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世界リセットなし。~死んだら別人生、それでも俺の歩いた道は残るVRMMO~  作者: ユミヒロ


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第400話 魚が多い朝は、魚が高くならなかった


【本文】

次の日の朝、港へ降りたときには、もう魚の匂いがいつもより濃かった。

一艘目の小舟が着いたところへ、二艘目が入ってくる。

その後ろにも、まだ帆が一枚見えた。

ティムが俺の横で足を速めた。

「今日、当たりの日じゃない? あれ全部魚なら、朝からかなり動くぞ」

「動くのは間違いないな」

「そういう言い方すると嫌な予感するんだけど」

岸へ着いた一艘目から、濡れた籠が三つ下ろされた。

二艘目は四つ。

三艘目も、底に二つある。

どれも小ぶりの魚が中心で、腹はまだ硬く、目も濁っていない。

悪い魚には見えなかった。

だから、最初は俺もティムと同じことを考えた。

これだけ獲れたなら、今日は儲かるんじゃないか、と。

ところが、籠を覗き込んだ買い手の男は、一つ目の舟へ昨日より低い値を口にした。

船頭が顔を上げる。

「昨日より下げるのか。こっちは朝一番だぞ」

「昨日は同じくらいの籠が二つだった。今日はもう七つ見えてる。後ろの舟まで入れたら九つだ」

買い手は魚より港口を見ながら答えた。

「俺が持って帰れるのは二つまで。値を上げる理由がない」

「魚は昨日より悪くない」

「悪いとは言ってない。多いって言ってる」

横で聞いていたティムが、俺の袖を軽く引いた。

「魚が多いのに安くなるの、分かるけど嫌な感じだな」

「自分が売る側ならな」

「買う側ならちょっと嬉しい」

「切り替え早いな」

俺たちの会話を聞いたのか、ハナが煙小屋の戸口から顔を出した。

「買うなら自分で捌いてね。こっち、今日はそんなに空いてないから」

ティムの顔がそのまま煙小屋へ向く。

「もう埋まってるの?」

ハナは返事の代わりに、戸をもう少し開けた。

中では昨日から掛かっている魚がまだ煙を浴びている。

空いている段もあるが、全部ではない。

「入る場所だけなら少しあるよ。でも、掛ければ終わりじゃないでしょ。塩を当てる人もいるし、火を見る人もいる。朝の分を全部持ってこられても無理」

「棚が空いてれば入ると思ってた」

「ティム、自分の寝床に空いてるところがあったら魚籠置いていい?」

「それは嫌」

「同じ」

ハナはそれだけ言って中へ戻った。

ティムが俺を見る。

「同じではない気がする」

「でも断られた理由は分かっただろ」

「分かったけど、例えが強い」

その間にも、港では値段の話が続いていた。

高く買う人はいない。

でも、誰も魚が要らないわけでもない。

宿の台所から来た女が半籠分を選び、網修理の男たちが昼の鍋用に何尾かまとめて買っていく。

煙小屋へ回せる分はハナが籠ごとではなく中身を見て決めた。

大きさも傷も違うから、一籠丸ごと同じ扱いにはならないらしい。

マルクは値段の話には入らず、通路の真ん中に置かれた籠だけを足で端へ寄せた。

「売るのは勝手だが、ここ塞ぐな。荷が通らん」

一艘目の船頭が、不満そうに魚籠をずらす。

「場所まで取られるのか」

「場所は最初からお前のじゃない」

「朝から細かいな」

「朝だから細かいんだよ」

言い方はいつも通りだった。

港に大漁を祝う空気はなかった。

怒っているわけでもない。

困っているというほどでもない。

ただ、魚が多いせいで、みんながいつもより少し速く考えていた。

どれを今売るか。

どれを煙へ回すか。

どこまで値を下げるか。

持ち帰るなら、昼までどう置くか。

ゲームなら、大漁の表示が出て終わりそうな場面だった。

でも、ここでは魚が増えただけで仕事が増えた。

ティムは二艘目の籠を覗きながら、小声で言った。

「これ、昼まで残ったらもっと安くなる?」

「たぶん。でも売る人が下げるとは限らない」

「じゃあ持って帰る?」

「持って帰ってどうするかがあるだろ」

ちょうど船頭本人にも同じ話が聞こえたらしい。

男は腕を組んで、残った籠を見下ろした。

「昼まで売れなきゃ、一つは自分で塩当てる。もう一つは帰りの村で聞く。捨てるくらいなら安くするが、今すぐ底までは下げん」

買い手の男が肩をすくめる。

「なら昼まで待てばいい。俺も二つ以上は持てん」

話は決裂したようで、していなかった。

ただ時間が一つ増えただけだ。

俺は濡れた板の上に並ぶ魚籠を見た。

昨日までなら、魚が多ければ得だと思ったかもしれない。

今日は、魚が多いだけでは何も決まらない。

値段も、置き場所も、人手も、時間もいる。

ティムが横で鼻をすすった。

「安いなら、今買って明日売ればいいんじゃない?」

俺はすぐには答えなかった。

その案が、少しだけ面白そうに聞こえたからだ。


第401話 安い魚を買っても、置く場所がなければ得じゃなかった

