20話「混沌」
馬車を飛び出た征四郎を追って、B・Bの面々が飛び出すと、征四郎は赤く染まる農村部を険しい表情で見つめていた。
先ほど垣間見えた異形の化け物の姿など、そこには一切存在していない。
御者をやっていたエルドレッドは、既に御者台を降りて、しきりに潰れて日数が経ったと思われる農家を気にしていた。
馬車から降りた魔力感知に長けたクラーラも、エルドレッドが気にする方向を訝しげに見ている。
「奴は……?」
怪物の姿を見たテクラが誰とは無しに呟くと、大きく息を吐き出した征四郎が、答えた。
「消え失せた。」
その声には、既に渦巻くような憤怒は消えていた。
一瞬垣間見ただけではあったが、あれほどの巨体がわずかな時間の間に掻き消える事などあるのか?
疑問を抱きながら、テクラはずっと外に居た筈のエルドレッドに問いかける。
「お前が見ている方角に逃げたのか?」
「消えたんだよ、あの廃屋を超えたあたりで忽然とな。」
「逃げたんじゃないんだな?」
シーグリッドが再度問いかけると、エルドレッドは肩を竦めて吐き捨てるように言った。
「そうであれば、俺が見失うかよっ! ……奴は不意に消えた。」
苛立ちを一瞬だけ言葉に乗せたが、エルドレッドはすぐにそれを受け流した。
本来ならば、気にする程の事でも無いのだが、あの蠢く巨体が消えた事が自分でも信じられないのだ。
そして、その言葉を補足するように、クラーラが……デモニアの娘が言葉を継いだ。
「……そうとしか思えない。あそこで不意に魔力の跡が途切れてる。」
その言葉に一同小さく息を吐き出す頃、漸く降りてきたナグ家の姉妹が告げた。
「その場所に、言ってみるより他はあるまい?」
「でっかい穴が開いてるかもしれないしねぇ。」
場を和ませるつもりだったのかは定かではないが、その言葉を聞き、小さく笑ったのは征四郎と執事のバルトロメのみであった。
擬態の解けた骨の馬は、今は廃屋となった朽ち果てた農家へ向かう8人を虚ろな眼窩で見送っている。
その真っ白な骨組みを照らすのは、既に落ちかけている真っ赤な夕日だ。
残暑の厳しさも和らぎつつある秋の初め。
さわさわと風が音を立てて走り抜けるのは、収穫される筈だった小麦畑だ。
……不意に、骨の馬は何かを感じたかのように、小麦畑へと眼窩を向けた。
ロズの手により使役されている骨馬だ、何かを感じたりする筈は無いのに、まるで生前の様に小麦畑を伺い見た。
しかし、そこには何もなかった。
ただ、風に揺れる小麦の穂が揺れているばかりである。
朽ち果てた農家に近づくと、この村で起きた出来事の凄惨さや、あまりに不意に起きた事だったのだと、征四郎等は気付く。
崩れた壁から垣間見えた農家の食堂には、皿の上に盛られた、黒く腐り果てた食い物が置かれていた。
遠目からでも、虫がたかっているのが見えるその光景は、捨て置かれた食物だけに起きている事ではなかった。
食い残しと言うべきか、取り込み忘れと言うべきか、或いはアートの残骸とでも称すれば良いのか。
どちらにせよ、嘗てエルフであった者の肉片にも虫はたかっていた。
風に乗って運ばれてくる腐臭は、農村全体を覆う結界のように、風に吹かれても散らずに蟠っている。
「……こいつは酷いねぇ。」
言葉少ない一行の気持ちを代弁するかのように、リマがウンザリとした声を上げた。
声をあげながら、腐敗と再生の上皇の印を握り、死体の一部たちに祈りを捧げていた。
ロズは、死霊の声を聴こうとして眉根を顰め。
「死者すら語らん。と言うより語れんようだ。これをやらかした怪物は……魂喰らいの性質も持つようだ。」
