第6話「猟犬」
テルハ大陸において、ダーヌの大軍師が各国との調整に追われながら、如何にか連合軍司令官の地位の確約を得たころ、バルアド大陸ではとある組織の掃討作戦が開始されていた。
犯罪組織『ファミリー』を滅ぼす為の戦いが。
駆けるゴブリンが一人。
必死の形相で、息も絶え絶えながら足を止めることがないそのゴブリンは、目元に涙すら浮かべていた。
(一体、俺達が何をしたと言うんだ!)
中年のゴブリンは胸中で自分に起きた不幸を呪いながらひた走っていた。
今日は仲間と酒場で酒を飲んでいただけなのに。
何でこんな目に合うのだと、しわが浮かぶその顔を歪ませて、己の非運を嘆いた。
仲間は殆どやられてしまったようだ。
このままでは自分も殺される。
だが、幸いに助けを呼べる当てがある。
何カ所か潰されているようだが、あそこは決して手出しできない場所だ。
それを信じてひた走ったその結果が、眼前に飛び込んできた時に、彼はその場にへたり込んだ。
既に、その場所が安全で無くなった事が見て取れたからだ。
奴らがそこに存在しているのだ。
見間違えようがない姿がそこにある。
通常の種族連合軍の服装とは異なる連中だ。
装備は一般の兵士たちと大きくは変わらないが、色合いが違う。
自分たちの存在を誇示するかのように、漆黒の腕章を身に着け、黒手袋ないし、黒い小手を身に着けた連中だ。
それが、既にここギルギ帝国の皇帝の居城にまで出没している。
彼は、双眸から涙が流れ落ちるのを感じながら、どうしてこんな事になったのかを思い返し始めた。
彼らは、いつものように一仕事終えて馴染みの酒場に戻った。
日は高く昇っていたが、彼らの仕事に昼夜は関係がなかったので、何ら憚る所は無かった。
酒を飲み始めて少し時間が経てば、各々が好き勝手にしゃべり始めていた。
「今回の仕事で良いのが見つかって、これでやっと三十枚集まったぜ。」
「お前の趣味は理解できんね、戦利品ってのはこう、獲物を思い起こさせるものじゃねぇとな。」
「何言ってやがる、お前の其れだって似たり寄ったりじゃねぇか。」
アルコールが入れば意識は肥大化し、自慢話に花が咲いた。
和気藹々と楽しんでいる所に、見知らぬゴブリンが店に入ってきた。
若いゴブリンで、流行りのファッションなのか襟に赤土色の記章をつけ、腕に黒い腕章を巻いていた。
その姿を見て、白けると誰かが舌打ちした。
そこで、からかってやろうと言う話が出て、若いゴブリンに声を掛けた。
「ここはガキの来る所じゃないぜ?」
「好きで来た訳じゃないさ、おっさん。」
生意気なガキだ。
皆がそう口にして、大人の力っていう奴を見せ付けてやろうかと言う話になる。
「何だと、このガキ……!」
普段はへらへらと笑っている仲間のエルフがイラついたように声を掛ける。
奴はキレる時はすぐにキレるのが難点だ。
若い生意気なゴブリンは、自身の懐から黒い革の手袋を取り出して、身に着け始め。
「来たい訳ないだろう、殺した相手の皮をはいだり、歯を抜き取ってコレクションにするイカれた連中の根城にさ。」
そうして、微笑んだ若いゴブリンの双眸には、明確な怒りの色が見て取れた。
「でも、これ仕事だからね。ゴミ掃除に来たんだよ、イカれ野郎共。……ファミリー粛清班マカロフ、トカレフの両名を発見。始末する。」
後半は独り言のように言葉を紡ぐ。
どうやら、事情通で頭がおかしいガキだったようだ。
面倒そうに立ち上がり、キレやすいエルフのマカロフが問答無用に若いゴブリンに近づいて、無造作にナイフを抜き放ち、その首筋を狙いナイフを振るった。
途端、マカロフの手首から鮮血が迸った。
まるで噴水の様に一瞬吹き上がったかと思えば、勢いはなくなり零れた酒の様にダラダラと流れ続ける。
いつの間にか、マカロフより先にナイフを抜いていた若いゴブリンの一撃が、マカロフの手首を、動脈を切り裂いたのだと気づけば、中年のゴブリン、組織ではトカレフと呼ばれているそのゴブリンは、一目散に逃げだした。
恥も外聞もない、仲間意識などもない。
粛清班や組織に対する忠誠なども勿論無い。
あるのは、自身の欲望を満たしたいと言う強烈な思いと生存本能だけだ。
だから、若造相手であろうとも、仲間が死のうとも逃げ出すことに躊躇は無かった。
だが、店の外には数名のコボルトやゴブリン、ドワーフが待ち構えていた。
先ほどの若いゴブリンと同じように腕に黒い腕章を巻き、黒い手袋をはめた連中だ。
そして、そいつらは兵士である事を示すように武装していたのだ。
「畜生!」
迫る連中は、若いゴブリンほどには手際が良くなかった。
それが幸いして、トカレフは殴られ、蹴られながらも強かに反撃を返して、何とか逃げ出すことに成功した。
組織に忠誠心は無いが、似たような性癖の連中はいる。
何とかそいつらと連絡を取り、安全を確保せねばと駆けだした。
心当たりは十はある。
はねっかえり若造達を始末するには十分な筈。
……ルガーやモーゼスが塒にしている娼婦宿がそこの角を曲がればすぐに見えるはず……。
懸命に走るトカレフを異様なものを見る様にすれ違う連中が見ている。
