弁護士クロヴィス・クラピソン 第十七話
居酒屋『鉄と炎の合間』からの帰り道。クロヴィスはマナドゥの馬車に同乗して帰り、トマとエレーヌは徒歩で屋敷への道を歩いていた。
「お嬢様。あの言い方はありません、言い過ぎですよ、どうして自分の事をそこまで悪し様に言うんですか」
トマは普段、主人に差し出口をしない事を美徳としていたのだが、今日は言わずにはいられなかった。
しかしまだ変装を解いていなかったエレーヌは、あくまでナッシュの芝居を続けたまま答える。
「だってあいつまだ判事補を連れて行くから大丈夫とか言ってたろ? 今日死にかけたばかりだってのに、純真っつーか正義感が強過ぎるっつーか。あれじゃ長生き出来ねえよ……だから言ってやったのさ、もう少し用心しろって」
「あ、ああ、コホン。だけどナッシュ君、ろくに証拠も無いのにあんなに悪く言ってはいけない」
「酔っ払ったちんぴらの戯れ言だよ。向こうも解ってるさ」
「だけど君は、貴族共と戦うなら俺に任せろというくらいの勢いで、彼にそれを話したぞ」
「ああ、屋敷についた」
ナッシュは辺りを見回して人目が無い事を確認し、庭師用の小さな入り口から屋敷の敷地に入る。
「この後はどうするんだい、また会う約束までして……」
「勿論、考えておりますわ。貴方にもまた力を貸して頂く事になるでしょうね。今日の所は休んでいいわ。ありがとう」
突然お嬢様に戻ったエレーヌの言葉に、トマはつんのめって転びそうになる。怪人と呼ばれていた時の姿のまま、すたすたと去って行くエレーヌ。
トマの土曜日は、愉快だったのかそうでなかったのか良く解らない、微妙な一日になってしまった。
◇◇◇◇◇
エレーヌは今や公然の秘密となってしまった裏庭の隠し戸の方から屋敷の中に入り、隠し通路を経て、二階のエレーヌの区画のワードローブに奥の隠し扉から這い入る。エレーヌはそこで変装を解き、部屋着に着替えてからリビングに入る。
そしてリビングを通り過ぎ、寝室の扉を開けた所で。
エレーヌはばったりと、前のめりに倒れた。
辺りにはこつこつと、時計の歯車が鳴る音だけが響く。
自己嫌悪の海に沈むエレーヌ。
しばらくして。エレーヌは顔を横に向ける。
ベッドまで辿り着く事も出来なかった。ここは床の上だ。
サリエルが降ってわいた遺産相続の話の事で自分の手を借りようとしないのは、先日自分がサリエルを泣かせ、本気で怒らせてしまったからだ。
あれ以降もサリエルは平静を装っているが、その態度はどこかぎこちなく、今までの雰囲気と何かが違う、サリエルの気持ちはエレーヌの元に戻って来ておらず、どこかに行ったまま……エレーヌはそう考えていた。
だからエレーヌはこっそりサリエルの力になろうと思った。クラピソンという弁護士がどんな人間で、遺産相続の話が本当なのかどうかを調べ上げて、サリエルを驚かせ、感心させたかったのである。
それが何故こうなるのか。
解っている。自分はよく目的を忘れて手段に没頭してしまうタイプの人間なのだ。先日も煙突小僧の処理に拘るあまり大惨事を引き起こし、自分の恥ずかしい秘密をアンドレイにまで知られてしまう羽目になった。
クラピソンが何をしているのか確かめるつもりでついて行き、思いがけずマナドゥに会った。そこでマナドゥから聞いた話は状況をまるで別物にしてしまった。
バイヤール家の馭者がサリエルを鞭で打つ所だったと。冗談ではない。サリエルを鞭で打っていいのは自分だけだ。エレーヌは怒りに燃えた。
ではそのサリエルを助けたクラピソンはどういう人物なのか? バイヤール家と裏で繋がってたりはしないのか? エレーヌはクラピソンを尾行し注意深く観察した。
しかしクラピソンはバイヤール城では歓迎されず、彼が時間稼ぎで足止めされている間に、城から出て来た強面がごろつきを集めるやら、近所に触れ回るやら、辻馬車の御者を脅して帰らせるやら、ただ事ではない空気になって行く。
エレーヌはクラピソンの正義感は本物で、彼は無鉄砲な若い弁護士なのだと思った。
同様の考えに至ったトマに相談すると、トマはならず者はきっとあの雑木林で待ち伏せし、クラピソンを襲うだろうと言った。
そこで先回りしてそこに伏せていると。全くトマの予想通りの事が起きた。
エレーヌは呆然と、床の木目の模様を指でなぞる。そこまでは良かった。
二丁拳銃を撃ちまくり窮地から助け出してみると、クラピソンは思っていたより話せる男で、さすがにレアルの若者というか、教養もあり洗練されていると思えた。
そうなると今度は、サリエルとクラピソンの関係が俄然気になってしまったのだ。
勿論二人は出会ったばかりの弁護士とメイド、弁護士と顧客である。そんなに深い関係になっている訳が無い。しかし。クラピソンがハンサムである事とサリエルが遺産相続の件で自分に助けを求めない事には本当に相関関係は無いのか?
サリエルは屋敷のメイドであり自分の側仕えである。屋敷の外回りの仕事はあまりさせてないし、個人的な用事で買い物に行かせる事も多くはない。
それなのに。サリエルの周りにはいつも男が集まって来る。リシャールもマナドゥもサリエルの知人だったのだ。
サリエルは男性から懸想される。当たり前だ。美人で気が優しくて教養があり勇敢で誠実でパーフェクトなサリエルが男性に懸想されなかったら、それはそれでおかしい。エレーヌは本気でそう思っている。
だけど……だけど……
クロヴィスは真面目な顔をして真面目に言った。彼女のような人が貴族だと言うのなら、私も納得するしかないと。
エレーヌは床を転げ回る。拳で床を叩き、足で壁を蹴る。
サリエルは普段彼女に恋文を寄越す男達にはあまり興味が無いらしく、手紙も無頓着に扱っているのをエレーヌは知っている。だからエレーヌも今ではサリエルが誰かから恋文を受け取っていても、あまり気にしないようにしている。
だけど今回は何か違う。
もし、もしも。
サリエルがクラピソンの手を取り、この屋敷から出て行くような事になったらどうしよう……
エレーヌは強く拳を握る。指が震える。爪が掌に食い込む。血が滲程に。震えが腕から肩へと広がる。
許せない。あれは私のものだ。
エレーヌがゆっくりと冷温停止する。震えが止まり、肩から腕、掌へと脱力が広がり、エレーヌはフライパンの上のバターのように床に広がる。
瞬間的に沸騰した怒りの感情が蒸発し、再びエレーヌは自己嫌悪に支配される。
何故自分はクラピソンにあそこまで言ってしまたのか。何故自分はあの場で嫉妬と自己嫌悪を止められず、あんな毒を吐いたのか。
クラピソンをドン引きさせ、サリエルの事を諦めさせようと思ったのか。
エレーヌの心から、今度は自己嫌悪が昇華し、消えて行く。エレーヌは顔を上げる。その顔にはもう何の感情も浮かんでいない。
彼女は立ち上がり、軽く体を叩く。
嫉妬でも自己嫌悪でもない。クラピソンに言った事はサリエルとは何の関係も無い。あの場ではクラピソンにあれを言わなければならなかった。自分はその務めを果たしただけなのだ。
自分は、伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートなのだから。




