黄昏の洞窟04
バゴォッ!
壁に放射状のヒビが入る。
「はぁ、はぁ、はぁ……くっ」
ベルは肩で息をして、痛んだ肋骨を左腕で押さえた。初めに肋骨を折られたのはまずかった。スキルで身体強化しても傷は癒せない。そもそも身体強化は身体にかなりの負荷がかかるので、傷の痛みも倍増だ。
(これ、治るの時間かか……)
「がっ!?」
傷の痛みに気が散っていたからか、尻尾が伸びてきているのに気づかなかった。
ベルは上から地面に叩きつけられた。
「がはっ!!」
頭の中に骨の砕ける音が響いた。たぶんまた肋骨が何本かと左腕が折れた気がする。
「ごほっ」
ベルは血を吐き、右手を突いて身体を起こした。たぶん内臓も何かが破裂している。
(ちくしょうっ! 速すぎるんだよっ!)
目を上げると視界いっぱいに尻尾が迫ってきていた。咄嗟に足に力を入れて飛び退ったが間に合わないことが分かった。
【金剛石化】
咄嗟に身体の防御力を高めるスキルをかける。
「くっ」
ゴキゴキッ
嫌な音がしたが、ほとんどは背中の地面が砕ける音だった。
ベルは素早く尻尾の下から身体を抜き、身体強化スキルをかけなおして右手に持ったハンマーを尻尾に振り下ろした。
バキバキバキッ
尻尾が砕け、岩が飛び散ってベルの頬を裂いた。全身が痛くてそんな小さな痛みなんて気にならなかった。
ヒュー……
ベルは俯きかげんでゆっくりと息を吐き、
ふっ
止めて顔を上げた。
瞳孔が開ききった獣のような金色の目が魔物を睨んだ。
【風の舞】【風の舞】【風の舞】【大力無双】【大力無双】【大力無双】
限界まで身体強化スキルをかける。身体の負荷は尋常ではなく、かけている傍から筋肉が悲鳴をあげて軋み始めた。それでもベルはスキルを限界までかけ、地面を蹴った。
身体を低くして魔物の下に潜り込み、片手でハンマーを振り上げた。
「タイクーン・ショット!」
ハンマーの周りで発生した竜巻が後押しし、魔物の身体が跳ね上がって壁に打ち付けられた。
バキイッ
壁が砕ける。
「はあぁぁぁぁぁ!!」
バキバキバキバキッ
ベルは手を止めず、露わになった魔物の腹に何度も何度もハンマーを叩き込んだ。
ゴンゴンゴンゴン……
ミシィッミシィッミシィッ……
壁に何度も魔物を打ちつけているので洞窟全体が揺れる。
「ギヤァァァァ!」
魔物が苦痛に悶えるような声を上げ、尻尾を持ち上げてベルの背中めがけて放った。
空気を切り裂いて尻尾が飛んでくる。ベルの背中に撃ち込まれる。
と、ベルの姿が消えた。
それまで一心不乱にハンマーを打ちつけていたベルは、寸でのところで手を止めて真上に飛び退いたのである。
身体の限界の中、研ぎ澄まされた集中力。それは窮地に立たされた獣特有の能力だった。
魔物の赤い瞳とベルの金色の瞳が一直線上に並ぶ。
ベルは身体をひねり、ハンマーを振りかぶった。限界まで負荷をかけた身体が軋んだ。右腕の筋肉が千切れそうだった。
「っつ! これでっどうニャ!」
身体が壊れることもお構いなしに思い切り振り抜く。
バゴォォォッ!
