3 日常のその先に
目が覚めるとそこは学園ではなく、ユーディット家の私の部屋のベッドだった。
驚いて跳ね起きると、侍女が急いで人を呼びに行った。
どれだけ寝ていたのだ、私は。このところ生徒会の手伝いもしていて、疲れていたのかもしれない。
苦虫を嚙み潰したような父と、おっとり微笑む母と、頬を染めたアレクシス殿下が急いだ様子でで入ってきた。
寝巻なのかと思ったら、まだ制服のままだった。ちょっとほっとした。いくら何でも寝間着姿で会うわけにはいかないから。
殿下は私のそばまで来ると、私をまっすぐ見つめてそっと私の手を取った。
「エリザ・ユーディット嬢、あなたを心から愛しています。どうか私の妃になってください」
寝ぐせで乱れた髪で、寝起きの顔で、くしゃくしゃになった制服のままで? 今?
私はお母様を見た。お母様は頷くと、
「殿下?」
「は、はい」
「恐れながら、ちょ〜っと、何をおっしゃってるのかわかりませんわ」
「今、プロ・・・」
「こちらにいらして?」
と言って有無を言わせぬ微笑みでエスコートを促し、殿下を伴って部屋を出ていった。
「ふ、いい気味だ、若造。こってり絞られてくるがいい」
と、ほくそ笑むお父様にあきれていると、お父様は深々とため息をついて、
「お前は殿下のことをどう思っているんだい?」
と尋ねてきた。
どうといわれても・・・。
部下のように働いてきた覚えは、ある。
対ロレッタ共同戦線の同志だった自覚も、ある。
プロポーズされてしまった記憶も、ある。
けれど、意識して心の中では距離を取ってきた。・・・私の理想のパートナーとはあまりにも違うから。パートナーになるかもしれない男性と思わないように、あえてしてきたと思う。
何より大モテの彼のこと、女の戦場に身を投じたくない。恐ろしすぎる。
父に促されるまま、そんな話を少しずつしていたら、時おり相槌を打ちながらじっと聞いていた父が、
「ねえ、エリザ。・・・。彼は真剣だよ?
だからね、君も、真剣に、考えてあげて欲しいんだ。
きちんと向き合って、真面目に考えてあげて欲しい。」と言った。
「私の年代の高位貴族のほとんどは知っていることなんだけれどね、彼の生い立ちは特殊でね。
彼はほとんどの女性に心を開けない。女性を憎んでいるのではないかと思えるほどだ。
でもね。本来の彼は、真面目で真っ直ぐで、穏やかで優しい、静かな方なんだ。その上文武両道で優秀な、美貌の王子というおまけまでついてくる。
その彼が、初めて信頼し、求めているのが、君なんだ。
君が眠っている間、彼と腹を割って話したよ。変な奴に、大切な君はやれないからね。
彼は、生まれて初めての気持ちに戸惑っていた。君でなければ、誰も要らないと言っていたよ。
君にも思うところはあると思うけれど、『真面目で真っ直ぐで、穏やかで優しくて静かな方』は君の理想なんだろう? だからね。
一度、思い込みは捨てて、まっさらな目で、彼と向き合ってあげて欲しい。
しっかり向き合って、彼の話を聞いて、それから考えてみて欲しい。
そうしたら、君の気持も、君が何を望み、どうしたいのかも見えてくると思うよ?」
お父様はそうおっしゃって、大きな手で私の頭を撫でた。子供の時のように。
今の私は、そんなに頼りない顔をしているのだろうか。
「まずは身支度と、腹ごしらえだ。昼食はろくに食べていなかったんだろう? 着替えて、お茶 にしよう」
と言って、メイドのティアを呼んでくれた。
サロンにいくと、アレクシス様を囲んで、家族全員が席について、穏やかにお茶を楽しんでいた。お兄様、まだ王城でお仕事の時間のはずでは? 心配をかけてしまったのかしら。
お茶の席には軽食や果物、お菓子などが用意されていた。
「エリザ、こちらに」
お母様は席を立って私のところまで来ると私の手を取り、アレクシス様の隣の席に私を座らせた。
そして、それぞれの好きな花や好きなもの、好きなことなどの話題が繰り広げられ、場がかなり和んだころ、お母様は
「それで殿下はいつエリザを見初められましたの?」と何でもないことのように言った。
殿下は目を白黒させている。お茶を吹き出したり咽せたりしなかったことはほめてあげたい。私も思わず飲もうと手に取ったカップをおいた。あぶなかった。口をつけていたら悲惨だった。
沈黙があたりをつつむ。
私は思いを巡らしていた。いつだろう。ロレッタの件で相談した時か、王宮に招かれた時か、それとも・・・?
「最初に気になったのは、十二歳になった私のお披露目のお茶会の時で、」
え?なんで?
たぶん、家族みんなの上に盛大に疑問符が飛んでいた。だって、あのお茶会の時は挨拶した後は殿下から離れて、ずっとアンジェリカたちと楽しくお菓子とお茶を楽しみながらおしゃべりや庭園の散歩をしていた。そのうち鬼ごっこやかくれんぼまでしていた気がする。殿下は分厚い人垣の中で、ほとんど接点が無かったし。
帰宅後家族に、殿下は遠くて挨拶しかしていないことと、気の合う子たちとお茶をお菓子を飲んで食べておしゃべりをしてお散歩したことを報告した。みんな笑っていたと思う。
「人に囲まれて匂いに酔って、気持ち悪くなって少し席を外した時、楽しそうな子どもたちの遊ぶ声が聞こえてきて、そちらを見たら薔薇の生垣からバラ色のドレスの女の子が裾を持ち上げて走り出て来たんだ。そして後から走り出てきた子たちとお腹を抱えて笑い転げていた」
家族の視線が痛い。申告漏れはあったけど、何もここでバラさなくても。恨めしげに見上げても隣の殿下は気づいてくれない。
みんな呆れ顔で私を見ている。でももう、時効よね?
