第7話「襲撃」(改定)
ルーグ城砦は、嘗ての魔法帝国の軍が駐留していた城である為、ナグ家の居城であったとは言え華美さはまるで無い。
重厚で角ばった印象を与えるのみで、一般的な貴族の城とは印象を異にしていた。
だが、それは城砦その物のみの印象であり、全体を見渡すと戦時の要塞ともまた趣が異なる。
今では無骨ながら束の間の平和を謳歌できる程には穏やかな印象を与えている。
これには自動人形達の尽力の賜物である。
この城砦を取り仕切る自動人形のレーギーナことル・ジュアの指示により、四方を囲む城壁、その門は開け放たれており、四方から参拝者や観光客が出入りしている。
城壁から続く四方の道は中央広場で交わるように整備され、中央広場には石造りの噴水が置かれている。
四方に門があるのは、既に戦う為の城砦ではなく、平和の象徴のために敢えて後年作り変えられたものだ。
古き言葉で女王を示すその名の通り、レーギーナは自動人形の管理や城砦の保守管理等に采配を振るっている。
また、噴水や緑豊かな中央広場は憩いの場として活用できるようにと整備しなおしたのもレーギーナである。
彼女は過去の陰惨な出来事を思い起こさせる邪神の娘たるル・ジュアの名前を棄て、偽名として使っていたレーギーナを正式な名前として名乗り、この城砦を三百年にわたり守ってきた。
魔力のみならず、感情豊かな自動人形の女王は、他の個体からも敬われ、勇者に向けるのと同様の尊敬を集めるようになった。
とは言えレーギーナはそれに驕るような性格でもなく、静かに城砦の管理に励んだ。
勇者が何時目覚めても良い様にと。
勇者を守るレーギーナは、城砦の保守管理を指示する一方で、城門の中を庭園のように整備して、城砦の重々しさを幾分緩和させ、大陸の民が憩いの場とできるように解放した。
それは、魔法帝国滅亡後、邪神の神官が立て篭もり恐怖の象徴であったこの城の暗い印象を払拭しようと努めた為だ。
彼女にとって、ここは母の墓標であり、愛する者が果敢に戦った戦場でも在り…今後を生きていく家である。
周囲に、あまり陰惨な事を思い起こさせるのは得策では無いと判断したのだろう。
そして、それは諸国の、いや諸種族すべても同じ思いであった。
彼等は、邪悪なる神官の存在を忘れてしまいたかったのだ。
嘗てあった、種族間格差を神官一人の所為にして……。
故にこの城砦は平和の象徴として、レーギーナの思うように手を加えられる事が許可されたのだ。
それは、確かに欺瞞であるかも知れないが、レーギーナには如何でも良いことである。
彼女の目的を阻害しなければ、偽善も欺瞞も有効に使わせてもらうだけだ。
彼女は、感情豊かではあるが、ネガティブな思考に囚われるほど、暇ではないのだ。
その平和の象徴でも有る城砦では、今では参拝者や観光客も多く、彼等を目当てに城門より続く四方の道には露店が連なり、干し肉を炙った物やワインなどが売られている。
肉は基本的には、美味として知られるボーダ鳥やナキウ猪である。
ボーダ鳥は全身を覆う羽毛は褐色だが喉元だけ綺麗な緑色の空を飛べぬ鳥で、身は引き締まった食感と深い味わいが人気である。
尚且つ、繁殖力も高いとあれば食用として重宝がられる。
ナキウ猪は全身を、嘗てこの世界に存在したアルマジロのような甲殻で身を包んだ猪で、狩るのには一苦労だがその身は赤く、脂肪は厚いが獣臭さや癖も無く美味である。
成体は体重200kg前後が基本であり、その数は不毛の大地に餌を探しに行くほどには多い。
無論、肉の種類はこれだけでは無いがこの二種類が露店で売られる干し肉の二大派閥といった所だ。
各国の街中に行けば、酒場や食堂で串焼きやグリルなど楽しめるが、露店ではやはり干し肉が主流である。
ワインの種類はそれこそ各種取り揃っている。
強い度数のコヌ産のワインは、種族連合に属するドワーフの醸造者が作ったもので、酒は度数が強い方が良いというドワーフらしい一品である。
味はそこそこだが価格も手頃である為、戦士や兵士に人気のワインだ。
戦の恐怖を忘れさせるには、この位アルコールが強くなければいけないらしい。
一方でエルフが醸造しているアークル産のワインは、度数は抑え目で仄かに甘く年寄りにも人気が高い。
