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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの平凡な日々  作者: 堂道形人
煙突掃除のフリック

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煙突掃除のフリック 第十二話

 ディミトリやエドモンはこの国の男として若い頃は兵役についていた事もあり、銃器の扱いは一通り習った事があった。

 そして伯爵屋敷には緊急時用の銃が置いてある。


 しかし、オーギュスト伯爵のコレクションは施錠されており使えない。

 またエレーヌが所有するダブルアクションのリボルバーが以前はエレーヌの書斎の引き出しに入っていたが、先日の列車強盗騒ぎの時に警察に押収されている。


 ディミトリが管理していて取り出せる銃は、古風なシングルショット式の拳銃二丁と、陸軍払下げの前装式ライフルだけである。


「しかし……こいつはまるで戦争だな」

「戦争ですわ。怪人はとうとうお嬢様の部屋にまで出たのです。今度こそ間違いなく息の根を止めないといけません」


 ライフルは最も新しい物でも三、四十年前に製造された物で、購入したというよりは付き合いで引き取って保管しているような代物だった。ほとんど手入れもされていない。そして、馬鹿馬鹿しい程大量にある。

 エドモンはその中から、状態の良さそうな物を一つ手に取る。


「俺はこいつでさんざん訓練をやったし、今でも撃てると思うが……皆はやめとけ、下手に弾を籠めると暴発するかもしれんし」


 しかしサリエルは、その中からさらに古い八十年前のフリントロック式のライフルを引っ張り出す。


「おいおい、どうするんだそれを」

「大丈夫。使い方は心得ておりますわ」



   ◇◇◇◇◇



「……盗った物はかつらと付け髭だけみたいね」

「すみません……でもおいら本当に泥棒じゃないし、その……」


 エレーヌはフリックが脱いだ服のポケットを調べながら言う。フリックは下着姿でエレーヌの書斎の椅子に座らされていた。


「それで他に……この屋敷の何をご覧になったのかしら?」


 美しい伯爵令嬢が浮かべる狂気の笑みに、フリックは震え上がる。

 書斎の壁の掛け台には、手入れが行き届き磨き上げられたフルーレ、レイピア、サーベルが掛けられていた。フリックは努めてそれらを見ないようにしていた。


「な、何も見てないよ! たくさんの写真と……」

「写真と?」


 エレーヌの顔が近づく。フリックは目を背ける。


「そ、それから……蝋人形……あ、あの、女主人さまによく似た……」

「蝋人形。それから?」


 女主人は犬歯を見せて微笑む。その歪んだ笑みにフリックはますます震え上がる。


「あの、おいら本当に何も盗ってないです、かつらと髭の他は……だからその……そろそろ服を返して下さい」


 エレーヌはフリックに凄みながらも、その服を手元で軽く畳んでいたが。そうしているだけでも指が煤だらけになっている事に気付く。

 そしてこの服は、年齢より小さく見えるフリックの体にも、もう小さ過ぎる。


「貴方……この仕事着は小さ過ぎるんじゃなくて?」

「仕事着じゃないよ……おいらはそれと、寝る時の服以外、服は持ってないもの」

「冬はどうするのよ」

「あ、もう一着持ってた! 父ちゃんの形見のコートがあるから、それを着るんだ」

「貴方ね。夜分にこんな風に勝手に人の屋敷に忍び込んでまで煙突掃除をして、その分明日もどこかで煙突掃除をするのでしょう? それだけ稼いで何で新しい服くらい買いませんの?」