【本文】

ティムは本気だった。

朝の仕事が一段落すると、もう一度魚籠の前へ戻って、残っている値段を聞いた。

最初より少し下がっていた。

船頭も早く片づけたいらしい。

「ほら、下がった。今買って、明日また人が少ない日に売れば差が出るだろ」

ティムは声を抑えているつもりらしいが、すぐ横にいる船頭にも聞こえていた。

男は何も言わず、面白そうにこっちを見ている。

俺は魚より先にティムを見る。

「明日までどこに置く?」

「……涼しいとこ」

「どこ?」

「煙小屋の端とか」

戸口の向こうから、ハナの声が飛んできた。

「使うならお金取るよ」

ティムが振り返る。

「聞いてた?」

「聞こえる声で商売の話してるから」

ハナは手についた魚の脂を布で拭きながら出てきた。

「それに煙小屋は置き場じゃない。塩を当てるなら塩がいるし、煙に掛けるなら薪も人も使う。明日売るために今日の魚を入れるなら、その分まで計算しないと駄目でしょ」

ティムが少し考える。

「塩って、そんなに高い?」

「魚籠一つ全部やるなら、気にしなくていい量じゃないよ。あと、自分でやるなら手も動かして」

そこへマルクが空の木箱を二つ抱えて通りかかった。

ティムは逃がさなかった。

「マルク。魚、今日安いんだけど、明日売るのってありだと思う?」

「買い手は?」

「明日探す」

「置き場は?」

「今考えてる」

「運ぶ人は?」

「必要になったら」

「塩か煙は?」

「そこも今」

マルクは木箱を一度地面へ置いた。

「それ、商いじゃなくて魚を持ってるだけだぞ」

船頭が吹き出した。

ティムは真顔のまま俺を見る。

「言い方ひどくない?」

「でも、今のところ本当に魚しかない」

「レンまでそっちに行く?」

マルクはもう木箱を持ち上げていた。

「買うのは止めん。ただし、自分の魚になったら腐っても俺のせいにするな」

それだけ言って行ってしまう。

ティムは残った籠を見下ろした。

さっきまで宝の山に見えていた顔ではなくなっていた。

「買う前にこんなに考えることある?」

「買った後に気づくよりいいだろ」

「それはそうだけどさ」

結局、ティムは籠ではなく四尾だけ買った。

「これは商売じゃないから」

そう言っていたが、夕飯にするつもりなのは明らかだった。

ハナが横から魚を一尾持ち上げ、腹を押す。

「これ、今日食べるなら大丈夫。そっちの一尾は先に使って。腹が少し柔らかい」

ティムが慌てて順番を入れ替える。

「四尾でも管理いるんだな」

「生き物だったものだからね」

午前の終わりまでに、残っていた魚は少しずつ別の場所へ消えていった。

宿の台所がもう半籠。

港で働く男たちが小分けで何尾か。

昼前に南へ戻る荷馬の男が、一籠だけ安く買った。

「帰り道で売れなきゃ家で食う」と言っていたから、あれも商売なのか食料なのか、本人も半分ずつなのかもしれない。

煙小屋へ入った分は、最初から決めた量以上には増えなかった。

ハナが途中で首を横に振ったからだ。

「ここまで。これ以上入れたら、今掛かってる方を見る手が雑になる」

船頭の一人が言う。

「棚、上は空いてるだろ」

「空いてるけど、私の腕は増えないよ」

「上手いこと言うな」

「上手くなくていいから、そっちの籠持っていって」

船頭は笑いながら引き下がった。

俺はそのやり取りを見ていた。

空いている棚がある。

魚もある。

塩も薪も、たぶんある。

それでも全部は受けない。

人の手が足りないからだ。

条件が揃っているように見えて、最後の一つだけ足りない。

最近、こういう場面ばかり見ている気がする。

でも不思議と飽きなかった。

むしろ、地図に線を引くより面白い瞬間がある。

何が足りないのかを見つけたときだ。

昼過ぎ、最後まで残った籠の底から、押されて鱗の剥げた魚が何尾か出てきた。

船頭が嫌そうな顔をする。

「朝はこんなんじゃなかったんだがな」

「上に積みすぎたんじゃない?」

ハナが籠を覗き込み、傷んだ分だけ別へよける。

「こっちは今夜の鍋なら使える。明日へ回すのはやめた方がいい。残りはまだ大丈夫」

ティムが、自分の四尾を胸元へ抱え直した。

「俺の魚、大丈夫?」

「さっき見たでしょ」

「急に不安になった」

「なら早く持って帰って水で流して。あと、その抱き方だと服が魚臭くなるよ」

ティムが魚を体から離す。

もう遅い。

俺は笑った。

「明日売るどころか、今日ずっと匂うな」

「商売しなくてよかったかもしれない」

「そこまでで気づけたなら安い授業だったな」

「魚四尾分払ってるけどな」

夕方までに、朝の籠はほとんど姿を消した。

大儲けした人はいない。

ただ、買った人、諦めた人、煙に回した人、持ち帰った人が少しずつ違った。

魚が売れたというより、行き先が分かれたように見えた。

俺は、それを面白いと思っていた。


第402話 売れ残りがなくなっても、誰かが大儲けしたわけじゃない

【本文】

夕方、港に残っていたのは空の籠と、朝より強くなった魚の匂いだった。