ホットワインにも良く使われており、やはり値段は手頃だ。
値は張るが、各王宮や領主達、及び高級食堂が好むのはギルギ帝国のビューカ産のワインである。
此方はダークエルフが醸造しており、度数はそこそこながら香り高く味わい深いと評判である。
無論、屋台で売るのはグレードが下の物ではあるが、それでも他のワインより二倍近く高い。
上のグレードの物など庶民には到底手が出る代物ではない。
時折ではあるが、地底世界から齎されたと言うワインが出回ることもあった。
人里離れて暮らす妖術師達が好んで飲んでいるワインだと言うのだが、これが思いの他美味いのである。
程よい酸味と味わい深さ、程ほどのアルコールの強さ。
奇怪なる種族が造っていると言うが、同じように酒を造って飲むのならば気にする者はこの世界には居ないだろう。
故に、それが飲めた者は幸運であるとまで噂されている。
滅多に出回る事がないワインなのだから。
そして、ルーグ城砦には地下の遺跡深くに湧く水がある。
河川の水とは違い、生活用水として利用されている訳でもないので、そのまま飲んでも問題は無い。
むしろ、勇者の眠る地の水と言う事で、ワインよりも人気が高かった。
遺跡の奥深くから運んで来なければならず、直ぐに当日分は無くなってしまう。
その為、ワインの売り上げが落ちるということも無く、レーギーナも無理に汲ませようとはしなかった。
彼女はその程度の市場原理は心得ている。
飲食店が並べば、周囲は汚されそうなものだが、ある種の聖域でごみを棄てる不届き者は少なく、各露店にはくずかごが設置されているので、四方の道や中央広場が汚れる事は少ない。
自動人形も常に見回りを行っており、清掃のみならず、迷子の世話やちょっとした揉め事の仲裁等を行っているので尚更だ。
だから、行きかう人々は種族が違い、国が違えどこの場では争いを避けて、長閑に勇者を偲び、平和を享受していた。
政治的に、明らかな失策であり、感情論としても愚かなこの行為が、何故行われたのかは定かでは無い。
ただ分っているのは、後にブラウニング軍に所属していた騎士や兵士達は口を揃えていった事だけだ。
領主は突如、人が変わった様だったと。
中には、神官デルアーの亡霊に操られたのでは無いかと、真剣に考えているものまでいた。
だが、彼等はこの正気と思えない侵攻作戦に反対する事が出来なかった。
人質の存在があった為だ、そう騎士も兵士も家族を人質にとられた。
のみならず、領民全てを人質に取られたようなものであった。
女王メレディスが著しく強権的な振る舞いを行うようになって5年の歳月が過ぎた。
ブラウニング家の当主ジャスパーは、本来穏健派であった物の、行き過ぎる女王の行いを戒めるようになった。
ジャスパーはシャーラン王国の重鎮であり、王国内で2番目に領土の広い領主である。
そして、エルフ族の長老格の一人でもあったから、女王を批判せざる得ない立場にあったし、この老エルフはその責務を果たそうとした。
女王は次第にこの口煩い老人を疎み、その地位を追い落とそうと画策するが、それが諸侯に知れ渡り失敗してしまった。
女王の権威は地に堕ちたとまでは行かずとも、大分旗色が悪くなっていた。
其処に今回の反乱である。
これで女王は退位せざる得ない、と言う状況に持ち込めたはずなのだが、ジャスパーは何故か聖域たる城砦を攻めた。
彼は勇者を敬愛している事は領民ならば誰しも知っている事であったし、年に一回はルーグ城砦を詣でていた程だったのだが…。
明らかにおかしな動きであるが、その襲撃の場所にいた者達にそんな事を考えている余裕はなかった。
唐突に攻めてきたエルフとケンタウロス等の混成軍の前に逃げ惑うばかりであった。
ましてや、ジャスパーは事もあろうに騎士や兵士では動きが鈍くなるかも知れないと、山賊紛いの連中まで雇っていたのだから。
金さえ貰えれば何でもやる、と言う連中はどの時代、どの種族にも出てくるものだ。
そして、そんな連中は情けなど持ち合わせていなかったのである。
突如の襲撃で、平和であったこの城砦は凄惨な殺戮の場所へと変じた。
露店を馬蹄で踏み潰し、逃げ惑う家族連れを容赦なく射抜いていくブラウニング軍。
