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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
夢と旅路
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狂気という名の地獄

 目の前に現れた老人。

 間違いなく敵であるその者を前に、ニアは桜月へと手をかけていた。


「あんたがここのボスか」


「どのようにして私の天啓から逃れられたのか…ふむ、一見なんてことのないように見えるが…」


 ニアの問いに、老人は答えない。

 代わりに見定めるように、ニアの全身を見回していた。

 

 直後、静かに首を傾げる。

 同時に「まぁいい」と吐き捨てると、


「我々は一にして全。言うなれば皆が王であり平民である」


「そうか。それで、そんなに大軍引き連れて一体何の用だ」


「我々は平穏のみを生と為す。故に平穏を乱す者がいては、我々は生を全うできない」


「…それで処分しにきたってか?」


「左様」


 老人の様子に、妙な違和感を抱いていた。


 そんなニアを他所に左手を持ち上げると、わざとらしく掲げてみせる。

 刹那、傀儡たち(人々)は一斉に動き始め、瞬く間にニアの四方を取り囲む。


 そうしてニアを取り囲んだと同時に、傀儡達は突如として動きを止めた。


ーー慢心…なぁ



 疑いようもない慢心に、心の中でため息をつく。

 その時、老人は傀儡達の隙間を縫うようにしてニアの前へと立つ。

 続けて手を差し出すと、


「だが我々は殺生を好まない。貴方も我々の一員となってくれるのなら、無駄な血は流れないだろう」


ーー何を企んでいる?まさかこいつ1人で俺に勝てるとでも…?

 いや、だがしかし…



 街全体を巻き込んだ騒ぎを起こした老人。

 そんな老人に対し、ニアは攻撃を躊躇うほどの優しさを持ち合わせていなかった。

 

 だが街の人々は違う。

 人々は、操られているに他ならない。


 その時、目を窄めた老人は静かに手を叩いた。


「っ…!?」


 直後、訪れた吐き気にニアは眉を顰める。


「驚かせてしまったか?だがどうか許してほしい。君の思考はあまりにも危険で、同時に警戒すべき考えが鳴り止まないからだ」


 老人へと進もうにも、傀儡達が道を阻む。

 

「…一つ質問だ。お前たちが捕らえたオーゼンだが、一体何をしていていたんだ」


「貴方はそれを知っているはずです。…ですがあえて言うとすれば、『触れてはならないものに触れてしまったから』です」


「…そうか」


 それが誰にとっての『触れてはいけないもの』なのか、ニアは知らない。

 それでも、オーゼンの行動が正しかったと確信を得た今、ニアの中に迷いはなかった。


「では、そろそろ返事を聞かせてもらいましょうか」


「そうだな。とは言っても、考えるまでもなく決まってるが」


「そうですか…」


 オーゼンは、ただ1人で立ち向かっていた。

 地獄の鱗片に気付き、見ず知らずの旅人(ニア)を頼るほどまでに追い詰められていた。


 短く息を吐く。

 桜月を握る腕に力を込め、嘲笑するように呟いた。


「もちろん——却下だ」


「かかりなさい」


 刹那、言い切るよりも早く傀儡達はニアへと進軍する。

 迫る傀儡達の間に隙間はない。


 咄嗟にウミを腕の中へと抱えると、迷うことなくその場に飛び上がる。

 直後、寸前までニアのいた空間は大量の傀儡達によって覆い隠される。


「おぉ怖…」


 呟くと共に傀儡を踏みつけたニア。

 そのまま再び飛び上がると、その場を切り抜ける。


 安堵をしたのも束の間。

 地面へと着地した瞬間、視界の先からは1人の傀儡が駆け寄ってくる。


 難なく躱せる奇襲。

 直後、背後から気配を感じたことによりニアは咄嗟に飛び上がる。


 その予感通り、先程までニアのいた空間には、雪崩のように傀儡達がなだれ込む。


 一瞬も油断できない状況に、汗が滲む。

 