全部売れた、と言えば景気のいい話に聞こえる。

実際はそんなに綺麗じゃない。

値を下げた船頭もいた。

煙小屋へ回して、今日の金にならなかった分もある。

荷馬の男は安く買えたが、帰り道で売れる保証はない。

宿の台所は得をしたかもしれないが、その分、今夜は魚を捌く手が増える。

ティムは自分で買った四尾のうち二尾の鱗を落としながら、もう三回顔をしかめていた。

「これ、食べるまでにこんな作業ある?」

「買ったときは明日売るって言ってた人が何言ってるんだ」

「売るなら自分で全部やらない予定だった」

「その予定、誰がやることになってた?」

ティムの手が止まる。

「……そこも今から考えるところだった」

横で小魚を開いていたハナが、包丁を止めずに笑った。

「考える前に買わなくてよかったね」

「今日、それ何回言われるの?」

「覚えるまで」

ティムがまた鱗をこする。

一枚飛んで、俺の頬に張りついた。

俺は黙って取った。

「今のは事故」

「何も言ってない」

「顔が言ってる」

「最近それ、ティムの方がよく言われてたのにな」

ハナが少し肩を揺らした。

煙小屋の前では、朝から増えた仕事がまだ終わっていない。

火を見る人が薪を足し、塩を当てた魚を返し、使った籠を洗っている。

魚が安かった日は、仕事まで安くなるわけではないらしい。

むしろ逆だ。

量が増えた分だけ、手は汚れる。

マルクは夕方の置き場を見て、空いた籠を三つまとめて軒下へ積んだ。

「朝の九つ、これで全部か」

「一艘が一つ持って帰ったから、ここで動いたのは八つ」

ハナが答える。

「煙が二つ、宿が一つと半分、荷馬が一つ、細かく売ったのが……残り。傷んだ分は今夜の鍋」

マルクが頷く。

「捨てたのは?」

「今のところなし。ただ、鍋の分は今日使う」

「ならいい」

褒めるでもなく、数字を板へ書くでもなく、それで終わりだった。

ティムが俺へ小声で言う。

「こういうの、記録しなくていいのかな。何籠来たら値が下がるとか」

「毎回同じとは限らないだろ。買い手が多い日なら違うかもしれないし、煙小屋が空いてる日でも違う」

「じゃあ覚えにくいな」

「だから面白いんじゃない?」

ティムは少しだけ考えてから、魚を返した。

「レン、最近そういう面倒なのを面白がるようになったよな」

「お前は?」

「俺は分かりやすく儲かる方が好き」

「知ってる」

「でも今日みたいなのも、嫌いじゃない」

そこまで言って、ティムはまた鱗を飛ばした。

今度は自分の袖だった。

「これは嫌い」

夕暮れが港口へ落ち始めたころ、見慣れない船乗りが煙小屋の前で足を止めた。

背は高くない。

日に焼けた頬に古い切り傷が一本あり、肩へ畳んだ帆布を掛けている。

舟は港の外側に留めてあるらしい。

男は並んだ魚を眺めてから、ハナへ聞いた。

「明日の朝までに、持ち歩けるようにできる魚はあるか」

ハナはすぐには答えず、今掛けている段を振り返った。

「どれくらい持つつもり?」

「二日分。六包くらいに分けたい。人数は三人」

ティムの手が止まった。

俺も止まった。

二日分。

この港で聞くには、少し長い数字だった。

ハナは俺たちを見ず、魚の方だけを見る。

「今朝の魚を今から全部仕上げるのは無理。昨日からの分なら、明朝に状態を見て六包取れるかもしれない。塩の入り方が足りなかったら出さないよ」

「それでいい。駄目なら別を探す」

「行先は?」

ハナが聞いたのは興味ではなく、持たせ方の確認らしかった。

男は少し考えてから肩をすくめる。

「北側。二晩になるか、一晩で戻るかは朝の風次第。湾へ入るとは限らん」

北側。

それ以上は言わない。

ティムが俺の横で、ほんの少し前へ出た。

男が先にこっちを見る。

「人手は足りてる」

ティムの口が開いたまま止まった。

「まだ何も言ってないんだけど」

「その顔で分かる」

俺は耐えきれず笑った。

ティムが俺を睨む。

「最近ほんとこれ多くない?」

「分かりやすいんだよ」

「レンも今、絶対乗りたい顔してた」

男が今度は俺を見る。

俺は否定しなかった。

「乗りたいとは思った。でも、仕事がないなら乗らない」

「話が早い」

男はそれだけ言うと、ハナへ小さな革袋を見せた。

「明朝、もう一度来る。できてたら買う。できてなければそれまで」

前金は置かなかった。

ハナも取り置きを約束しなかった。

ただ、二日分の食べ物を欲しがる船乗りが一人現れた。

それだけだ。

でも俺の中には、朝とは別のものが残った。

今日、魚が多すぎて値が下がった。

その魚の一部が、明日には誰かの二日分の食料になるかもしれない。

同じ魚でも、港で売るのと、海へ持っていくのでは役目が変わる。

地図に線は増えていない。

正式な航路も増えていない。

それでも、二日分の食事という長さだけが、俺の知らない海を少しだけ見せた。

ティムが魚を水桶へ入れながら呟く。

「六包か」

「数えるなよ」

「まだ何も言ってない」

「顔で分かる」

ハナが先に言った。

