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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの平凡な日々  作者: 堂道形人
煙突掃除のフリック

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煙突掃除のフリック 第十三話

「ホホ、ホ、ホ、ホ……いい恰好ですわねぇ……今の貴方の恰好を見たら、貴方のお友達や妹達はどう思うのかしら……」


 かつらと付け髭も装着し、半ばナッシュになりかけたエレーヌはそう言って、唇を歪めて笑う。


「何でおいらが……こんな恰好に……」


 フリックは半べそをかく。



 エレーヌに服を奪われたフリックはオーギュストの区画の納戸に連れ込まれていた。「救貧院」という言葉で支配出来るという事がばれてしまってからは、フリックは逃走を企てる事も出来無かった。


「さあ……その鏡を見るのよ……ほほほ、ほほ、ほほほ……」



 フリックは言われるがまま、大きな姿見を見る。


 黒の大きな燕尾服。きっちりとアイロンを当てられた黒いズボンはだぶだぶで、裾を何度も折り返してピンで留められていた。

 真っ赤なベストには金のボタンが十個ぐらいついている。白いスカーフも大き過ぎる。


 これは貴族でも余程の事が無い限り着ない、夜会用正礼服、それもオーギュスト伯爵が十歳の頃に着たという、古式ゆかしい大礼服であった。

 大変な金をかけて作ったにも関わらず、オーギュスト少年も肖像画のモデル用に一度着ただけだったらしい。


 エレーヌの言う事に逆らえなくなったフリックは、言われるがままにそんな服を着せられていた。


「このシルクハットも! このシルクハットも被るのよ! ホーッホッホッホ!」

「あ、あの……」

「何よ」

「おいら、言う事聞いたよ……もう女主人様には逆らわないから……元の服を返して、それから家に帰らせておくれよ」

「あら……そう……仕方ないわね……いいわ。そういう事なら。だけど私、こう見えて善良な一般市民……いえ、善良な伯爵令嬢ですのよ? こんな小さくなった服しか持っていない男の子がカトラスブルグに居ると知ったからには……救貧院に通報するのが、善良な伯爵令嬢としての務めではなくて……?」