「それ以降の王家主催のパーティーでも彼女は私に近づいてこないのが、好ましかった」
父が咳払いをして、
「殿下はそのように、相手にされないこと をお好みで?」と尋ねた。
「いえ。女性の化粧や香水の匂い、媚びた声、まとわりつく視線のほとんどが生理的に無理なのです。だから、近づいてこないことが好ましいと思っていました。そして・・・」
父が無言で先を促す。
「例の件で生徒会に相談に来た時、三人とも私達に媚びることなく、冷静に話し、ことに当たろうと努めていた。
何より、臭くなかった! 化粧も自然で、まとう香りも控えめで優しいものだったことに密かに感激した。こういう女性たちもいるのだと、ホッとしたのです。
エリザ嬢たちはアンジェリカ嬢の状況を心配し、怒り、親友のためにできることを考えていた。殊にエリザ嬢は冷静に対処すべく心を砕き、知恵を尽くそうとしていた。
その姿に心打たれました。
だから、彼女たちのために自分にできる最大限のことをしようと思ったのです。それで具体的なことを話し合えたらと、エリザ嬢を城に招きました。
客観的な事実が、証拠をそろえて調べ上げられていることに、驚きました。冷静さ、判断力と行動力、礼儀正しく媚びてこない気持ちよさ。女性といて、こんなに心地よかったのは初めてだった。
それから、一緒に作戦をたて、打ち合わせして実行していくうちに、ますます彼女に惹かれて行って、いつか隣に立って欲しいと思うようになったのです」
聞いているうちに顔が熱くなり、身の置き所がなくなって来る。
そこにお母様の楽しそうな笑い声が聞こえてきて、ふと目を上げればお父様の仏頂面とお兄様のにやけ顔が目に飛び込んできた。
「エリザ、殿下に庭を案内して差し上げたら?ちょうど秋咲のバラがきれいよ」
隣を見ると、殿下と目が合った。
「エリザ嬢、案内をお願いしてもいいかい?」
私は頷いて、彼が差し出す腕に手を添えた。
落ち着こうと思っているのに、ドキドキが止まらない。
そのまま無言で庭に出た。
秋の少しひんやりした風が頬をなでる。バラの香りに包まれながらゆっくり歩いているうちに、少し落ち着いてきた。
アレクシス様は、落ち着いた紅のバラが咲いているところでふと立ち止まると、そっと花びらに触れて、
「このバラの花の色、あの時の君のドレスの色に似ている」と言って楽し気に微笑んで私を見た。そして一息ついて、私を見つめると、
「君に聞いてもらいたいことがある」
と言った。
私も見つめ返して頷くと、再びバラを見てから、またゆっくり歩き始めて、ぽつりぽつりと話し始めた。
それは、幼いころからの話で、彼のお母様とのこと、お兄様とのこと、彼を取り巻く様々な人とのことなど、これまでのいろいろなことだった。気がついたら、涙が頬を伝っていた。
かわいそうとか、そういうことじゃない。
彼の悲しみや苦しみや、喜びや幸せがまっすぐに伝わってきて、胸がいっぱいになってしまったのだ。
私の涙に気づいた彼は慌てて、ハンカチでそっとぬぐってくれた。
「聞いてくれて、ありがとう」
「わたくしこそ、お話しくださり、ありがとうございました」
私の涙が止まったころ、彼は立ち止まって私を見つめた。
そして私の両手を取って、
「エリザ嬢、あなたを心から愛しています。どうか私とともに歩んでください。
苦労を掛けることも多いかもしれません。けれど、どんな時も、何があっても、必ずあなたを守ります。
だからどうか、私の妃になってください」
私の涙腺はまたも決壊してしまった。
彼の瞳が不安そうに揺れたのに驚いて、慌てて返事をした。
「ふぁい。どうじょよろひくおねがいいたしまふ」
咬んでしまったことに赤面した私に泣き笑いの殿下。なんとも締まらない状況に二人で笑ってしまった。
「殿下、やりなおしません?」
ときいたのだけど、私を見て吹き出して、「アレクシスって呼んで、エリザ」と言うので、
「アレクシス、やりなおしません?」「いいよ」 早!
彼は私を見つめて、片膝をつくと、私の手を取り、
「エリザ嬢、あなたを心から愛しています。
どんな時も、何があってもあなたを守ります。
どうか私の妃になってください」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします」
◇ ◇ ◇
私たちの婚約発表に学園は騒然となったが、食堂プロポーズ姫君瞬殺事件の噂はあっという間に広まっていたらしく、一部を除き、概ね好意的に受け止められた。
殿下はその一部に対しては瞬時に氷結してブリザードを吹きすさばせまくるので、私は解凍マシーンとしての価値を認められ、彼の卒業の頃には皆に祝福されて、心配していた女の戦場に放り込まれることもなく過ごすことができた。
心配していた近隣諸国からの横やりが入ることもなく(殿下が陛下や帝国の皇后となられたシャルロット様とタッグを組んでキッチリ対処されたらしい)、私の卒業の一か月後、国を挙げての結婚式が執り行われた。
あれから十年が経ち、本当にいろいろあったけれど、約束通り、どんな時も彼は私を守り通してくれた。
今も守り続けてくれている。私も彼を支え、自分でできる戦いにはきっちり勝利を収めている。
真面目で真っ直ぐで、穏やかで優しい旦那様と、かわいい子供たちにかこまれて、毎日幸せにくらしている。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。




