第2話「森の中の死闘」
神土 征四郎は眠りの園にいた。
深い、深い眠りは森に入ってから久方ぶりの眠りであった。
遠くで炎を吹き出し派手に燃えているのはギルギ帝国軍の補給集積地。
時は解放歴307年12月8日、最短予定より5日遅れたが征四郎等は不抜の森を抜けて目的を完遂した。
燃える集積地を遠目に眺めながら、征四郎を含めた9人が森の闇の中で休んでいた。
散乱する糧食の包み、集積地に置かれていたそれを奪い、貪りそして眠る彼らの表情にやり遂げた満足感など皆無だった。
誰もが顔を歪めて、何かに追われて居るかのように焦燥の色を浮かべていた。
眠る征四郎は夢を見ていた。
夢と呼ぶにはあまりにも殺風景で、それだけに夢と思える奇妙な夢を。
一人佇む征四郎に誰かが声をかけてきた。
姿は見えないが、聞き覚えのある声であった。
「神土、同期のよしみで言うが少し増長が過ぎたな。」
「……言うな、嘉山。私が判断を誤り、そのツケを部下が払った。分っている……。」
そこで姿見えぬ声の主は軽く嘆息して、それから再び言葉を紡いだ。
「貴様は誇って良い筈だぞ、今まで抜ける者がなかった森を抜けて任務を全うした。部下の損失とて僅かに一名。」
「馬鹿を言うな! その一名は子飼い中の子飼いだ! 最初の十人を真っ当な戦闘で失うならともかく、こんな、こんな物で……! ましてや、私が判断を誤った所為で!」
「最初の十人だったからこそ、奴は傷を負いながらも一人死地に残り、連中を足止めにしているのだろう? それが奴の性格に合っているのか如何かを知るのは貴様だけだ。……焦燥といら立ち、それに毒物による意識混濁であの時の事を何処まで覚えているのかは分らんが……思い出せ。何があったのかを、これから如何するべきなのかを。」
そこで声はふつりと途切れ、死者との対話は始まりと同じように不意に終わった。
征四郎は最後の言葉を聞き、落ち着くべく深呼吸を繰り返す。
そうだ、今は体力と気力を回復させ、魔力を戻して魔術兵装を纏い森へ引き返さねばならない。
腐っている時間はないのだ。
生きているのならその身柄を、死んでいるならばその亡骸を奴らから取り戻さねばならない。
奇妙にも夢の中で征四郎はそう決意し、意識は暗闇へと落ちていった。
この状況を説明するには、時間を巻き戻す必要がある。
解放歴307年11月25日の開戦の時間へと。
開戦の知らせを受けて、征四郎等は森に突入した。
この際に最初から魔術兵装カテナを身に纏い、いかなる罠も無力化し、或いは大地をドラゴンバスターで吹き飛ばしながら進めば、話は違っていただろう。
隠密作戦としては破綻しているが、この先の苦しみは味わうことはなかったのだから。
地図上の目算では森は何もなければ三日もあれば突破できる距離であると計算されていた。
無論、ここに謎の罠群や襲撃者を勘定に入れて征四郎は十日掛からず九日で突破する心算でいた。
結果としてこれは慢心であったかもしれないが、これまでの三国の軍事状況やジュダン=ボウ要塞での活動を思えば、そこまで無茶な概算でもなかった。
だが、この地の罠は魔法帝国の魔術師すら凌ほどの恐るべき罠であったのだ。
それに気づいたのは森の中心部に差し掛かった四日目のことだった。
それまでは、気配を殺した襲撃者の微かな気配を察知して攻撃を凌いで事なきを得ていた征四郎等であったが、四日目からは違っていた。
押し殺した襲撃者の気配を感じ、進む先を変えれば待ち構えていたかのように殺意あふれる罠が待っていた。
最初の罠に気づけたのは全くの幸運で、森に生息するシュバリエ鹿……角が剣の様に真っすぐで、雄同士でそれを打ち合うことから古い言葉で戦う階級を意味するらしいシュバリエと名付けられた……が罠に嵌って絶命する瞬間を目撃したからだ。
そこから凡その罠の設置状況や発動のトリガーを分析し、最初の罠群は数時間かけて突破できた。
が、最早日が沈み暗闇に覆われた森の中であっても、今までと違い襲撃者は襲撃の手を休めることはなかった。
間髪入れず続けて数度の襲撃があったかと思えば、一晩近く間をおいて不意の襲撃が起きたり、その攻撃に規則性は見いだせず、それでいて誘導された先にある罠は危険度が増すばかりだった。
