第15話「六郎」
磯山 六郎と言う青年は、不思議な運命を背負った青年と言えた。
彼は勇者として召喚されたが、彼は自衛の為の戦い以外は行っていない。
周囲がそれ以上を強要しなかったし、当人もそれ以上を求めなかった。
ルーグ城塞を巡る戦いの最中であっても、彼が直接敵を殺した事は無い。
では、彼は臆病なのだろうか?
いや、そう断じるのは早計であろう。
彼が生きてきた日常に敵を殺すなどと言う出来事は起こり得なかったのだ。
彼が住んでいた国は他国に比べれば治安は悪くなかった。
いや、世界全体を見ても、紛争や戦争は起きていたが、それでも大陸には多くの緑は残っていたし、人も非常に多く滅びとは縁遠いと思われていた。
何よりこの世界の様に荒廃が広がっていた訳では無い。
……そう、異世界からの来訪者であり、尚且つ平和な先進国の一員としての日常を生きてきた彼の選択肢に、姿は違えども意思疎通ができ、知能のある存在を殺すと言う行いはおいそれと浮かぶものでは無かったのだ。
如何にこの地が荒廃し、見知らぬ種族が争い合うとしても。
それでも戦乱が満ちる終末的世界に呼ばれた彼は、戦わねばならない時が来るかもしれない。
多くの者達と出会い、少なからぬ友人も出来た。
彼らを害されそうな時は迷わず力を振るうだろうと、当人も考えていた。
呼ばれた者は、この地に降り立った時から恐るべき身体能力を有する。
その身体能力と経験した事を体は決して忘れないと言う不可思議な特性のおかげで、呼ばれた者は勇者と呼ばれ、戦いに駆り出される。
そもそも、何の理由もなしに異世界からの召喚などと言う手間暇の掛かる事を行う筈もない。
それでも、六郎が自衛以外に戦う必要が無かったのは、運による所が大きい。
勇者クレヴィ・アロの陣営にすぐに逃げ込んだ事、神土 征四郎と言う名の似て異なる境遇の、戦いを求める存在が先にその地に居た事、そして……バルアド大陸と言う霧に閉ざされた大陸に呼ばれたことだろう。
勇者クレヴィが神聖視され、中立を認められていたが故に政治的な思惑を排されたのだから。
さて、勇者として呼ばれながら、主だった戦闘には参加してこなかった六郎だが、その不思議な運命に更な不可思議が付け足される事になった。
人を救って大怪我を負った彼は、瀕死の重傷を負いながらも人以外の何かと化し、妖術師として生きる征四郎と同様の存在にならんとしているのだ。
もし、征四郎が傍に居たのならば、別の手段を進めたはずだ。
人が人以外になると言う痛み、苦しみは己の人生をこの先も支えてくれる何某かの存在……それは、元から人外であったり、人外を受け入れてくれる者であったり、その様な者が居らねば苦痛でしかないからだ。
征四郎とて、当初から征四郎に好意的であったロズワグン=ナグや師のラギュワン・ラギュの存在が無ければ如何なって居た事か。
彼はそれを恐れるからこそ、人付き合いは悪くないが何処か踏み込ませてこなかった六郎を危ぶむ筈だからだ。
だが、征四郎はもちろん、クレヴィにまで連絡がいく前に再生の秘儀は執り行われた。
情報伝達の速度を考えれば致し方ない。
足を切り落として壊死を防ぐか、足を原初の混沌とも言える不定形の蠢く泥濘と入れ替え、その精神力で混沌を従えるか。
そのどちらかしか望めないとなれば、六郎は混沌を従える道を選んだ。
例え、原初の混沌に飲み込まれてしまう可能性があったとしても。
それでも、彼は自身の足で歩き、世界を見て回りたいと言う欲求に勝てなかった。
彼が経験した自我の消失の恐怖について、延々と語る必要はないだろう。
それらの恐怖に彼は打ち勝ち、己の足で再び立てるようになったのだから。
儀式の成功にほっとしたのは、六郎だけではなかった。
例えば執行者であるナグ家の二人もこの秘儀が成功して安堵していた。
