弁護士クロヴィス・クラピソン 第二十五話
クロヴィスは自分の要求が現時点では示談交渉である事、自分が代理人として提出している被害届は取り下げる事も出来るという事、自分も依頼人も依頼人の勤め先も、バイヤール家を破滅させたいのではなく、損害を補償して欲しいだけなのだという事を説明する。
そして要求している全額を今すぐ支払えとは言っていない、支払い能力に問題があるのなら、きちんと説明してくれればちゃんと考慮すると。
バイヤール家にはもう現金資産は無いという、男爵の言葉にも嘘偽りは無いようだった。彼の生活はもはや使用人達の為のものであり、見た目は立派な馬車もただ、馭者達を失業させない為に維持しているのだ。
他のならず者も同様である。人当りの良い者や、学のある者は他所へ去った。残された彼らは、バイヤール家の家臣として僅かな俸給で雇われ、古い館に大勢で住んでいるという。
四人はカトラスブルグの鍛冶屋通りに戻っていた。
蒸気自動車は今度は長い距離を止まる事なく走り抜けてくれたが、トーマスやナッシュが手荒に扱った為か、ギアボックスから異音が出るようになってしまっていた。
ナッシュ達が自動車を持って行くと、工場の技術者達は憤慨する。
「まさかまた壊れたというのか!? お前ら一体どういう乗り方をしてるんだ、くそっ、今度は一体どこだ!?」
「いや違う、壊れたんじゃねぇ俺らが壊したんだ、見ろ、後ろの板金なんか銃弾の痕があるし、勿論修理代は払うからまた治してくれよ」
そんな自動車工房を除けば鍛冶屋通りは皆休みなので、そこで働く男達のリビングたる居酒屋『鉄と炎の合間』も休みだろう。四人がそう思いつつ店の前を通るとやはり店は休みで、若い方の店員が店の中の物を全部外に並べて埃を払っている。
「あれ、旦那方は今日も仕事ですか? 店は休みだけど冷えたピルスナーでも引っ掛けたいんじゃないですか。揃いも揃って、冴えない顔してますよ」
顔を見合わせる四人。確かに、誰も面白いなんて顔はしていない。
酷い顔をしていると言われれば、そうなのかもしれない。少なくともトーマスはそう思った。
結局の所四人は鉄と炎の合間に吸い込まれた。店の中の物の多くが外に出されていて中はがらんとしているし、普段酒やつまみを並べてあるカウンターの上にも、何も置いていない。
「今日は半額でいいですよ」
店員はそう言って注文も聞かず、恐らくちょうど樽の底に残っていたと思われるピルスナーを四杯出して、あとはそのまま掃除の続きをしに外へ行ってしまう。
「それで、何故君達はまた私を助けてくれたんだ」
「おいおい、バイヤール家に乗り込むなら俺も連れてけって言ったじゃねえか。むしろ何で黙って一人で行ったのか聞かせてくれよ」
「それは……私はこれは私の仕事だし君達を巻き込むのは筋違いだと思えたからだ。それに君には昨日もう十分助けられていた。ところで……」
クロヴィスは大きなグラスに注がれたピルスナービールを口に含んで、続ける。
「こちらの紳士は……レアル警視庁は嘘だと思うのだが、腕は確かだな。貴方への礼がまだだった」
クロヴィスはオーバンに手を差し出す。オーバンはビールに口をつけた瞬間何故か眉間に皺を寄せていたが、すぐにその手を取る。
「ナッシュとトーマスの友人でオーバン、レアルは本当だが仕事は教師だよ」
「その腕だと師範学校だろうか。私も軍に居た頃に杖術を習ったが、貴方は実に見事な使い手だと思う」
「君は大変職務忠実な弁護士だと聞いていた。警視庁が嘘だと知れたらもっと怒られるかと思ったよ」
「はは……もう十分無茶苦茶だしな、感謝しか無いよ」
握手を交わす二人を見比べながら、ナッシュはビールを呷る。
「判事補のなんだ……ワーデンって奴はどうする? お仕置きが必要じゃねえの」