そこに加えて征四郎自身が何かしらの毒が塗られた矢を射かけられ、かすり傷を負ってしまった。
後にその毒がシアン化水素、つまり青酸である事が分かるのだが、この時は鏃に塗られた物が何であるかまではわからなかった。
液化の物は液化青酸と呼ばれるシアン化水素を摂取した動物は、細胞内呼吸を阻害し死に至るのだが、征四郎は体の不調を訴えるに留まった。
この矢の攻撃にせよ、罠の数々にせよ征四郎が魔術兵装であるカテナを身に纏えば、その身を傷つけられる様な物ではなかったけれど、隠密作戦であることに加えて、昼夜を問わない不規則な襲撃と凶悪な罠の数々、それに毒物による消耗で精神をすり減らしていた
今の 征四郎では、最早カテナを扱えない状況に陥っていた。
そして、森の中央部にくぎ付けにされて命を削られていく事三日。
森に足を踏み入れてから一週間が過ぎたころ、遂にコボルトのキケが。
この好奇心旺盛の若いコボルトが逆に罠に嵌った振りをして敵をおびき出して捕らえることに成功した。
キケが考案し実行したやり方は、ある意味子供の悪戯の延長だった。
落とし穴、下には無数の木の杭が設置され落ちてきた獲物を串刺しにする原始的な罠に、敵からの襲撃を逃れるように向かってあえて嵌ったのだ。
実はこの落とし穴は前日に見つけていたもので、夜闇に紛れて木の杭を抜いて置いたのだ。
常時監視されている訳では無かった事と、一部の杭を抜くだけであったことが功を奏した。
そうと知らない襲撃者は一人を残して、キケを見捨てて逃げ惑う征四郎等を追った。
そして、残った一人は小柄なコボルトが死んでいるのか確かめようとして落とし穴をのぞき込んで、不意に伸びてきた死んだはずのコボルトの腕に捕まえられて、落とし穴に引きずり込まれた。
杭はすべて取り払った訳ではない、当然襲撃者の体を杭は傷つけた。
一方、キケは素早く自らの罠に嵌った襲撃者を観察する。
緑や黄土色を混在させた森に溶け込みやすい衣服、顔にまで似たような色合いで戦化粧をしている。
種族はぱっと見は分からなかったが、どうやらデモニアの様だ。
ギルギ帝国の一員か?
しかし、それにしては過去の生存兵の証言と矛盾する。
で、あれば、帝国に居られなくなって森にすみ着いたある一族と考えるのが妥当か。
一族であれば、いや、そうでなくともこんな森で過ごすのだ、結束力は高い筈……。
そこまで考えてキケの脳裏に閃くものがあった。
罠に嵌ったデモニアが運よく足を杭に貫かれただけである事まで確認を終えて、キケは落とし穴から逃げ出して、気配を殺して周囲をうかがう。
手筈通り、征四郎を連れた隊員が逃げ惑う振りをしながら戻ってきた。
キケは素早く一団に加われば驚くべき提案を征四郎以外に告げたのだ。
何故なら、征四郎は現在毒により意識が朦朧としていたためだ。
本来ならば心配するべき所だが、事前に征四郎が一時様態が悪化しても必ず回復すると伝えて置いたためにこのまま死ぬとは誰も思っていなかった。
が、悪化のタイミングが悪く隊員二人に担がれながらの逃避行を余儀なくさせていた。
「僕は連中の仲間を傷つけた。ここで僕と皆とで二手に分かれた場合どちらを狙うだろうか。連中は如何にも身内のようで仲間意識は強そうだ。総力を挙げてまず僕を狙うんじゃないかと思う。その間に皆で少佐を連れて目的地へ急いで欲しい。」
「馬鹿を言うな、多勢に無勢だ。」
短く答えるダークエルフのイルメリの言葉に軽く首を左右に振ってキケは笑った。
「まあ、そうなんだけどね。僕はちょっと一緒に行けないというのが正しいかな。」
そして、袖を捲って見せると、その部分の体毛は赤く染まっていた。
さっき落ちた際にねと笑っているコボルトを見やり、ダークエルフは一瞬考えて頷く。
本来その程度の傷でキケが付いて行けないと言う筈がない、それにこの地に罠を思えば毒ないし汚物が塗られた罠であったかと判断したのだ。
危篤者は既に一名抱え込んでいる。
さらに一名を連れて行くのは、無謀だ。
非情な選択だが、多くに命がかかっている作戦でもある。
