弁護士クロヴィス・クラピソン 第二十八話
出発直前にトラブルを起こし往生していた警察の自動車の代わりにと、エレーヌは自分達の馬車の提供を申し出た。その代わりに自分達も乗って行くと。
「正直、御協力いただけるとは思ってもみませんでした」
ブルドッグのような獰猛な顔立ちのミシリエ刑事が言った。
三人ずつ向かい合う座席の一番奥にはエレーヌが、その向かいにはサリエルが詰め、クロヴィスはサリエルの隣に、そして入り口前には二人の刑事が向かい合わせに座った。
「父が居ない間は、私が現状を把握しなくてはなりませんので」
エレーヌはそれだけ言い、雑誌を開いて読み始める。刑事達も空気を読み、それ以上ここでエレーヌに質問をする事は避けた。
伯爵屋敷の馬車はゆっくりと大路を行く。その後ろを八騎の騎馬警官がついて行く姿は何とも物々しかった。
ゆっくりと進む馬車に痺れを切らしたフィネル刑事が、サリエルに囁く。
「もう少し急がせる訳にはいかないのですか?」
「申し訳ありません、お嬢様は市内でスピードを出す事を好まないのです、郊外の見通しの良い所に出たらもう少し急がせると思いますわ」
その二人の間に挟まれる形となっていたクロヴィスも口を開く。
「事の始まりはバイヤール家の馬車が白昼の市内を危険なスピードで飛ばしていた事です……結局警察はマルコ・シメオンが負傷した件では動いて下さらなかった」
クロヴィスの斜め向かいに座っていたミシリエ刑事は、帽子を被り直してクロヴィスの視線を帽子の鍔で遮る。
「申し訳ないが我々は常に手不足で、他にも様々な事件を抱えているのです。その少年の件も順番に調査致しますよ」
◇◇◇◇◇
やがてストーンハート家の馬車はスリテア村のバイヤール家の館の前に辿り着く。同行していた八騎の騎馬警官達のうち四騎は館の水濠にかかる跳ね橋を渡り、中庭で馬を降りる。中庭には昔ながらの厩舎や馬留めもあるが、館の馬は一頭も居ない。
馬車の方は門前で止まり、まず二人の刑事が扉を開け、館の前に降り立つ。
「一周を見張ってくれ」
跳ね橋の前に待機していた四騎の騎馬警官の方は、速やかに館の外周に展開して行く。
「土曜日にはここに見張りが二人居た……昨日はより、大勢で待ち構えていた」
クロヴィスも馬車を降り、辺りを見回す。
片方の鎖が取れた跳ね橋もそのまま、母屋の窓やカーテンも閉まったままだ。ここから見る分には、バイヤール家の館は普段通り、ごく普通の田舎の貴族の館そのものに見える。
最後にエレーヌとサリエルも馬車を降りる。
母屋の中は、もぬけの殻と呼ぶのが相応しい状態だった。
入り口のホールのすり減った板張りの床。そこから見える、色褪せた絨毯が敷き詰められた応接間。二階へ続く大きな階段の吹き抜けに吊り下げられているのはシャンデリアではなく、ごく普通のオイルランプだ。
エレーヌは階段の手摺り彫刻に触れる。埃も煤もほとんどついていない。ここはごく最近までこまめに掃除されていたようだ。
応接間には本来あるような応接セットはなく、がらんとしていた。ここもやはり掃除だけは行き届いていて、色褪せた絨毯にも土埃などはついていない。
「他の部屋も似たようなものですね。高価な家具や調度品は全てどこかに移したのでしょう。初めて見ましたよ……貴族の夜逃げなんて!」
先に館内を見回って居た警官の一人が言った。
クロヴィスは焦燥を隠す事もなく、早口に呟く。
「何て事を……私の要求が引き金になったとでも言うのか!? 私はきちんと説明したのだ、私の依頼人の要求は五千フラムにも満たず、交渉の余地がある事もはっきりと告げたのだ! 全てを捨てるような選択を強いた覚えは無い!」
「五千フラム払うのも馬鹿馬鹿しいと思ったんでしょう。それで大急ぎで家財道具を売って、今頃は新世界行きの切符でも探してるんじゃないですか」
警官の一人は皮肉げにそう返す。しかし、エレーヌは絨毯に屈み込んで呟いた。