突然の地獄絵図の出現に、観光客等も露店商も混乱を極めていた。
絶叫が響く、怒声が響く、子供の泣き声が、子を呼ぶ親の声が、聞き苦しい罵倒が渦巻いた。
だが、ルーグ城砦側もただ殴られていたわけでは無い。
衛士たる自動人形、彼女等は邪神官デルアーとも敵対する事を辞さない敢闘精神の持ち主である。
例えば城砦の衛士長であるドゥクス、この女性型自動人形は、珍しい特別仕様の固体で、完全な戦闘型である。
その長い金の髪を靡かせて、怒りに燃える薄い青の眼差しを向けながら二本の刃で迫るエルフやケンタウロスをなぎ倒し、鮮血で化粧したその美しい顔で、子供や年寄りを助けた。
スクートゥムは、その名の通り自慢の盾で敵の頭を殴り倒して、その後に長剣で止めを刺す戦い方で城砦の扉を死守し、城内へ逃げ込んだ者達を守る為に奮戦した。
そして、彼女は城門の前に陣取り、其処から一歩も敵を通さず、その名の通りに粘り強く奮戦し続けた。
そして、レーギーナを別にすれば自動人形の中では最も戦闘慣れしているミールウスは、迫る敵を的確に屠っていく。
この女性型自動人形は、結い上げた茶色の髪を馬の尻尾のように揺らしながら、手に持つ短剣で確実に、息の根を止める。
ミールウスは、オークの山賊が放った斧の一撃を微かに笑いながら受け止めて、そのあらわになっている動脈を易々と切り裂き、山賊を殺した。
その後も、淡々と迫る敵に確実に反撃を与え、自身の体力を無駄にする事なくその数を減らす事に注力した。
レーギーナ自身も、不埒な輩に鉄槌を食らわせるべく城砦の最奥から急ぎ現れた。
愛用の杖を振るい、雷を呼び、敵を貫き打ち砕く。
側頭部から雄牛の様な角を生やし、白銀の髪を後で束ねた姿で魔術を扱うその姿は、古い物語に出てくる悪魔のような印象すら与えるが、村娘が着そうなシックな色合いのワンピースを纏っているのが、少しばかり可笑しい。
レーギーナは、その一方で衛士たる自動人形に指示を出し、的確に敵を追い払っていく。
采配を振るうその姿は、白銀の髪を後で一つに束ね凛々しくも、その服装は平素通りの物であったので、些かちぐはぐな印象を与えたが、それでも威風堂々たるものであったと、後に皆は口々に伝え合った。
この様に反撃は時間が経つごとに激しい物へと変わっていく。
そうなればブラウニング軍は、徐々に城壁の外へと押し出されていく。
衛士達だけではなく、参拝者や観光客も反撃を開始すれば、ブラウニング軍にも僅かな混乱が生じ始め、其れは時間を置く事に拡大して行った。
混乱は当初、襲撃された者達の間で広がっていたものだが、激しい抵抗に遭い襲撃者の側にも飛び火した。
襲撃者達も統率が取れず、混乱に拍車が掛かれば、この襲撃が失敗である事は当事者以外には理解出来た事だろう。
この様に襲撃者側が劣勢になってくると、ジャスパーは唯一連れてきていた魔術師に指示を出した。
その魔術師はエルフの少女で、王宮から追われてきたのだと言う事以外、周囲は何も聞かされていない謎の多い少女であった。
その彼女が、何やら儀式を即座に執り行い、最後に懐から結晶を取り出して念じると…。
空は俄かに曇りだし、雷鳴を轟かせ稲光がブラウニング軍の陣に落ちた。
動揺する周囲を尻目に、ジャスパーは落ち着きを払いその光景を見守る。
…稲光が落ちた先に一人の青年が横たわっていた。
黒い髪のその青年は一見するとエルフのようにも見えたが、耳が短く人間である事が予測された。
「勇者の存在を掲げ奮戦すると言うならば、勇者を新たに作り、此方も掲げれば良いだけのことだ。」
そうジャスパーは嘯き、魔術師の少女は微かに笑って見せた。
それはブラウニング家に忠誠を誓う騎士達ですら、薄気味悪い情景であった。
だが、ジャスパーも魔術師の少女も…或いはこれを画策した何者かも誤解していた。
勇者として呼ばれた者は、全くの無知でもなければ、状況を把握できていない訳でもないと言う事を。
これは、召喚システムを構築したものが公平性を期したのか、或いは別の何者かの意図があったのか。
分かっている事は、勇者として召喚された磯山 六郎には、一体どの軍隊が平和であった城を襲ったのか、理解できていた。