口元をひん曲げてロズは告げやり、軽く頭を振った。
死者の魂を呼び出す事はするが、聞きたい事を聞けば開放するのがロズのやり口だ。
死体など所詮は魂の抜け殻、如何扱おうとこちらの勝手だが、魂は別だと考えている。
魂とは本来束縛されない物なのだ、それを大量に繋ぎ止めている様子の怪物に嫌悪を初めてここで抱いた。
征四郎は、怪物が消えた付近を見ていたが、当然穴など無く、怪物の跡は全くなかった。
あの巨体が動いたにもかかわらず、這いずったような跡すらなく、如何にも手詰まりのように感じていたが、不意に農家の一室に視線を投げかけて、双眸を眇めた。
穴の開いた壁、その向こうに転がっていたのは小さなベッド。
赤子を寝かすための小さな寝台が、横向きに倒れている。
「面白くない。」
征四郎は一言吐き捨てると、そこに含まれていた怒りに触れてか、風も無いのに彼の足元の草むらが揺れ動く。
指揮官の一言を聞いたB・Bは思わず首を竦め、執事のバルトロメすらそっと視線を外さざる得ない怒気は、しかし不意に消えた。
「……声がする。」
征四郎がぼそりと呟けば、彼が視線を向けていた農家へと足を踏み入れた。
そして、ガサゴソと何かを探し始めて、不意に立ち止まると屈みこみ、床下収納の蓋と思しきものを持ち上げる。
そこには……我が子を守るように抱きしめた母親の死体と、衰弱しているが生きているらしい赤子が居た。
征四郎は部下を呼び、数人で母嫌と赤子を引き上げた。
母親は死後二日ほどか。
赤子の状態は……栄養失調に陥っているが、まだ生きている。
赤子と言えども流石に1歳は越えているか。
ともかく、この大事な命を捨て置く訳には行かないと、一行は一先ず馬車へと戻る。
「このままでは死んでしまう。引き上げるにも都市部までは時間がかかる……。我々で面倒を見ながら探索を続けるしかないだろう。そこで質問なんだが……この位の子供は何を食べさせれば良いんだ?」
まだ冬ではなく、床下収納は温度が一定だったことが幸いし、赤子は辛うじて生きている。
排泄で汚れてしまったその体を水と清潔な布で拭い、自身の外套を産着の様に赤子に包ませ、壊れ物の様に抱き上げた後に、征四郎は面々に問いかけた。
生憎と子育ての経験がある者は無かったが、バルトロメは年の甲か、幾つかの知識を持っていた。
「旦那様、携帯食料は無理ですぞ。柔い食べ物が良いのですが……。そも口に含ませても今の体力では……。」
「口移しで食わせるしかないか。」
「……のぉ、征四郎。ナヴァドの滋養液を口に含ませるしかあるまい。幾つかの薬草は持ってきておるのだろう? 調合して作れんのか?」
「……今から作って間に合うか……? いや、やるしかないか。あと一日、あと一日耐えておくれ。」
赤子にそう語りかけてから、征四郎は誰に赤子を託すか周囲の面々を見渡した、その時である。
赤子を助けた崩れた農家に凄まじい魔力反応が生じた。
クラーラの注意の言葉に、シーグリッドが馬車の窓からそちらを見れば……先ほどの農家は完全にあの醜い怪物に踏み潰されていた。
あそこには、母親の死体を寝かせておいた筈だが……。
「奴め、死体を漁っているのか。」
シーグリッドの言葉に、征四郎は眉根を寄せながら赤子をロズに手渡して。
「打って出るぞ! B・B部隊員は私に続け。バルトロメは馬車の警護だ。ロズとリマは赤子の世話をしっかりして欲しい。あの不快な怪物を早々に殺して、私はナヴァドの滋養液を作る!」
と、矢継ぎ早に指示を出す。
ここからは時間との闘いである、そう意気込む征四郎だったが、部下たちには、その様子が少しだけ可笑しかった。