「家財道具なんてそう短時間で現金にはなりませんわ……ピアノを売るにも何週間かかかりますのよ。それに……」
エレーヌは立ち上がる。
近くで部屋を調べていたミシリエ刑事は頷き、エレーヌの後に言葉を続ける。
「この部屋はだいぶ前からがらんどうだったようですな。他の部屋の調度品もほとんど残っていない。壁の絵画も」
「バイヤール家の歴代当主の肖像画だけが遺されているのは、買い取って貰えなかったからですかな」
ミシリエ刑事の後に、フィネル刑事も溜息混じりで続ける。
サリエルは思わず、エレーヌに尋ねる。
「お嬢様……これは一体どういう事なのでしょう」
「男爵は長年掛けて屋敷の調度品を売り払っていたのよ。もう財産になる物は殆ど残っていなかったのだわ」
往時には家族などの居室として贅沢に使われていたであろう、館のいくつかの部屋は、男爵に仕える家人の為の住居と化していた。住居にかかる家賃や税金を惜しむ意味で男爵屋敷に寝泊まりしていた者が大勢居たらしい。
部屋の様子はまるで兵舎のようだったが、そうした部屋にも住人の姿は無い。
時間が経つにつれ、また警官や刑事達が周辺の捜索や聞き込みを始めるに連れて、男爵とバイヤール家の家臣達の暮らしぶりと、ここで何が起きたかについての情報が集まって来た。
混乱しているのは弁護士のクロヴィスやカトラスブルグ警察だけではない。スリテア村の人々も、何が起きたのかを知りたがっていた。
「刑事さん、男爵家の旦那に何があったんだね……昨夜うちにも、連中の家の使用人の一人が血相を変えてやって来て、荷車を貸してくれと言うから貸したんだよ、代わりにこれを受け取ってくれと言って……」
そう言って近所に住む住人が見せたのはフルプレートの立派な騎士が左手に掲げるような、紋章付きの盾だった。四分割された盾のデザインの左上に描かれているのは鷹の羽で、この地方の古いしきたりでは、王族に認められた勇者のみが持つ事を許される由緒ある紋様である。
「さぞや名のある家宝だったのでしょうな」
フィネル刑事は盾を一瞥して鼻を鳴らす。
そして。男爵家の家臣の全てが失踪した訳ではなかった。
館の外に妻子と家を持っていた者の殆どは、スリテア村内の自宅に残っていた。彼等は警官や他の村人の説得に応じ、憔悴した様子でバイヤール家の館の前にやって来た。
「皆が一様にした訳ではない。妻子を置いてついて行った者も居れば、独り身でも残った者も居る。解っているのは、四百年の歴史を持つバイヤール騎士団は当主パトリス・バイヤールと共にここを発ち、この地には……二度と戻らぬという事だ」
村人の中には、この言葉で家族が本気で失踪した事を知った者も居た。
「何故です! どうして男爵様はそこまで追い詰められていたんですか?」
「うちの人は何処へ行ったんだい!? 小さな子供だって居るんだよ、家族を捨てて、男爵と何処へ行って暮らすって言うんだい!?」
「誰か……誰か真実を知る者は居ないのか!!」
しまいには警察もクロヴィス弁護士も逆に村人から質問を浴びせられる始末である。しかし多くの質問はやはり、村に残る事を選んだバイヤール家の元家臣達に向けられた。
「皆も知っているだろう……男爵家にはもう財産はなく、古い法律による地主としての収入はごく僅かで、家臣達への俸給の支払いや王国から求められる奉仕の負担は収入のそれを大きく超過していた。家臣達は俸禄の殆どを返上し、男爵様は財産を手放して耐えてはいたが……それも限界だったのだ」
「それで! 男爵様とうちの人達はどこへ行ったんだい!」
「解らぬ……男爵閣下は昨夜出発の準備が整うと、残った者全てを館の礼拝堂に集められ、一人一人に声を掛けられた……これまでの忠勤に感謝する、最後にこのような事になって済まないと……我らは最後に全員で神に祈り、それから無言で、村に残る者と、巡礼に出る者に別れた……巡礼達がどこへ向かうのかは、村に残る事を決めた者には、一切知らされなかった」




