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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの平凡な日々  作者: 堂道形人
弁護士クロヴィス・クラピソン

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弁護士クロヴィス・クラピソン 第二十七話

 エレーヌとサリエルはビールの酔いが醒めるに連れて落ち着き、翌朝にはすっかりいつもの、我侭で厳しい主人とその忠臣に戻っていた。



   ◇◇◇◇◇



 月曜日は未明から雨が降り出し、朝になっても降り続いていた。


 伯爵屋敷のロータリーに馬車が待機している。

 執事長のディミトリは送迎用の大きな傘を手に、懐中時計を何度か取り出しては眺めていた。今日は雨が降っているので、馬車は少し行き足を落とさなくてはならなくなる。だから普段より少し早く出発しないといけないのだが……伯爵令嬢、エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートはまだ姿を見せない。


「お待たせしました、お嬢様は今参ります」


 そこに。玄関ホールからサリエルだけが現れる。サリエルは普段通り、聖ヴァランティーヌ学院の制服を着て、自分の分とエレーヌの分と二つの学生鞄を持っていた。

 エレーヌはその後から現れる。いつも通り。少し不機嫌そうに眉をひそめて、玄関から周囲の様子を見回すと、ディミトリが差し出す送迎用の傘に一人で入る。

 サリエルは自分の小さな傘を持ち馬車の戸口まで走ると、その扉を開けてエレーヌを待つ。

 それはいつも通りの、エレーヌがちょっとよけてやればサリエルも肩を濡らさずディミトリの傘に入れるのにそうはしない、雨の平日の朝の光景であった。


「行ってらっしゃいませ」


 二人が乗り込むとディミトリが扉を閉める。エレーヌはろくに挨拶もせず雑誌を開いて読み始めていた。

 その雑誌は金曜日に一度サリエルが間違って購入し、慌てて取り替えて貰って来た物だ。

 そのサリエルは馬車の中のエレーヌの斜め向かいの席に、極めて静かに座っていた。お嬢様があの雑誌を読んでいる間は、絶対に邪魔してはいけない。


 馬車は長屋通りから鍛冶屋通りへと曲がって行く。


 外の雨は次第に霧雨のようなはっきりしない、しかし鬱陶うっとうしい雨へと変化しながら、尚も降り続く。

 エレーヌが不意に雑誌を読む手を止める。そして少しだけ身を乗り出し、キャビンの外の御者に声を掛ける。


「もう少しスピードを落としなさい。危ないでしょう」

「これ以上ですか、お嬢様、このままですと少々遅刻になるのですが」

「遅刻で結構。危険なスピードで走るよりましよ」


 御者はエレーヌに命じられた通り、馬の行き足を抑える。

 エレーヌは再び雑誌に目を落とす。

 サリエルはカーテンの隙間からそっと窓の外を見る。


 普段と変わらぬ、カトラスブルグの街。

 月曜日の朝が始まるという事は、また一週間の仕事が始まるという事だ。鍛冶屋通りに金融通り……工場の技師、銀行の事務員、働き方の違いはあれど皆労働者である。一般的な労働者にとって、月曜日の朝というものはあまり楽しい物ではないのだろうか。道行く人々の表情は、皆どこか少し憂鬱なようにも見える。

 そこまで考えたサリエルは、エレーヌに気付かれないくらいに小さく首を振る。そんな事はあるまい、憂鬱そうに見えるのはこの天気のせいだ。十一月の冷たい霧雨など、誰にとっても楽しい物では無いだろう。

 きっとそれだけだ。サリエルはそっと視線を戻し、ただ、馬車が学院に着くのを待つ。



   ◇◇◇◇◇



 いつものように。若干の遅刻をとがめられたり、つつがなく宿題の発表を済ませたり、サリエルを走らせて満月サンドを買い付けたりしながら、月曜日のエレーヌの学校生活は、普段と何ら変わる事無く修了した。



