第21話「城砦のロズ」(改定)
征四郎が自ら囚われて敵の出方を伺い、志願兵たちがそれぞれブラウニング領の主要都市の影に潜み情報を集めている頃、ルーグ城砦ではロズワグン=ナグが一人城壁に佇んでいた。
その手にはスーライと呼ばれる木になる実を潰して生成した油が入った瓶を持っている。
荒地にぽつぽつと自生するこの木は生命力が高く、ロズ自身も重宝している。
瓶の蓋を開けると微かに香るのはカネカの香り。
カネカは多年草で、荒地以外の森には結構な確立で見る事が出来る。
清涼感のある香りが特徴的で、香油に用いられたり、料理に使われる物もある。
征四郎はその香りを薄荷の様だと称していた。
そう、ロズが手に持つのは自身の髪に塗る髪油である。
普段は征四郎に塗って貰い、櫛通しまで頼んでいるのだが、生憎と彼は今は戦場だ。
いや、ロズとて戦場に居るのだが彼女はその身を清潔に保つ事を忘れはしなかった。
不浄なる死を操る死霊術師であるにも拘らず、だ。
それが何故か、ロズは自問する事もなく一人で髪の手入れを始めた。
誰の目も気にせず、何に憚ることなく彼女は成したい様に振舞っているが、それを咎めたりする者は居ない。
そもそも、今のルーグ城砦にロズに話しかける者は極端に少ない。
レーギーナと少数の自動人形、そして老いたコボルトのバルトロメ程度なものだ。
恐るべき伝説と人を寄せ付けない佇まいは、当然のように人を遠ざける。
そして、彼女にとってはそれが当たり前の事だった。
齢六百を数える恐るべきこの死霊術師は他者に好かれたいと思った事は一度もない、15年前のあの日までは。
あの日に出会った神土征四郎を胸中に思い浮かべて髪の手入れを行っていると、近づいてくる複数の足音に気づく。
一体、何だと言いたげにそちらにロズが視線を向けると三人の若者が歩いてくるのが見えた。
磯山六郎、ロデリック、そして自動人形のスクートゥムだ。
六郎が先頭を歩き、残り二人はそれに付き従っている様子に、ロズは僅かに翡翠色の双眸を細める。
一体何様だというのかと煩わしさを覚えるも、一方で六郎の質問内容が何となく分っていた。
それを滔々と聞かせてやるのも面白いやも知れぬと、髪油の瓶の蓋を閉めて、懐から取り出した布切れで手を拭った。
六郎が城壁に佇むロズを見つけて、話を聞きに行くと言い出した際には、ロデリックもスクートゥムも驚いた物である。
大死霊術師であるロズワグン=ナグを恐れぬかのような振る舞いであったし、六郎が時折見せる不躾さ、好奇心の強さに危惧を抱いたのだが。
眼前に繰り広げられているのは惚気話を滔々と語る件の死霊術師と、聞かされながらも話を整理して、基本的には対象を持ち上げながら、質問の答えを得ている六郎の姿に其れが杞憂であった事を悟った。
六郎の思い掛けない強かさも驚きに値するが、それ以上に普段の様子とは異なり怒涛の如く対象について語るロズワグン=ナグの姿に度肝を抜かれた。
ロズワグン=ナグ、半人半神と噂され数多の死者を操り全てに平等に死を齎すなどと大層な伝説が一気に瓦解した用にも思えた。
頭がくらくらする様な思いを抱きつつも、語られる内容は二人にとっても興味を引いた。
それは、死に掛けた異界の兵士が致命傷を負いながらも生還を果たす話でもあり、謎めいた旧文明の兵器の話であったり、恐るべき術師も今を生きるただの人だと認識させる話であったりと多岐に及ぶ。
そして、話を聞くだに少佐と呼ばれる神土征四郎も、目の前のロズワグン=ナグも結構ポンコツだという事が分かる。
戦闘能力と言う意味ではポンコツとは程遠い二人だが、日常生活では何とも間が抜けた遣り取りをしているようだった。