ティムはしばらく黙ってから、俺を見る。

「もうこの港、俺の顔に厳しすぎるだろ」

煙小屋の火が、ぱち、と鳴った。

明日の風がどうなるかは、まだ誰にも分からない。


第403話 二日分の魚は売れた。でも、俺たちの席はなかった

【本文】

翌朝。

見慣れない船乗りは、本当に戻ってきた。

昨日と同じ帆布を肩へ掛けている。

違うのは、港へ入ってきた時から空を見ていたことだった。

煙小屋の戸口へ来る前に一度。

ハナが包みを並べている間に、もう一度。

俺もつられて見上げた。

晴れている。

でも、それだけでは何も分からない。

「六つ取れたよ」

ハナが布包みを一つずつ指で押しながら言った。

「ただ、昨日言った通り全部同じじゃない。こっち二つは塩が少し強い。先に食べるなら、その二つじゃなくてこっちから」

船乗りは包みを開けなかった。

代わりに、結び目の横から匂いを確かめる。

「二日なら持つ?」

「私なら持たせる。でも、陽に置いたら知らない」

「船の中は?」

「濡らさない。帆布の下へ押し込んで蒸らさない。あと、食べる時に変な匂いしたら捨てる」

ティムが俺の横で小さく言った。

「最後、急に怖いな」

ハナは聞こえていた。

「食べ物で絶対って言う方が怖いでしょ」

船乗りが笑った。

「それでいい。六つ買う」

昨日は置かなかった革袋から銅貨が出る。

前金でも、約束でもない。

魚を見て。

風を見て。

今日、買った。

それだけだった。

ティムは包みを積むのを手伝いながら、結局我慢できなかったらしい。

「北側って、どの辺まで行くんです?」

男は三つ目の包みを荷籠へ入れ、手を止めずに答えた。

「朝の風で変える」

「昨日もそれ言ってましたよね」

「昨日と風が違うからな」

「湾?」

「入るかもしれんし、入らんかもしれん」

「岬の向こう?」

そこで男はティムを見た。

「お前、聞き方が一個ずつ広がるな」

「気になるんで」

「なら自分の仕事で行け」

言い方は冷たくなかった。

むしろ、少し笑っている。

ティムが俺を見る。

「同じこと言われた」

「俺は聞いてない」

「顔で聞いてる」

またそれか。

俺が否定しないでいると、船乗りは六つ目の包みを受け取った。

「昨日も言ったが、人手は足りてる。食い物だけ足りなかった」

「分かってます」

ティムが先に答える。

少しだけ残念そうなのが分かる。

俺も同じだった。

でも、昨日よりは素直に見送れた。

仕事がないなら乗らない。

その線を一回引いたからだ。

船乗りは銅貨を払い、包みを帆布へまとめて港の外側へ戻っていった。

船が出るかどうかは、まだ分からない。

俺たちは追わなかった。

朝の魚仕事へ戻った。

昨日ほど魚は多くない。

値段も昨日とは違った。

ティムがそれを見て、「ほら、昨日買っとけば」と一度だけ言った。

ハナが包丁を置かずに返した。

「昨日の魚を今日までちゃんと持たせられたならね」

ティムはすぐ黙った。

学習が早い。

昼前。

マルクが港の入口で、知らない男と話していた。

男は革の胸当てを着け、腰に短剣。背中に丸めた外套を結んでいる。

荷主には見えない。

船乗りでもなさそうだった。

近づくと、会話の途中だった。

「……だから五以上。腕自慢じゃなくていい。夜に外で立てる奴」

マルクが俺に気づく。

「ちょうどいい。レン、お前いくつだ」

聞き方が急だった。

「何が?」

「Lv」

一瞬だけ返事が遅れた。

最近、仕事の話で聞かれていなかった数字だった。

視界の端を呼ぶ。

【Lv 3】

変わっていない。

知っていた。

荷を運んだ日も。

灰狼を追い払った日も。

船で網を上げた日も。

表示が変わらなかったのは何度も見ている。

でも、その数字で何かを断られる場面がしばらくなかった。

だから気にしていなかった。

「三」

俺が答えると、胸当ての男はすぐ首を振った。

「悪い。今回は五から」

ティムが横から口を挟む。

「何の仕事です?」

男はマルクを見る。

マルクが顎で「言っていい」と返す。

「北外れの岩浜で、夜まで荷待ち。舟から下ろす物を朝の荷車へ渡すまで見張る。海側の仕事じゃない。浜側の護衛だ」

知らない仕事だった。

「魔物が出る?」

俺が聞く。

「出るかもしれない。出ないかもしれない。だから五以上を一人置く。前に三で受けた奴が、暗くなってから獣追って足折った」

「獣を追ったから?」

「そう。荷を守れって言ったのに」

妙に納得した。

Lv5だから安全なんじゃない。

依頼する側が、夜の浜へ一人置く最低線を五にした。

それだけだ。

「荷役枠は?」

聞いてみた。

男はまた首を振る。

「舟側にいる。浜で欲しいのは護衛だけ」

終わった。

前の人生の経験ならある。

でも証明できない。

今の数字は三。

第二人生の最初、東河港へ向かう仕事でも似たことがあった。

あの時はLv1で、護衛経験者の募集へ入れず、荷役枠で東河港へ行った。

今は三。

あれから、できることはずいぶん増えた。