これで失敗していたら、伴侶である征四郎の怒りが爆発しただろう事は想像に難くない。
「よくぞ戻った。」
「いやいや、ほんとに。」
ナグ家の二人ことロズとリマは安堵の息を吐きながら六郎に語り掛ける。
六郎は自身が人の姿をしている事を両手で確認して、漸く安堵した。
傍には衛生兵であるルーヌや同僚のロデリック、スクートゥムの姿があった。
「……征四郎さんは?」
不意に、周囲を見渡してから六郎は告げた。
意識の混濁でもあるのかと、顔を見合わせたナグ家の姉妹はルーヌに目配せして、他に変調が無いか調べるように促す。
その間にも六郎は首をかしいで言葉を続ける。
「おかしいな、確かにいた筈なのに。俺が飲み込まれそうになった時に渋い顔しながら引っ張り上げてくれた筈だ。……そうだ、これで君も私と同じモノかと言っていた。」
ルーヌが上体を起こして、言葉を紡ぐ六郎の下半身に毛布を掛けてやると六郎は礼を述べて、それから更に続けた。
「不機嫌そうな様子だったが、死ぬよりはマシかと最後には笑っていた。覚えてないですか? ロズさんとリマさん、それにネイさんも居たし……あれは……。でも、征四郎さんは大分説教臭かったけれど。」
その後、何人かの人物名を挙げていたが、その名に心当たりのある者は居ない。
ルーヌは慌ててその眼球の動きを見定め、単なるせん妄状態か重篤な意識混濁かを見定め始めた。
ロデリックもスクートゥムもその様子に不安げに、固唾をのんで見守っていたが、ナグ家の姉妹たちは驚き、押し黙っていた。
結局、一時のせん妄状態だろうと判断されて、今は眠る必要があると再び客間に運ばれた六郎。
儀式を執り行った城の中庭に暫くロズとリマは佇み。
「姉妹ネイの話なんてしたのかい?」
「する筈なかろう。」
「アタシもしてないよ。それに、アタシらだって儀式の場に土足で足を踏み入れる真似をして、無事で居られるはずがない。」
「余らの祖である地底に眠る神の力を十全に引き出せる大神官か、大妖術師であれば話は別だが。」
暫しの沈黙の後に、二人は愉快そうに笑い声をあげた。
あり得ない妄想が鎌首をもたげ、そして万が一その妄想が正しければ……何たる吉兆であろうか。
未来が過去に干渉する事はまずない。
だが、それが因果として定まった行いであるのならば話は別。
「姉妹三人で、一人の男の物になっているのか、単なる腐れ縁かは知らんがな。」
「何方にせよ、そんな長い時間共に過ごせると言うのは……悪くないねぇ。」
つまり、未来の征四郎が時空すら歪ませる何某かの術の大家となり、六郎を救いにナグ家の姉妹やその他の者を引き連れてやって来たと言う妄想は、彼女らに取り悪い話では無かった。
単なる妄想でしかなくとも。
「説教臭いって言っていたけれどねぇ。」
「我らにもかますかな。余は元々そういう傾向にあるから、言われるのは姉妹リマと姉妹ネイだな。」
……その夜は暫く城の中庭で恐るべき姉妹が、きゃっきゃとじゃれあっているのを警備の兵士達が見かけて、恐々と去っていくと言う情景が見受けられた。
六郎は順調に回復し、数日後には何とか歩けるまでになった。
そうなってくると、とある二人の高貴な方がによる看護を巡る争いが激化しだす。
ハヴィリネ公爵の胃が痛みだす前に、ルーヌが諫めるようになったのが幸いだ。
当の六郎は、何でそんな事になって居るのか目を白黒させていたが、満更でもない様子である。
小声でこう呟いたとも伝わるが真偽のほどは不明だ。
「よしよし、漸くイセカイテンイケイに近づいた気がする……。」
と。
例えそれが本当であるにしても、その意味を計れるものは居なかった。
数か月後の当人すら、そんな淡い期待を抱いた記憶はなかっただろう。
彼の受難はここから始まると言えるのだから。




