マヌケ般若はカレーの香り・リターンズ
思いがけない人物の襲来に、一気に緊張感が高まった。
棍棒を構えて隻眼の男と対峙するナムの耳に、シャーロットのささやき声が聞こえた。
「裏手から出ろ。C棟を周ってメイン司令塔へ行け。
東壁に添って植え込まれた立木の陰に、わかりにくいが通気口がある。」
逃げろ、と言っている。
ナムはルーキー達の側でワイヤーソードを構えるモカをチラ見した。
「管理局側のパスワードは?」
「図に乗るな。そこまでさせられん。
通路には幾つかシェルターを兼ねた個室がある。私が行くまで隠れてろ!!」
シャーロットの大きな手がモカの肩を掴み、驚く彼女をナムの方へ押し寄せた。
意図は察した。
あとはいつ動くか、だ。タイミングを間違うととんでもない事になる。
今、目の前にいる男は着床ポートにいたはずだ。ナム達を助けに現れたテオヴァルトの手を逃れてここに居る。
鋼鉄の処女や義腕の巨人と同格の猛者・テオヴァルトが仕留め損なったのだ。それだけで力量が推して知れる。逃げおおせるのは簡単じゃないだろう。
なんとか隙を突かなければならない。ナムは隻眼の男に声を掛けた。
なるべく感情を殺したつもりでも、声が少々震えていた。
「・・・ちょっと聞いていいっすかね?
着床ポートって、今どんな感じになってます?」
「ドクター達が患者を治療中だ。」
エーコ達が危害を加えられてないようだ。この目で確かめたいところだが今は信じるしかない。
「シャトルに人達は無事って事で、OK?」
「約束は守った。だが・・・。」
隻眼の男が笑う。
いびつで禍々しい、ゾッとするような笑みだった。
「トンファの男。アイツは患者にすらならなかった。」
「・・・そんな・・・!?」
モカが小さく悲鳴を上げた。
ロディから簡単に事情を聞いたカルメン達も血相を変え男を睨む。
今、取り乱すのは危険だ。ナムは必死に平常心を装った。
「それ、あり得ないんだけどな~。あの人、メッチャ強いから。」
「事実だ。」
隻眼の男が片手に持っていた「何か」をナム達の足下に放り出した。
血まみれで無残にへし折られたトンファーが一本、音を立てて転がった。
「ひぃ!?」
今度はシンディが悲鳴を上げた。
ガチャガチャと銃器の音がする。
入口から武装した兵士達が走り込んできた。その数、最初の1個小隊と同じ20名ほど。他の棟を制圧した別動隊のようだ。
隻眼の男が何かに気付き、腰のフォルスターから銃を抜いた。
ナムが棍棒を持たない左手をそぉっと背中に回したのだ。銃口をナムの額に狙いを定め、トリガーに指を掛け厳かに命令する。
「おい、面白い格好したお前。
背中に回した手を出せ。お前がやることは油断も隙も無い。」
「・・・。」
ナムは暗い顔で俯き、両手を高く頭上に上げた。
ホールドアップと言うよりも、腕の運動でもしているように真っ直ぐ真上に、思いっきり。
Tシャツの裾が上がり、隠れていた腰ベルトのバックルが現れた。
まさか、ここにも「マヌケ顔の般若」が居ようとは・・・!
突然、ナムが顔を上げた。
その顔はニンマリ笑っている。
ふてぶてしく、狡猾に!!!
「 ロディ !!!」
「 うぃッス !!!」
兄貴分の呼びかけに舎弟が素早く反応する。
ロディはモバイル携帯に何か打ち込み、指先で軽くスワイプした。
うきょきょきょきょきょきょきょーーー!!!
マヌケ般若が高らかに笑う!!
辺り一面に黄土色の煙幕がたちこめ、カレーの匂いが充満した!
「モカ、行くぞ!!!」
ナムは戸惑うモカの肩を抱き、敵も味方も大混乱に陥った煙幕の中を走り出す。
今の立ち位置からA棟出入口までは10歩強。全力で突っ切ればなんとか脱出できるはずだ。
しかし、ほんの2,3歩走ってすぐだった。
黄土色の煙幕が僅かに切れた隙間から、血が凍るような光景が見えたのは。
「そう何度も引っかかるわけないだろう?」
隻眼の男が、嘲りを込めて笑っていた。
向けられた銃口がピタリと自分を狙っている。
トリガーを引き絞ろうとする指まで見えた。ナムは心臓が止まる思いを味わった!
(ヤバイ、死ぬ!!?)
そう思った刹那。
背後から掛かる鋭い一声が間一髪でナム達を救った。
「よせ、サムソン!!!!」
男は独眼を剥いて驚愕し、トリガーに掛けた指が一瞬、躊躇する。
その瞬間を見逃さず、カルメンが男を狙撃する。利き手を狙った弾丸は惜しくもかわされA棟の壁に穴を穿つ。それが戦闘の合図になった。
無事に脱出を果たしたナム達の背後で、銃声と絶叫が聞こえてくる。
もう後戻りは出来ない。