 フリックはますます涙ぐみ、膝をつこうとする。


「御願いします! 救貧院だけは!」

「誰が膝をついていいと申し上げましたの! ちゃんと立ってなさい! 貴方の服はきちんと洗って返してあげますわ。ただし、貴方が約束を守ったら。宜しい?」


 エレーヌはフリックから脱がせた服をヒラヒラと振って見せる。


「約束を言ってご覧なさい」

「は、はい、この屋敷で見た事は誰にも喋りません、女主人様の言葉には逆らいません、それから、今度からは捨ててあるように見えても、人の家にある物を取りません」

「宜しくてよ。それから、これ」


 エレーヌは、いくらかの紙幣とコイン、それからメモをフリックの大礼服のポケットに押し込む。


「長屋の煙突二本と母屋の煙突一本分の清掃料金! ただし絨毯に煤を散らかした分の清掃代を差し引かせていただきましたわ……これで……聞きなさい!」


 エレーヌはフリックの大礼服のスカーフを掴み、グッとその顔を引き寄せる。フリックは一瞬、このままこの狼のような女主人に喰われるのかと思った。

 エレーヌは青灰色の瞳でフリックの瞳を睨み付け、凄みのある笑みを浮かべて言った。


()()()()! そのお金で煙突掃除用のワイヤーブラシを購入しなさい! 鍛冶屋通りのシーゲルの金物屋は御存知ね!? あそこで売ってるわ!」

「え……あんなの高いよ……おいらが潜ってやった方が早いから……」


 エレーヌはフリックのスカーフから手を離す。


「残念ね……早速約束を破ってしまわれますのね……私の言葉に逆らわないという」

「ご、ごめんなさい! でも! ワイヤーブラシを買うお金があったら……! 妹の……薬……」

「あら、今何とおっしゃいました? 薬がいりますの? それでお金がいりますのね……まあ御気の毒に、大丈夫ですわ、救貧院に行けば病気の妹も」

「ま……待って! 待って!」


 今度はフリックがエレーヌにすがりつく。エレーヌはとことんフリックをいたぶるつもりなのか、興味を無くしたようなふりをする。


「解りました! 必ずワイヤーブラシを買います! だから救貧院だけは……」

「そう……申し上げておきますけれど……私は伯爵令嬢ですのよ? この街には私のスパイが大勢居りますのよ? 貴方が約束を破れば、いつでも救貧院に……」

「解りました! 絶対に……グスッ……約束を破りません……!」


 フリックはうつむいて涙をこぼす。エレーヌはポケットからハンカチを取り出しかけるが、少し考えてそれをまた仕舞う。


「それじゃあこっちに来なさい。全く、今夜は貴方のおかげで散々でしたわ! 後は貴方を外に放り出して、元の服に着替えてダイニングに戻れば元通りですわ」


 エレーヌはまた隠し通路の蓋を開ける。


「あ、あの……」

「何かしら? 早速約束を破る気?」

「違います、おいら約束は守ります、だから……服を返して下さい」

「貴方が約束を守ったら返すって言ってるじゃない」

「だから、守りますから……」

「しつこいわね。守ると守ったは違うのよ。約束を守ってから言いなさい」


 エレーヌは再び隠し通路の蓋を開ける。


「ちょ、ちょっと待って、それじゃおいら……この恰好で帰るの!?」

「あら! 違うとでも思いましたの!」


 フリックの目に涙が溢れだす。


「そ、そんなあ……こんな恰好じゃ、おいら……」


 エレーヌは狂喜する。


「ほほほほ! そうよ! アンタ皆の笑い者よ! そんな恰好で煙突掃除でございって得意先を回るのよ、貴方が歩けば皆振り返るわ、そして指差して、指を差して笑うのですわ! ほほほほ! 嗚呼小さな紳士が通る! ホーッホッホッホ!」

「御願いします! 服を返して下さぁい! こんな恰好じゃ誰も仕事をくれないよ、おいらが稼がないと……」

「稼がないと何ですの!? 妹達も働いてるとおっしゃらなかったかしら!? それとも救貧院に行きたいの? ホーッホッホッホッホ! さあ! 私は忙しいのですわ! とっととその通路に入りなさい! 御望み通り、外に放り出して差しあげますわよ!」




 エレーヌは本当に、隠し通路を通り、フリックをエレーヌのリビング下の、庭への隠し出口へと連れて来た。

 途中で帽子を見つける事が出来たエレーヌは、完全体のナッシュになっていた。


「グスン……ヒック……グスン……」


 抵抗を諦めたフリックはさめざめと泣いていた。


「帰るついでに一つ仕事を頼まれてくれるかしら? この封筒をこの住所……パン屋通りは解るわね? パン屋通りの医師、マナドゥ先生の所に持って行って頂戴」


 エレーヌは泣いているフリックにまるで構わず、今し方急いで書いた手紙をフリックの燕尾服のポケットに押し込む。


「鬱陶しいわね、男がいつまでも泣いてるんじゃないわよ! いいわね? 私のスパイは町中に居ますわよ……さあ! とっととお行きなさい!」



 エレーヌはそう言ってフリックを軽く突き飛ばす。

 庭へ飛び出したフリックは畏怖に震えながら振り返るが、男装姿のエレーヌはもう隠し扉を閉めて見えなくなってしまっていた。


「ううう……グスン……行かなきゃ……」


 フリックはどうにか自分の足を勇気づけると、仕事道具の入ったバケツを手に、屋敷の敷地の外へと一目散に駆けて行く。




 フリックが駆けて行く姿を、エレーヌはほんの少しだけ隠し扉を開けて覗いていた。そしてその姿が敷地の外に消えるのを見てから、庭へと這い出す。

 これで大丈夫、後はただ自分のドレスルームにこっそりと戻り、イブニングドレスに着替えて何事も無かったかのように澄ましていればいいのだ。


 エレーヌは本気でそう考えていた。

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