霧を呼ぶ
境界駐屯地から幾座かの山を越え、さらに離れた岩山の陰に、火のない野営があった。
旅人の格好をした集団が、岩に背を預けて座っている。荒野の先、夜の底に沈む砦を眺めながら、一人が舌打ちした。
「ピムの野郎、、、増幅器の魔力出力、上げやがったな。また独断専行か?切れちまったんか?全部ぶち壊しか?」
「だろうな。大気中の魔力の流れが変わった。ここからでも分かる」
「あいつらから貰った増幅器を改良して、自分の頭につける様なやつだからな。イカれてんのよ。、、いや、イカれたのか」
「あいつ、俺にも付けようとしたのよ。まじぶっ殺だわ」
男たちは低く笑った。声だけが笑い、目はどれも冷えている。
「どうする?止めたほうがいいか?」
「、、、放っておけ」奥の男が言った。「砦が早く落ちるなら、良いじゃないか。、、、おう、始まったぞ」
夜の砦の方角で、獣の咆哮が重なった。
「おい! ジーク! 防御結界が破られた! 魔物が来るぞ!」
シオンの声が厨房に響いた。鐘が鳴り始める。怒号。走り回る足音。
背中が扉へ向きかけて、止まった。
カタン、と。ピムがお玉を置いた音がした。この状況で、この料理人に背を向けたら、死ぬ。それだけは考えるより先に分かった。
「ジーク〜!」
ピムは、まな板の上の包丁を取った。
「さあ、行かないと。防御結界の限界が来ちゃったんだってよ」
にこにこと、いつもの顔で。
「ーーー今ここで、貴方を殺してからね」
言い終わる前に、床を蹴っていた。
厨房は狭い。棚と鍋と作業台。後ろの扉以外、逃げ場のない空間。ここなら、殺せる。シオンを横目に見ながら、ピムに近づき、腰に刺した剣を、首に向けて横一閃。
ーーー空を切った。
躱された、というのとも違うだろう。僕が斬る前に、ピムの体はもう捻れ始めていた。それと同時に
返す包丁が下から来る。見える。剣の腹で受け流し、作業台を背に回り込む。
、、、二撃目、三撃目。全部見える。全部逸らせる。
だが、こっちの刃が届かない。
斬り返しても突き返しても、切っ先は必ず紙一枚で外れる。ピムの動きは無駄だらけだ。大袈裟に仰け反り、要らない回転を挟み、変な方向へ跳ぶ。効率なんてまるでない。なのに結果だけが、完璧に僕の剣の外側にある。
攻撃を見て、逸らして、隙に返す。力じゃなく、目と読みで戦う型。
ーーー僕と同じ戦い方だなんだ。
「お上手ですねえ〜、ジーク君」
そう言うと、ピムは楽しそうに包丁を回した。その頭の上、白いコックの帽子が、厨房の灯りの下でわずかに脈打った。生地の内側で、何かが光っているようだ。
ーーーあの帽子か。
「シオン!」
叫ぶと同時に、左横から刃が飛び出す。
ピムの頭目掛け、迷いのない一撃。これ以上ないほどの、僕でも反応が難しい一閃。
それが、いなされた。
ピムは半身で軌道を外し、刃の腹を包丁で撫でるように受け流した。シオンの体勢が崩れる。返しの一突き。シオンは咄嗟に左腕を上げ、盾で受けた。
鈍い音が響いた。
「ッ、この、」
ピムの包丁は、剣も、喉も、どこも狙わない。全方向に繰り出される剣撃は、二撃、三撃、正確に盾を叩いた。シオンの太刀筋を全部読んだ上で、一番嫌な場所も余す所なく突いている。
「シオン、外行ってろ!時間ないだろ!」
盾が受けた分は、制限時間内に返さなければならない。返せなければ、その全てがシオン自身に返される。返せたときは凄いんだけどね。
「分かってる!」
シオンが厨房の外へ走った。壁の方から岩の砕ける音がしている。
「魔物やってくる!すぐ戻るからな!」
僕も、扉へ後ずさった。
ピムは追ってこない。包丁を置いて、鍋の火加減を見ているようだ。
「行ってらっしゃい、学生さん」
高く響いた声だけが、背中に届いた。
「魔物を頼みますねえ。どうかこの砦をお護りくださいよお」
外は炎の海だった。
