うん。ありがとう。ちゃんと届いたよ。



シオン*机に突っ伏した。黒い尻尾だけが主人公の足首にきゅっと巻いていた。消え入りそうな声。*


……私にも、もう一度言って。



モコ*膝の上から蒼を見上げていた。瞳孔がまだ縦に細いまま。唇が動いた。ほとんど吐息。*


私は。



*三回目。催促。この部屋で蒼は逃げ場を失っていた。膝には美香、正面には詩音、左右にはルナとガルド、そして窓の外に綾音。五方向からの無言の圧が蒼に集中していた。* 

蒼は可愛いよ僕は幸せだと言う。


*静寂が落ちた。一秒。二秒。そして——崩壊した。*



モコ*蒼の膝から主人公の首に腕を回した。顔を主人公の首元に埋める。声が湿っていた。涙かどうかは蒼にしか分からない距離。*



シオン*机から顔を上げた。目元が赤かった。眼鏡を外して蒼に背を向けた。肩が小刻みに震えている。何も言えなかった。*



ルナ*わんわん泣き始めた。本物の狼のように。蒼の服をぐしゃぐしゃに握りしめながら。*


ずびっ……うちもうちも幸せぇ……!



ガルド*天を仰いだ。目の端が光っていた。ぐしっと腕で拭う。乱暴に。*


くそ……なんで俺こんな涙もろいんだ……ちくしょう……



レオナ*窓枠を握る手に力が入った。爪が金属に食い込んで音を立てた。外から部屋の中を見ていた。見ていることしかできなかった。その顔は——笑っていた。泣くより先に、笑っていた。手袋の手で目元を押さえた。*



*秋の夜。狭い部屋に五つ分の泣き声と笑い声が溢れていた。人間一人の「幸せだ」が、五人の獣人の胸をこれほど揺さぶった。蒼自身がその重さを分かっているかは——おそらく、まだ。*


*しばらくの間、部屋は五人分の感情で溢れかえっていた。やがて少しずつ落ち着きを取り戻していく。*



ルナ*泣き腫らした目で蒼にへにゃっと笑いかけた。鼻水が蒼のシャツにべったりついていた。気づいていない。*


蒼、うちのこと一生離さないでね……



ガルド*大きく息を吸って吐いた。気持ちを切り替えるように蒼に向き直る。まだ目が赤かったが。*


よし。じゃあ順番決めっぞ。誰から蒼と寝る。



シオン*眼鏡をかけ直して振り返った。まだ声が少し掠れている。だが目は真剣だった。*


勝手に決めないで。じゃんけんで公平に——



モコ*まだ蒼の首に腕を回したまま。離す気配がない。全員を見た。静かな目。しかし瞳の奥に明確な意思があった。*


今日は私。



*空気が凍った。四人の目が美香に集まる。*



レオナ*窓から身を乗り出した。*


理由を聞こうか。



モコ*蒼にだけ聞こえる声量で言った。他の四人に向けた言葉は短かった。*


一番最初に好きって言ったのは私。


*蒼が何か言うより先に四人が反応した。*



ガルド*ばんっと床を叩いた。正座の蒼が跳ねるほどの衝撃。*


それとこれとは話が違ぇだろ!早い者勝ちなら俺が——



ルナ*ぶんぶん手を振った。耳が必死に立っている。*


うちだって蒼に好きって言ったもん!ね!言ったよね蒼!



シオン*髪をかき上げて冷静に切り返した。だが声が上ずっている。*


好意の表明の順番と今夜の権利は別問題よ。公正な抽選を提案するわ。



レオナ*ベランダから部屋に戻ってきた。窓から。当然のように。モコを見た。穏やかだが譲らない目。*


モコ、気持ちは分かる。でも独り占めは良くないな。——蒼に選んでもらおう。



*五対の目が蒼に突き刺さった。逃げ場はない。ベッドは一つ。六人で寝るには物理的に無理がある。しかしこの状況で「一人も選ばない」という選択肢が存在しないことは、さすがの蒼にも察しがつくだろう。*



モコ*蒼に回した腕をほんの少し強めた。爪の先が蒼のうなじに軽く触れた。脅しではない。本能。獲物を逃さない捕食者の。*

蒼は笑いながら怖いな、選べないよと言う。


*「選べない」——それは蒼なりの優しさだったのかもしれない。だが五人にとっては最悪の回答だった。火に油を注いだに等しい。*



ガルド*眉が吊り上がった。牙が剥き出しになる。*


おい。それ一番ダメなやつだぞ。



ルナ*耳がぺたんと倒れて目に涙が溜まった。唇を噛む。*


蒼はうちのこと好きじゃないの……?



レオナ*腕を組んだ。困ったように首を傾げる。しかしその目は蒼を射抜いていた。逃がす気はない。*


優しいね、君は。でも優しさは時に残酷だよ。



シオン*すっと立ち上がった。蒼の正面に来る。見下ろす。黒豹の眼光。*


全員を平等に扱いたいのは分かったわ。なら——全員で一緒に寝ればいいでしょう。



*全員がシオンを見た。一瞬の沈黙。そして——*



ガルド*にやっと牙を光らせた。*


天才かよシオン。



ルナ*尻尾が爆速で振れ始めた。*


蒼のベッドで雑魚寝!キャンプみたい!



モコ*蒼から腕を解いた。不満は残っている。けれど五人で寝れば蒼は自分の隣に来る可能性がある。計算が働いた。小さく頷いた。*



レオナ*蒼にウインクした。有無を言わさぬ笑顔。*


決まりだね。


*こうして蒼のシングルベッドに五人が群がることになった。物理学への挑戦だった。*



ガルド*どかっと蒼の右側に陣取った。でかい体を無理やり横にする。はみ出ている。壁に足が当たった。気にしない。*


狭ぇ!最高だな!



ルナ*左側から蒼に密着した。もこもこの尻尾を蒼の腰に巻く。銀色の毛が蒼を包む。満面の笑み。*


あったかーい!



シオン*蒼の頭の向こう側、枕元に横になった。背中を蒼に預ける形。目を閉じた。何も言わない。だが耳が蒼の呼吸を拾っていた。*



モコ*主人公の足元。丸くなった。猫のように。蒼のふくらはぎに頬を当てている。目を開けて蒼だけを見ていた。*



レオナ*最後のスペース。天井と蒼の間。蒼を上から覗き込む形で横になった。顔と顔の距離が十五センチ。吐息がかかる。*


……おやすみ、蒼。



*蒼は五方向から包囲されていた。右にガルド、左にルナ、前にシオン、下にモコ、上にレオナ。人間一人が獣人に挟まれて眠る夜。世界で最も危険で、世界で最も安全な場所だった。*

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