それでも、五と書かれた入口には届いていない。

悔しい。

不思議と、それが嫌じゃなかった。

第一人生なら、レベル条件なんて気にせず上げていた。

今の人生では、道と荷と人ばかり見てきた。

その遊び方を後悔しているわけじゃない。

ただ。

数字は数字で、ちゃんと世界の中に残っていた。

胸当ての男は、俺たちと話している間にも港を見回していた。

少しして、岸の方から槍を背負った女が来る。

「五以上って、まだ空いてる?」

「いくつ」

女が手元の表示を見せる。

男が頷いた。

「六。夜番経験は?」

「二回。浜は初めて」

「それでいい。詳しい場所は出る前に言う」

仕事は決まった。

俺の前で。

知らない誰かに。

その女は俺を見もしなかった。

当たり前だ。

この世界は、俺が受けられない仕事を空けたまま待ってくれない。

ティムが少しだけ俺の顔を覗いた。

「悔しい?」

「ちょっと」

「俺ならかなり」

「お前、レベル聞かれてないだろ」

「そこ今刺す?」

マルクが鼻で笑った。

それから、胸当ての男が離れたあとで俺へ言う。

「五が欲しい仕事に三で混ざるな。三でできる仕事なら、夕方に一つある」

俺は顔を上げた。

「何」

「葦曲がりまで小荷車。燻し魚二籠。向こうで南行きの荷馬へ渡す。護衛半分、荷役半分」

昨日の魚が、もう別の仕事になっていた。

「護衛は俺一人?」

「もう一人いる。お前は二人目。Lv3以上って条件だ」

「ティムは?」

「荷役で一人ほしい。口は条件に書いてない」

ティムがすぐ反応した。

「最後いらなくない?」

「必要だから言った」

俺はもう一度、自分の表示を見る。

【Lv 3】

さっきは閉じた数字だった。

今度は、入口になった。

「やる」

答えると、マルクは頷いた。

「じゃあ昼食って休め。護衛って言われて張り切って、出る前に疲れるなよ」

ティムが横で肩を回す。

「俺、Lv聞かれてないけど一緒に行けるんだ」

「お前は魚を落とさなきゃな」

「レベルより難しい条件きた」

俺は笑った。

Lv5の仕事は、もう別の人が持っていった。

俺たちに残ったのは、Lv3で受けられる燻し魚二籠の仕事だった。

それで十分だった。

今は。


第404話 Lv3で受けられる仕事は、ちゃんと危なかった

【本文】

昼を過ぎたころ、燻し魚二籠は小荷車へ載った。

昨日の朝、港で値を下げられていた魚の一部だ。

全部が同じ魚だったかまでは分からない。

でも、少なくともハナの煙小屋へ回った分が混じっている。

昨日は多すぎた魚が、今日は南へ渡す荷になっていた。

ティムが籠の上から布を掛けながら言う。

「一日で出世したな」

「魚が?」

「昨日は安売り。今日は護衛付き」

ハナが結び目を確認し、ティムの手を一度どかした。

「護衛が付いたから高級になったわけじゃないよ。夕方に葦曲がりまで持ってくから付いただけ」

「夢がない」

「魚に夢を背負わせないで」

ティムが俺を見る。

「最近、ハナ強くない?」

「前からだろ」

「レンまでそっち」

荷車は馬一頭。

御者が一人。

護衛が二人。

荷役でティム。

俺を入れて五人だった。

もう一人の護衛は、灰色の髪を短く切った女だった。

年は三十前後に見える。

胸当ては古いが、手入れはされている。

腰に片手剣。

荷車の脇には、貸し出し用らしい短槍が一本括ってあった。

女護衛は俺の腰の短剣を見てから、短槍を外す。

「これ使える?」

「何度か」

「“何度か”は幅広いな」

「最初は狼に振り回して怒られた。最近は、棒の方が多い」

女は少し笑った。

「正直でいい。今日は倒しに行く仕事じゃない。馬と荷から離れない。前へ追わない。それ守れるなら持って」

受け取る。

手に来る重さが懐かしかった。

第二人生の最初。

東河港へ向かった試験便で、短槍を渡された。

前世の剣と同じつもりで踏み込み、距離が合わなくて失敗した。

あの時より、今は柄のどこを持てば先が暴れにくいか分かる。

でも、上手いとは思わない。

思わない方がいい。

「名前、聞いていい?」

ティムが女へ言う。

「帰ってから」

「なんで」

「途中で死んだら覚える手間が無駄」

ティムの顔が固まった。

女はすぐ続ける。

「冗談」

「間が長いよ」

「護衛は間が大事」

「絶対今作ったでしょ」

御者が前で笑った。

俺も笑う。

女護衛は、少しだけ口元を上げただけだった。

名前は結局聞けなかった。

出発前、マルクが荷車を一周した。

魚籠。

布。

縄。

車輪。

馬の腹帯。

最後に俺たちを見る。

「葦曲がりで南行きの荷馬と受け渡し。戻りは空。日が落ちる前に帰れれば一番いい。遅れたら急ぐな」

ティムが聞く。

「急いで帰るのと、暗くなってゆっくり帰るの、どっちが安全?」

「場所による。だから現場の護衛と御者で決めろ」

全部に答えを置いてくれない。

前なら面倒に感じたかもしれない。

今は、その方が普通だと思う。

港を出る。

最初のうちは、ただ魚臭かった。

