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第1話 ランク外の男

 その街はもう、人間のものではなかった。


 割れた窓ガラスの向こうに灯りはなく、アスファルトの裂け目からは名も知れぬ黒い草が這い出していた。空気は湿り、鉄錆と腐葉土を混ぜたような臭いが、吸い込むたびに肺の奥に貼りつく。


 ゴーストエリア──冥界から染み出した瘴気に侵食され、人が住めなくなった区域。二〇五九年現在、こうした死んだ街が、世界のあちこちに増え続けている。


 八ツ神シュウは、廃墟と化したコンビニの影に背中を預け、浅い呼吸を繰り返していた。


「……来る」


 気配の読み方など、教わったことはない。DP──この世界でゴーストに対抗しうる霊的エネルギー──がゼロのシュウには、道術も、結界も、強化術式も使えない。他のハンター達が当たり前のように操るそれらの力は、シュウにとって生まれつき閉ざされた扉の向こうにあった。


 代わりにあるのは、十八年間、何もない身ひとつで磨いてきた勘だけだ。


 空気がわずかに冷える。コンビニの奥、倒れた棚の隙間から、黒いもやのようなものがにじみ出してくる。


 N級ゴースト。N、R、SR、URとランク付けされたゴーストの中では、最下位の雑魚だ。まともなハンターなら、道術のひとつで消し飛ばせる相手である。


 シュウは腰の鞘から一振りの剣を抜いた。桃の木で造られた古い剣──桃木剣。亡き父が遺した、たったひとつの形見。宝貝と呼ばれる超レアな霊装でありながら、DPゼロのシュウでは、その真価を十分の一も引き出せない。


 それでも、シュウにはこれしかなかった。


 ゴーストが跳んだ。


 黒い塊がシュウの顔面めがけて飛来する。身を沈め、横に転がる。背中にガラスの破片が突き刺さった。痛みを無視して剣を振るう。刃がゴーストの体表を掠め、黒いもやが散る。


 手応えはあった。だが浅い。桃木剣の霊力をまともに乗せられないシュウの斬撃では、N級相手でも一刀で仕留められない。


 二撃、三撃。剣を振るうたびに腕が重くなる。四撃目でようやくゴーストの核を捉え、甲高い悲鳴のような音とともに、黒い靄が霧散した。


 N級ひとつ倒すのに、四回。


 呼吸が荒い。額の汗が目に沁みた。シュウは袖で顔を拭い、次のゴーストが来る前にと、コンビニの外へ駆け出した。


 大通りに出ると、視界が開けた。


 他のハンター達が、それぞれの持ち場でゴーストを掃討している。火の道術が夜空を焦がし、風の結界が瘴気を押し返す。鮮やかな光が交錯するたび、ゴーストの群れが面白いように消えていく。


 同じ戦場にいるはずなのに、まるで違う世界だった。


 シュウが四撃かけて一体を倒す間に、彼らは十体を片づけている。その事実が、重い石のように胸の底に沈む。


「おい、ランク外。突っ立ってんなよ、邪魔だ」


 すれ違いざまに吐き捨てられた言葉に、シュウは唇を噛んだ。振り返らない。振り返っても、そこには冷たい目しかないことを、もう知っている。


 ゴーストハンターにはランクがある。DPの数値と戦績によって、S~Eと格付けされる。シュウはそのどこにも属さない。ランク外──実質的には「いてもいなくても同じ」という烙印だ。


 それでも活動を続けているのは、ゴーストを視認する力だけはあるからだ。DPがゼロでも、見ることはできる。見えるなら、戦える。戦えるなら、人を守れる。


 そう信じていなければ、とっくにこの世界から降りていた。


 前方の交差点で、ひときわ派手な閃光が炸裂した。


 青白い光の中心に立つ男──鎌原ヒカル。Bランクハンター。整った顔立ちに、ホスト風の派手な服装。その手から放たれた道術の一撃が、ゴーストを木っ端微塵に吹き飛ばしていた。


 周囲のハンター達から歓声が上がる。ヒカルは涼しい顔で前髪をかきあげ、次の獲物へ向かおうとして──シュウの姿を認めた。


「よう、八ツ神。今日は何体やったんだ?」


 足を止め、わざとらしく首を傾げてみせる。シュウは答えなかった。答える義理もなかった。


 だが、ヒカルは満足しなかった。数歩近づき、シュウの手元──桃木剣に視線を落とす。


「相変わらず、もったいねえな。宝貝パオペイを持ってるくせにDPゼロって、冗談にもなんねえよ。その剣、俺が使ったほうがよっぽど世の中のためになるぜ?」


 笑っている。だが目は笑っていない。桃木剣を見つめるその眼差しの奥に、欲望が粘ついた光を放っている。シュウにはそれが見えた。


 鞘に剣を収める。何も言わず、背を向けた。


「おい、無視すんなよランク外!」


 ヒカルの苛立った声が背中に刺さる。それでもシュウは振り返らなかった。振り返れば、何か言ってしまう。言えば、きっと殴り合いになる。殴り合いになれば、DPゼロのシュウに勝ち目はない。


 悔しくないのかと問われれば、悔しい。


 腸が煮えくり返るほどに、悔しい。


 だが、この悔しさは剣に乗せる。人に向けるものじゃない。


 父がそう生きた。母がそう生きた。ゴーストから人を守ることだけに、その命を使い切った。最後の最後まで。


 作戦は終わった。ゴーストエリアの一角が解放され、汚染度が下がる。明日には調査隊が入り、瘴気の残留濃度を計測するだろう。シュウの戦果は、N級を三体。他のハンターの十分の一にも満たない。


 報告書を提出し、仮設テントに戻る。ひとりきりの狭いテントだ。チーム制が基本のゴーストハンターにおいて、ランク外のシュウを組みたがる者はいない。


 缶詰を開け、冷たい飯を口に運ぶ。味がしない。疲労のせいか、それとも、もう慣れてしまったのか。


 桃木剣を膝の上に置き、刃を見つめた。桃の木特有の、かすかに甘い香り。この香りを嗅ぐたびに、父の大きな手を思い出す。母の穏やかな声を思い出す。


 二人は、UR級ゴーストに殺された。


 シュウが十二歳のときだ。あの日から六年、シュウは一度も剣を手放さなかった。


 端末が震えた。


 画面に表示された文字列を見て、シュウの手が止まる。


『全ハンターに緊急招集。UR級ゴースト饕餮トウテツ出現。座標は以下の通り──』


 UR級。両親を殺したのと、同じ格のゴースト。


 シュウは冷えた飯を置き、桃木剣を握り直した。掌に、父の剣の重みが沁みる。


 立ち上がる。


 何ができるかなんて、わからない。ランク外にUR級の相手が務まるはずもない。わかっている。わかっていて、それでも行かない理由を、シュウは持たなかった。

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