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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
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予兆

「はぁ…はぁ…はぁ」


 ニアは走っていた。


 体は悲鳴をあげている。

 一歩を踏み出すたびに、表情を歪ませるほどの激痛が駆け巡る。

 それでも、ニアは止まらない。


 寸前のエリシアとの約束を果たすため。

 それだけが、ニアの体を突き動かしていた。


ーー隠し石はこの先のはず…着いたら先輩を呼んで、2人ですぐさま脱出…、無事でいてくださいね、先輩…!!




 ——自身が足手纏いであることなど、とっくに理解していた。

 あの場に残っても、エリシアの邪魔になるだけだと。


 だが、だからこそ考えてしまう。


 ——なら、この一月は何のためにあったのだろう。と。


「…考えるな」


 痛みから逃げるためか、思考は余計なことばかりを浮かばせる。


ーーまた、また逃げるのか俺は…



 大切な人を失ったあの日、ニアは強くなる事を自らに誓った。

 だが、手を伸ばそうとも届かない強敵が現れた今、どうして逃げているのだろう。

 ——何故、恩人を置き去りにしてしまったのだろう。


 とめどなく溢れる感情は、ニアの思考を塗りつぶしていく。

 その時、


「今度は何が…」


 突如として訪れた強風。

 ニアは地面へと押し倒されてしまう。


 そうして何事かと、風の押し寄せた方へと目を向けた直後、


『ヲヲヲヲ…ヲヲヲヲ!!!』


 思わず目を見開いていた。

 響き渡る咆哮が、その正体を知らしめる。


「———腕」


 上空へと伸びる、幾本もの巨大な影。

 腕のように見えるそれは、まるで目標を定めたかのように一箇所へと収束する。


「先輩…」


 いつの間にか、不安が胸を支配していた。

 それは、パニブリカの力を体験してしまったからこそのもの。


 刹那、ニア自身ですら気付かない間に体はエリシアの元へと向けられる。


 そうして一歩を踏み出した直後、


「っ…!」


 音が鳴り響いた。

 甲高く、そしてか細い金属の音。


 それがニアの耳に届いたと同時に、伸びた影は切り落とされた。

 辺りを強風が駆け巡り、轟音が響き渡る。


 瞬間、ニアは覚悟を決めたようにその瞳を開くと、


「…いこう」


 吹き抜ける風に揺られながらも、ニアは隠し石へと、止まっていた足を動かし始める。


 ニアの心に、もう迷いはなかった。


ーー大丈夫だ、先輩はあいつになんか負けない



 確証はない。

 見えたのは一振りの景色だけ。


 それだけで十分だった。


『…ヲヲヲヲ!』


 響く咆哮を背後に、隠し石へと向かっていく。


 その頭の中に、怪我のことなど何処にもない。


「…やっと、見えた」


 やがて景色の先には、いつか見た大きな石が見えた。

 

 無事に辿り着けた。

 あとはその事をエリシアへ伝えるだけ。

 ——だが、その瞬間に違和感は起こった。


「…っ、今度はなんだ」


 一歩を踏み出した刹那、全身には言葉では表せられないほどの不快感が駆け巡った。

 怒り、嫉妬、陶酔、慟哭。


 言葉にすればキリのない感覚。

 呼吸が荒くなる。


 咄嗟に足を止めたニア。

 新たな敵襲かと周囲へと意識を向ける。


 しかし、辺りにあるのは人気の含まない風と、鳴り響く残響音だけ。

 脳内に疑問が浮かぶ。

 

 それすらも、気にしている余裕はなかった。


 隠し石はすぐ目の前にある。

 そうして再び足を振り上げた直後、ニアはその身に訪れている違和感に気がついた。


 確かに隠し石へと向かったはず。

 にも関わらず、ニアの視点は地面へと向けられていた。


ーー…なんだ、何か変だ



 中央に映るのは、ごく普通の石。


 無意識のうちに、目線はそんな石に吸い寄せられていた。

 攻撃ですらないのに、得体の知れない気味の悪さ。

 

 同時に、更なる違和感を理解する。

 

「音がない…??」


 ニアの周囲からは、音が消えていた。


 轟音はいつの間にか息を潜めている。

 そのことにすら、しばらくの間気付かなかった。

 そうしてニアは知らない。


「離れて、ニアさん!!!」


 エリシアと戦っていた厄災。

 それが、何かを阻止するべく襲いかかってきていることを。


 焦る少女が、声を荒げながらその名を呼んでいる事さえも。

 













 数刻前の、ある地点にて——、


『ヲヲヲヲ!!』


 幾千もの攻防を経て尚、エリシアは厄災の一角であるパニブリカを圧倒していた。


 どれほど斬ろうと、パニブリカは再生する。

 本来であれば、長引くと共に劣勢になるのはエリシアのはずだった。


 全方位より襲いかかる無数の黒い影。

 その全てが瞬きするよりも早く切り伏せられ、塵と化していく。


 エリシアの瞳は、ひどく冷たかった。

 本来であれば見ることが叶わない力も、何事も起こすことなく静寂を貫く。


 ニアは隠し石へと辿り着いた頃合いだろう。


 柄を握ったエリシアは、戦いを終わらせるべく力を込める。


 一閃。

 殺すことは不可能。

 それでも、再生に時間を費やさなければいけないほどの重傷を与えることはできる。


 刀は引き抜かれていく。

 微かな金属音が響き——、


ーーっ!!これは…、でも一体何処から…?!



 不快感が全身を駆け巡った。

 咄嗟に攻撃を中断し、気配のした方向へと目を向ける。


『ヲヲヲ…ヲヲヲヲヲヲヲヲ!!』


 エリシアの視界を、パニブリカの巨体が横切った。


 その動きは、まるで天敵の復活を阻止しようとしているようだった。

 同時にある結論へと辿り着いたエリシアは、微かに目を見開いた。


 動き出したパニブリカの意識の中に、エリシアの姿は何処にもない。

 その動きに迷いはなく、一直線に何処かへと向かっていた。


 今極夜で動ける者。

 エリシアの脳裏に浮かんだのは、1人の少年だった。


「っ、ニアさん…!」


『ヲヲヲヲァァァ!!』

 

 2つの影は、その場から消滅する。


 遅れて土埃が巻き上がり、地面を離れる音すらが遅れて響く。


ーー急げ、私…!!


 焦るエリシアの頭の中には、戦いのことなど何処にもない。


 ——パニブリカとの戦闘を中断する。


 それが、これから起こる惨劇の元凶となるとも知らずに。

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