再起の時
目の前に立った人影に、ニアは息を呑んでいた。
同じか、それよりも少し上かと思う年齢。
黒いフードに身を包んだ、凍えるほどの青い目をした男。
微かに見覚えのある姿に、思考が止まる。
そんなニアを、男は躊躇うことなく見下ろしていた。
「…お前…は?」
かけられた問いに、男は言葉を返さない。
代わりに少し離れた場所にかけられている桜月へと目をやると、
「これは主の物か」
「質問は俺がしてるんだ。答えろ、お前は誰だ」
男はニアへと視線を向ける。
数秒が経過した。
互いに譲らぬまま、静かに目線が交差する。
先に沈黙を破ったのはニアの方だった。
瞬き一つしない男に、狂気じみた何かを感じてしまう。
再び鋭い視線を男へと向けると、
「そうだ、それは俺が先輩から譲り受けた、俺にとって何よりも大切なもの。お前が誰かは知らないが、もしそれに何かしようってんなら俺は容赦は…」
「そうか。よく手入れされている。主には不釣り合いな程に」
予想外の言葉に、声を詰まらせる。
桜月は、今のニアにとって何よりも大切なもの。
目覚めることのない先輩から譲り受けた、願いへと至るためのただ一つの道標。
そんなニアを他所に、男は桜月から刀身を引き抜き、見つめていた。
「…そうかよ。それでこっちは答えたぞ、次はお前の番だ」
声に反応するように、刃を刀身へと収める。
「余に対し「お前」とは、常であれば処されるほどの不敬と知れ。…だが、等価交換という物に異議を唱えるほど余の器は腐っていない。いいだろう、答えてやろう」
短い呼吸の後、男は静かに告げた。
「余はアストー。王である」
「…何言ってるんだ?大丈夫か?」
「わからぬも無理はない。凡愚には理解できぬ存在よ」
こぼれ落ちた本音。
無理もなかった。
ニアはこの世界へ来てから、“王”を自称する存在と出会ったことはない。
そんなニアの元へ、アストーは歩き始める。
響く足音はやがて大きなものとなっていく。
そうして牢の前で足を止める。
「ここから出たいか?」
言葉が詰まる。
続けて、慎重に口を開くと、
「…お前は、あの老人の仲間じゃないのか」
「たわけめ。言ったであろう、余は王であると。仮に王と自称する凡夫であっても、騙る者があんな愚鈍の仲間になどなるわけもないと少し考えればわかるはずであろう…して、残すは主の意思のみだが」
その瞳に、嘘や欺瞞は見えなかった。
聞きたいことは多くある。
それでも、ニアは自身のするべきことを知っていた。
「…はぁ」
見上げたニアの瞳が、再びアストーと交わる。
先ほど同様、微塵も揺れない瞳。
その様子に気圧されながらも、ニアが迷うことはない。
願うように、或いは誓うように立ち上がる。
「なら、俺をここから出してくれ。俺は、仲間を助けに行かなくちゃならない」
「よい。なれば次はないと動け。最悪の場合、主の相対する者はあの老骨にとどまらぬ」
アストーは微かに笑い、そう言葉にした。
「…っ!?」
直後、ニアを閉じ込めていた牢が音を立てて歪み始めた。
鉄の芯は捻れ、やがて牢の中央に大きな穴を開ける。
その様子は、見えない何かに押しつぶされているかのようだった。
同時に、壁には小さなヒビが生じた。
「これはお前が…、??」
疑問と共に顔を向ける。
だが、そこにアストーの姿はない。
残されたのは地面に横たわった桜月と、ミシミシと音を立てて規模を拡大させていく亀裂だけ。
刹那、ニアは桜月を拾い上げると、そのままアストーの足音が響いてきた方へと駆けて行く。
やがて視界の先には灯りが見えた。
その光の元に身を放り投げた瞬間、
「…っぶねえ」
ニアを捕えていた地下は、その上に建った家ごと崩落する。
風圧が、ニアの体を吹き飛ばす。
不器用ながらに受け身を取ったニアの体は、地面を転がっていく。
勢いが和らぎ始めた頃、起き上がるよりも先に指へと意識を集中させる。
「…桜月は…、よかった、無事だ」
背後で一緒くたにまとめられたままの両腕。
だが、確かに感じた桜月の感触に、安堵の息を吐く。
途端、辺りの草木が音を立てて揺れ始めた。
何が起きているのか、考えるまでもない。
安堵は、やがてため息へと変わる。
その時、茂みの中から人影が現れた。
「どうして…どうやって脱出したのですか!?」
慌てふためく声。
目線の立っていたのは、若い男だった。
見覚えのない容姿に、怪訝な表情が浮かぶ。
しかし、その口調が。
物言いが、中身が老人と同一であることを知らせる。
「あえて捕まってたんだよ。そんなことにも気づかなかったとは、意外と間が抜けてるんだな…そうだな、オーゼンももうすぐ脱出すると思うぞ」
「!?」
「そっちか」
無意識のうちに、ニアは老人の天啓を「人の思考を読む類のもの」だと考えてしまっていた。
だが今、何よりも男の発言によりその説は否定された。
「おかしいな。心を読む…なら、俺の言葉が嘘かどうかなんてすぐにわかるはずなのにな」
ニヤリと笑い、嘲笑する。
男の表情には、怒りの形相が浮かんでいた。
それが上手くいっていた計画が瞬く間に破綻したからなのだと察するのに、そう時間は要さなかった。
だからこそ、ニアは男の怒りを逃さないように再び小さく笑うと、
「リベンジ戦だ、今度こそ攻略してやるよ。お前のその力を」
戦いの火蓋は、切って落とされた。
——鼓動する“何か”は、静かにその時を待っていた。




