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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの平凡な日々  作者: 堂道形人
弁護士クロヴィス・クラピソン

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弁護士クロヴィス・クラピソン 第十四話

 バイヤール家の居館の門前には二人の男が取り残されていた。門番の片割れの男の方は、腕組みをしたまま方々を見渡すばかりで何も喋らない。


 クロヴィスも石煉瓦の壁に寄りかかり沈黙していた。

 正直クロヴィスにはもう何が起きているのか解っていたのだが。それならば、その膿を。残らず引き出してやろうと考えていた。



 痩せた男が戻って来たのは三十分も経ってからだった。


「済まねえなあ、客人……俺は男爵閣下にあんたの事をお伝えして、あんたに会うよう勧めるつもりだったんだが……閣下は屋敷に居ないんだ、さっきまで居たはずなのになあ」


 狡猾そうな男がニヤニヤと笑うと、筋骨隆々の男もわざとらしくうなずく。


「うちの主人は忙しいからな……裏口からひょいっと出掛けちまう事も多いよな」



 クロヴィスは怒りを堪えていた。勿論この門番の男達には初めから男爵に用件を取り次ぐ気など無い。しかし一方的な訪問者であるクロヴィスとしては、当の相手に取り次ぐから待てと言われては待たざるを得ないのだ。


「では先程言った通り! この召喚状はここに置く! 確かに渡した!」


 クロヴィスは大股に歩み寄り、先程男達がカードをしていたベンチに書類の入った封筒を大きな封筒をバサッと置く。


「ああ!? てめえ何を勝手に……!」

「まあ待て兄弟……俺達はカードの途中じゃなかったか」


 細身の男はいきり立つ片割れを抑えると、何事も無かったかのように、書類の入った封筒を尻に敷いて座る。


「さあ、続きをやろうじゃないか」

「ん? ああ……そうだなあ」


 クロヴィスはその様を見て軽く下唇を噛み締める。


「……バイヤール男爵に伝えろ。レアルの弁護士を甘く見るなと」


 踵を返し立ち去るクロヴィスに、筋骨隆々の男は聞こえよがしに叫ぶ。


「あー。俺達、書類なんて見てないよなあ?」

「兄弟、余計な事は言わなくていい」


 痩せた男は小声でたしなめる。その声はクロヴィスには届いていなかったが、クロヴィスは今起きた事をはっきり把握していた。



 辺りが暗くなりかけている。クロヴィスは館の前の通りを急ぎ、村の目抜き通りへと戻る。


 そこは先程までとは何かが違っていた。


 先程クロヴィスに声を掛けて来た宿の女将は、何やら急いで表の小さな塗炭板の字を消していた。

 そして戻って来たクロヴィスが自分の方を見ている事に気付くと、慌てて目を逸らし、扉の看板を裏返して建物の中へと引っ込む。

 扉に掛けられたその小さな看板には「満室」と書かれていた。



 クロヴィスは通りを足早に歩いて行く。


 先程通った時も彼は村人達の視線を感じていた。だけどそれは見慣れない旅人を見る好奇の目線だった。

 今は違う。

 村人達が見ている……窓の影から、カーテンの隙間から。忌むべき余所者を、厄介事を持ち込む異端者を見るような目で、注意深く覗いている。。



 そしてクロヴィスが村の四辻まで戻ると。彼を待っているはずの辻馬車は姿を消していた。カトラスブルグ生まれだと言っていた、垢ぬけた陽気な御者も居ない。



 クロヴィスが館の門前で足止めされている三十分の間。あの痩せた狡猾な男は近所中に触れ回ったのだ。あの男はレアルから来た弁護士で、スリテア村の敵だと。


 辻馬車の御者も脅されたのだろうか。クロヴィスが敢えてバイヤール男爵邸の前まで行かずこの四辻で馬車を降りたのは、彼を巻き込まないようにする為の配慮だったのだが、結局巻き込んでしまったらしい。


 日没が迫っている。しかしこのスリテア村では夜を過ごせそうにない。カトラスブルグまでは十キロメートル。勿論途中にも人里はあるが……とにかく行動を急がないといけない。

 クロヴィスは覚悟を決め、辻馬車で来た道を徒歩で戻り始めた。



   ◇◇◇◇◇



 スリテア村から続く道がブナや松の入り混じる谷間の林に差し掛かる頃。

 クロヴィスは日も沈み暗くなった木々の間に、松明たいまつの明かりが揺れるのを見た。


「ちょっと……そこへ行く兄さんよ。面貸しちゃあ貰えねえか」


 長い道のりを足早に歩いて行こうとするクロヴィスが立ち止まると。たちまちに、林の中から。古い軍用ライフルを持った者、持ち手に布を巻いた短い丸太を持った者、ナイフを持ち顔に布袋を被った者……姿形も様々な、六人ばかりの。無法者としか思えない男たちが現れる。


