知識があっても忘れていれば意味がない。
壁が揺れた。壁に掛けられていた絵画、壁の近くにあった生け花や、壺。そして天井に垂れ下がっているシャンデリアすら揺れた。
だれでもない犯人は俺だ。
右手が折れるくらいの力で殴ったから小指の付け根が赤く腫れる。だがその痛みすら鈍い。
その部屋にいたのはアリアとイザベル、そして俺たちだ。アイは立っていて、ベルとルーナは座りアリアとイザベルは体面上に座っている。
会議は打ち切られるようにアリアが宣言すると俺はルーナを連れてその場を去った。彼らにもうルーナの顔を見せないようにという気持ちがいっぱいだった。その時点で俺の怒りは頂点に達していた。沸点が低いのではない。決して。
ルーナが俺が壁を殴ったことで落ち着かせようとこちらに寄ってきたのだろう。慌てた様子でやってきた。
「お兄ちゃん。私は大丈夫だから……」
「っふざけんな! あんなこと言われて大丈夫はないだろう!」
猪のごとく、烈火のごとく荒い息を吐きながらルーナに怒声をあげた。
今まで怒りがあらわになっている俺を見るのは初めてなのか、彼女はびくりと肩を震わせると俯いた。
「犯人だ……ルーナ、お前は何もしていないのに、人のためにいるのに犯人に仕立て上げられたんだぞ!? 悔しくないのかよ!」
とにかく怒りが収まらない。目の前に重鎮の奴らがいたら今すぐにでも殴り殺したい。
「ミチナシ様。とりあえず落ち着かれなければ話が進みません。一度深呼吸をしてお座りください」
アイも感情もなく俺に落ち着くように促し、水で濡らした布を俺に渡した。それを受け取ると右手の小指の付け根に押し当てる。
ベルは何も言わず、考え込むように静かにしていた。
「私たちが不逞なことを、頭を下げても許してもらえるわけがないよね」
アリアが悲しそうな顔をしながら謝罪をしようとする。
「当たり前だろう! ルーナを犯人? ふざけるな!」
なぜルーナを連れてきた。なぜそのことを把握できなかった。
なにもかも俺のせいだ。
そうだ、その可能性があるということを予め考えていなかった俺が悪すぎた。
アリアが悪いんじゃないそんなことわかっている。そんなこと……!
「ルーナを貶すことは俺を侮辱したと言うことだ! 許すわけがないだろう!」
「お兄ちゃん!」
ルーナが俺を呼び止める。
「お兄ちゃん、落ち着いてよ……そんなミチナシお兄ちゃん……嫌だ」
「……」
ふと鏡のように反射する壺をみた。ただでさえ歪んでいる壺の反射に加え、歪みに歪みまくった顔だ。
「はっ……なんて醜悪な顔なんだ」
まるで憎しみ以外持ち合わせていない鬼だ。眉間に皺を寄せ、目を見開き、その目は血走っている。髪も今にも逆立ちそうな勢いだ。
その姿は人として踏み外れた顔をしていた。
目を閉じて深呼吸をする。一度、二度、頭皮の収縮が落ち着いたのを感じ取った後、ゆっくりと目を開けた。
「悪い、取り乱した」
「ミチナシが怒るのも分かるよ。でもそれはアリアに言うものじゃない。でしょ?」
ベルが俺を落ち着かれるために怒りの矛先を確認させる。
「あぁ、憎むのは重鎮でもなく、アリアでもない……。この状況を作り出した犯人だ」
「そこで私からお願いしたいことがあるの。この状況を打破してほしい」
アリアが俺たちに依頼する。
俺はアリアの目の前の席に座り、そして両腕を組んだ。
「この時点で俺たちは関係を切ることを最善手として見ているが」
やんわりと断る体を示した。いやだなんて、まっすぐにいっても良かったが……。
しかしアリアは食い下がる。
「だけど、今こうなった以上彼女が今後ノーバディーにくることができなくなってしまう」
「来なければいいだろう」
ノーバディーに来ることなく、過ごせば全てが解決する、顔を合わせなければいい。
「二度とこの国に入らなければいい。誰にも咎められず自由に暮らせる場所はここじゃなくてもいくらでもある。それこそ行くならスロープの国だろうな。あればの話だが」
それが一番手っ取り早い方法だ。
これまでノーバディーに来ることはなかったんだし、それにこなくても別に生活ができていた。
だから別にノーバディーを救う義理はないのだ。
唇を噛むアリアに俺は何も感じなかった。
「だけど現時点でスロープに疑いがかけられているですのよ。そしてスロープを引き込んだのはウィッチ、私たちになるですの」
アリアの隣に座っていたイザベルがウィッチの状況を説明する。
もし俺達がこのままノーバディーから逃げるように去れば、ヒューマンを殺したのはスロープという確定事項になり、そしてスロープを引き入れたのは時期的にはウィッチと同盟をした後になるため、犯人はウィッチだと自動的に繰り上がる。
「ちっ」
「つまり、ミチナシ様。この事件を解決しなければこの事件に関係がないウィッチにも実質被害が被るのです」
「だからこの件。この事件に我々ウィッチは事件の解決に助力しますの」
唇をぎゅっと結んだ後に一言言ったイザベル。俺は素早く瞬きをした。