煙に掛けてあるのに、布の近くへ行くとまだ分かる。

ティムが後ろを歩きながら鼻を押さえた。

「俺、昨日から魚に好かれすぎじゃない?」

女護衛が前を向いたまま言う。

「好かれてるなら食われない」

「それ、慰め?」

「違う」

「今日の人、会話むずかしいな」

俺は短槍を肩へ掛けず、右手で低く持った。

まだ敵はいない。

だからといって構え続ける必要もない。

ただ、歩く時に先が荷車へ当たらない位置を探す。

最初の曲がりで一度、槍先が籠の布をかすめた。

女護衛が見ている。

何も言わない。

俺が持ち直すと、それで終わった。

道は乾いていた。

数日前の雨で柔らかかった場所も、表面は締まっている。

御者はそこを避けず、速度だけ落とした。

ティムが後ろから聞く。

「そこ、前に沈んだところ?」

「違う」

御者が答える。

「似てるけどな。ここは下が石。あっちは泥」

「見ただけで分かる?」

「踏んだ回数」

説明が短い。

でも、馬の蹄が硬い音を出したので少し分かった。

葦曲がりまでは、特別な道じゃない。

俺も何度か通っている。

だからこそ、油断しそうになる。

女護衛が途中で突然手を上げた。

荷車が止まる。

俺も止まった。

ティムだけ、一歩余分に出た。

「何?」

女は道の左端を指した。

泥の薄い場所。

犬より大きい足跡が二つ。

さらに草の中へ、もう一つ。

「灰狼?」

俺が聞く。

「たぶん」

女護衛はしゃがまなかった。

遠くから見るだけだ。

「新しい?」

「朝よりは後。今いるかは分からない」

ティムが足跡へ近づこうとする。

俺と女護衛が同時に言った。

「行くな」

ティムが止まった。

「二人で言う?」

女護衛が俺を見る。

「息合うね」

「初対面ですけど」

「じゃあ運がいい」

運の使い方が雑だ。

御者は馬の首を撫でた。

馬は落ち着いている。

耳だけ左へ向いている。

「戻る?」

ティムが聞く。

女護衛は少し考えた。

「足跡だけなら進む。馬が嫌がる、声が続く、姿が複数見える。どれか増えたら止める」

「一個ずつ?」

「一個ずつでいい。全部想像してたら港から出られない」

俺はその言い方が好きだった。

知らないものを無視しない。

でも、分からないものを全部危険へ膨らませない。

進む。

そこから、会話が少し減った。

ティムも黙った。

完全には黙らない。

三分ほどして、「魚の匂いって狼にも分かるかな」と言い、女護衛に「たぶん人間より」と返されて口を閉じた。

俺は道の左を見る。

次に右。

前。

荷車。

また左。

何もいない。

それでも、短槍がさっきより重く感じる。

力じゃない。

使うかもしれないと思ったからだ。

一度目の灰狼は、炭焼き道へ向かう試験便で見た。

二度目は荷を守るために木棒で止めた。

何度か遭遇している。

だから慣れた――とは思いたくなかった。

毎回、場所も荷も人数も違う。

しばらく進むと、前方で南から来た荷馬二頭とすれ違った。

向こうの男が女護衛へ声をかける。

「下の藪、二匹いたぞ。こっち見ただけで入ってった」

女護衛の足が止まる。

「どれくらい前」

「四半刻もない」

「追われた?」

「いや。荷馬が鈴鳴らしたら引いた」

「ありがとう」

それだけ。

男は進む。

ティムが小声になる。

「二匹って、さっきの足跡?」

俺は首を振る。

「分からない」

女護衛も同じだった。

「同じかもしれない。別かもしれない。数だけ覚えといて」

二匹。

姿はまだ見ていない。

荷車を戻すほどではない。

でも、いないことにもできない。

葦曲がりまで、あと半分もない。

道の右側が石壁になり、左は低い藪へ落ちる場所へ入った。

狭い。

荷車と人が並ぶと、余白は少ない。

女護衛が位置を変えた。

前から、荷車の左前へ。

俺を右後ろへ下げる。

「レン。後ろ。藪側じゃなく山側」

「狼、左じゃ?」

「だから一人で左へ二人いらない。来たら荷車越しに見る」

なるほど。

俺は右へ移る。

ティムはさらに後ろ。

御者は馬。

全員の場所が変わった。

その時。

藪の中で、枝が一度だけ折れた。

ティムの口が開く。

誰も喋らない。

二度目。

少し前。

女護衛が剣へ手を置いた。

俺は短槍を両手へ持ち替える。

前世の感覚が先に出る。

踏み込みたい。

見える前に距離を取って、こちらから場所を作りたい。

でも。

今の仕事は魚籠二つを葦曲がりへ持っていくことだ。

俺は前へ出なかった。

荷車の車輪を背中の位置で感じるくらいまで下がる。

藪の葉が揺れた。

灰色の鼻先が出る。

一匹。

その後ろ。

もう一つ、低い影。

【灰狼 Lv3】

一匹目が道へ出た。

俺と同じレベルだった。

だから安全――には、全然見えなかった。


第405話 Lv4になったのは、狼を追い払ったあとじゃなかった

【本文】

灰狼は、すぐには来なかった。

道へ半身だけ出し、鼻を上げる。

魚の匂いなのか。