そんな目で見るんじゃねぇ、殺すぞと胸中で怒鳴りながら漸く目的地が見えてきた。
安堵の笑みを浮かべて、足を緩めた刹那、娼婦宿の二階の窓を突き破り、二人の男女が飛び出して地面に頭から落ちた。
それが、ルガーやモーゼスだと瞬時に悟れば、トカレフは浮かべていた笑みを凍り付かせて、踵を返す。
結局、彼はそれを数回繰り返したのちに、皇帝の城を目指したのだ。
さて、トカレフが自身の罪を棚に上げて、周囲を呪いながら絶望に耽るよりさらに前に、種族連合の使節団と共に、既に皇帝の城に乗り込んでいた征四郎や第七軍団の参謀であるアルデアは、一室を間借りしてそこを作戦本部としていた。
皇帝であるアンガード帝は、皇帝と言う地位が重荷であったのか、勇者クレヴィが統治するのであれば国を譲るのは吝かではないと早々に使節団を招き入れたのだ。
これは敗北主義的だと批判する皇族や貴族もいたが、アンガード帝の意思は固かった。
そして、使節団との交渉の傍らに犯罪組織の壊滅に協力を要請した征四郎の言葉にも同意を示して、多くの助力を得ることになった。
そうでなければ、もっと慎重にひっそりと事を起こさねばならなかっただろう。
ともかく、最高権力者の協力を得た征四郎は、かねてより試したい事を実行に移した。
それは、征四郎自身が現場を出ることなく、アルデアの発案通りに指示を出して、指揮のみに徹し各員の働きを見守るというものだ。
これは新たに部隊に加わった者達の成長具合を見るためでもあり、征四郎自身ある能力の研鑽の成果を試す為でもあった。
それは、魔術的媒介をあらかじめ渡しておいた各隊長達と精霊による通信を行えるように術の精度を上げる事だった。
これを行う事で、いくつにも隊を分けながらも同時に運用が可能になるはずだ。
襲撃を連携できるかのテストでもあったが、構成員を全員始末できなかった事は今後の課題である。
だが、そう征四郎は内心思いながらも、ほぼほぼ全滅できていることに素直に喜びも覚えていた。
何より術者相手でなくとも、媒介があれば一つの都市程度の距離なら連絡を取り合える事が証明された。
媒介である襟章は大量には作れない、今の征四郎では月に一つ作れれば良い方だ。
それでも、五個は揃えられた。
これで有用性が実証されれば、後は国なり軍部の研究者に引き継がせよう。
そんな事を考えていると、作戦本部に隊の者が駈け込んできた。
城の外で不審者が投降してきたが、どうやら逃げ回っていた標的らしいと。
征四郎は、その報告に違和感を覚えた。
こちらに向かって逃げていたのはトカレフと言う名の快楽殺人者だ。
そう簡単に諦めるとは思えず、眉根を寄せて名前は名乗ったのかを問いかける。
すると、予想外の答えが返ってきた。
投降者は名を告げていたのだ、マグナムと言う組織での名前を。
消息が掴めなかった者の名であれば、あり得んと首を左右に振りアルデアに視線を向ける。
彼女は一瞬だけ視線を伏せて考え込んだがすぐに結論を出した。
宮中の何者かが動き出したのだろうと。
一方で、交渉を続ける使節団の中に勇者側の一人として参加した磯山 六郎は、アンガード帝が年若い女性であることにまず驚いた。
そして、話を進めるとやはり今の地位が重荷であったことが見て取れたのである。
彼女が語る所によれば、この国で皇帝であったとしても、その権勢は他国の王や支配層に比べればせいぜい半分程度。
それが若い女であればなお低いと、自嘲した彼女の言葉が耳に残っていた。
皇帝の権力すら脅かすのは、皇族や軍部などが思いつくがこの国では違っていた。
宮中に詳しい犯罪組織が幅を利かせていると言うのだ。
それが征四郎が壊滅を目指している『ファミリー』と呼ばれる組織であることは六郎にも分かった。
彼らの腕は予想よりも長いようで、皇帝と言えどもその刃からは逃げられない。
連中を捉えようと法を整え、取り締まりの強化を図ろうとも、文官を通して執行される法は骨抜きにされていることも多く役に立たず、また下手に動けば命がないと聞けば、確かに皇帝なんて重荷でしかないだろう。
そして、そんな連中が相手であるからこそ、征四郎は暗殺者連中を取り込みクレヴィの護衛としたのだろうし、今回徹底的に叩こうと考えたのだろう。
交渉が然程難航もしなければ、そんな風にぼんやりと考える余裕が六郎にはあった。
そこに、ここにも伝令が駆け込んできて一報を告げたのだ。
犯罪組織の投降者が現れて、自分たちの主を告発したと言うのだ。
その主の名はハヴィリネ公爵、現皇帝アンガード帝の叔父にあたる人物である。
その報告に使節団と交渉していた外交部のダークエルフ(確か名前をダーグと言ったか)が驚き目を見開き、アンガード帝も言葉を失った。
だが、六郎は見逃さなかった。
帝国外交部のもう一人のダークエルフ、ツチラトと名乗った男だけが僅かに頷いたのを。
それが意味する所は、今は分からない。
だが、この場でもう一波乱起きそうな気配を六郎は感じていた。
きしくも、それは征四郎やアルデアが抱いた危惧と同様の予感であった。