 エレーヌはフリックの服を書斎の机の上に置く。フリックは黙ってうつむいていた。

 静寂が流れる。



「母親はどうしたの」

「だいぶ昔にどっかに行っちゃったよ」

「兄弟は?」

「妹が二人居るんだ、でもちゃんと働いているよ! だから! 救貧院には通報しないで……」



 エレーヌは、次に言おうとしていた言葉を飲み込んだ。


 再び、静寂が流れる。



「あの……そろそろその服を返してくれませんか? それからその、煙突掃除をさせて貰えませんか?」

「妹は、どんな仕事をしてるの?」

「あの、通りで新聞売りの手伝いとか、あとは……釘拾いとか……」

「……学校は?」


 フリックはその、学校、という一言に震え上がる。


「ちゃ、ちゃんと行ってるから! だから救貧院だけはやめて下さい! 御願いします、何でもしますから!」


 この国の国民にとって、初等教育を受ける事は義務であり、どんな貧困に喘いでいようとその義務を果たさないのは罪とされる。

 では貧しい者はどうすればいいのかというと、中世から続く救貧院なる制度があるのだが、そこは刑務所以下の場所だと言われ甚だ評判が悪い。


 そして義務教育を受ける余裕もない貧しい世帯の子供は、時に強制的に救貧院に収容されるという。

 特に、エレーヌのような、社会的身分の高い人間が当局に通報すれば……間違いなくフリックとその妹達は司直の手により、救貧院に強制収容されるだろう。



「……貴方、今何でもするとおっしゃいましたわね?」


 エレーヌは下着姿のフリックにさらに顔を近づけ、とびきり邪悪な笑みを浮かべた。



   ◇◇◇◇◇



 アンドレイ・アンセルム・ローゼンバーク男爵は焦っていた。

 怪人の影を追い二階のオーギュスト伯爵の区画から地下室まで一気に降りて、さらに秘密の通り道にまで潜り込む所までは良かったが、地下室から屋敷へと繋がるその通風孔は枝分かれも多く複雑で、すっかり怪人に撒かれてしまっていた。


 アンドレイは心中、やはり罠だったかと肩を落とす。

 怪人は恐らくこの場所に精通していて、迷いなく進めるのだろう。

 一方、アンドレイはもう自分がストーンハート伯爵の屋敷の中の、どのあたりに居るのかも解らなくなってしまった。


 このまま怪人を追うのは、最早現実的なアイデアではない。自分は怪人の罠にはまり、置き去りにされてしまった。それは認める他無い。


 しかしこのままで良い筈はない。怪人は未だ自由に行動していて、エレーヌ嬢にはどんな危機が迫っているのか解らない。今は一刻も早く戦列復帰すべきだ。

 そう考えたアンドレイは、とにかく目についた出口から、この通風孔を出る事にする。


「この鎧戸を……失敬!」


 アンドレイは途中で拾っておいた瓦礫がれきの欠片で、小さな通風孔用の鎧戸を叩き壊し、その先の部屋へと這い出る……



「なっ……!」



 狭い通風孔から這い出し、二メートル近い高さから落ちるも何とか受け身を取り、どうにか消さずに済んだ小さなランプの明かりで辺りを見回したアンドレイは……絶句する。


 そこは四メートル四方程の狭い、部屋というよりは納戸と思われる小さな場所だったのだが……そこに伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートが居たのだ。



 正確にはエレーヌを模した蝋人形が。着せられているのは時代遅れの重そうな古いドレスだった。

 それがあまり出来の良くない現代製の椅子に腰かけ、憂鬱そうな表情で虚空を見つめている。

 納戸は様々な古いがらくたで一杯だった。この蝋人形は飾られているのではなく、ここに収納されているらしい。



 アンドレイは掌で顔を覆い、うずくまる。



 彼は自分のした事には自覚を持っている。

 エレーヌからの招待を受けた時は、恐らく自分は弾劾されるのだろうと思っていた。

 そしてやって来てみれば。エレーヌは麗しく装い自分を大層もてなしてくれるのだが……やはり晩餐会の様子は少しずつおかしい。


 それでも弾劾はなかなか始まらない。始まらないなら自分はその間、良き隣人のふりを続けなければならない。

 この状況こそが責苦か。アンドレイがそう思った時に、メインディッシュとしてあの海老の細工がやって来た。


 あそこまで来ると、自分の方が吹き出してしまいそうで苦しかった。いつまでなぶり物にする気だ、殺すならさっさと殺せという、怒りに似た気持ちも沸いた。

 それで自分から、モンティエを遠い植民地の武官に()()させた話を切り出したのだが、それでも弾劾が始まらない。



 アンドレイはこの短い時間に起きた事を回顧していた。



 あのエレーヌの側仕えのメイド。メイドにしておくには惜しい大層な美少女だが、あれもモンティエに心を寄せる女だったのだろう。

 もしや自分を弾劾しようとしているのはエレーヌではなくこのメイドなのか? そう思い少しかまをかけてみたが、彼女も自分を責めようとしない。


 その後で起きた事は奇妙な事の連続だったが、自分はただ、一人の紳士として行動して来た。

 もしや色々な懸念は自分の思い過ごしだったのだろうか、それならば今はとにかくエレーヌの身の安全を確保しなくては……そう思い込み始めた矢先に現れたのが、この蝋人形だった。

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