その112
戦う手段を得てから俺はひたすらに動き回り、魔物を次々と倒していった。
もっとうまく魔法を扱えたらそんなに動き回る必要もなかったのだが、あいにくとこちらの魔法には慣れておらず、接近しないとまともに当てられないし倒せる火力を維持できなかったので仕方ない。
とはいえ魔物の数は千を超え、その分だけ経験を積み重ねれば今は成長補正のない俺だって多少は扱いもうまくなる。
今では火球の射程は十メートルちょっとにまで伸びた。
たかだか十メートル、されど十メートル。接近して攻撃を回避することが無くなった分体力的に大きな助けとなっていた。
「あと十体……!」
そして今また一体魔物が火球に飲まれ霧散していく。
いよいよ大台というところまで来たので周囲を警戒するが、再出現したり増援がきたりはしないようで一安心だ。
感覚としては試練が始まってから八時間ぐらい経っているだろうか。かなり長時間の戦いだが、これは魔物の数を考慮して消費を抑えつつ戦ってきたからこそだ。早期の殲滅を目指していればその前にガス欠を起こしていたに違いない。
というか、最初に調子に乗ってガンガン動いてしまったのが痛かった。流石に体力も魔力も限界が近い。
はじめから長期戦になることを理解して動いていればもう少し余裕を残せたものを……。
まあ、でも。ビージ達の力を失って弱体化した割には結構うまく戦えてると思う。
全く、誰かに褒めて欲しい。というか愛しの女神様である笹倉さんに褒めて欲しい。
そんでもって彼女の優しい笑顔に癒やされたい。
はあ。ちくしょう、お家に帰りたい。ベッドに倒れ込みたい……って!?
「――っぶねえ!」
直撃コースで迫っていた石礫を慌てて避ける。
危ない危ない。まだ終わってないんだった。
だが、怪我の功名か今ので気が一気に引き締まっていく。
それから残る魔物を順番に、逸る気持ちを抑えて倒していった。
荒野にはびこる異形の影はすべて消え去り、静寂が満ちている。
その中でいつでも動けるように周囲を警戒するが、もはや俺の体は限界を迎えていて、何かあっても対応はできないだろう。
願わくば、今日のところはこれで終わって欲しい。
そんな思いが通じたのか、不意に足元に真っ白な点が現れる。
そしてそれは瞬く間に広がって、荒野を白く塗りつぶした。
試練開始時にも見た光景に安堵の思いが溢れてくるが、これが安全地帯というのは俺の予想に過ぎない。
しばらく他に変化が無いか警戒を続け、やがて何も起こらないようだと認識すると、途端に体の力が抜けて膝をつき倒れてしまう。
「ハア……ハアッ……!」
それまで普通にしていたのが嘘のように呼吸は乱れ、汗が吹き出し、さらに全身が鉛のように重くなる。
目も霞んで、視界がボヤけると同時に瞼がひどく重くなってきた。
このまま眠ってしまいたい。
そう思った矢先、目覚めたときと同じように食事が現れた。
はっきり言って疲れすぎて食欲も湧かないが……食っておかないと身がもたないだろう。
何より現れた料理がやはり笹倉さんのお手製であると見抜いてしまったからには食べない選択肢はなかった。
俺は重い体をひきづって、なんとか料理の元まで辿り着くと行儀悪くも手づかみで口にいれる。
こんな状態でも女神の手料理とあらばこうも美味しい。
一口食べてそれを認識した俺はガツガツとそれを平らげ、水をガブガブと飲んだ。
食事を済ますとやはり食器は消え、辺りは静寂に包まれる。
そんな風景に物寂しさを感じるよりも早く、腹を満たしていよいよ緊張の糸が切れたのか、俺の意識は急速に闇に沈んでいった。
瞑った瞼の向こうに光を感じて目を覚まし、ゆっくりと目を開き、瞳に映るのは白い床と荒野の世界。
寝て起きたらすべて夢だった、なんてことはなくて残念である。
そして一種の敵地に居ることを認識したことで一気に眠気が吹き飛び、体中に活力が迸る。
体を起こし、軽くストレッチしたりして確認すればどこも痛めていない。筋肉痛もなしだ。
あいつらの力がなくたって俺の体はすこぶる頑強らしい。
魔力も無事に回復してくれたようで一安心。