 しかし、着地地点にも傀儡はいた。

 落ちてくるニアを待ち受けるように天へと手を伸ばし、待っている。


「っぶね」


 瞬間、桜月を引き抜くと、躊躇うことなく地面へと突き刺した。

 桜月に全体重を預けることにより、瞬き一つの間だけ着地のタイミングをずらして見せる。


 傀儡達はそのことに気づかない。

 本来であればニアが着地するはずだったタイミングに飛び込んだ傀儡は、目標を失ったように足元へと倒れ込む。


 極限の状況の中。

 ニアの思考は、動くことのない老人へと向けられていた。


ーーやつの力は十中八九人を操るそれだろうな…操れる人数は20人近く…近づけば数に押されて負ける…か、どうする…



 目に映る傀儡の数は20人程。

 その中で、老人の警護にあたっている者はいなかった。

 そのことからニアは天啓の上限が20人であると仮定する。

 ——その思考が、一瞬の判断を鈍らせた。


「…!!」


 一歩を踏み出したと同時に、茂みの中から2人の傀儡が向かいくる。

 予想外の敵襲にわずかに反応を遅らせる。

 

 伸ばされた傀儡の手をその場にかがみ込むことによってかろうじて回避する。

 不意にニアの足元に、凄まじい重力が訪れた。


「ち…!!」


 視線の先では、躱したはずの傀儡の腕がニアの服の裾を掴んでいた。

 這うようにして、体をよじ登ってくる。

 

 ニアとは言えど、絡みついた人の体を振り払うことは容易ではなかった。

 動きを封じられたニアの元へ、更に数人の傀儡が飛びかかる。


 襲いかかる傀儡達に、ニアの体は倒れ込んでしまう。

 それでも傀儡達は歩みを止めない。


 瞼の裏は人影が黒く染め——、


「…ウミ、オーゼンを頼んだ」


「にあ…?っ…!!」


 浮遊感と共に、ウミの言葉は中断される。

 手を伸ばし、ウミは必死に何かを叫ぶ。


 ———その言葉がニアへと届くことはない。


 声の代わりに風を切るようにして乗り掛かった傀儡達。

 瞬く間にウミの視界からニアの姿を消し去り、代わりに人の山だけを残す。


ーーっ、息…が…



 人の乗りかかった空間に、空気の出入り口はない。

 何よりも、乗り掛かった人々の重圧がニアへ呼吸することを許さなかった。


 必死に手足をもがかせる。

 それでも、残されるのは成す術がないという現実だけ。


 時間と共に限界を迎えていた体は、悲鳴の代わりに全ての酸素を吐き出し——、


「…ぁ」


「…終わりましたか」


 鼓膜にも捉えられないほどの、短い悲鳴。

 静かに目を瞑った老人は、やがてニアの元へと歩き始める。


 比例するように、傀儡達はニアの上から退いていく。

 やがてそこに残されたのは、見るに耐えない光景だけだった。


「警戒をしていたとはいえ、あまりにも呆気ない」


 地面には、幾つもの跡が残されている。

 そのすぐ側に、その者はいた。


 全身に力はない。

 途端、傀儡達は側へと寄ると、乱暴にその手を掴み上げる。

 垂れ下がった腕。

 

 その様子に、落胆したように息を吐く。

 

 言葉もなくニアの辺りに集まった傀儡達。

 やがてニアの体を持ち上げると、何処かへと去っていく。

 ——その光景を、ウミはただ黙ってみていた。

 体には、微かな土埃がまとわりついている。

 

 ウミはわかっていた。

 放り投げられた瞬間、ニアは、迫り来る傀儡達の存在を知りながらも、ウミの方を見つめていた。

 その瞳には、途方もないほどの優しさが込められていた。


 まるで、最初から自身が捕まるとわかっていたかのように。


 「ニアを捕えろ」という命令だけが出ていたのか、傀儡達がウミを標的にすることはなかった。


 静寂が場を取り巻いた。

 風の音が鮮明に聞こえる中、ウミはポツリと呟いた。


「また…」


 声は、誰にも届かない。


 





 


「…?」


 不意に感じた気配に、老人は背後の茂みを注視していた。

 見えた視界の中に人の姿はなく、気配もない。


 やがて茂みから目を逸らした老人は、連れて行かれるニアを見据える。

 ——ウミにオーゼンの居場所を知る術はなかった。


 広大な土地の中から1人を見つける。

 それは不可能ではないにしろ、限りなく不可能に近しかった。


 それでもウミは走っていた。

 

 ただ託された役目を果たすために。

 ニアの信頼に応えるために。

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