第1話「陽だまりの朝と影の訪問者」
登場人物紹介
◇リリア
孤児院で暮らす幼女。前世は裏社会で伝説と呼ばれた暗殺者。一見するとか弱い子供だが前世の記憶と冷徹な判断力そして卓越した殺人技術を隠し持っている。今世では平和な日常を望んでいる。
◇シスター・マリア
孤児院を運営する若いシスター。優しくお人好しで子供たちを心から愛しているが世間知らずで経営能力には欠ける。リリアにとって守るべき陽だまりのような存在。
◇レオン
街の若手冒険者パーティのリーダー。腕に自信があり最初はリリアを子供扱いするが森での窮地を救われてからは態度を改め彼女の最大の理解者の一人となる。
◇バルド
孤児院の土地を狙う強欲な商人。金と権力に物を言わせるがリリアの知略の前に為す術なく破滅へと追い込まれる。
◇ザガン
街の裏で暗躍する上位魔族。悪徳貴族と結託し街を混沌に陥れようと企む。人知を超えた魔力を持つがリリアの暗殺術の前に立ちはだかる最大の壁となる。
冷たい空気が肌を刺す。
リリアはゆっくりとまぶたを開いた。
古い木製のベッドが背中に当たる。
硬い感触が全身に伝わってきた。
薄い毛布から小さな手を出す。
指先がわずかに震える。
冬の気配が部屋に満ちていた。
ここは前世の血生臭い世界ではない。
天井の木目が視界に入る。
柔らかな光が窓から差し込んでいた。
遠くで子供たちの笑い声が聞こえる。
リリアは上体を起こした。
古いスプリングが微かに鳴る。
床に素足を下ろす。
板張りの床はひどく冷たかった。
足の裏から冷気が這い上がってくる。
彼女は静かに息を吐いた。
白い吐息が空気に溶ける。
『今日も平和だ』
廊下へ出る。
静かに歩みを進めた。
足音は立てない。
体重の移動を滑らかに行う。
前世の暗殺者としての癖だった。
食堂の扉に手をかける。
金属の冷たい感触が指に伝わる。
扉をゆっくりと押し開けた。
温かい湯気が部屋に満ちている。
麦粥の甘い香りが鼻をくすぐった。
シスター・マリアが木べらで鍋をかき混ぜている。
白いエプロン姿が朝の光に照らされていた。
彼女は振り返る。
目尻を優しく下げた。
「おはようリリア。よく眠れたかしら」
リリアは小さく頷いた。
「おはようマリア。とてもよく眠れたわ」
マリアは優しくリリアの頭を撫でる。
温かい手のひらが髪に触れる。
リリアは目を細めた。
この温もりを守りたかった。
手伝いのために布巾を手に取る。
水桶に手を浸す。
凍りつくような水温だ。
リリアは顔色を変えずに布巾を絞る。
木の机を丁寧に拭き上げた。
木目に染み込んだ汚れを落とす。
子供たちが次々と起きてきた。
食堂がにぎやかになる。
皆で机を囲んで席につく。
粗末な木の器が配られる。
中には薄い麦粥が入っていた。
具はほとんどない。
それでも子供たちは嬉しそうに食べている。
リリアも木のスプーンを口に運んだ。
薄い塩味が舌に広がる。
温かさが胃の腑に落ちていく。
平穏な時間が流れていた。
◆ ◆ ◆
その空気は唐突に破られる。
重い足音が外から響いてきた。
食堂の扉が乱暴に開かれた。
冷たい風が室内に吹き込む。
麦粥の湯気が散らされた。
肥満体の男が入り口に立っている。
豪華な服を着ている。
金糸の刺繍が光を反射していた。
商人バルドだった。
彼の顔は嫌な汗で脂ぎっている。
きつい香水の匂いが室内に充満した。
マリアの表情がこわばる。
彼女は急いで子供たちを背中にかばう。
肩が微かに震えていた。
「バルドさん。今月の返済はまだ先のはずです」
バルドは肉厚な唇を歪める。
「予定が変わった。明日の昼までに全額耳を揃えて払え。払えないならここから出て行け」
マリアの顔から血の気が引いた。
「そんな急に言われても。子供たちには行く場所がありません」
バルドは床に唾を吐き捨てる。
「俺の知ったことか。孤児院など潰して倉庫を建てるんだ」
リリアは静かにバルドを見つめた。
視線を彼の喉元へ向ける。
バルドの呼吸は不自然に浅かった。
喉仏が頻繁に上下している。
瞳孔がわずかに開く。
視線が定まらずに泳いでいる。
前世で幾度となく刃を向けた、嘘を吐く標的たちと全く同じ反応だ。
孤児院の借金など存在しないのだろう。
彼は書類を偽造してこの土地を狙っている。
リリアは小さな拳を握り込む。
爪が手のひらに食い込んだ。
彼女は心の中で静かに決意する。
『この陽だまりは奪わせない』
『私が排除する』
リリアは表情の筋肉をぴくりとも動かさない。
ただ氷のような視線をバルドの背中に向けた。
バルドは薄気味悪そうに肩をすくめる。
彼は背を向けて立ち去った。
乱暴に扉を閉めて出て行く。
食堂に重い沈黙が落ちた。
マリアはその場にへたり込んだ。
彼女は両手で顔を覆う。
すすり泣く声が漏れた。
子供たちも不安そうに身を寄せ合っている。
リリアはマリアのそばに歩み寄る。
小さな手で彼女の背中をさする。
「大丈夫よ。きっと何とかなるわ」
リリアの声は平坦だった。
だが確かな意志が込められている。
彼女は窓の外を見つめる。
空には厚い雲が広がり始めていた。
夜になれば闇が街を覆う。
リリアは己の内に眠る冷たい刃を研ぎ澄ませた。




