煙突掃除のフリック 第十九話
再び、暖炉の中の隠し扉へ。アンドレイが先陣を切った。それからサリエルが、ディミトリが、ジェフロワが続く。
「ポーラ、貴女はだめよ……」
ヘルダは脇腹を押さえ、ソファに蹲っていた。一階の大階段前を守備していたエドモンも駆けつける。
「今度こそケリをつけてやる、怪人め」
「あ、あの……」
最後に暖炉へ潜り込んで行くエドモンにポーラは遠慮がちに声を掛けたが、エドモンがそれに気づく事は無かった。
アンドレイは右手にレイピア、左手にランプを持ち、仕掛け階段を駆け下りる。
地下の構造物は屋敷の構造とは全く違っている。これは古代帝国時代の遺構だ。ストーンハート屋敷も、古代帝国の遺跡の上に建てられていたのか。アンドレイはその事を先程初めて知った。
勿論今はそれどころではない。あの悲鳴は間違いなくエレーヌのものだった。怪人はエレーヌに何をしたのか。エレーヌは無事なのか。
サリエルも必死だった。大理石の花瓶で殴られた割に衝撃は軽かったが、自分は間違いなく不覚を取った。そのせいでまた怪人に逃げられ、そして今、お嬢様の悲鳴を聞くに至ってしまった。
自分があの時、怪人の命を絶っていれば……とにかく今は、お嬢様の無事を祈ると共に、次の瞬間にこそ、間違いなく怪人を討ち取るより他は無い。
地下回廊の途中には、動作済みの巨大ねずみ捕りがあった。あいにく怪人はそれには引っ掛からなかったらしい。
その先には先程の周回で怪人が這い入って行った通風孔のような隠し通路がある。伯爵屋敷の別の隠し通路へと接続されたそれは、今は煙に閉ざされているはずだ。アンドレイはそれには構わず先に進む。
回廊はやがて大きなT字路へとたどり着く。正面か、左か。正面はすぐに行き止まりになっていて、ランプで照らしてみた限りでは、足跡がついていない。
一方、左にはたくさんの足跡がある……アンドレイは角を左に曲がる。
果たして。
「……あっ!?」
怪人はそこに居た。手足を広げ、うつ伏せになった状態で、ばね付きの鉄パイプによる罠……巨大ねずみ捕りの餌食になっていた。サリエルが仕掛けたねずみ捕りは一つではなかったのだ。
怪人は明かりを持っていなかったようだ。暗闇の中、為す術もなく捕えられたのだろうか。どうにか息はあるようで、大きな呼吸に合わせ肩を上下させているが……震えているようにも見える。
サリエルは、どこから持ち出したのか、かなりの重量がありそうな片刃の斧を手に前に出る。
アンドレイも。抜き身のレイピアを手に、怪人に迫る。
――ガシャーン!
サリエルは半ば跳躍しながら、うつ伏せになり微かに横を向いていた怪人の目と鼻の先の床に、片刃の斧を叩きつける。
アンドレイも物を言わず、半ば怪人を踏みつけるようにして、その首筋にレイピアの刃の腹を押し当てる。
「エレーヌ殿はどこだ。怪人」
「お嬢様に何をなさいましたの……? 返答次第では、お命を頂戴する以上の事になりますわ」
ディミトリとジェフロワも、遅れて駆けつける。
「皆様、まだ殺してはいけません、まずは、まずはお嬢様を見つけませんと……」
「俺はその辺りを捜してみる!」
ジェフロワはランプを手に回廊の片側に連なる部屋を覗く。ディミトリはやや落ち着いていたが、怪人を私刑に掛ける事自体は吝かでない様子だった。
「黙ってないで何とか言え。今なら楽に死なせてやらない事も無い」
アンドレイは続けるが、怪人は何も言わなかった。
サリエルは憤怒に顔を歪め、片刃の斧を持ち上げる……そこに、エドモンが急ぎ足でやって来る。
「待て、サリエル……そういう仕事は女性や高貴な人がやるもんじゃない……俺がやろう。スコップで人間を傷つけるのは気が引けるが」
エドモンは先程サリエルが持っていたスコップを手にしていた。アンドレイとサリエルが怪人から少し離れる。
「さっさと、白状しろ」
エドモンは低く呟き、スコップを振り上げる。
「お待ち下さい!!」
そのエドモンより後ろから、駆け寄って来たのは小さな影……それは屋敷の最年少メイドのポーラだった。
「ポーラ! 来てはいけない!」
「お待ち下さい! 待って!」
止めようとしたディミトリの手をすり抜け、ポーラは怪人の背中にすがりつき、エドモンのスコップとの間に割って入る。
「な、何の真似だ、ポーラ」
エドモンは困惑して言った。
「皆さま! いくらなんでもやり過ぎです! これではお嬢様が可哀想過ぎます!!」
別の部屋を覗いてたジェフロワが振り返る。
「どうしてそんなに恐ろしい顔で御責めになるんですか!? いつもの賑やかないたずらではないのですか!?」
エドモンは後ずさりしながら、ゆっくりとスコップを後ろに下げる。
「恐ろしい鉄砲の音とか! そんな大きな斧とか! 大げさ過ぎませんか!」
アンドレイも後ずさりしながら、レイピアを引き上げる。
「そんな怖い声で脅したら本気みたいです! あんまりです、お嬢様が可哀想です!!」
ポーラは泣きじゃくりながら訴える。
「ポーラ……君が言うその……お嬢様と言うのは……まさかその、怪人の事ではあるまいね……?」
「何をおっしゃるんですか、ディミトリ様は何年お嬢様と御一緒におられるのですか! どこからどう見ても! これはお嬢様ではありませんか!!」
辺りが不意に静かになった。ポーラのすすり泣きだけが聞こえる。
いや。すすり泣いているのはポーラではなかった。
――グスン。ヒック……ヒック……グスン……
「お嬢様、私は最近屋敷に入ったばかりですので、よく解らない事も多いのです。けれども皆様はきっとお嬢様のこの遊びがあまり好きではないのです……どうかもう、この遊びはお止めになって下さい」
ポーラはもう泣いていなかった。この小さなメイドは年上の女主人に、慈しむようにそう言いながら、その帽子とかつらを取り去る。
その下から、無造作にまとめられた長い金色の髪がこぼれて広がる。
「……したのよ……グスン……ヒック……」
怪人、エレーヌは。涙声で呟く。
「私が何をしたとおっしゃいますの……グスン……怪人、怪人と言って追い回して……ヒック……一体その怪人が何をしたとおっしゃいますの……トイレを……ヒック……トイレを掃除しただけじゃない……何故……何故たったそれだけで、斧で追われて銃で撃たれなくてはなりませんの……」
――バターン!!
突然の物音に、エレーヌを除く皆が一瞬そちらを見る。
サリエルが白目を剥いて倒れていた。