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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの平凡な日々  作者: 堂道形人
マッチ売りの少女アリーセ

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マッチ売りの少女アリーセ 第三十五話

 ローザンヌ家は貴族として高い位を持つだけでなく、近代資本家としても大変な名声と資産を持ち、それを投資という以上に積極的に運用し、王国の殖産興業しょくさんこうぎょうに貢献していた。

 公爵家の名前をかんするローザンヌ重工はその基幹とも言っていい大会社である。

 そのローザンヌ重工で制作された新型自走砲は、王国の敵を圧倒的な火力で蹴散らし、戦争を勝利に導く急先鋒として期待されていたのだが。


―― ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ !!

――ッ ダ ダ ダ ダ ダ ダ ダ ッ!!

「こ ゴ まちゴ ゴでゴしゴ ゴ ゴか!」

「えッ ダ しかダ ダです ダ ダ ッ!」

―― ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ !!

――ッ ダ ダ ダ ダ ダ ダ ダ ッ!!


 そこはまだまだ試作品、技術的限界と経験の不足から様々な要素を犠牲にして、ただ前進して砲弾を発射する事だけに注力して造られた物であり、その乗員の居住性は最悪を通り越していた。

 まず防弾版をつけたら前がほとんど見えない。新聞受けより小さい、薄く平べったい覗き窓を通して見えるだけで、左右や後方は全く見えない。

 振動も凄まじい。ビストンもシリンダーも主連棒しゅれんぼうも全部防弾版の内側にある。

 そして凄まじく暑い。十二月のカトラスブルグでもだ。なにせボイラーも火室かしつも全部防弾板の内側にあるのだから。さすがに煙突は外に出ているが。


 しかしそれらのどの障害も、耳栓の上から耳当てをしていてもこらえきれないこの騒音に比べたらマシと言える。


 防弾版をつけるまでは、この車も非常に出来の悪い蒸気自動車ぐらいの乗り心地で済んでいた。防弾版をつけた後は完全に拷問である。



   ◇◇◇◇◇



 古いドレスに手こずり本来のスピードが出せない伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートに、メイド服姿の側仕えのサリエルが追いつく。


「お嬢様、あれはその、あの、決してプレゼントなどではないのです」


 しかし、主人が慌てている姿を見て取り敢えず駆けつけて来たサリエルには事態が飲み込めていなかった。

 エレーヌはそこで一旦立ち止まり、サリエルに向き直り、新型自走砲を指差して叫ぶ。


「ディミトリが乗ってんのよ! 何とかしなさい!」

「ええっ!? あの、何故ディミトリがあんな物でここに……」


 そんなサリエルの疑問に答えるように。新型自走砲に搭載された最新技術、電気式拡声器のスイッチが入った。


『 ゴ ゴ ゴふゴろゴ ゴ ゴりゴ ゴ ゴ!!

 ダわダしダ ダ ダミダンダかダたダだダ !!』


「きゃあああ!?」


 エレーヌもサリエルも、周りの通行人も通りすがりの馬車の乗客も、その凄まじい音圧に慌てて耳を塞ぐ。


「うわああ馬が!」「危ない!」


 自力で耳をふさげない馬車馬は非常に驚き、御者の制止を振り切り暴走し出す。


「やっ……やめなさいディミトリ!!」


 エレーヌは耳をふさいだまま自慢の声量で一喝いっかつする。その声自体はすぐ隣に居たサリエルがる程大きかったのだが、あの防弾版の内側にはまるで聞こえていないだろうというのは、二人にも想像出来た。


「ディミトリは一体何をするつもりなのですか!?」

「あの店でミトンを買うつもりなのよ!! 何グズグズしてますの!!」


 動かないサリエルに苛立ちエレーヌは駆け出す。サリエルも慌てて後を追う。


「お嬢様! 私がやりますから離れて下さい!」


 しかしエレーヌは止まらない。

 サリエルは再びエレーヌに追いつく。自走砲は既に目の前に迫っている……ここは先ず主人の身を案じお止めするべきか? それともあくまで主命を優先し自走砲を止めるべきか? サリエルは一瞬の躊躇ちゅうちょの後で、後者を選択する。