微妙な心のすれ違いに、片方は怒り、片方はきょとんとして小首を傾いでいた話とか、思いもかけず好意の言葉をストレートに放たれて、思わず狼狽して実験を失敗した時とか…。
その辺りは途中からロズが言葉を濁したので、曖昧と言えば曖昧だが凡その見当は付くという物だ。
だが、六郎は興味深くはあった物の、下手にその辺りは突っつかず、別の話題を振って会話を続けた。
そうして得た情報を元に、六郎は漸く征四郎が別の世界の人間である事を確信したのだった。
パラレルワールドとでも言うのか、仏教で言う所の三千世界の存在を確信した訳だが、今それを知り得た所で意味がどれ程在るのかまでは、六郎自身も良く分らなかった。
だが、知らないと言う事を知るのは楽しい事だ。
今は亡き父がそう教えてくれた事を六郎は、確かに思い出していた。
知り得た事は六郎の常識等と言う物が粉砕されたこの世界にでも来なければ、到底信じる事の出来ない内容ではあったが。
征四郎の世界、そう呼ぶのが正しいかは知らないが、その世界は六郎の住んでいた世界の歴史と似ている。
ある一定の時期までは、何やら大分似通っていた。
ハンニバルがカンネーにおいて勝利したのも、カエサルが独裁官に就任し暗殺されたのも、神の子イエスが生まれたのも同じであった。
だが、征四郎の世界では東ローマ帝国に当たる国は滅びていないようだった。
日本に当たる国でも武士が政権を取る事はなく、主神は太陽神ではなく大地母神であった。
太陽が二つある為、国が二つに割れることを忌避して太陽神を主神とする宗教は生き残らなかったようだ。
そして、征四郎の経歴だが彼はかなりのエリートである事が窺えた。
年間50名しか入学できない軍大学に入り、卒業している事でそれが窺えるが、その後は前線勤務が多かったようだ。
驚くべき事だが、征四郎の世界では限定戦争を何十年も続けていると言う話だ。
ロズワグン=ナグの語る所によれば、征四郎の国の将兵70万の内、実際の戦場を知るのは十分の一以下であったと言う。
民間人など余計に知らないはずだと、征四郎が語っていたと告げた。
全人口を尋ねると七千万ほどと言う答えが返ってきて、六郎は人口と軍人の割合が高く感じた。
大体、六郎の知る七千万の人口を要する国というとフランス辺りだが、その兵数はおよそ25万を下回っていた筈だ。
その二倍以上の兵数を征四郎の国は揃えていた事になるが、それは長く戦争が続いている所為なのだろう。
(限定戦争だから、長く続けて居られる……のか?)
等と、六郎は考察を重ねていた。
六郎の背後の二人と言えば、聞こえてきた数字にただ驚くのみだ。
七十万といえば、このバルアド大陸に住まう全ての者を合わせた数か、僅かに少ないくらいだ。
それが一国の兵士数だということに、驚きを禁じえないのは仕方がないことだろう。
七千万などと言われれば、最早何と思えば良いのか分らないレベルだ。
例え霧向こうの人口をあわせても、七千万位は遠く及ぶまい、異世界では其れが一国だけの人数だというのだから、驚きしかない。
ロズワグン=ナグは新たに召喚されたと言う経験の浅い勇者候補相手に、征四郎について語っている最中も、警備を疎かにはしていなかった。
城砦周囲に死霊を飛ばして警戒網を敷いていたからこそ、城砦に近づく少数の存在に気づいたのだ。
「ほう、またぞろ村を追われた連中か?」
言葉と共に城壁からそちらを見やれば、確かにブラウニング軍の目を掻い潜りやってくる者達がいた。
さて、残念だが仕事だと淡とした声で六郎等に告げて、片手をひらりと振ってその場を後にするロズ。
その背を見送ってから、六郎は小さく息を吐き出して。
「あそこまで喋るとは思わなかった。」
ポツリと呟き、城壁から地平を見やれば日は大分傾いていた。