渾身の力で振り抜かれたハンマーは魔物の体ごと壁をぶち抜いた。
「ギヤァァァァ!」
空いた穴から魔物が落ちていく。ベルは戸惑うことなく身体を宙に投げ出し、手を掲げた。
「ここニャらもうっ材料はニャい!」
口角を上げ、ベルは叫んだ。
「これでっとどめニャっ!」
ベルの掲げた右手の先に光が集まる。集まった光は十メートルを優に超える大きな剣となって現界した。
剣の切っ先が魔物に狙いを定める。
「砕けろぉぉぉぉ!」
ベルが手を降ろした。すると大剣はゆっくりと、しかし確実に魔物に向かっていき、散々砕いて小さくなった体に突き刺さった。
「ギィヤァァァァ!」
魔物の叫び声が夜の海の中にこだまし、身体が真っ二つに割れた。
ズゥゥゥゥン バキィィィィ
大剣が地面に突き刺さった。真っ二つに割れた魔物の身体は地面に落ちた衝撃で粉々になり、大剣の周りに転がった。
ベルは空中を降下しながら飛びそうになる意識をなんとか保ち、地面に叩きつけられる寸前で風魔法を使って速度を落として地面に横たわった。
魔力がほとんどない。もう、指一本すら動かす体力もなかった。
目だけを動かして魔物のなれの果てを確認する。
岩の山に、水晶の山。それから思った通り魔物には核らしきものがあったらしく、大剣が七色に光る丸い球を真っ二つに割っているのが見えた。
どこに核があるのか、そもそも存在するのかも分からなかったので一発でなんとか魔物の身体を粉砕できそうな武器を最後に選んだのだが、正解だったのかもしれない。けれども魔力の配分には注意しなければならないなと反省した。
これで、終わった。
ベルは目を閉じ、息を吐いた。
鋭い痛みが身体を貫く。鈍痛が全身を覆っている。筋肉が焼き切れている。身体の悲鳴だ。
あぁ、このまま死ぬのかもしれない、とベルは思った。
何せ身体が動かないのだ。本当に、指一本も動かせない。限界まで身体強化を行った反動なのだろう。それから、単純に体力が底をついたのかもしれなかった。便利ツールを開ければ一目瞭然なのだが、その気力もない。
本当に死ぬかもしれない。
突然ベルの中に恐怖が芽生えた。恐怖は一瞬で大きくなり、全身を満たした。
怖い怖い怖い。痛い痛い痛い。
嫌だ、と思った。まだ死にたくない。こんなところで、どうしてこの世界にいるのかも分からず、何も成し得ないまま死んでしまうのは嫌だった。やりたいことがたくさんある。どうせならもっとこの世界を楽しみたかった。
ベルは短い間でたくさんのことを頭の中に思い浮かべた。
小さなころの想い出からこれまでの想い出。これからやりたかった、たくさんのこと。想像して悲しくなって、涙が出た。
やりたいことがたくさんある。美味しいものを食べて、面白いものを見て、楽しいことをして、誰かと笑い合って、素敵な恋愛だってしたい。それから何かすごいことを一つくらい成し得たかった。
いや。そんなことより、そんな難しいことより単純に、生きたかった。死にたくなかった。
涙が流れる。
生きたい。死にたくない。生きたい。生きたい。生きたい!
ベルは強く願った。
何でも良い。生きる理由なんてなんでも良い。ただ、生きたい。ただ、死にたくない。どうしても生きたい!
ふ、と全身の力が抜けた。ベルはいよいよ筋肉が弛緩して死ぬのだろうなと思った。身体の痛みもすぅーっとひいていく。不思議な感覚だった。意識を手放す瞬間、眠る瞬間に似ているような気がする。けれども意識ははっきりしていて、眠たいわけでもない。
(なん、だろうこの感じ……。なんだか、陽だまりの中にいるような……あったかい……)
ベルはゆっくりと目を開けた。
(あれ……? 私、生きている……?)
不思議に思っていると、うつ伏せになっていた身体を誰かが抱き起してくれた。視界の中に、深いしわの刻まれた優しそうな顔をした老人がいた。
「し、しょう……?」
ベルの唇が老人を呼ぶ。
マンシャムはベルを腕に抱き、海のように深い目で彼女を見つめていた。
「……我が家の結界は、人を選別するための結界なのだ」
選別? とベルは頭の中で聞き返した。声は出そうにない。
マンシャムは微笑んで話を続けた。
「あの結界は光魔法を扱えるであろう人材を見出すための結界だったのだ。あの結界を解けるのは、優れた魔法を扱える者……光魔法を扱えるであろう可能性を持った者だけなのだよ。ベル、君はその結界を解いた。だから光魔法を扱えるようになるかもしれないと思ってこの修行をさせたのだ」
ベルの唇が動いたが、言葉は紡がなかった。
「私が光魔法を習得したのは生死の窮地に立たされた時だった。その時と同じ状況を作ればあるいはと思ったのだが……今回は無事に成功したようだ」
マンシャムは微笑んでベルの頬を撫でた。
「おめでとう、ベル。君は光魔法を習得した。よく頑張った。君は私が育てた弟子の中でも最高の弟子の一人だ」
ベルの表情に笑みが灯った。薄くなった目から、一筋の涙が零れる。
そうしてベルはすぅ、と眠りについたのだった。