 防弾板を取り付けた自走砲の速度はせいぜい時速六キロメートル、飛び乗る事は簡単だった。エレーヌとサリエルは左右に別れ自走砲の防弾板の上に側面からよじ登る。


「どこよ!? 乗り降り口は!?」


 新型自走砲には無数の欠陥があったが、乗り降り口もその一つだった。この試作品には乗り降り口が無い。代わりに、外から防弾板を取り外す為の巨大な四角穴レンチが取り付けられている。全長百五十センチメートル程の重い金棒である。


「きっとこれでネジを外せば開くのですわ」

「じゃあネジを外すわよ!」


 二人は比較的ネジの数が少ない天板の防弾板に目を向ける。それは八個の巨大なネジで止められていた。


「間に合う訳無いでしょうこんなもの!!」

「やるしかありませんわ!!」


 二人はそれぞれネジの一つにレンチをあてがい、力を籠めて回す。次の瞬間。


『 ゴだゴかゴしゴなゴがゴやゴろゴ ゴ ゴ!!

 ダわダしダあダミダンダかダのダでダ ダ !!』


「ぎゃああああ!?」「きゃーっ!?」


 電気式拡声器がバチバチと火花を散らしながら大音声を発した。エレーヌとサリエルはたちまち防弾板から転げ落ち、大通りの地面に落ちた。

 ネジは半周程しかゆるめられなかった。


「お嬢様、大丈夫ですか!?」


 とにかくサリエルはエレーヌに駆け寄る。エレーヌも歯軋はぎしりをし、自走砲の後ろ姿を睨み付けながら立ち上がる。


「聞こえたでしょう!? あれはディミトリよ、冗談じゃないわ……サリエル! 命に替えても、あれを止めなさい!!」


 命に替えても。

 周囲の騒音を貫き、その言葉がサリエルの心の中に響き渡り、染みとおり、心肺を伝わり全身を満たして行く。

 命に替えても。エレーヌがそんな命令を下してくれるのは絶対に自分しか居ない。お嬢様は他の人間にはそんな事を言ったりしない。


「ちょっと待って! 今の無し!」


 頭に血が登りとんでもない事を言ってしまった自覚のあるエレーヌは、慌ててサリエルに手を伸ばす。しかしその言葉はただちにきびすを返し新型自走砲に突進して行ったサリエルの耳には届かなかった。


「お嬢様の為に!! この命、燃やし尽くして御覧に入れますわああああ!!」


 たちまち防弾板の上に飛び乗ったサリエルは巨大レンチを振りかざし、防弾板の天板を滅多打ちにし始める。


『 ゴやゴめゴ ゴ』


 中の乗員は攻撃を感知し、すぐに電気式拡声器で威圧して来たが、サリエルの巨大レンチはその電撃をまとった、一万四千フラムの予算を掛けて造られた拡声器を一振りで粉砕した。


―― ガーン!! ガン! ガガーン!!


 サリエルは全く手を休めずレンチをふるい防弾板を叩き続ける。そこにエレーヌも、反対側の側面を登って合流する。


―― ガン! ガン!

―― ガーン!! ガガーン!!


 カトラスブルグの大通りを行く新型防弾板付き自走砲を、古風なドレス姿とメイド服姿の、二人の少女が襲撃する。巨大なレンチを振りかざし、美貌を鬼面に歪め、親のかたきという勢いで分厚い鉄板を滅多打ちにし続ける。



 その光景は勿論、多くの人々が見ていた。馬車は退避し、自動車は道を空けた。すぐにその場から逃げた者も居れば、窓から顔を出して見物する者も居た。


 そんな通行人の中に、たまたま、救貧活動の帰りにここを通っていた修道女の一団が居た。彼女達の指導者は皆にすぐこの場から逃げるように指示して、ほとんどの者はそれに従っていた。


