弁護士クロヴィス・クラピソン 第十三話
「アンタあの男と釣りなんか御一緒してますの? いいわね、殿方同士はそういう所で話が早くて」
「急にお嬢様に戻らないで下さいよ」
「おっと、そうだった、いいかい、俺は近所の庭師見習いのナッシュだよ」
「はい、はい……」
ナッシュはいくらか乗り心地がマシになった蒸気自動車を急がせるべく、レバーでボイラーに水を送り圧力を上げて行く。
幸い、クラピソンが乗った辻馬車はすぐに見つかった。枯野となったなだらかな麦畑の丘を続く道の途中の馬水槽で止まり、馬に水を飲ませている所だった。
「見ろ、これだから生き物はいけねぇ。人様がどんなに急いでいようと、喉が乾いたら梃子でも動かないからな。ははは」
それを聞いたトマは黙っていた。馬水槽は二百メートル程彼方にある。このまま追いついてしまうかと思いきや、馬車はナッシュ達が三十メートルまで近づいた所で発車した。
「さあ、俺達は文明の力で悠々と追い掛けよう」
「ナッシュ君、給水タンクの残量が四分の一以下になっているぞ」
「何? じゃあここで止めて水を汲むか……」
結局、蒸気自動車は馬水槽の前で止まる。
今度はナッシュが先に蒸気自動車から飛び降り、給水ホースを馬水槽の桶に突っ込むと、運転席のボイラーへ水を送り込む為のレバーを外し、給水ポンプに取り付けて、ガチャガチャとレバーを何度も引く。
辺りには誰も居ない。ホースが水を吸う間。トマは思っている事を聞いてみる事にした。
「それで弁護士がバイヤール家に行くと、サリエルにどんな問題があるのかね?」
ナッシュはレバーを引きながらぶっきらぼうに答える。
「サリエルの事は俺は知らねえ。向こうも知られたくないんだろ」
「質問を変えよう。バイヤール家というのは何かまずいのかね?」
「まあバイヤールに限らず、貴族なんてもんはだな……」
ナッシュは給水を終えホースを巻き直し、車体のホース置き場に戻す。
「大抵は高慢な性格をしているし、強面の家来が何人も居たりもする。むやみに関わるもんじゃないよ……嫌だねぇ。海の彼方の新しい国々には、そんな中世のお化けなんか居ないらしいぜ」
「僕もその、中世のお化けに忠誠を誓っているんだけどね」
「ああ、こりゃ失礼」
ナッシュが再び乗り込み、蒸気自動車はすぐに発車する。
「復水器をつければ水の消費を抑えられるし、こんなに蒸気を出さずに走れるらしいんだけど、その分重くなるんだろうな。自動車屋はつける事を勧めてたんだが」
「つけなかったんだ? まあ、復水器なんて重そうだな……ところでこのペダル、漕いでもいいんだね?」
「ああ、漕げば燃料を節約出来る……漕ぐか?」
「いや、僕が漕ぐんで君は操縦だけしてくれれば」
「いや待て、やめよう、漕ぐのは最後の手段だ、体力を温存しようぜ」
「なるほど、君もあんまり機械を信用していないんだな」
「そんな事はないさ、俺だって大きな時代の変化に合わせた生き方がしたい……」
ナッシュではない、エレーヌの本音が、ふと、口を突く。
何かを思ったのか。ナッシュは首を振り、ペダルを漕ぎ出す。
「君ね! 漕ぐのは最後の手段だって今……」
「今気が変わったんだ、悪いな、俺が漕ぐから君が操縦しろ!」
蒸気の力にナッシュの人力を加えた蒸気自動車は、なだらかな上り坂となった丘の道を、辻馬車を追って走って行く。
◇◇◇◇◇
レアルの弁護士、クロヴィス・クラピソンは州都カトラスブルグから十キロメートル程離れた郊外のスリテア村を訪れていた。
十七世紀から殆ど進化していないような田舎の村の光景の中を、一筋の送電線の束が通っている。この地方は利用可能な水力には恵まれていた。
しかしスリテア村には昔ながらの小麦栽培の他には目立った産業が無い。
その他の作物や畜産も地元で消費する程度の生産量で現金収入が無く、せっかく近くに水力発電所があっても、電灯線を引いているような家は殆ど無かった。
「帰りも頼みたい。ここで待っていて貰えないか」
クロヴィスは辻馬車の御者に少し多目のチップを添えて、往路の車代を渡す。
