あの子には内緒の嫉妬3
「みら、みら。⋯おねがい、戻ってきて」
わたしの名前を呼ぶ声が聞こえる。
この声は、ずっと会いたかったお母さんの声だ。
(まっていて。今、起きるから!)
その思いで必死に重たい瞼を開ける。
視点がはっきりとしないぼんやりとした景色。
目も耳も頭も体の感化全部がぐるぐる、ぐわんぐわんと回っている気がする。
その中でも、お母さんの声はなんとかわかった。
「弥良、弥良!あぁ、目を覚ましたのね!!」
「お、かあさ⋯ん?」
「なにがあったの!?あなたがいなくなったって報せが来て、みんなで探していたら里の近くで倒れていたのを見つけたわっ!本当に心配したのよ!?無事で良かったっ」
わたしが起きたのに気が付いて、お母さんが力強くわたしの体を抱きしめる。
じんわりと、お母さんの体温がわたしを包み込んでいる気がした。その暖かさに安心して、涙がポロポロと溢れてきた。
「お母さん、いなくなっちゃって。心配かけて、ごめんなさい。⋯あのね。わたし、おはな、畑で遊んでたら」
なにがあったか話そうとしたけれど、上手く話せなくて。こみ上げてくる嗚咽を抑えられるずに、わんわんと泣きだしてしまった。
お母さんは大泣きするわたしの様子をみて、泣き止むまで、ゆっくりと何度も頭や背中を撫でてくれた。
わたしが泣きやんで、おかしくなった体の感覚が落ち着いてから、お母さんにちゃんと伝えた。
お花畑でひとり遊んでいたら、人攫いに襲われて。
その人攫いから逃げる為に志ノ沙山に逃げ込んでしまったと。
あれは夢なんかじゃない。
だって、転んでずきずきと痛む足の傷も手首を縄できつく縛られた跡も生々しく体に残っている。
話し終えてお母さんの顔をおそるおそる見上げると、驚いた顔のまま時間が止まってしまったみたいに固まっていた。
「⋯お母さん?」
声をかけると慌てて表情を優しいものにしようとして、失敗していた。
「志ノ沙山って、お母さんがお唄で入るなって聞かせてくれたお山だよね。ごめんなさい。言いつけ、破っちゃた。⋯怒ってる?」
「今は、いいの。あなたがこうして、無事に戻ってきてくれただけで⋯!」
もう一度、優しく抱き締めてくれた。
その腕の中で安堵と大好きな家族をかなしませてしまった後悔を噛みしめると同時にちょっと寂しくなっていた。
(もう、アズトにはあえないのかな?)
志ノ沙山でわたしを助けてくれた不思議な子。
今はもう側にはいない。
「まだまだ疲れているようね。弥良が好きな琵琶があるわ。怪我の手当をしてから、いっぱい食べてゆっくり休みなさい」
もしかして、志ノ沙山に住んでいるのだろうか。
でも、いけない。来るなってアズトに言われたし、わたしを大切に思ってくれている家族をこれ以上に悲しませるわけにはいけない。
この思いに蓋をして、わたしはお母さんにありがとうと笑いかけた。
あの出来事からあれよあれよと言う間に四年の月日が経って私も大きくなった。
順調にとまではいかないかもだけど、廼登の里で平和に日々を過ごしている。
年月とは不思議なもので、初めは人攫いに誘拐された恐怖で里の外に出られなくなっていたのに、ちゃんと出られるようになった。
かといって、そのときの記憶や感情が薄れたわけでもなくて。
日常のふとした瞬間に志ノ沙山での出来事を思い出す。
志ノ沙山に関していえば、お母さんだけじゃなくてお父さんにも志ノ沙山に入ったのを周りに言ってはいけないと、耳にタコが出来るぐらい何度も注意を受けたのもあって、決して他の人には言っていない。
ある日、山菜取りの為に廼登の里を少し離れて山に登ったときだった。
目的地まで歩いていると、ふと視界の端に映った人影に息を呑んだ。
少し離れた見通しのいい川辺。
晴れた青空の元、白い羽織に風を受けてたおやかに揺れる黒髪がよく映えていて、遠目からもその存在が確認できた。
あれは、きっと見間違えなんかじゃない。
「⋯あず、と」
無意識にその名前を口にして。その次には持っていた荷物を放り出して全速力で駆け出していた。
(いかないで!お願いっ私が追いつくまでそこにいて!)
息が切れても無我夢中で走る。
こんなふうに走ったのは人生で二度目だ。
一度目は恐怖で。
二度目は高揚感で走っている。
この機会を逃したら、もう一生あえないかもしないし一生の心残りになってしまう。
肺がかっと熱くなって、息を吐くだけで新しい空気を取り込めない喉が痛い。
大声で呼べば気づいてくれる距離まで、あと少し。そこまでは、何がなんでも走らないといけなかったのに。
途中で足がもつれて、体の均衡が崩れて傾いた。
志ノ沙山の入り口に辿り着いたあのときのように、私は転んでしまった。
この先はそこまで高くないけれど、低い崖になっている。
このまま、転んでしまえば私は転落して怪我を負ってしまうけど、その痛みはやって来なかった。
アズトが私を受け止めてくれていたからだ。
久しぶりにあったアズトは、初めてあった時となにも変わらない。
記憶に残っているままの姿をしていた。
晴れた夜を思わせる艶やかな黒髪に吸い込まれそうなほどに深く明るい色合いの青紫の瞳。
星が瞬く夜空が空から切り離されて、人の形になってしまったような姿が、私の心を喜びで打つ。
歳をとっていないとか、人間じゃないかもしれないとか。この際、どうでもよかった。
やっと、あえた。
アズトの存在を実感して私はようやく息が吸えた。
新鮮な空気で息を整えている間、アズトの白い羽織を掴んでおく。
私の心臓は喜びと緊張でバクバクしていて、頭ではどんな言葉をかけるかを迷っている。
「ねぇ、わたっ」
「いかがなされましたか、アズト様」
男の人の声だった。
私を受け止めてくれているアズトの後ろから誰かが近づいてくる。
アズトの名前を知っているから、知り合いなんだろう。
(な、なんなのよ!その男は〜!!)