「どこかの犬か。それにしては不揃いな恰好だな。お前達の主人は揃いの制服もくれないけちん坊なのか」


 クロヴィスは、はっきりとそう言いながら右手をコートの懐に突っ込む。



 男達とクロヴィスの間はおよそ二十メートル。緊迫した空気が流れる。



「いいか坊や……ここではレアルの弁護士なんか誰にも歓迎されねぇ……てめえみたいな奴は俺達に寄生して血を吸って生きようとするダニ同然だ。迷惑でしかねえんだよ」


 男達を統率していると思われる、背の高い、顔に大きな傷跡のある男が言った。男の顎は酷く歪んでいた。昔どこかで何らかの外傷を受けて、そうなったらしい。


「法律はお前達の敵ではない。法律は後宮の王妃から市井の孤児まで誰にでも等しく適用される」


 クロヴィスは答える。しかしそれを聞いた顎の歪んだ男は、ますます顎を歪めて嘲笑う。


「フハ、フハハハ、世間知らずのレアルのガキが! そんなもんに感謝してる奴はここには居ねえんだよ! おい……俺達に、世の中ってもんを教えられたくなければな……抵抗をやめろ。そうしたら命までは取らねえ、ボコボコにしてやるから黙ってレアルに帰れ。それが嫌ならここで死ね……ピストルでも持ってるのか? それを抜いてみろよ?」


 男達のうち二人は旧式の軍用ライフルを構えていた。顎の歪んだ男は抜き身の拳銃を持っている。残る三人も棍棒やナイフで武装している。

 クロヴィスの武器は法律だけだ。


「目を覚ませ! こんな事をしてお前達の生活が楽になる訳が無いだろう! 貴族の為に罪に手を染めて何を得る! 法と平等だ! 法と平等こそがお前達の生活を変えられるんだ! 貴族共に顎で使われる人生を、今改めろ!!」


 クロヴィスは怒りに燃え叫ぶ。彼の目が見ていたのは、この愚かなならず者達ではなく、彼らを支配する中世の呪いだった。

 しかし。


「てめえ……顎の話をしたな……俺の顎はユルゲン戦争でやられたんだ! 貴様みたいな、レアルでのうのうと暮らす役人連中の為に!」


 顎の歪んだ男は逆上し、怒りに燃えた目と拳銃を真っ直ぐにクロヴィスに向けた。

 クロヴィスの懐には何も無い。クロヴィスは跳ね退いた。

 顎の歪んだ男の拳銃の銃口が、跳ね退いたクロヴィスを追う……



――ドン!!



 銃声が響いた。

 それは男達が出て来た雑木林とは逆側からだった。クロマツの枝の上から、大きな帽子を被り大き目の上着を着た、もみあげから顎まで繋がる黒髭を蓄えた男が、飛び降りるなり……顎の歪んだ男の足元目掛け、手にした拳銃の引き金を引いたのだ。


 歪んだ顎の男と一緒に居たライフルを構えた二人の男は、慌てて、新たに現れた男目掛けて引き金を引いた。


――ドォン!! ドォォン!!


 凄まじい殺傷力を持つライフル弾が、帽子の男目掛け発射されたが、弾は二つとも大きく逸れていた。急に目標を変更した上、慌てて撃つからそうなった。

 歪んだ顎の男は奇襲されていて回避行動を取るのが先になっていた。


 大きな帽子の男……ナッシュ(エレーヌ)は、ダブルアクションレボルバーを二丁持っていた。



「ダンスの時間だ踊れ踊れクソが!」


――ドン! ドン! ドン! ドン!


 ナッシュ(エレーヌ)は左右交互に引き金を引きまくる。よく手入れされたダブルアクションレボルバーは使い手の信頼に応え、次々と凶弾を発射する。



「ひいっ!?」「や、やめっ!」「ひやああ!?」



 足元に立て続けに銃弾を撃ち込まれたバイヤール家の手の男達は、死にもの狂いで空へと逃れようとジャンプする。その姿はまるで不細工なダンスを踊っているかのようだった。


 ナッシュ(エレーヌ)は左右とも五発まで撃つと一旦射撃をやめる。


――ババババ! ズシャア! ブシュウウウ!


 次の瞬間。雑木林の下の、枯葉溜めになっているような所から、小振りな蒸気自動車が、砂埃を巻き上げながら飛び出して来る。


「乗りな先生!」


 ナッシュ(エレーヌ)は叫びながら、自分もその蒸気自動車のボイラーに足を掛け、小さな荷台の上に飛び乗る。


「あつ、あっチぃ、先生! 早く!」

「あ……ああ!」


 クロヴィスは酷く困惑していたが、空いていた座席に飛び乗る。並列シートのもう一席には、若いのに見事なハンドルバー髭を生やした男が乗っていた。


「ま、待ちやがれッ!」


 顎の歪んだ男は何とかそう言って拳銃を構え直そうとするが。


――ドン!


 先に振り向いて銃を構えていたナッシュ(エレーヌ)に、つま先からほんの三十センチメートル前の地面を打たれ、飛び散った火花に圧倒され……尻から宙に浮かび上がるように転倒する。



 ナッシュ(エレーヌ)は空になった方の銃を懐に戻した。


「おい、これ時速三十キロメートル以上出てねえか!? どうだ、やっぱりいい車だろう!」

「速度計がついてないから解らないな……つけなかったのか?」


 興奮して叫ぶナッシュ(エレーヌ)に、トマは冷静に答える。ナッシュ(エレーヌ)は無法者共がこちらを呆然と見送っているのを確認してから、弾が一発残ってる方の拳銃もロックし、懐に戻す。


「速度計をつけると、抵抗で速度が落ちるんだってよ」

「ふーん、それは本末転倒だな」



 クロヴィスはただ茫然と、突然自分を救ってくれた()達を見比べていた。

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