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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの平凡な日々  作者: 堂道形人
マッチ売りの少女アリーセ

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マッチ売りの少女アリーセ 第十二話

 少し後。

 エレーヌは市の中心部の公園のベンチに座り、青空を眺めていた。


 常日頃野山でハンティングを嗜んだり変装して街中を走り回ったりしているエレーヌは人並み以上の健脚であり、この程度歩き回ったくらいで疲れたりはしない。だけど気持ちの問題となるとまた別である。



 何一つ解決していない……



 最初はただ、この金曜の昼間の間にミトンの件を解決してしまおうと思ったのだ。適当な口実を考えてアリーセに金を渡せば済むはずだと。


 それで一先ひとまず学校を休む事を正当化する診断書を得ようとダニエル医師の診療所へ行ったのだが、そこでアリーセの母テレーズが病気である事とアリーセがミトンを諦めた事を知ってしまった。


 テレーズの件も含め何とか解決したいと思いエレーヌが向かったのは医師としての腕を含め信頼出来るマナドゥの元だったが、マナドゥはテレーズの診療を引き受けなかった。ついでに貰おうと思ったズル休みの診断書も手に入ってない。


 そして失意のまま意味もなくあのミトンをまた見に行こうとテーラーへ向かった所、あの現場に出くわしてしまったのである。



 何一つ解決していない上、問題はどんどん増えて行く……



 このままでは本当に、ただの気まぐれから学校をサボッてしまった女学生である。


 まずは一刻も早くディミトリを止めなくてはと思うのだが、今すぐディミトリに会ってしまっていいのか? 自分は今学校に居るはずなのだ。あのテーラーでのやり取りも見ているはずが無いのだ。


 それではせめて学校の件の方だけでも解決すべきか? もう一度ダニエル医師の所へ行って診断書を貰って来るか?

 だけどエレーヌはもうアリーセの母テレーズが本当に病気で苦しんでいるらしいという事を知っている。

 エレーヌは頭の中で、自分がダニエル医師と面会する所を思考実験(シミュレート)する……駄目だ。自分は間違いなくダニエル医師を罵倒しテレーズの治療から手を引くよう迫るだろう。ダニエル医師は藪医者だが、決して自分からは患者を見捨てない頑固者でもあり、間違いなく喧嘩になる。

 診断書は手に入らず、問題は増え、何一つ解決もしない。



「金曜日のお昼から公園にお集まりの皆さん! さぞやお暇を満喫しているのでしょうね、世間はまだまだ平日ですよ! 明日はまだ土曜日です、休みは明後日!」


 誰かが大声でそんな事を叫んでいる……エレーヌの額に怒筋が浮かぶ。そんなのは放っておいて欲しい……それでこの騒ぎは一体何だと、エレーヌが見遣ると。



 金曜日の昼下がり、まだ閑散とした公園の一角で、遥か東の彼方の国から来たような妙な服装をした、体格の良い不精ひげを生やした細目の男が、手を叩いて口上を述べ、人々の注目を得ようとしている。


「私のような大道芸人が何故金曜日の公園に居るのか! 簡単な事です、土日に来るたくさんのお客様の為に、金曜日の暇人の前で練習しておこうって魂胆なんです、さあ金曜日の暇人の皆さん! 今ならね、タダで見れますタダで、何せ練習ですから! さあさ寄ってらっしゃい、そこの奥さん! どうせ暇なんでしょ!?」


 男の毒舌に気を悪くし、立ち去る者も居ないではない。だけどより多くの、まあ金曜日の暇人達は男の口上に惹きつけられ、ある者は顔を向け、ある者は歩み寄る。

 エレーヌはベンチから立ち上がり、不精ひげの男が梯子やら木箱やらを並べて作った、小さな舞台へと少しだけ歩み寄る。



「さあ、私の一座のトップスターを紹介致します! 一座は私とこいつだけなんですけどね。さあ! 今やレアルでも大評判の大女優! アカゲザルのマリーちゃんです! さあマリーちゃん、皆さんにご挨拶して下さい!」


 男が並べた木箱の一つには、一匹の赤茶色の毛並の小ザルが寄りかかっていた。古めかしいデザインの青いジュストコールのような服を着せられ、面倒くさそうに欠伸をしている。


「マリーちゃんそういうの良くないよ? 初めての御客さんには第一印象が大事なんだから。真面目なサルが一生懸命働いてるんだっていう所を見せなきゃ、ゴハンも食べられなくなっちゃうよ? それでは皆様宜しく御願い致します……いやマリーちゃんそこまでしなくていいから!」


 男の口上に合わせて小ザルが地面に額を擦り付ける程の土下座をすると、数少ない観客からささやかな失笑が漏れる。



 サル回しの大道芸の周りには結局十四、五人ばかりの観客が集まり人垣を作った。その周りにエレーヌを含めた同じくらいの数の、少し遠巻きに見ている人々が居る。正直、あまり客入りは良くないという所か。

 それでも金曜日のやや閑散とした公園の一か所にある程度人が集まったのを見越して、立売りの売り子が近づいて来た。売り子はエレーヌより年下の少女だったが、アリーセではなかった。売り物も瓶入りのサイダーのようだ。