 名門校である聖バランティーヌ学院の生徒の多くは良家の子女で、登下校に馬車の送迎がつく家も多い。

 勿論、伯爵令嬢と側仕えのメイドは帰りも馬車で帰る。

 サリエルは時折、楽しそうにお喋りをしながら徒歩で帰る学友達を羨ましく思ってしまう事もあったが、そんなのは贅沢過ぎる悩みだと断じて、すぐに自戒じかいする。自分は大変に恵まれているのだと。



 さて。伯爵屋敷の馬車は学院のロータリーを出て、まっすぐな下り坂をゆっくりと下り、教会通りを曲がって、やがて戦勝記念通りへと至り、その大路を進む。

 その途中。帰りは雑誌を読まず、カーテンを開けたまま、まだ小雨の降る街を眺めていたエレーヌが何かを見つけ……口を開いた。


「馬車を端に寄せて、止めなさい」



 その場所はカトラスブルグ警察暑の正面だった。

 駐屯地のようなその場所の正門の両側には制服の警官が居たが、それとは別に、今まさに出動しようとしているらしい、警察の蒸気自動車が居た。

 しかしどうもその自動車が何かトラブルを起こして動かなくなっているらしい。


 そしてその自動車の前にはトラブルで泡を食う警察署の自動車技師達の他に、スーツ姿の二人の警察関係者と、弁護士のクロヴィスが居た。三人はいずれも今馬車を止めて歩道に降りこちらにやって来る伯爵令嬢、エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの顔を知っていた。

 側仕えのサリエルもそんなエレーヌの後を、慌てて傘を差し掛けながら追い掛けて来る。


「刑事と弁護士。珍しい組み合わせですわね。貴方達は敵同士ではなかったのかしら? ホホホ。それとも何か談合してらっしゃるのかしら?」


 伯爵令嬢の先制の雑言ぞうごんに二人の刑事は眉をしかめる。クロヴィスは努めて平静を装っていた。

 二人は以前エレーヌが列車強盗紛いの狼藉を働いた時に、早速伯爵屋敷にやって来た敏腕刑事達だった。しかし事件は伯爵家の権勢に尻込みする検察官達によって尻すぼみに片付けられてしまったのである。


「丁度ようございました、エレーヌ嬢。貴女に御伺いしてみたい事があったのですが……何か嫌疑がかかってるという訳ではございません、今日の所は」


 刑事の片方、隼のような目をした男、フィネルはそう言って、相棒の刑事ミシリエに目配せする。

 エレーヌが馬車を止めさせたのは、刑事達がたまたま通りかかった伯爵家の馬車を凝視していたからである。


「クロヴィス弁護士。貴方もストーンハート家に関係があると?」

「いいえ。私に関係があるのは後ろのサリエル嬢です。バイヤール家の馭者の事件の目撃者ですし、私は別件で彼女の相続手続の代理人をしています。しかし伯爵家とは何も関わりがありません」

「そうですか……いや、それは好都合。如何です? 我々は立場上、捜査情報をおいそれと明かせませんので、貴方から質問して下さると助かるのですが」

「解りました、やってみましょう。気は進みませんが」


 ミシリエとクロヴィスはエレーヌに視線を置いたままそう話す。エレーヌは苛立ったように手を腰に当てる。


「あら? ご相談は終わりましたの? か弱い伯爵令嬢相手に、随分大仰(おおぎょう)な事ですわねぇ」


 クロヴィスはエレーヌの煽りに耳を貸さず、真剣な表情のまま口を開く。


「貴女はパトリス・バイヤール男爵について何か御存知ありませんか?」

「バイヤール卿が何か? 最後にうずら狩りを御一緒したのはもう何年も前ですわね……五年程になるかしら」

「失踪したのです。私は昨日彼と会い、今日も会う約束をしていた。しかし今日の午前中彼の館を訪ねてみると、彼も、彼の使用人達も、彼等の馬車も居なくなっていて、近所の誰も彼等がどこに行ったのか知らないと言うのです」


 クロヴィスの言葉を聞くエレーヌの表情から、あらゆる感情が消えて行く。


「貴女の家……ストーンハート家は数百年前から御互い近隣の地方領主として、バイヤール家との付き合いがあったのではないでしょうか。貴女は何か御存知ではないですか?」

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