そうイルメリが考えて頷くだろうことは、キケにも分かっていた。
だから、あえて傷を見せ判断を促したのだ。
最も、今少し時間があれば結果は変わっていただろう。
怪我の詳細を調べようとして、実際には傷を負っていないことを確認できただろうが、今は何しろ時間はない。
結果、キケは一人で残り敵を引き付けると言う自身で立てた作戦に従事できることになった。
信じ難い事に襲撃者は仲間を襲ったキケの方に全員で向かっていった。
コボルトの若者が望んだ通りに。
こうなる事に賭けては居たし、勝算がまるっきり無かった訳ではないが、実際に敵が思うとおりに動いてくれると、なるほどこれは中々の味わいだ。
キケの勝算とは、計算と呼べない代物であった。
過酷な状況で暮らす一族ないしコミュニティは結束力が高く、仲間を傷つけたものを許さないだろうと言う知識と呼ぶには聊か心許ない噂話が元であったのだから。
今はそれが事実だったと身をもって証明した形だ。
損な役回りだが、自分が生き延びて逃げ続ける限り仲間は目的地に近づくのだ。
キケはそう思えば普段通りに楽しげに笑いながら、森の奥へと消えていく。
コボルト一人、そうたかを括っていた襲撃者たちは、中々補足できなくなって行くコボルトに苛立ちを覚えていく。
何故なら罠に嵌めたデモニアを思い出しながら、キケは逃げながらも土や泥で体を塗装し、落ち葉や小枝で体を飾り自身に迷彩を施し始めたのだ。
ゲリラ戦における征四郎の訓練は完全ではなかったが、役に立たない物でもなかった。
ゲリラ戦とは根本的に征四郎と言う人間が戦っていた戦場とは状況が全く異なる戦術や装備が必要になる。
ましてや、死霊の語る戦術は歯抜けも多い。
それを今まで征四郎は自身の経験で埋め合わせてきていたが、ゲリラ戦はその認識では違っていた、ただそれだけの話である。
そんな征四郎が編み出した訓練に瑕疵はもちろんあったが、それでも気配を殺す術等は教えていたし、初期の頃から部隊員であるキケも当然身に付けている。
その彼が敵から学んだ迷彩やブービートラップの技術を身に着け始めたら……?
コボルトのキケは、今まさに師を超えて真の意味のゲリラ戦術を体得しつつあったのだ。
「人には向き不向きがあるって事さ、あんたもそう思うだろう?」
襲撃者が補足できないコボルトを探すためにバラけてくれた絶好の機会が訪れた。
一人でキケを探していた襲撃者が自身に気付かずに背後を見せれば、その首に腕を回してコボルトの青年はそう笑っていった。
確かにこの森には死神が居た。
嘗ては複数存在していたが今ではその姿は年若いコボルト一人と変わっていた。
さて、作戦成功から三日が経った。
毒物と疲労から回復した征四郎が魔術兵装を纏い、森を進軍していくが襲撃者の姿は全くなかった。
罠すら新しいものは設置されていない。
キケは未だに敵をひきつけているのか。
そうであれば良いのだがと、冷静さを取り戻した征四郎が森林中央部に戻っていくと、キケが一人で火を起こして、料理をしていた。
ああ、少佐と手を振りキケは普段通りの呑気さを見せているが、それの意味する所を悟れば征四郎はその光景が心にずっと残る事になると確信して呟いた。
「私は、恐るべき戦士を作り上げたか。」
生きていてくれたと言う歓喜と自分を超えたキケに対する戦慄、そして全てを負わねばならない立場から分業に移行できる自身の負担軽減を思い安堵を同時に覚えた。
だが、伝え聞いていた状況と変わっていることに気付いて、思わず声を掛けた。
「おい、怪我はどうした!」
その言葉を聞いたキケは、恍けたように小首を傾げて。
「鹿肉、焼けた所ですけど食べます?」
と聞いてきた。
この一連の戦いを経てB・B部隊はゲリラ戦術指揮官を得た事になる。
来るべき大戦に寡兵で挑まざる得ないバルアド大陸にとっては大いなる戦力の獲得でありであり、テルハ大陸の陣営にしてみれば無駄な出血を強いられる悪夢そのものでしかない。
だが、今はまだ誰もその恐ろしさには気づいていないのだ。
この森へ侵入した者達と巣食っていた者たち以外には。