 エレーヌは走り回って喉が渇いていた事を思い出す。



 伯爵令嬢は外で立売りのサイダーを買って飲んだ事が無い。七、八年程前、日曜日に教会に行った時に街の子供が買って飲んでいるのを見て自分も飲みたいと側仕えの者に言った事があるのだが、


「お嬢様、こういう街中で売られているサイダーは誰が飲んだか解らない瓶に自家製で詰め直して売っているのですわ、それに良家の子女が飲み物の瓶に口をつけて飲むなど、はしたのうございます」


 そうたしなめられ、飲ませて貰えなかった事を思い出した。

 その日は今日と違い初夏の暑い日で、井戸水で冷やしたサイダーを瓶から直接豪快に飲み、気持ち良さそうに下品なゲップをする男の子を見て、何とも羨ましく思ったものだった。



 今のエレーヌには我慢をする理由が無い。正直、瓶の飲み物を直接飲むというのはナッシュでもやった事がなく、気が引ける部分が無いでもないのだが。

 いや。それは想像するとドキドキするではないか。あの日試してみたかった事を今。あのサイダーを立売りの売り子から買い、その場で開栓して飲むのだ。



「あの。宜しいかしら? サイダーを一本、いただきたいんですけど」


 エレーヌは自分なりに、このくらいの事はいつもしている、珍しい事ではない、という演技をしながら売り子にそう話し掛ける。勿論売り子の方ではそんな事は解らない。


「は、はい……ありがとう……二十サンク……」


 売り子の年は十四、五だろうか。声が小さく聞き取り辛かったが、エレーヌは頓着せずポケットから札入れを取り出す。普段エレーヌは財布を持たないが、今日は必要になると思い用意していたのだ。


 しかし。


「え、ええ。これで」


 エレーヌから紙幣を渡されそうになった売り子は、慌てて手を引っ込める。


「あっあっ、あのっ……二十フラム紙幣は困ります……私、そんなお釣り持っていません……」


 エレーヌもすぐに自分の失敗に気付いた。ナッシュの時は気をつけているのだが……今、エレーヌの財布には二十フラム紙幣が二十枚入っているだけだった。これでは庶民から物が買えないではないか。庶民から物を買う時は十サンク貨幣などを使わないといけないのだ。今日はそれを用意していなかった。

 少し前までのエレーヌならこれで動揺していたかもしれない。だけど今のエレーヌには、サリエルから入手したばかりの新しい知識があった。


「あら、それは仕方ないですわね。でしたらそうね……お釣りはチップとして貴女に差し上げますわ。早くサイダーを下さるかしら?」


 エレーヌはそう、得意顔で腕組みをして言ったが。


「そ、そんなチップありません! 勘弁して下さい!」

「遠慮しなくていいのよ」

「遠慮じゃないです、困ります、チップは五サンクまでってお父ちゃんに言われてるんです!」

「あのね、私、とても喉が渇いてますのよ? いいからそのサイダーを売りなさい、私お金はこれしか持ってませんの」

「ですからその、お釣りが無いんです、全部集めても二フラムも無いんです」

「お釣りは要らないと申し上げてるでしょう! 何なら貴女が持ってるそのサイダー全部買いますわ!」

「だけど三十本全部でも六フラムです、それにそんな……飲む訳でもないのに売る訳に行きません!」

「何ですってぇ!」



 エレーヌはそこで気が付く。


 サル回しを見ていた客。サル回しを遠巻きに見ていた人々。サル回しの大道芸人。そしてサル。皆が、エレーヌとサイダー売りに注目していた。


「な……何ですの!? 私達コントをしている大道芸人ではなくてよ!?」


 エレーヌは腰に手を当て胸を張り、大衆を威嚇する。

 観客達はエレーヌの剣幕に圧され、僅かに後づさる。


 誰もが硬直する中。サル回しのサルが不意に、小さなステージの前に逆さにして置いてあった帽子の中に手を突っ込む。

 帽子の中には小銭が数枚入っていた。これは観客が入れた物ではなく、大道芸人があらかじめ入れておいたものである。こうしておくと、客が小銭を入れやすいのだ。


「キキッ」

「あ……ちょっとマリーちゃん、やめなさい!」


 サルは帽子の中から何か取り出すと、エレーヌ達の方に駆け寄って来る。


「な、何よ」

「キイッ! キイ!」


 サルは手を伸ばしてエレーヌが提げていた二十フラム紙幣をもぎ取ると、代わりに何かをエレーヌの手に握らせた。

 エレーヌはそれを見る……それは二十五サンク貨幣だった。


「あら……気が効くわねおサルさん。これでどう? これならそのサイダーを一本売っていただけるわね? お釣りの五サンクはチップですわ!」


 エレーヌは勝ち誇ったように売り子に告げる。


 一方。サルは大道芸人の元へと駆け戻り、二十フラム紙幣を男に渡すと、悪そうに顔を歪めて笑った。


「キイッ、キイキイキイ……」

「す……すごいねマリーちゃん……見事に困っている人達を救ったね、さすがは船長さんだ、うん……えー皆さん、マリーちゃんはこう見えても船長さんでして……」

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