東壁の向こうで炎鱗竜が首をもたげ、鱗の隙間から火を漏らしている。岩鬼の投げる岩弾が壁を叩き、石の欠片が雨みたいに降ってくる。空を甲虫が埋め尽くし、地中では何かが蠢いている。
壁の上で、シオンが岩鬼に正面から斬りかかっている。恐らく十回目、刃が触れた瞬間に岩の巨体が爆散した。
シオンは肩で息をしながら、
「ーーージーク! あいつ、何なんだよ!」
「あいつが犯人だ!教官に伝えろ!」
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銀のマントが夜空に翻る。銀色に蠢く影が、竜の首の上に現れ、剣を一閃させ、消える。
「あーん?なんか上手くないなあ。私ならもっと綺麗に斬れるんだけどなぁ?」
それからは、時間の感覚が溶けていくようだった。
壁の傷と、減っていく矢と、増えていく包帯。それだけが時間を示す。
魔物は夜に来る。殺し尽くしても、次の夜にはまた来る。数は減らない。むしろ増えていく。
ただでさえ魔物が多く、僕たち六人だけでは対処し切れない状況になっているのに、兵士はほとんど戦えなかった。
三ヶ月あの毒霧に浸かり続けた心は、戦場に立つだけで悲鳴を上げる。剣を握ったまま固まる者。味方の背中に怯える者。まともに壁に立てるのは、ハロルド副長とザックさん、ロディと、あと数人だった。
シオンとティオが壁の上で、エナがその下。イズミの符で門を塞ぎ、崩れてできた穴を塞ぐ。そしてミラ教官が夜空を裂き続けた。
その裏で、僕たちは何度も安置所を狙った。
あの偽の魔石さえ壊せば、霧は止まる。兵士の心が戻れば、この砦は保てる。
ーーー安置所への廊下には、いつもあの男がいた。夜襲の混乱の中、必ず、そこにいた。トントントン、と口ずさみながら。二人で行けば二人分、三人で行けば三人分、包丁は正確に紙一枚の距離で振られた。殺し切る気がないのも分かっていた。この男は待っている。魔物が壁を越え、砦が混乱の底に落ちる瞬間を。それに乗じて、全てをまとめて終わらせる気なんだろう。
そして、、、僕自身の心が、削られている感覚がある。
毒霧は、僕の心臓にも届いた。
最初に気づいたのは、夜明けの壁の上だった。理由もなく指先が震えていた。胸の奥で、覚えのない不安が膨らんでいた。父の顔が浮かんだ。帰れなかったら。全員死んだら。普段なら一秒で棚に仕舞える考えが、押し込んでも塞いでも、膨らんで蓋を押し上げてくる。
ーーーこれは僕の感情じゃない。
分かっていても、この身体は、偽りの心が支配している。その自覚があるのに、侵食を止められない。
シオンやティオは、まだ保っている。魔力が多い人間ほど、霧への抵抗力が強いらしい。エナの様子を見ていると、そうだと言える。だとしたら僕は、この砦の誰よりも器が小さい。
体の中の、匙一杯にもならない魔力。それを心の輪郭に沿って、薄く、薄く張り続ける。決壊しそうな場所に一滴ずつ流す。呼吸を数える。魔力の膨らむ速度を、魔力で監視しよう。
侵食は、最小限に食い止められている。しかし、夜が明けるたび、頭痛が重くなった。
このままなら、僕の心が先に堕ちるか、砦が落ちるか、ピムの包丁が届くか。どれが最初かの違いでしかない。
ーーー僕たちだけじゃ無理だな。
朦朧とした頭の隅で、絵を描く。
依頼掲示板の前。特別クラスの皆がそれぞれの紙を取っていったあの日、あいつが取った依頼を僕は見ていた。商人団の国境沿いの村までの護衛。期間は、確か今月いっぱい。ここから馬で二日かそこらの村だ。
彼の戦術は確かーーー霧の中で、殺気を全方位に垂れ流す。一見意味が分からないが、今考えてみると、この状況に1番効果的だと言える。
ピムの回避は読みじゃない。あの帽子ーーー増幅器で膨らませた死への恐怖心が、殺気を感じ取る力を与えている。、、、と、推測する。