「何をしてるの!? 貴女達も早く逃げるのよ!」


 彼女達を引率していた副院長は、大通りから離れようとしない一部の修道女達の元に戻って来る。


 修道女の一人に、アリアという戦災孤児の女性が居た。最近成人し修道院に加わったばかりの彼女は、茫々(ぼうぼう)と涙を流し、震えながら、恐ろしい新兵器を滅多打ちにする二人の少女を見つめていたが……ついに。勇気を出して叫んだ。



「戦争、はんたぁぁい!!」



 アリアが副院長の止める手を振り切り自走砲に向かって走り出すと、一緒に見ていた他の修道女達もそれに続いた。


「そうよ!! 戦争反対!!」「戦争反対!!」


 馬を離して近くで立ち往生していた駅馬車からも、二人の淑女が飛び出して来て自走砲へと向かう。


「これ以上の戦争はごめんだよ!」「やりたきゃ砂漠か海の上でやれ!」


 通りすがりの市場の仕事帰りの老婆達も、帰り掛けていた修道女達も戻って来た。



―― ガン! ガーン!

―― ガーーン!! ガガーン!!


 エレーヌは戸惑いながらもレンチをふるう。サリエルは戸惑う事もなくレンチをふるう。さすがの防弾板も次第に形が歪んで来た。やがてその大きな四角頭のネジが一つ、弾け飛んだ。


 いつの間にやら自走砲は、数十人の修道女や街の女達に完全に包囲されていた。さすがに中の乗員も車を囲んでいるのが女達だと気づき、前進を止めた。


「戦争反対!」「うちの子を兵隊に取るな!」「他所でやれー!」


 エレーヌは自走砲を取り囲み素手で防弾板をバンバン叩く女達を見回し、冷や汗を流す。一体何が起きたのか?

 サリエルはようやく防弾板の間に出来た隙間にレンチを押し込み、力ずくでねじ回して穴を広げ、その中に向かって叫ぶ。


「ディミトリ! 中止命令ですわ! 問題は全部……トマが解決しました!!」


 数秒の、沈黙の後で。


―― シュゥゥゥゥゥゥウウ!!


「きゃああ!?」「下がって!」


 動きを止めた自走砲が、まるで深い溜息のように……蒸気を解放しながら、その運転を止めた。周囲を囲む女達は一旦自走砲から離れて避難する。


 やがて。


 サリエルが広げた防弾板の隙間から……万年筆とハンカチで作られた小さな白旗が飛び出して来ると。


「きゃあああ!」「やったわ! 凄いわ貴女達!!」


 周りを取り囲んでいた女達が防弾板によじ登り、エレーヌとサリエルの周りに駆け寄る。そして今度は歓喜の悲鳴を上げ、街を踏み荒らす禍々(まがまが)しい走る大砲を食い止めた、二人の少女の勇気を称えだす。


「貴女達こそが本当の英雄よ!」「たった二人で立ち向かうなんて、凄いよ!」


 サリエルは突然変わってしまった状況に対応出来ず、ただ茫然ぼうぜんと愛想笑いを浮かべ辺りを見回していた。


 エレーヌは目を細め、密かにつぶやいていた。戦争反対という、この騒ぎもまた戦争の一つですわと。




 全てを遠くで見ていたクリスティーナは、引き際を知る老練な政治家だった。


「退散しますわよ。全員に撤退命令を、新型砲はローザンヌ重工の方で何とかなさい。まあ、たった二人の小娘に粉砕されるような新兵器では、有事の役には立ちそうもないわねぇ、もう少し改良が必要だわ」

「奥様、車です、お早く」

「あら、急がなきゃ。またねエリーゼ。ホホホ」


 新型砲の方には騒ぎを聞いた騎馬警官が到着しつつあった。修道女を初めとする女達は四方八方へ逃げて行き、自走砲の上にはエレーヌとサリエルだけが残されていた。

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