「だけどそれってお前達にも」
「ですの。もし事件がうまく解決できなければ私たちにも罪に問われることになるですの」
しかし、と頭を後ろに晒し俺達を見返した。
「でも、私達は何もしていないですの。何もしていないのに身に覚えもない罪を問われたのならばそれは私達のではないと答えるのが当たり前ですの」
「……そうだな」
そうだ、俺はずっとルーナを守ろうとこの国から逃げ出そうとしていた。
しかしルーナは何も悪いことをしていないのだ。だから堂々として、襲いかかる火の粉を振りはらえばいいだけのことだ。
「アリア陛下……」
アリアは何も言わず俺を見た。両手でドレスを握りしめ、元気がないその顔を俺は今にも殴りたかった。
はぁ、と深くため息をついた後肩をすくめた。
「その依頼引き受ける」
「ありがとう……!」
きっと緊張していたのだろう。一気に破顔し碧眼の目からは大きな雨粒が流れ出た。
そうだ。彼女は少なくても俺より若い子どもなのだ。彼女は一人あの頭の硬い奴らを相手にずっと戦ってきたのだ。
ずっときつかったんだろうな。と頬の筋肉が緩ませなから思った。
「アリアちゃんいい子」
よしよし。とルーナが頭を撫でると、アリアは嗚咽を漏らしながらルーナに抱きつく。
「お兄ちゃん泣かしたらダメだよ?」
「俺は別に悪くねぇし」
「本当に罪な旦那様ですの」
「あのその言葉響悪いのでやめてくださいませんかね!?」
本当一難去ってまた一難だ。
「で、結局のところなにか手がかりはあるのか?」
俺が話を切り出す。感情が一時的に落ち着いたアリアは口を開いた。
「正直なところ重鎮達が言っていた死体の損傷状況しかわからないわ」
「でもその傷はスロープの傷だと……全くわからないな」
「はぁい。その件については私が調べるですの」
「調べるったって、どうやって?」
イザベルが胸を張る。
「全ての生物には魔素……オドが宿っているですの。私が知っている知識ではスロープは肉体強化、肉体変化の能力があるのですの」
「……? つまりどういうことだってばよ?」
「なにその言い方……。つまり、スロープの種族はオドを使うことによって膂力向上、肉体の変質ができるのよ」
ベルが人差し指をくるくる回しながら詳しく説明する。
へぇ、スロープのこと正直わからなかったからなにも言えなかったけどそんな能力があるんだなぁ……。
「……ちょっと待て。ベル、お前なんでそれ知ってるんだ?」
「……え?」
え? じゃねぇよ。その知識を知っていてなんで言わなかったんだ。
それ言えばルーナの印象が変わるかもしれないんだぞ!?
「いやぁねぇ。さっきのイザベルの発言を噛み砕いて言ったのよ?」
汗がタラタラと流れている時点でお前が嘘をついているなんて分かっているんだ。
じっと見つめているとベルが立ち上がりその場を去ろうとする。それを逃すもんか。
首根っこを掴むとベルのこめかみに拳を当て押し付けた。
「いだだだだだだだだ! だって忘れていたんだもん! 仕方ないじゃん!」
「しかたないですむわけねぇだろぉぉおぉ!? なに? お前神様だからルーナのことも見捨てちゃうわけ?」
傍観主義の神様となんら変わりねぇぞお前。
「旦那様。それは違うですの。身体能力の向上、身体変形ができると言っても、小娘が無罪になるとは限らないですの」
イザベルが補足をする。
「先ほど言ったようにスロープはオドを使って膂力の強化、身体の変質ができるですの。だけどそれはオドによるものだから相手にオドを残すですの」
「へぇ、オドはいわゆる指紋みたいなものなのか」
「いやいや、イザベル。そこじゃないわよ。ミチナシ君……神様って……?」
口を開けてこちらを見ていたアリア。俺はげんこつを解くとどう説明をしようか悩んでいると、これ幸いと言わんばかりにベルが俺から距離を開けつつアリアに説明しようとした。おい、混乱を招くようなことをやめろよ!
「いいとこに気づいたわね! 私はベル! この世界の神であり、ここにいる行止正義を転生させた存在よ!」
「て、転生?」
あー、もうめんどくさいことをするなぁ。このバカ女神。
「あー、まー、えっとアリア陛下と、イザベルに悪いけど……一つくらい秘密にしていたことがあるんだけど……」
面倒臭そうに、徐に言う。
「俺はこの世界の人間じゃなくて、ここにいる頭の悪い奴は俺をこの世界に生き返らせた神だ」
おそらく、ルーナは知っていたし、アイは俺の血液を媒体に動いているわけだから俺の記憶も知っているだろう。唯一知らないのはアリア陛下と、イザベルくらいか。
その二人は俺をじっと見たあと、固まってしまった。
まぁそうだよな。今まであったことのない事だろうし……。いやもしかしたら俺の他に転生した人がいるんだから知ってるんじゃないのか?
しかし二人は知ってるとも、そうなんだとも言わない。
「……えっと、質疑応答の時間にします」
とりあえず俺はイザベル達の質問攻めを受けることになった。