「こっちだってその方が有難いですよ、是非帰りも乗って下さい」
若い御者は笑って応える。スリテア村からこんな時間にカトラスブルグへ行く者も、その為に辻馬車を使う者もクロヴィスの他には居ないだろうし、帰りを空荷で帰るのと客を乗せて帰るのでは今日の儲けがまるで違ってしまう。
クロヴィスは村の四辻に止めた馬車を離れ、カトラスブルグからの道と直角に交わっている村の中央通りを進む。居酒屋に雑貨店。少ないが商店も存在する。
宿も営業しているようで、背広にネクタイ姿という、明らかに旅人と解るクロヴィスに、道端から声を掛けて来る。
「お兄さん! 今日の宿は決まっているの?」
「ああ、カトラスブルグに泊っている、すまない」
クロヴィスが応えると、宿の女将らしい女性はさほど気を悪くした様子も無く、笑って肩をすくめる。
クロヴィスはそのまま目抜き通りを歩き、また辻を曲がり、石を積んだ低い塀が連なる道を歩いて行く。バイヤール家の館はその先にあった。
石煉瓦作りのそれは小さいが、間違いなく城と呼ぶべき物だった。周囲を幅三メートル程の水濠に囲まれており、正面には跳ね上げ橋までついている。
しかし。その跳ね上げ橋は片方の鎖が切れており、今ではただの橋としてしか機能していないようだった。
橋を渡った先にはやはり石煉瓦作りの門があり、その上は櫓になっている。中世の有事であれば、跳ね上げ橋を上げて櫓に弓手を配し、寄せ手に立ち向かったのだろう。
しかし近世以降の、大砲や銃器の発達した時代にはこの程度の仕掛けは殆ど役に立たない。
門の下では中年男が二人、ベンチに座りカードに興じていた。しかしその様子は楽しむ為にやっているというより、時間を潰す為に仕方なくやっているというような、そんな雰囲気だった。
彼等は一応、門番の仕事をしていたらしい。クロヴィスが近づいて来るのに気付くと、カードを放り出してベンチから立ち上がり、橋の途中に立ち塞がる。
「ここはパトリス・バイヤール男爵閣下の居館だ。それ以上近づくな」
門番の男達はバイヤール家の馭者とは別の男だったが、ある程度この事態を予想していたようだった。恐らく馭者達から聞いていたのだろう……カトラスブルグで起きた厄介事と、そこに現れたいけ好かない弁護士の事を。
職務上こういう反応に慣れているクロヴィスは、毅然として述べる。
「これはカトラスブルグ法務局の認証を受けた書類だ。バイヤール男爵には受け取りの義務がある」
「……知らねえな。そんな物は山羊が拾って食っちまうんじゃないか」
「お前達がこの封筒をどうしようと構わん。私がお前達にこれを渡した時点で効力は生じる。書類の写しはカトラスブルグにも、レアルにもある」
「そういう話を、はいそうですかって聞いてたら門番は務まらねえ」
門番の一人の、筋骨隆々の半ば禿げ上がった男が、短く刈り込んだ顎鬚を撫でながら迫り掛けるが、もう一人の、痩せ細った、しかし妙に眼光鋭い白髪交じりの男が、その袖を引いて止める。
「まあ、待て……それで? その書類が何だって?」
「バイヤール男爵と彼の馬車の二人の馭者の召喚状だ」
「あんたはそれを男爵に渡しに来た……そうだな? 兄弟、俺達は門番だ、門番の仕事をしよう。客人、あんたは書類を男爵閣下に渡したいんだな?」
「そうだ。男爵に渡して欲しい」
「そうか。奥に伝えて来よう。男爵に受け取って欲しい書類を持って、ええと……お名前は」
そう来たか、と、クロヴィスも男の企みに気付いたが。名前を問われては名乗らない訳にも行かないし、待てと言われたら待たなくてはいけない。
「レアル弁護士会の弁護士、クロヴィス・クラピソンだ」
「クロヴィス・クラピソンさんね……それじゃあ……ここで待っていてくれ」
細身の中年男は口元を歪めて笑い、門の奥の、殺風景な中庭の向こうの、石煉瓦作りの小さな砦のような男爵の居館へと歩いて行く。
後にはクロヴィスと、腕組みをしてじっとクロヴィスを見つめる、腹の出た筋骨隆々の男が残された。