馬なのか。

俺たちなのか。

分からない。

二匹目は藪の中にいる。

葉の隙間で目だけが動いた。

女護衛が剣を抜いた。

音は小さい。

「追わない。荷車を壁にする」

声も低い。

御者が馬を前へ出そうとする。

女護衛が首を振った。

「まだ。走らせると追うかもしれない」

馬の鼻息が荒くなる。

ティムが後ろから言う。

「俺、何する?」

「籠見て。縄外れたら言う。後ろへ来たら声」

女護衛が答えた。

ティムは短剣へ手を出しかけて、やめた。

荷台の後ろへ移る。

俺は右側。

山側。

短槍の先を低くした。

一匹目が一歩近づく。

前世なら、ここで間合いへ入った。

一気に距離を潰して、鼻先か肩を打つ。

頭の中では今もできる。

でも、第二人生で最初に短槍を持った日、同じことをやって失敗した。

剣の足で槍へ入った。

先が遠いのに、体だけ前へ行った。

あの時はセトの槍が横から入った。

今日は。

前へ行かない。

俺の足元へ、道の小石が一つある。

右に荷車。

左へ槍先。

後ろにティム。

守る場所は決まっている。

狼がさらに一歩。

女護衛は動かない。

俺も動かない。

ティムだけが、小さく息を吸った。

一匹目の耳がそっちへ向く。

「ごめん」

ティムが声を殺す。

謝る相手が違う。

でも今は突っ込まない。

灰狼が突然、横へ跳んだ。

俺ではない。

荷車の前。

馬の足元へ回ろうとした。

御者が手綱を絞る。

馬が一歩下がる。

荷車が軋む。

女護衛が前へ出た。

「レン、右!」

言われる前に見えた。

藪の二匹目が、俺の側から道へ出ている。

一匹目に目を取られた。

二匹目は低い。

まっすぐ魚籠へ――ではない。

荷車と山壁の隙間へ入ろうとしている。

俺がいる場所だ。

短槍を振る。

違う。

振らない。

途中で止める。

柄を少し短く持ち直し、先を狼の肩の高さへ置く。

灰狼が飛び込んだ。

怖い。

前世で何百回戦っても、今の体が怖くないことにはならない。

足が一歩だけ下がる。

槍先が毛をかすめた。

狼が身を捻る。

その爪が革の袖を裂いた。

痛みが遅れて来る。

【HP 91%】

浅い。

でも九%は九%だ。

「レン!」

ティムの声。

「平気!」

返しながら、追わない。

灰狼は俺を越えられず、荷車の右後ろへ回る。

ティムが荷籠へ両手を置いた。

「こっち縄動いた!」

戦闘中なのに、言うことがそれだった。

でも正しい。

馬が下がったせいで荷車が揺れ、上の籠が少しずれている。

「押さえて! 外すな!」

俺が言う。

「分かってる!」

ティムは腰を落とし、籠を内側へ押した。

短剣は抜かない。

その方が助かる。

前では、女護衛と一匹目が動いた。

狼が馬へ向かうたび、女護衛が剣の腹で進路を切る。

斬りに行かない。

馬から離す。

一匹目が一度、剣先へ噛みつこうとした。

金属が鳴る。

御者が馬へ低い声をかけ続ける。

「よし。よし。動くな。ここだ」

誰も格好よくない。

全員、自分の一つをやっている。

二匹目がもう一度、俺の方へ向いた。

今度は先に見えた。

飛び込む前に、槍の石突きを地面へ置く。

前へ突かない。

狼が来る場所へ先を置く。

灰狼は一瞬止まり。

右へずれた。

そこに荷車の車輪がある。

入れない。

左は槍。

前は俺。

狼の選べる場所が減った。

その時、前の一匹が大きく吠えた。

二匹目が振り返る。

女護衛が剣の柄で一匹目の鼻先を打っていた。

狼は数歩下がる。

追わない。

女護衛も止まる。

俺も止まる。

一匹目が藪へ戻った。

二匹目は俺を見たまま、少し遅れて後ろへ下がる。

枝が揺れる。

灰色が消える。

まだ終わりじゃない。

女護衛は剣を下ろさない。

「待つ」

誰も動かなかった。

馬の息だけがうるさい。

俺の腕も痛い。

ティムは魚籠を押さえたまま、変な姿勢で固まっている。

「……腰痛い」

誰も返さない。

「今じゃないか」

自分で言った。

少し笑いそうになった。

三十秒か。

もっとか。

藪から音は戻らない。

女護衛がようやく息を吐いた。

「御者。馬」

御者が首筋を撫でる。

「歩ける。脚も大丈夫」

「荷」

ティムが籠から手を離さず答える。

「上がちょっとずれた。縄一本、さっきより緩い。落ちてない」

女護衛が俺を見る。

「腕」

「切れただけ。動く」

「見せて」

「今?」

「今」

短槍を荷車へ立て掛ける。

袖をめくる。

爪が浅く二本。

血は出ているが流れるほどじゃない。

女護衛は水で洗い、布を巻いた。

「九減ったなら軽傷で合ってる。でも、軽傷って使っていいって意味じゃない」

「分かってる」

「分かってる顔が一番信用できない」

ティムがすぐ言う。

「それ俺もよく言われる」

女護衛が初めて少し大きく笑った。

「お前は顔じゃなくて口だろ」

「今日、みんな俺に厳しいな」

緊張が一段下がった。

それでもすぐ出発はしなかった。

荷籠を一度下ろす。