「きりがないし、構わん。とにかく男爵は交渉のテーブルにつく事に同意したんだ。暴力も御互い様になってしまったからな」
「それでいいのかよ……警察に裁判所、貴族共の味方が色んな所に居るのも事実じゃねえの? バイヤールだってお前にとっちめられなければ、このまま押し切ろうとしてたんだぞ、マルコって子がどんなに困ろうと」
トーマスは落ち着いた様子でビールを小さく二度呷り、呟く。
「そのマルコが助けられそうだから、それでいいんだろう。なあクロヴィス」
「トマ……トーマスまでそんな」
「ナッシュ君は立派な髭を蓄えているから貫禄があるけれど、もしかして私よりかなり若いのだろうか」
クロヴィスがようやく微笑みらしきものを浮かべた。
「な、何だよそれ、俺はお前があんまり無鉄砲だから手助けしてやろうと思ってだな……おいトーマスまで何で笑う」
ナッシュが憤ってみせると、クロヴィスは掌をかざす。
「いやすまん、勿論感謝しているとも。実際地方貴族というものがここまで怖いとは思っていなかった。昨日のは部下の暴走として、まさか判事補まで買収されているとは想像出来なかった。実態は買収とは違うようだが、私があのまま判事補の罠に落ちていたらどうなっていたのだろう。今度は命まで取られたのだろうか……本当に……有難う」
鉄と炎の合間の若い店員にはそれ以上おかわりを出す気はなく、一杯のピルスナービールを飲み終えた四人は店を出て、ただ手を振って別れた。ついさっきまで共に襲撃をかいくぐり、人を一人略取する共犯者になった者同士とは思えない程あっさりと、男達はそれぞれの道を行く。
「縁があればまた会おう。気をつけろよ、ストーンハートはもっと意地悪だぞ」
「ナッシュ君、君はまだそんな事を」トーマスは窘めるが。
「ははは……解った、もしストーンハートとやりあう事があったら、もっと気をつけるよ……それじゃあ」
クロヴィスはそう言って、教会通りの方へと去って行く。
「私はこっちだから。用があれば、また」
「ああ、またな」
簡単な挨拶を交わし、オーバンも振り返らずに金融通りの方へと去って行く。
トーマスはその背中を暫く見送っていたが、すぐにナッシュももう歩き去っている事に気づき、小走りで追い掛ける。
「ああ、ナッシュ君。オーバンはまだどこかに行くのか?」
「さあ? 俺達が気にする事じゃねえな」
トーマス、ことトマには、なるべく早くナッシュに言いたい事、言わなくてはならない事が色々あった。
しかしそれはトマに戻ってから言うべき事なので今言っていいものか。多分駄目なのだろう。
二人は長屋通りを通過し、ストーンハート屋敷への道を歩いて行く。
ストーンハート屋敷はバイヤールの館やローゼンバークの砦と比べると、軍事施設としての色合いは殆ど無く、純粋な居館として造られた物だと思える。屋敷の周囲を囲んでいるのも、主に低い塀と生垣だ。
バイヤールの館は良く見れば建物の状態が悪く、補修の手が行き届いて無かったが、庭木や生垣は多少は手入れされていた。
ローゼンバークの砦は逆に、建物には近代的な改修跡がたくさんあるが、庭園は荒れるに任せている感じだった。
トーマス、いやトマは密かに思う。ストーンハート屋敷はどちらとも違う。建物は綻べば伝統的な建材で修繕するし、庭は毎日細やかに手入れしている。
この屋敷には健全な生命力がある。深く息づく伝統がある。
けれどもその生命力や伝統を支えているのは、結局の所ストーンハート家の経済力なのだろうか……それとも。
「お嬢様」
トマは思わず呟く。
「ああ? 何か言ったか?」
「ああ、いや……何でもない……ナッシュ君」
トマもナッシュもそれ以上は何も言わず、屋敷の周りの道を歩いて行き、途中にある庭師用の通用口から、屋敷の敷地へと戻る。