実は最後の絞りカスみたいなもので、魔力は有限でしたとかあったら詰んでたからな。
「ん、あれは……」
そうして一通り確認したところで周囲を見渡すと、一つ気になるものがあった。
なにやら白いエリアの一画に長方形の箱がある。中は空間になっているのか扉も付いているそれは工事現場で見かけることも多いあれを彷彿とさせる。
意を決して扉を開けてみれば――
「……まあ、必要だし個室なだけマシだよな……」
――案の定トイレだった。
確かに必要だ。必要だけど、こう、何とも言えない気持ちになる。だが、トイレを認識したことで沸き上がりつつある生理現象は押さえられそうもなかった。
俺はなにか心を削られるようなものを感じながらもそれを利用した。
「……」
用を終えてトイレから出る。
すると当然のようにトイレが消えた。諸々はどこに消えたのだろうか。考えないでおこう。
同時に食事が現れる。なんと手をきれいにするためのおしぼり付きだ。
もはや驚くこともなく用意された食事を腹に納めてふと思う。
惨めだ。
料理自体は女神様の手料理であるがゆえに最高級だが、それ以外はなんと無味乾燥なことか。
必要だから用意され、用が済めばさっさと消える。
残されるのは何もない荒野の景色だけ。
そしてそこに踏み出せば見るのも嫌になるような異形との戦いだ。
なんとも人のぬくもりが恋しいが、しかしこの試練がいつ終わるとも知れず。あるいはそれに耐えることも含めて試練なのかもしれない。
「はあ……」
気持ちが鬱蒼としてきたので、それを全部吐き出すようにため息を一つ零す。
さらに深呼吸を何度か繰り返して気持ちを切り替えていく。
なんやかんやと異界での戦闘は数をこなしているのでこういう切り替えも慣れたものである。
それから昨日の経験も踏まえてさらなるバフを重ねておくとしよう。
そのバフは魔法、ではない。
俺にとって何が力になるかと言えば、当然女神笹倉さんである。故に、バフとは女神の加護にほかならない。
目を瞑る。
それから笹倉さんの姿を思い浮かべれば彼女への想いが無限に溢れてくる。
声には出さずあくまで心の内で祈り続ければ脳裏に浮かぶ彼女の笑顔が俺に無限の活力を与えてくれる。それはメンタルに留まらず実際に俺の能力を数段引き上げてくれるのだ。
「ふう……よし!」
次に目を開けた時には先程の鬱蒼とした気持ちは欠片もなく。
ただただ試練に立ち向かう闘志と覚悟がそこにあり、それに押されるようにして荒野の世界へと足を踏み入れる。
途端に昨日と同じように白いエリアは消え、周囲に魔物が溢れ出す。
そして現れた魔物は即座に俺を認識したようで、各々が魔法を生成して射出してきたが、昨日も千を超える魔物と戦ったのだ。今更この程度の魔法――!?
「っ!!」
ふと違和感に気付き少し慌てながらも両腕に纏う形で障壁を形成。それから魔法の隙間を縫うように動いて回避するが、昨日までの直線的なものと違って今日はいくらかの魔法が追尾してきた。
それを確認すると地面を鋭く蹴って方向を変え、それでも尚追尾してくる魔法を障壁を纏った両手で叩き落とす。
早々に気付けたおかげで被害ゼロで切り抜けられたが、敵が追尾性の魔法を使ってきたという事実はそのまま現れた魔物が昨日よりも強力であることを意味する。
格段に強くなったわけでは無さそうだが、それでも先行きが不安になる情報だ。
おまけに魔法を迎撃するのって消耗が激しいんだよ!
「クソがッ!」
オブザーバーに向かって恨み節を零しながらも魔力を練り上げる。
飛び交う魔法を避けながら近くにいる魔物から順に処理し、また攻撃を避けていく。
なんだか飛んでくる魔法の量が多いので周囲をよく確認すれば、昨日は反応が鈍くなっていた距離の魔物が今日はガンガンこちらに魔法を放っていた。
その事実に舌打ちが零れてしまう。
囲まれているせいで魔物が活性化する範囲が少し増えただけでも負担は数段高くなる。さらなる消耗の予感に辟易としながらも結局は戦い続けるしか道はない。
せめて消耗を抑えられないか色々工夫するしかないだろう。
俺は気合を入れ直して魔物を今日も掃討していった。