そして、やってくる者達は何者だろうかと思案しようとしたが、まずは一息つこうと息を吐き出した。
流石に全て敵では無いのだろうがと懸念ばかり募ってしまうから。
だが、六郎の懸念は程なくして晴れる。
やってくる者達は村にて征四郎等が助けた傭兵団『片目の狼』に属する者たちであったのだ。
伝令として送られた少数の中には、形式的な団の主であるクラーラも混ざっていた。
実質的な指揮官であるサンスは、征四郎と共にブラウニング領に赴いている。
彼等は程無くして迎え入れられ、レーギーナやロズの前で情報を伝える事になった。
ロズは志願兵が挙げた戦果に満足したが、直ぐにバルトロメを呼びクラーラと引き合わせた。
そこで発覚したのは、バルトロメ、クラーラ双方の雇い主が老いたオークのゾスモであることだ。
そして、接点を前々から持っていたのに互いに互いの存在を伝えていなかった事も。
そこに一体どんな意味があるのかは、今は分らない。
だが、ロズにはそれ以上に気になる事があった。
「コウベクの者と言う事は、魔を封じていたはずだが…あの水晶は最早無いのか?」
「ええ、コウベクからは失われました。ナグ様は我が家に伝わっていたあの石に何が封じられていたかご存知なので…?」
クラーラの問い掛けに、ロズは僅かに眉根を寄せてから絞り出すような声で告げた。
「ディクシュワカを一夜で滅ぼした、赤い竜。正確には、その名で呼ばれる魔術師の意識の一部。ジュアヌスと争い、ジュアヌスを殺すもそれと引き換えに意識を水晶に封じ込められた者。ルベール・ドラコ。」
告げやってから、深く長く息を吐き出す。
ロズは瞑目し、何かに思いを巡らせる様に押し黙った。
沈黙を破ったのは、この場では言葉少なかったバルトロメだ。
「六郎君が言って居りましたな、呼び出された際にブラウニング軍に属する魔術師が水晶を用いていたと。少佐はそれに魔術を封じていたと考えていたようですが。」
「それが魔を封じたと言う水晶の事であれば、そのルベール・ドラコの意識は既に解き放たれた後だと?」
何かを封じている以上は、その様な使い方はできない。
封さえなければ、空の器に水を汲むように魔術でも封じられるだろうと、クラーラが説明をしているとロズは頷き言葉を続けた。
「如何やら、恐るべき魔術師が復活しているようだが、余にも貴公等にも関係が無い。テルハ大陸に体が在る魔術師の事は今は捨て置け。」
そしてこれから如何動くかが肝要だと伝えながらも、この中で一番焦りを覚えているのはロズであった。
彼女のみが知っているのだ、征四郎が夢でその恐るべき魔術師と出会っていることを。
そして、その魔術師が語った言葉を。
「最早その名は呪いと化した偉大なる首領、我等がカース様と呼ぶあのお方が直接遣わしたのはお前か。なるほど、お前は死その物だ。お前に黄金の瞳の導きがあれば、獣の王足りえるやも知れん。眠る勇者がそうとばかり思っていたが……これは楽しみが増えた。」
それは征四郎が夢で見たことを伝え聞いた物でしかない。
まるで誇大妄想だと語った征四郎は、気にもしていなかったがロズはその夢を恐れた。
征四郎が知るはずの無い意味が込められている事にロズは気づいたからだ。
終末を描いた聖なる書によれば、王権を手にした赤い竜は獣の王に王権を渡して消えるのだと。
はるか昔の信仰の名残を、実践しようと足掻く狂人の復活。
問題はその狂人は圧倒的な力を持つ魔術師であり、結社を持ち配下を操れる立場にいることだ。
なんとも困った事になりそうだと、何度目かの溜息をついたが、その口元にはその厄介を歓迎するかの様に微かな笑みが浮かんでいた。
何も無い平坦な道よりも、起伏がある方がロズの好みであったし、伴侶にそれを押し付ける図々しさを彼女は持ち合わせていた。