緩んだ縄を締め直す。

車輪を見る。

馬の脚を見る。

俺の槍先についた毛を布で拭く。

倒していない。

経験値の光もない。

素材も落ちない。

でも、仕事は続けられる。

女護衛が短槍を俺へ戻した。

「さっき、二回目はよかった」

「一回目は?」

「昔の癖が出た?」

俺は少し驚いた。

「分かる?」

「前へ出たい人の足だった。途中で止めたけど」

「前の人生、剣だった」

「じゃあ今の人生では槍を覚え直せ」

説教みたいに言わない。

それだけだった。

再出発する。

今度は、俺が荷車の左後ろ。

女護衛が右前。

さっきと少し変えた。

狼がいた側を避けるのではなく、俺の傷んだ右腕で槍を長く支えなくていい位置にしたらしい。

「交代しなくていい?」

ティムが聞く。

「荷押さえられる人を護衛に替える方が危ない」

女護衛が答える。

ティムは少し嬉しそうにした。

「俺、役に立ってた?」

「籠落とさなかった」

「もっと褒めてもいいよ」

「次落としたら取り消す」

「短い栄光だった」

歩き出す。

しばらく誰も藪の話をしなかった。

俺は短槍の位置だけを何度も直した。

腕が痛いから分かる。

力で支えるとすぐ疲れる。

肘を少し下げる。

柄を腰へ近づける。

前より楽になる。

小さな修正だった。

システム表示は出ない。

それでいい。

葦曲がりへ着いた時、南行きの荷馬はもう待っていた。

受取人が二籠の札を確認する。

「二つ。破れなし」

ティムがすぐ言う。

「狼二匹付きです」

受取人が顔を上げた。

「いらん」

「置いてきました」

「ならいい」

会話が終わった。

俺は笑った。

二籠を下ろす。

腕に力を入れすぎないよう、受取人と二人で持つ。

一籠目。

二籠目。

地面へ置く。

札が渡る。

受取人が頷く。

仕事はそこで終わった。

狼を追い払った瞬間でもない。

爪でHPを削られた瞬間でもない。

魚籠を二つ、受け取る人へ渡したあとだった。

視界の端に表示が出た。

【Lv 4】

俺は、その場で少し止まった。

ティムが二歩進んでから振り返る。

「どうした?」

「上がった」

「何が?」

「レベル。四」

ティムも止まった。

それから。

「……今?」

「今」

「狼の時じゃなく?」

「今」

「魚下ろして?」

「俺に聞くなよ」

女護衛が剣を拭きながら、こっちを見る。

「上がる時なんてそんなもんじゃない?」

「そうなんですけど」

俺は自分の手を見る。

Lv3になった時もそうだった。

狼を倒したから、ではなかった。

船を見た。

荷を運んだ。

売った。

買った。

前よりできることが増えたあとで、表示が変わった。

今日も。

狼だけじゃないと思う。

荷を運んだ。

船に乗った。

道を見た。

縄を扱った。

人と一緒に仕事をした。

今日は、その途中で荷を守った。

どれが何点だったのか。

俺には分からない。

システムも説明しない。

でも。

三から四になった。

それは、ちゃんと分かった。

ティムが俺の肩を叩こうとして、巻いた右腕を見て左へ変えた。

「じゃあ、あと一個で朝の仕事いけるじゃん」

「朝の仕事はもう別の人が受けた」

「あ」

「世界は待ってくれないって、昨日自分で見ただろ」

「そうだった」

ティムは本気で残念そうな顔をした。

俺は逆に笑った。

Lv5になったら、あの仕事が戻ってくるわけじゃない。

でも、次に五を求められる仕事が来た時。

入口の外に立つかどうかは、今より少し違う。

帰り道。

狼は出なかった。

日もまだ完全には落ちていない。

空の荷車は軽い。

ティムは途中で三回、「Lv4って体感ある?」と聞いた。

三回とも答えは同じだった。

「分からん」

四回目に聞こうとしたので、女護衛が先に言った。

「四回聞くと五になるの?」

ティムが黙った。

俺は吹き出した。

港へ戻ると、マルクはまず魚の受取札を見た。

次に俺の腕。

最後に短槍。

「仕事は」

「完了」

「荷は」

「二籠、受領」

「狼は」

「二匹。追ってない」

そこで初めて頷いた。

「ならいい」

俺が短槍を返そうとすると、女護衛が先にマルクへ渡した。

「この人、槍買うなら少し長さ見た方がいいよ。剣の足が残ってる」

マルクが俺を見る。

「買うのか」

「まだ決めてない」

答えながら。

もう少しだけ、決まっていた。

腰の短剣は便利だ。

でも今日、荷車の横で欲しかった距離は短剣じゃなかった。

前の人生と同じ剣を買い直す必要もない。

今の人生で使う物を、今の体に合わせて選べばいい。

港の軒下へ戻るころには、魚の匂いより傷へ巻いた布の匂いの方が気になった。

視界を呼ぶ。

【Lv 4】

今度は、すぐ消した。

数字を眺めていても五にはならない。

それより。

次に武器を見る時は、短槍も候補に入れようと思った。


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