なら、全方向から無数の殺気を、同時に浴びせればいい。
あいつの心は、恐怖に溺れるだろう。
、、、クロス=ミスト。あいつをここに呼べたら、すぐに終わりそうだな。
その夜、ティオが僕の前に立ち、言った。
「ジーク君」
斧の柄を、強く握っている。
「俺、次の戦いでこの斧使いたいんです。爺ちゃんに教わったんです。これがあれば」
「ティオ」
遮って、首を振った。
「お前、それは僕を信じてないってことか?負けるって?そんなことも考えられないと?それにその力は、こんなところで使うものじゃない。そのくらいは分か、、、っごめん!おかしくなってるみたいだ」
「はい。でも、この相克の器がどんな能力があるかは俺にも分かってないけど、最適解は出してくれるはずです」
「、、、信じてくれ」頭痛の奥から、笑顔を引っ張り出した。「打てる手が、まだ一つ残ってる。ピム程度なら、それで足りる」
ティオはしばらく斧を見ていた。それから、ゆっくりと手を離した。
「、、、分かった。信じます。」
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「ーーーは?」
壁の上で、シオンが大声で聞き返した。
「炎鱗竜。あいつを二人で死なない程度に叩く」
「それは毎日やってんだよ! やっても意味ねえだろ!」
「殺さなくていいんだ。怒らせて、追い詰めて、、、でも炎は出させない。それで、限界まで溜めたでかいブレスを空に向けて吐かせる」
「、、、空に?」
「空に」
シオンは僕の顔をまじまじと見た。毒にやられたかこいつ、という顔だ。←半分正解!
「理由は聞かせろよ」
「狼煙だよ」
夜空を指差した。
「この辺りで一番でかくて、一番遠くまで見える火。それを見て、来てくれるかもしれない奴がいる」
シオンは数秒黙って、それから、にっと笑った。
「おー、、。なるほど。竜をボコって狼煙を吐かせる。うん、お前ほんとやばい奴だな」
「すごいって言えよ」
「、、、すごいよ」
その夜、僕たちは炎鱗竜を片っ端から狩っていった。
シオンが正面から斬り、僕が眼の際を掠め、ミラ教官が首の付け根を浅く裂いた。散々に打たれ、追われ、怒りで喉の奥を真っ赤に膨らませた竜は、最後に僕たちをまとめて焼こうと首を振り上げてーーー足元でイズミの符が弾け、顎が、天を向く。
夜が、昼になった。
火柱が雲を割った。荒野の果てまで届きそうな、馬鹿みたいな炎だった。壁の上の兵士たちが、ぽかんと空を見上げていた。
ーーー届け。
それを、数え切れないほど繰り返した。
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何日か後の、朝。
魔物の夜襲明けの砦は静かで、壁の修繕の音と鳥の声だけがしていた。
その静けさの中に、門番のベンの間の抜けた声が響いた。
「え、あ、、、はい? 王都の学生さん?」
開いた門から、男が一人歩いてくる。
片手剣を腰に下げて、片手を軽く上げて、朝日の中を、ノロノロと。
「うーっす」
クロス=ミストは砦の真ん中で立ち止まり、壁の傷と、焦げた石と、痩せた兵士たちをぐるりと一度見渡してから、僕を見つけて、にっと笑った。
「いやー、綺麗な夜空にでっかい炎の柱上がってたんで。もう20本くらい。ジーク君達が依頼受けたの見てたし、あれ絶対ジーク君だなーと思って」
「、、、よく分かったね」
「分かるっすよ。あんな頭おかしい火の使い方する人、他にいないっす」
それから、クロスはすん、と小さく鼻を鳴らした。
笑顔のまま、視線だけを動かす。中庭の向こう、厨房の窓。湯気の奥で鍋をかき混ぜる、ふくよかな背中。トントントン、と包丁の音がしている。
クロスは、僕にだけ聞こえる声で言った。
「ーーーで、あの人っすか?」




