もう1人の「バケモノ」
モカは今、完全に我を失っていた。
耐えがたい恐怖に壊れそうな心を苛むように、脳裏にあの記憶が襲ってくる。
母を殺された時の絶望的な哀しみ。
汚らわしい欲望に体を引き裂かれる壮絶な痛み。
押し当てられた焼き印の凄まじい熱さ・・・!
もがき苦しむモカの耳に、身を焼かれるおぞましい音が蘇った。
それに共鳴するかのように悲鳴も聞こえる。しかしそれが過去の記憶の幻聴か、今の自分が放ったものかがわからない。
今のタークの異様な姿が、あの日の「バケモノ」と重なったのだ。
苦痛と恐怖に叫ぶ悲鳴が「バケモノ」の哄笑に取って代わる。
モカは目を閉じ、戦慄く両手で耳を塞いだ。
石屑が埋め尽くす崖下の地面は脆く、踏み出すたび足を取られた。
倒れる度に体を打ち付け、肌が傷つき血がにじむ。
それでも何度も立ち上がり、ただひたすらモカは逃げる。
あの日、火星基地の食堂で聞いた帝国の復興を告げるリーベンゾル・タークの演説。その時から彼女にはわかっていた。
タークが捜している「後宮」の生き残り。それは間違いなく、自分なのだ、と。
そして今、自分を狙って闇の国から使者が来た。
よりにもよって、あの日の「バケモノ」の姿を借りて!
立ち止まるなど出来ない、絶対に!
捕まったらきっと連れ戻される、6年前の「あの部屋」へ・・・!!!
必死で走るモカには、もう何も見えていなかった。
空から振ってきたそれが、混乱したまま逃げ惑うモカを食い入るように見つめている。
両目は血走り異様に光り、だらしなく歪めた口元から涎が垂れる。その姿は「リーベンゾル復興」を高らかに宣言した好漢と同一人物とは思えない。
血に飢え発狂した、おぞましい淫獣。
まさにそんな様相だった。
「ひゃはぁはははは!!!」
それがモカを追い始めた!
おぼつかない足取りで走る少女へ血にまみれた両手を伸ばす!
(モカ!!!)
ナムは走った。
勝てるとは思えない。この「バケモノ」は、見た目も力量も、精神構造すら人間離れだ。まともにやり合って敵う相手じゃあり得ない。
それでも無我夢中で走った。
傷だらけの少女に追いすがるそれに感じる、全身の血が逆流沸き立つような憤り。ナムはそれの背中向かって咆えた!
「止めろ!しつっけぇんだよ、この野郎!!!」
あと少しで、それに追いつく。ヤツに一撃繰り出せる!
右手が硬く拳を握る。
その時、もの凄い力で肩を掴まれ、かなり乱暴に振り飛ばされた!
ナムはもんどり打って倒れ、石屑の上を砂塵巻き上げ転がった。
「・・・な?!」
何が起こったかわからない。咄嗟に受身の姿勢をとってダメージを最小限に抑えたものの、打ち付けた体は苦痛を訴え悲鳴を上げる。
ドン!ドン!ドン!!!
立て続けに聞こえた銃声に、驚いて飛び起きる。
威力ある銃ものだ。おそらく違法に強化された、口径の大きい改造ショットガン。鼓膜をぶち抜き脳髄に直接ぶち込まれたかのような、凄まじい銃声だった。
巻き上がる砂塵でかすむ視界に、ナムはその姿を見いだした。
「バケモノ」に襲われる少女を救いに現れた、もう1人の「バケモノ」を!
ドン!ドン!ドン!!!
大砲並みの銃声を奏で、弾丸がそれの両肩と右足大腿部にヒットした。
血は一滴も流れない。驚く事に、弾丸は耳障りな金属音をたて跳弾した。
しかし、銃の威力は本物だった。
立て続けに被弾したそれは体勢を大きく崩し、砂塵と共に後退した。
地響き上げて石屑の中へと巨体を倒す。衝撃が荒削りな崖の法面が崩落し、土砂がそれを埋め尽くす。
ナムは呆然とつぶやいた。
「な、何でここに・・・? 局長 !!!」
リュイはナムの声を黙殺した。
片手はまだショットガンを構えたまま。
もう片方の腕の中には、傷だらけの少女を抱いていた。
銃は効かない。そう判断したリュイはショットガンを手放した。
弾丸はそれの体を貫通せず、明後日の方向へと跳弾した。これが意味する事は、1つしか無い。
強化サイボーグだ。自身の体を兵器として機械化している。
だとしたら人間離れした力の説明が付く。統括司令室の破壊もA棟建屋の倒壊も、機械化した体だからこそ出来得たのだ。
この崖を飛び降り無事だった事まで考慮すれば、生身の部分の方が少ないに違いない。
リュイは忌々しげに顔をしかめ、舌打ちした。
ここまで機械化率の高いサイボーグは厄介だ。急所がまったくわからない。
「・・・局、長・・・?」
掠れた声が微かに聞こえた。
腕の中で怯えるモカの声。血の気のない真っ青な顔が、震えながら見上げていた。
見開かれた虚ろな目から、安堵の涙があふれ出す。
モカはジャケットの胸にしがみつき、顔を埋めて泣き出した。
そんな少女のか細い体を、リュイは強く抱きしめた。
「お、おぉぉ???」
それが石屑の山からゆっくりと身を起こした。
呆けた顔で周囲を見回していたそれは、リュイに気付いていきなり咆えた!
「あ"あ"あ"ぁーーーーー!!?」
リュイが少女を腕に抱いているのに気付いたのだ。
怒りに歪むそれの顔は、もはや人にすら見えなかった。
もう1人、心中穏やかでない者がいる。
強く抱き合う2人の様子にナムは驚き絶句した。
モカはリュイに身を預け、心から安心して泣いてる。
リュイはモカをしっかり抱きしめ、優しく頼もしく労っている。
「窮地に陥った部下とそれを救った上官」と言うには、やたらと熱いこの光景。
言葉を失い固まるナムの目の前で、リュイがゆっくりモカへと顔を近づける。
そして・・・。
擦り傷負って血がにじむ額にそっと、口付けた!!?
「・・・な?! ちょおおおぉぉぉい!!?」
ナムは思わず絶叫した。
「がああああぁぁぁぁ!!!」
それも怒りの咆哮を上げた!
少女の額に唇が落ちた瞬間、リュイは「敵」だと認定された。
空気を震わす怒号を放ち、それがリュイを目がけて突進する!
(やはり、か・・・。)
リュイはしがみつくモカを引き剥がし、ナムの方へ突き飛ばした。
今の反応を見ただけで推して知るには事足りる。それが狙うのは「後宮の生き残り」でも「妹」でも、「扉を開ける鍵」でもない。
モカだ。誰でもない、モカ本人を狂ったように欲している。
露骨に嫌悪で顔を歪め、リュイは石屑だらけの地を蹴った。
嫉妬に荒ぶるそれに向かって、もの凄い勢いで走り出した。