第一声を挫かれて少し悔しい気持ちになる。
五年ぶりにやっと会えたあの子、アズトの側には見知らぬ男がいた。
腰まで届く長い髪に仕草や顔立ちに品がある美しい男だった。
里の男衆とは全然違った雰囲気を持っている男。身につけているものは、簡素だけど素材の質がとても良くて高そうだった。何処かの金持ちなのかもしれない。
ここに私以外の年頃の娘たちがいれば、きっと見惚れて黄色い声をあげているだろう。
その男はアズトにしがみつく私をみて柳眉を少し顰めた。
「その娘は、いったい⋯」
「昔、君よりも前に志ノ沙山に迷いこんだ子」
アズトが覚えていてくれた事実が純粋に嬉しかった。
同時にこれは話しかける絶好の好気、逃すまい。
「そうよ!私は弥良。五年前、あなたが助けてくれた女の子!偶然、アズトの姿をみつけたから急いで追い掛けてきたの。もうあれっきり、あえないのかもって思ってたなら再会できて本当に嬉しい!それに、また助けてくれてありがとう。ねぇ、これから時間ある?近くにきれいな花が咲いてる場所があるの、良かったらそこでお話ししよう」
「⋯⋯君は」
「お待ちなさい」
またしてもあの男の邪魔が入る。
その男は近寄ってくると、私をアズトからべりっと引き離した。
「な、なんですか」
「私はあなたと同様に志ノ沙山に迷い込みアズト様に助けられた者。ただいまアズト様は長旅からお急ぎで戻られる途中、つまりは時間がないしお疲れでもある。残念ながら、あなたに付き合えはしない」
穏やかな口調だというのに、目を見れば笑っていなくて私は少しだけすくみあがった。
アズトから私を遠ざけるような言い方。どうやら、この男は私が気に食わないらしい。
それはひとまず置いておいて。アズトが疲れてるのに無理強いするのは私も望むところじゃない。
本人に確認してみよう。
「アズト、そうなの?」
「早めに戻りたいのは本当」
「今日がだめだったら、いつだったらいいの?明日、それとも明後日?」
「ごめん。ボクは君に対しては、そういう約束が難しいんだ」
「どうして、ひどいよ!私はあなたにあいたいのに」
「アズトは基本的に志ノ沙山にいるから」
「じゃあ、どうしてその人とは一緒にいるの」
夕凪と呼ばれたその男がアズトの長旅に同伴しているという特別扱いに不満が私の心に湧き上がる。
アズトの背後で私の睨みつけを涼しい顔で受け流してるのも地味に私の心に油を注いだ。
「予想に反して夕凪のお家騒動に巻き込まれたというか。蓋を開ければ志ノ沙山にも関わりがあったからかな。ようやく片が付いて戻ってる最中なんだ」
顎に手を当てながら片付いたというアズトに夕凪が近づいて、なにかの薄いものが包まれた布を手渡す。
「アズト様、どうぞこちらを。先程渡しそびれたものです」
「うん」
「では、とても名残惜しいですが私はここでお暇致します」
夕凪の背後からいくつもの尾が生えてきてその姿を繭のように覆う。
直ぐに尾の繭は解かれて、そこには光の加減では金にも銀にもつかない色彩を纏った狐がいた。
通常ではありえないその大きさと複数にわかれた尾から普通の狐じゃないのは明らかだった。
「はっ!?」
「夕凪は妖狐なんだ」
なんてことのない様子のアズトとは対象的に、いきなりの展開に私は驚きであんぐりと口を開いた。
小さいやつなら何度か見かけたが、それとは全くの別物。
妖だというのに、それを超えて一種の神聖さ神々しさを覚えてしまいそうになる。
が、その思いは直ぐに吹き飛んでしまった。
アズトが手渡された布の梱包を解いて現れた書状に視線を反らしたその隙に。
夕凪が私をみてわらった。
狐の姿だけどわかってしまった。
愛想笑いとか、お世辞の部類ではない。お前にアズトは渡さないぞという、そういった独占欲が滲んだものだ。私の女の勘がそう告げている。
私と夕凪。その視線の間で火花が散った。
ねぇ、気がついて!!あなたの前では良い子なのかもしれないけれど!
そのお狐さん、きっと、すっっごく性格わるいわ!!
大きな妖狐が風のように駆け、消えていくのを見送りながら、私は歯をくぅうっと食いしばって堪えた。
ずるい。
私の方が先にアズトにあったのに、あのお狐さんはアズトと親密そうでずるい。
凄く悔しい顔をしている自覚がある。アズトにそんなひどい顔を見られたくなんてなくて俯く。
かくなる上は、私がアズトに堂々とあえる方法を見つけ出すしかない。
そう決意を固めた再会だった。




